【十六】休み明け





 休日にリフレッシュして、休み明けの仕事開始日には、いつもよりも集中して仕事に臨む。

 それが僕の理想の、休日明けだ。

 だが理想と現実は違うもので、今日からまた多忙な日々が始まるのかと思うと、正直嫌気も差す。これで仕事に充実感を覚えなければ最悪だっただろう。僕は多忙に参ることはあっても、仕事自体は好きだ。仕事ができいる僕の能力を再確認する度に、流石は僕だなと気分が良くなるのだ。

 その時、執務室の扉が開いた。

「遅かったな。レガシー宿の手配の件だが、埋まったか?」
「いえ……まだ、選定中で……それよりあの、閣下……」
「なんだ? とりあえず宿と接待なんだが、貴族連中にも割り振ることにしよう。侯爵系か、都合が良さそうな貴族をピックアップしてくれ」
「分かりました……いえ、あの、閣下……」
「だからなんだ? ん?」

 書類から顔を上げてマジマジと見ると、レガシーの顔が青かった。

「なんだ、具合でも悪いのか?」
「……具合というか、気分が……」

 引きつった表情で笑うレガシーの姿に、僕は首を傾げた。

 この忙しい時期に倒れられては困る。体調管理も仕事の内だ。それができていないとなれば、レガシーに対する評価も見直さなければならない。

「……騎士団長と付き合ってるってまじすか?」
「ああ」

 そう言えばそんな話もあったなと思いながら、僕は頷いた。

「好きなんですか?」
「そうだな」
「どうして――ッ、何で急に……、今度は何を企んでるんですか!?」
「失礼な奴だな。別に企んでなどいない。ジークが相手なら、恋人にとって不足はないだろう。なんだ、悔しいのか?」
「……ええ」
「素直で結構。午前中には、貴族のピックアップを終わらせてくれ」

 僕はそう告げ、新たな書類を手に取った。
 すると、バシンと音を立てて、レガシーが僕の机を叩いた。

「っ」

 驚いて顔を上げると、今度は両方の肩をそれぞれ同時に、腕で叩くように掴まれた。その勢いと速度に目を見開いていると――「っ、ぁ」

 そのままレガシーに唇を深く貪られた。

「お、おい――……っ」

 声を上げようとしたら、口腔へと舌が入ってきた。舌を絡め取られ、おいつめられる。そのまま甘噛みされると、鈍い疼きが体に趨った。

「っ、ン」

 鼻を抜けるような声が出てしまい、苦しくなって、レガシーの体を押し返す。
 これは――……なんというか、その。

「おい、落ち着け……っ、離してくれ」

 漸く唇が離れたので睨み付けながら言うと、強く抱き寄せられた。

「嫌だ」
「嫌だも何も……」
「あんたは本当に馬鹿だな」
「何だ急に」
「何も企んでないんならどうせ、軽い気持ちで付き合うことにしたんだろ」
「なんだと? ちゃんと考えて出した結論だ。我輩は無駄なことは極力考えないようにしている」
「騎士団長と、ヤれんのかよ?」
「無理だ。が、そこは大丈夫だ。許可無く手も握らないように約束させた」
「約束したからって、それを守って、あんたに手を出さないで騎士団長がじーっとしてると思ってんのかよ!?」

 レガシーが苦しそうな顔で僕を見た。僕のことだというのに、こんなに必死になってくれるなど、まさしく部下の鏡だ。

「分かってないんだよ、宰相閣下」
「……何が?」
「恋が……恋がどれだけ苦しいものかって事だよ! どれだけみんなが、あんたに惚れてると思ってんだよ! 好きなんだよ!」

 そりゃみんなに惚れられるくらい、僕は魅力的だろう。よく分かっている、分かっているつもりだ! も、もしや僕が想像する以上に、僕って魅力的だとそう言うことだろうか?
だとすれば、そう言われて悪い気はしないが、だからといって納得できるというものではない。

「だからなんだ? 告白してそれで? 思いを吐き出し満足か? 自分が満足するためであれば、勝手に人の体を抱き寄せて、口づけして良いのか? 我輩の体はそんなに安くはないつもりだが」

 僕が眼を細めて言うと、レガシーの体が震えた。

「っ、すいません」

 冷静になったのか、レガシーが顔を背けて、腕を放した。
 僕は努めて不機嫌さを前面に出す。

「さっさと仕事に戻れ」

 そう断言して、羽ペンを手に取る。

 ――……だが、多分本当はどこかで、動揺している。確かに僕は、恋がどれだけ苦しいのか何て知らない。知りたくもない。いくら僕が魅力的だとはいえ、だ。こんな風に我を忘れたような顔をして詰め寄らせるような情動を生み出す感情など、恐ろしいではないか。下手な魔術よりもよっぽど怖い。

 そのまま特に会話もなく、午前中は終わりを告げた。



 サンドイッチを食べながら書類を見ていると、執務室の扉がノックされた。
 僕が視線を向けると、首を傾げてレガシーが声をかけた。

「はい」
「ちょっと良いか?」

 入ってきたのは、ゼルだった。

「ああ。食べながらで構わないか?」
「勿論」

 頷いたゼルを、レガシーがソファへと促す。

 気さくに礼を言って珈琲を受け取りながら、ゼルが背をソファに預けた。

 ゼルは格式だけで言えば、侯爵家にも匹敵するほど由緒正しい家柄の出だが、上下関係をあまり気にしない。役職を鼻にかけることもない。僕は意図的に、貴族であろうと思っているから、偉そうでありたいので見習う気はないが、多分人としてはゼルのスタンスも悪くないと思う。

「お前のファンクラブのメンバーから、囮役の選抜をした。で、囮になりえるか試したら、成功した。ただ、踏み込んだらすぐに逃げられたから、まだ正体は見極められないんだ。俺とお前で挟み撃ちにしたい」
「承知した」

 僕らの会話に、レガシーが首を傾げた。

「幽霊騒ぎの件ですか?」
「ん、そう。なんでも今じゃ、尾ひれがついて悲恋で自殺した幽霊の逸話まであるらしいな」

 ゼルの言葉に、レガシーが曖昧に笑った。

「俺今なら幽霊の気持ち分かるかも知れません」
「なんだレガシー。失恋したのか?」
「ゼルダ様だって失恋でしょう」
「いや、別に?」
「っ、だって、閣下のこと好きなんですよね? もしかして騎士団長から聞いてないんですか? わざわざあの人俺の所まで言いに来たのに、まさかあんたの所に行ってないわけ無いですよね!?」
「来たぞ」

 書類仕事をしながら、僕は、話しを広めるなってちゃんと言ったよなと思い出していた。

「じゃあ何でそんなに平然としてるんですか!?」
「俺が何年片思いしてると思ってるんだよ。フェルがジークに対して恋愛感情を抱いてないって確信してるから、何の問題もない。さらに言うなれば、大事なのは、あいつをどう思ってるかでも、あいつに対する返事でもない。俺に対する返事だ。それに、フェルに口約束だろうがそうじゃなかろうが恋人ができたとしても、諦める理由にはならないな。俺に惚れさせてみせる」

 何でもない事のようにそう言うと、ゼルがカップを傾けた。

 僕は似たような事を、学生時代、同級生の少女に告白された時も、ゼルに言われた。しかしいまだに僕を惚れさせられていないのだから、ゼルの魅力もたかが知れているな!

「……宰相閣下って、昔からこうなんですか?」
「そうだな。俺が知ってる限りだと。悪気が無い所が、本当たちわるいんだけどな」
ゼルはそう言って喉で笑った。
「所でゼル。いつ退治しに行く?」
「三日後が良いな。それまでは、建国記念日に備えて、天候調整の魔術儀式の準備がある。その後は、他の国のやら、遠方の領地にいる宮廷魔術師との調整、さらに後だと移動魔法陣の設置が始まる」

 金色の髪を揺らしながら、紅い瞳をゼルが煌めかせる。

 普段は暇そうな宮廷魔術師連中だが、この時期ばかりは存分に働いてもらわなければならない。ゼルが宮廷魔術師長になってくれて本当に良かった。前任者は、魔術を使う事よりも研究することが大好きだったから、いつも儀式をバックレようとしていたのだ。僕が力ずくで宰相位を得たのと違って、名乗りを上げたゼルにあっさり地位を譲ったのは、今となっては懐かしい記憶だ。

 ――この、望んでいないのに、何でも手に入ってくるゼルの強運も、僕は大嫌いなんだけどな!

「レガシー三日後の予定を確認してくれ。空けられる時間は?」
「三日後でしたら、午後二時十五分から四十分程度なら空けられますね」
「じゃあそこにしよう。良いか?」
「おう、了解。じゃ、またその時に」

 ゼルはそう言うと立ち上がった。僕は頷いて返して、サンドイッチを飲み込んだ。
 なんだか喉が渇いた。

「レガシー、我輩にも珈琲を」
「はい」

 羽ペンを置いて肩の凝りを解していると、レガシーが珈琲を差し出してくれた。

「……閣下に恋をするには、やっぱりあのくらいの余裕が必要って事なんですか」

 受け取りながら、レガシーのそんな声を聴いた。

「余裕? ゼルに余裕などあるか?」
「少なくとも、今の俺よりは」
「ああ、上を見て自分に足りない部分を発見するのは良いことだぞ、向上心は大切だ。そして我輩のさらなる優秀な下僕――……部下になるため精進してくれ」
「いや、恋人狙ってるんで」
「健闘を祈る」

 喉を褐色の熱に焼かれながら、僕はスッと眼を細めた。
 恋人、か。
 そうだった、僕は現在、ジークの恋人なのである。

 なのだから、キスしてしまったのは、きっとアレだ、浮気だ。

 僕は恋をした事が無いとはいえ、恋人には真摯でありたいと考えている。宰相閣下は清廉潔白でしかるべきだろう!

「レガシー一発殴らせてくれ」
「は? なんですか、急に」
「我輩の唇を奪った罪は重い。仮にも恋人がいる今、恋人にも悪いことをしてしまったと言う事だからな。我輩に罪をおこさせた罰を受けるがいい。しかし我輩は暴力は良くないことだと思うから、言葉の暴力で許してやろう」
「いやいやいや、それ日夜受けてるんで!」
「なんだと? まるで我輩がパワハラでもしているかのように言うな。愛の鞭だ!」
「俺が欲しいのはそう言う方面の愛じゃないんです!」

 そんなやりとりをしている内に、昼食の時間は終わった。