【十三】第三寄宿舎の幽霊
「閣下、宮廷魔術師長から打ち合わせをしたいとの依頼が来てます」
「用件は?」
右手で羽ペンを書類に走らせたまま、現在ゼルと話す火急の用件は無かったはずだと思案する。左手でも羽ペンを持ち、別の書類を片付ける。建国記念日には国外からも来賓するから、様々な手配がある。外務大臣は絶賛勇者アスカにべったりなので、僕に仕事が回ってきたのだ。
「噂の真偽の確認だそうです」
「噂?」
まさかゼルまで、陛下同様下らない噂を気にしているのだろうかと頭痛を覚えた。仮にも宮廷魔術師長なのだから、それはないと思いたい。大体こちらが多忙だという事を、きっとゼルならば分かっているだろうから、わざわざ『時間を取っての打ち合わせ』というような形式で、聞きに来たりはしないはずだ。
「真実だと確認した場合は、討伐しなければならないとの事です」
「討伐だと? 何の噂か知らんが、それならば、我輩ではなく騎士団長の所へ回せ」
やはりゼルは下らない噂で僕の時間を奪ったりしないだろうと考える。昔から、ゼルの唯一の長所として、僕はアイツが僕の時間を邪魔しない点を上げている。
「剣士とは相性が悪いから、神殿に連絡を取る事になるかもしれないそうですよ」
レガシーはそう言いながら、羽ペンを置いた。
先ほどから、宿と警備に必要な人員数の算出をしてくれているのだ。
「神殿……」
その言葉にスイの事を思い出して、僕は溜息をついた。
忙しくてろくに帰宅できていないので、スイとレイがどうなったのかを、いまだに僕は知らない。そろそろ確認したいと思わないでもない。
「分かった。神殿への通達が絡むとなれば、宰相府から連絡を取らなければならないからな。承知したと伝えておいてくれ。日取りと時間は?」
「夕食時には他の会談が入っているそうで、それが終わったらこちらにいらっしゃるそうです」
「そうか」
ならば仕事をしながら相手にしてやっても良いだろう。
そんな事を考えていると、レガシーが珈琲を淹れてくれた。
「それにしても次から次へと仕事が来ますね」
「全くだ」
「閣下が勇者を呼び戻したりするから悪いんですよ」
「その勇者を放逐する作業はどうなってるんだ?」
「勇者の周囲のガードが堅すぎて、近寄れません。ただそのおかげで、アスカがここに来るのも防御されてますけど」
「そもそもアレは、何故ここへ来たがるんだ?」
「閣下に会いに来たいんでしょ?」
「何故?」
「閣下のことが好きだそうですけど」
「何故?」
「え、いやそれは――……閣下の本性を知らないからとか」
「なんだと?」
「いえ、あれです。閣下が外見『だけ』は良いから」
「レガシー……」
僕は眉を顰めた。僕が良いのは、外見だけではない。断じてそれは違う。僕の素晴らしい点は、努力に裏打ちされた実力だ! 全く、見る目がない宰相補佐官だ。しかし、僕の外見に一目惚れするというのは、勇者にも数少ない取り柄があったと言うことだろう。さすがは僕の魅力! ただ、最近僕は『恋』というものについて考えているため、少し悩んだ。
「たまたま見目が好みに合致すれば、恋は始まるのか?」
「へ?」
「話した事など片手の指の数でも余る程度なんだ。我輩と勇者殿は」
「……はぁ」
「そもそも勇者殿は本気で我輩に恋をしているのか? 我輩を好きだというのは勘違いではないのか?」
「閣下……」
「と言う事で、そう言う方向で話を進めてくれ。勇者殿にその気持ちは勘違いだとすり込むんだ。それと、建国記念日二日目の夜の会談は、十五分刻みで六十五人終わらせるから、全て同じ場所にセッティングしてくれ。順番をきちんと考えろよ。優先されたされないで煩い奴らが多いからな」
僕が淡々とそう言いながら、右側最後の書類を終わらせた。
腱鞘炎になりそうである。ペンだこなど腐るほどできそうだが、麗しき宰相閣下の手にそんな物は似合わないと思うので、僕は手袋をして指を保護している。こういう気遣いが大切になってくると思うのだ。
「宰相閣下、閣下が真剣に恋について考えて、実はそれなりにアスカの事を考えてるのかと勘違いしそうになりました」
「我輩はいつでも真剣だぞ。当然、勇者殿についても真面目に考えている」
真面目にどこかにいなくなって欲しい。
「いっそ洗脳……いや、ふむ」
「物騒なこと言わないで下さい」
「いや、何、我輩の事を観葉植物だと思いこむ暗示をかけるくらいの可愛い魔術は許されるのではないかと思ってな。勿論冗談だ。我が家の家訓で、基本的に一般人に魔術の行使などしない」
僕はそう言ってから、左側の処理も全部仕上げた。
短く息を吐いてから、コーヒーカップを手に取る。レガシーが淹れてくれた珈琲は美味しい。次に片付ける書類仕事に想いを馳せながら、僕はカップの中身をじっと見る。
「――閣下。俺もコレでも恋いこがれてる人間なので、恋心を消すみたいな事はしたくない。無理だ」
「好きにしろ。冗談だと言っているだろうが」
「冗談として流しますからね。やらなかったからって後でイヤミ言わないで下さいよ。けど、勇者を一般人って言い切る閣下も凄いよな」
「違うのか? こちらへ来る前の異世界とやらで、とんでもない重要人物だったりするのか? 王子か? 国家元首か?」
「いや、コウコウセイだったって聞いてます。学生ですね」
「一庶民だな」
「ですけど、こちらの世界においては『勇者』という価値があるんですよ? 魔王を倒していれば、勇者がいると言うだけでこの国の影響力も増したはずだし」
僕は胃が痛くなった。
確かにそれはその通りだろう。僕が魔王退治をしなければ、勇者アスカは英雄だったはずだ。しかしながら、勇者を英雄にするために国の疲弊を見て見ぬふりするわけには行かない。当然だ。これでも僕は宰相なのだから、民草のことを考えなければならないのである。
それが高貴な人間である僕の務めだ!
実際には、高貴な人間になってみたいから努力しているだけだ、何て言うのは内緒である。
「だけど俺はちょっと意外です。閣下なら、勇者の名前を利用しそうなのに」
「当然考えた。だが、関わるデメリットの方が大きすぎる。我輩は効率的に仕事をしたい」
そんなやりとりをしてから、僕らは再び仕事に戻った。
ゼルがやってきたのは、二十三時半を回った頃の事だった。
「お疲れ」
「ああ。悪いな、仕事が立て込んでいるから、適当に座ってくれ」
ゼル相手なのだから良いだろうと、僕は書類に向かったまま答えた。
実際僕が声をかけるよりも一歩早く、ゼルはソファに座った。レガシーは、宿の予約で街に出て、そのまま直帰した。燭台の灯りが揺れる室内には、星の光も入ってくる。
「珈琲淹れても良いか?」
「ご自由に」
「お前も飲む?」
「悪いな」
接待する気も起きずに、僕は書類を睨み付けた。なんとしても後三十枚ほど今日中に終わらせたい。そんな事を考えていると、魔術でゼルがカップを二つ用意した。呼びだし魔術だ。空間魔術と、収納している品が腐敗しないための時間魔術の組み合わせがなければ、飲食物の管理はできない。呼吸するように、呪文も無しに、高度な魔術を使うゼルが忌々しい。
「あんまり根を詰めるなよ」
「ああ。有難う」
カップを受け取り顔を上げると、ゼルが苦笑していた。
「それで、打ち合わせの件だが、なるべく簡潔に話してくれ」
「第三寄宿舎二階の旧書庫前の廊下の件だ」
「なんだそれは?」
「出るんだってさ」
「何が?」
ゴキブリか? 虫か? ネズミか? その三つだったら、悪いが僕はノータッチで行きたい。完璧な僕であるが、害虫だけは苦手なのである。大変言いにくい話であるが、僕が実家暮らしをしている理由の一つが、王宮で暮らしてもし一人でいるときに、害虫が出た場合、誰にも退治を頼めないため、と言うものがある。ゴキブリが出たから助けてくれだなんて、宰相である僕が誰かに頼むなんて恥ずかしすぎる。
そもそも第三寄宿舎と言えば、騎士団と宮廷魔術師が混在で過ごす、数少ない寄宿舎だ(大抵は所属ごとに宿舎は別れている)。それなりの精鋭が揃っていたように思う。まさか全員僕同様害虫が駄目という事も無いだろうに、住人は何をしているのだろう。
「幽霊」
「帰ってくれ。俺は忙しいんだ」
馬鹿馬鹿しいなと思いながら、珈琲を飲んだ。うん、こちらもまた美味しい。恐らく入れ立ての状態で、品質が劣化しない魔術もかけているのだろう。さすがは魔術の名門ワインレッド伯爵家だけはある。それにしても、幽霊だなんて下らない。僕はそんな者は存在しないと思う。
「俺だって馬鹿げてると思ったよ、けどなぁもう五人も倒れてる」
「なんだと?」
「全員病床で、意識が朦朧とした様子で、うわごとを言っている。他の奴らも怯えて、仕事に支障が出てるんだ」
「意識が朦朧としているとなると、身体に影響を与える魔術や呪いの可能性があるな。それで我輩に話しに来たのか。なるほど、神殿にも話を通した方が良いのかも知れない」
被害者が出ているのでは、放置はできない。
それに、時期的にも、そんな噂が立つと、建国記念日で客人を迎えるときに都合が悪い。
幽霊なんて僕は信じないが、悪意在る人間の仕業だとすれば、他の場所にも被害が拡大する可能性が高い。そこで僕は、凄く嫌な可能性にハッとした。どうしよう、外国の重鎮共が、勇者アスカの魅了魔術に罹ってしまったら。最悪戦争だ。
「ゼル、頼みがあるんだが」
「なんだ?」
「建国記念日前に、本格的に勇者殿の魅了魔術を解除して欲しい」
「……まさか独占欲とか言わないよな?」
「勇者を独占する気など無い。欲しいんなら持って帰れ」
「俺が欲しいのはフェルだけど。まぁ日程を調整してみる……のと、後は呪い自体を解除するとなると、本格的に魔術師連中を召集しないな」
「貴様一人ではできないのか?」
「無理だな。調べた限り、俺が三人は欲しい。俺とお前をカウントしても、他に最低一人――ただ俺達レベルの魔術師は、国内には魔術学校のカルロ師くらいしかいないからな……」
「根拠は?」
「召喚二日目から魅了魔術の本しか読んでない。簡単な実験も済んでる」
「良くやった」
仕事をしていないように見えて、なんだちゃんとやっていたのかと、僕はゼルを見直した。
その上自分の力量をきちんと弁えていて、僕の実力を認めている所も高得点だ。今日のゼルは、僕の中での株を上げ続けている!
「お前に褒められて悪い気はしないけどなぁ。それより、幽霊だ。どうする?」
「まずは原因の特定をしなければならない。勇者殿のように、すぐに見て分かる魔術ではないのか?」
「俺が他の奴らと三回行った時は、一回も出てこなかった」
「何か被害者に特徴は無いのか?」
「俺には分からない」
「名前は?」
「ええと――」
ゼルの言葉に耳を傾けながら、僕はカップを傾ける。なんと、全員僕が聞いた事のある名前だった。しかしながら、全員顔は分からない。だとすると、その人々の共通点は一つだ。
「全員我輩のファンクラブの会員だ」
「は?」
「陛下の近衛の、カルア・スミスに名簿を貰って、囮役をしてくれそうな人材を探してくれ」
「ちょっと待て。お前自分のファンクラブのメンバーとか把握してんのか?」
我ながらちょっと恥ずかしい。
だけど、だけどだ。僕のことを格好いいって言ってくれるんだから良い人々ではないかと思うのだ! 僕は彼等の前では、さらに株を上げようと決意している。
「貴様のファンクラブメンバーも把握しているが何か問題でも?」
僕は話を変えようとそう口にした。
あれである、要するに、好敵手を好きな奴らの名前も僕は覚えているのだ。だって僕の魅力をアピールして、やっぱり僕の方が良いって思わせなきゃならないからな。
「なんのために?」
「単純に文官の動向や流行を知るためだ。それと会誌があるらしくてな。自分や貴様のような他者が、宮中でどのように見られているのかも把握できて、たまに見せて貰うと面白いぞ」
「……そういうもん? ま、良い。ただそれが事実なら」
「事実だ」
「いや、そうじゃなくて。お前の理由が事実か否かじゃなく、お前のファンクラブのメンバーが被害者だとすれば、丁度良い」
「何がだ?」
「俺がフェルのファンクラブに入る」
「何故だ?」
「俺も会誌を読みたい」
「そこの本棚の裏の列にバックナンバーが入っている」
「まじか」
ゼルが手を打って、本棚へと向かった。
「――ただ、そうだな。今後の被害者もあぶり出せるし、俺のライバル一覧表が手にはいるって意味でもあるし、カルアには話に行ってくるわ」
「ゼルのライバル?」
「なんでもない。じゃ、こちらでもう少し調べて、原因が分かるか、今後の方針が決定し次第また伝えるわ」
「よろしく頼む」
このようにして、会談は終了したのだった。