【十七】嫌なら止める(☆)






 翌日、夕食がてら行った会談の後、僕は中庭を横切っていた。
 すっかり周囲は暗くなり、星が瞬いている。

 第一騎士団寄宿舎裏で、ここにはジークをはじめ、位の高い騎士達が住んでいる。正面には屋外鍛錬場があるが、基本的に夜には演習など入っていないため、いつも夜は静かな場所だ。

 ――ん。

 その時風を切るような、聞きようによっては何かの鳴き声にも取れる音が響いてきた。

 咄嗟にゼルが話していた幽霊騒動を思い出したが、何せ場所が異なるし、幽霊などいないと思うので、その案は切り捨てる。何だろうと思いながら、僕は足を止めた。
幾ばくか逡巡したものの、意を決して壁と壁の合間から、鍛錬場の方を覗く。

「!」

 するとそこには一人で素振りをしているジークの姿があった。
 両手で束を握り、風を切りながら、振り落としている。

 見ているだけで重そうな大剣だ。両刃で、代々騎士団長に受け継がれるとされる威力抜群の剣は、刀身に月の光を反射させている。

 いつもは汗一つ掻いているようには見えないが、流石に鍛錬中であるせいか、暗い色のジークの髪がこめかみから頬へと張り付いている。今更こうして夜まで自主練をするほど弱くもないだろうが、僕は、こうやって頑張る人間は好きだ。努力って重要だと思うぞ!

「――誰だ?」

 その時不意に、ジークが剣を下ろして、視線だけでこちらを見た。

 これでも気配を押し殺していたつもりだったので、虚を突かれたが、短く笑ってから、僕はジークに歩み寄った。

「フェル……」
「何をしている?」
「日課なんだ」
「いつもここで剣を振っているのか?」
「定時上がりの日の夜は大抵な。後は、夜休憩の時間か」

 柔和に頬を持ち上げて、ジークが言った。

 それまでの真剣な空気が霧散したせいか、気づくと僕は安堵していた。最近のジークは僕の前では優しい顔をしている時間の方が多い気がするので、気迫がこもっている表情を見ていると、何故なのかドキリとして居心地悪く感じてしまうのである。

「羨ましいな、夜休憩が取れるなど」

 気がつくと、思ってもいないことを呟いてしまった。何故、僕は顔を逸らしてしまったのだろう、自分でもよく分からない。

 この城では、夜も仕事をしているもののために、八時半から十時まで一時間ほどの休憩が定められている。ちなみに、七時半から八時半は夕食だ。全員が一律で休憩するというわけではなく、その間にもシフトが組まれてはいるが、基本的にはそう言うタイムスケジュールになっている。それは、騎士団も宮廷魔術師も文官である宰相府も変わりはない。だが僕は夜休憩など、久しく満喫した記憶は無い。

「忙しそうだな」
「まぁな」

 僕が答えた時、ジークが歩み寄ってきた。

「――触っても良いか?」

 ジークはそう言って、僕の頬へと手を伸ばしてきた。

「駄目だ。駄目に決まっているだろう」

 きっぱりと告げ、僕は溜息をついた。確かに現在は規則的には休息時間であるのだから、仕事中に何をするんだ、と言うわけには行かないのが少々苦しい。だが仕事中であろうが無かろうが、僕の体に簡単に触るのは許せることではない。

「無理にとは言わない。だがな、フェル」
「なんだ?」
「一つ許されれば、もう一つと欲が出てくる。どうやら俺は、ただ恋人になって貰っただけでは、満足できそうにないんだ」
「贅沢な奴だな」
「せめて――毎日二人きりで会いたい。顔を見たい。声が聴きたい。それぐらいは、叶えてもらえないか?」

 剣を鞘にしまいながら、ジークが呟いた。

 互いに多忙な身なのだから、あまり現実味のある提案だとは思えない。

 しかし、恋人同士として付き合うというのは、相手のために時間を作ることも責任の一つなのではないのかと思う。僕は、恋愛のために仕事を犠牲にするつもりは一切無いが、時間を捻出できない自身の無能さの言い訳付けに仕事を利用する気もない。

「……良いだろう。明日から、毎日夜休憩の中で八時四十分から八時五十分までの十分間だけ時間を作る。会いたければ、執務室へ来い。その時間は、大体レガシーも外食でいないし、貴様が来たらレガシーを追い出すことを約束しよう」

 まぁ恋人としてこれくらいはしても良いだろうと、僕は判断した。

「本当か?」

 僕の言葉に、ジークが驚いたように目を丸くした。

「我輩は嘘は基本的につかない。あくまでも基本的には、だが。ただしジークを待ったりはしない、その間も仕事は続けている。それと急用で不在だったとしても、怒るなよ。それに来るも来ないも自由だ」
「絶対に行く。不要かも知れないが、行けない日は連絡する」
「好きにすればいい」

 僕が頷くと、ジークが微笑んだ。



 それが昨日の話だ。

「本当に来たのか」

 書類から顔を上げた僕は、時計と、入ってきたジークの顔を交互に見た。

 レガシーはやはり食事に出たので、あと三十分は帰ってこないだろう。育ちの良さが分かる感じで、レガシーの食べる速度は大変遅い。

「当然だ。待ちきれなかった。朝から頭がいっぱいだった」
「仕事中は仕事に専念することだな」
「分かっている。分かっているんだ。ただ、それでも今、俺が仕事に熱を入れる一番の理由は、フェルの力になりたいと言うことも大きい」

 僕のために仕事を頑張ってくれるのだとすれば、さすが僕、としか言えない。

 動機や脳内での思考はどうあれ、きっちりとジークが働いてくれていることは、僕だって良く知っている。だから、別に糾弾するつもりもない。

「話がしたい。こちらへきてくれ」

 ジークの言葉に、僕は書類の最後の行を書き終えてから、羽ペンを置いた。
 立ち上がり、短く息をつく。

 本当はこの十分という時間も惜しいが、集中力維持のためには、適度な休息も悪くないだろう。そう考えながら、ジークの座る応接席のソファへと向かった。
正面に座ろうかと考えていたとき、不意にジークが立ち上がる。

「なんだ、帰るのか?」
「いや」
「?」
「確認したいんだ」

 ジークはそう言って僕の手首を掴むと、急に抱きしめてきた。

「……触るな」
「嫌か?」
「そう言う事ではなくて――」
「嫌なら止める」

 そう言ってジークが僕の肩に顎をのせた。

 好き嫌いの問題ではなくて、互いの体温を感じるような距離が問題なのだと僕は言おうとして、唇を振るわせる。しかし、僕が何か言おうとするよりも一歩早く、ジークが口を開いた。

「嫌じゃないのなら、何故触ってはいけないんだ?」
「何故って……」
「確かに約束はした。だが、約束した理由は、フェルの嫌がることをしたくなかったからだ。だから――だから。フェルが嫌じゃないことならば、触ることを含めてしたって良いだろう」

 真剣な顔でそう告げられたので、僕は言葉に詰まった。
 ――確かにそれは、そうなのかも知れない。

「だが、何が嫌で何が嫌じゃないか分からない。教えてくれ」

 ジークはそう言うと、腕に力を込めた。抱きすくめられたまま、僕は何も言えなくなる。

「コレは嫌か?」

 それから静かに、背中をポンポンと叩かれた。

「別に……」
「じゃあ、コレは?」

 続いてジークは、片手で僕の顎を掴み、もう一方の手で頬を撫でた。
 よく分からない――それが、正直な感想だった。

 多分何とも思っていないから、ちょっとだけ気恥ずかしいだけなのだから、嫌ではないのだろう。だから僕は首を振った。ただ、ジークの距離がどうしようもなく近いのが気にならないはずがない。その事実が居心地の悪さを喚起する。

「ジーク……その――ッ!」

 さすがに、肩布の結び目をほどかれて、まずいと思って声を上げようとした時、僕はソファにうつぶせに押し付けられた。後ろ手に腕を固定され、体重をかけて状態をソファに縫いつけられる。背中にジークの重さを感じた。元々文官と武官、騎士と魔術師というか宰相の僕じゃ、力の差は歴然としている。

「何をするんだ、離せ!」

 身動きを封じられた僕が声を上げると、ジークが耳朶を噛んだ。

「っン」
「……本気で拒絶されたら、止める」
「たった今、拒絶してる!」
「少し黙っていて欲しい」
「ぁ……っ、な……ン」

 ジークの手が下衣の中へと入ってくる。唐突に自身を利き手で掴まれ、僕は背を撓らせた。剣を握り鍛練を重ねてきたのだろうジークの硬い掌が、僕のそれを撫で上げる。

「ぅあ」

 輪を作った指で、男根を刺激され、上下され、気づけば僕の口からは声が漏れていた。
いつの間にか、器用に逆側の手でボトムスを下ろされていて、空気に肌が触れる。自分の温度とも、衣服がもたらす温度とも、異なる室温、さらにはジークの体温。その四つが、ゾクゾクと快楽を煽っていく。

「溜まっていたのか?」

 耳元で囁かれたから、僕はジークを睨め付けた。多分今の僕の顔は赤い。

 だってしかたがないではないか、忙しすぎて自分で処理をする余裕なんて無かったのだ。

「っ、は……ン」

 しかし声を漏らすのが屈辱的だったので、唇を噛んで堪える。

 だと言うのに、そんな僕の心境などお構いなしと言った風に、ジークが手の動きを早めた。

 下半身に直結した熱が、開放を求めて騒ぎ出すまでには、そう時間を要しなかった。

 そそり立ち固くなった僕のそれは、自分でも実感できるほど、たらたらと蜜を零し始める。顔が熱い。息苦しくなって、酸素を求めて僕は、唇を開いた。

「ぁ、あッ……んぅ」

 だがそうすると、どうしても声が漏れてしまう。
 的確に感じる場所を刺激され、消え入りたいほど恥ずかしくなる。

 こんな経験無いため、対応に困る。ただ一つ分かるのは、早く楽になりたいと言うことだった。もう達してしまいたい。

「――嫌か?」

 その時不意にジークが手の動きを止めた。

「っ」

 体が無意識に震える。

 そりゃ、問答無用で嫌だった。自分の意志に反して、体をこんな風に性急に責め立てられるのは好きであるはずがない。

「嫌に決まってるだろう!」

 反射的にそう叫んだ時、僕は涙が浮かんできている事を自覚した。

「そうか――じゃあ、止める」

 するとあっさりとそう言って、ジークが手を引いた。
 呆然とした僕は、ジークの視線を追って、時計を見た。
 約束の休憩時間が、あと三十秒ほどで終了する所である。

「……く」
「俺はいつでも、コレより先の事をしたい。続きがしたい」

 ジークは苦笑するようにそう口にすると、立ち上がった。

「嫌じゃなくなったら、呼んで欲しい」
「なッ」
「フェルのためなら、いつでも時間を作る。なんなら、今からでもな」
「さっさと帰れ! 二度と触るな!」

 思わずそう叫び返すと、何処か辛そうな様子で笑いながら頷いて、ジークが扉へと向かう。

「また明日。同じ時間に来る」
「……」

 パタンと閉まった扉を見据えながら、僕は熱いままの体を両手で抱いた。
 誰が呼ぶかと思うし、待ってなどやるかとも思う。

 だが熱の引かない体を残され、射精できないままで放置されている身体が、正直言って辛い。――一体この熱をどうしろと言うんだ!

 僕は沸々とわいてきた怒りと熱を、押し殺す事に必死になったのだった。