【十八】幽霊退治(☆)
建国記念日に来賓客に出す菓子の選定を兼ねているため、眼前に数多く並んだチョコレートを眺めた。僕は比較的甘くないという品を一粒口にしたのだが、仮眠あけのせいかどうしようもなく心地良い味に感じてしまった。一気に目が醒めたなと思いながら、珈琲を飲み、次いで無意識に煙草を探して、止めた。
煙草の臭いが充満した執務室など、宰相らしくないだろう。
「閣下、何か機嫌悪いですね」
その時レガシーに声をかけられたので、僕は視線を向けた。
「そんな事はない。何故そんな事を言うんだ?」
「何故って……さっきから射殺さんばかりの目で、中庭見てるじゃないですか……騎士団長と何かあったんですか?」
「無い。茶菓子は、コレとコレとコレとコレを手配しておいてくれ」
僕はレガシーに指示を出してから、時計を見上げた。
本日は、ゼルと共に幽霊退治をすることになっている。
そろそろ時間だなと考えて、立ち上がった。
「出てくる。何かあったら、貴様の一存で片付けて良い。判断できないか火急の用のみ、伝令を寄越してくれ」
「わかりました。長引きそうだったら、連絡下さい」
頷いて返し、僕は第三寄宿舎へと向かう事にしたのだった。
建築年数が長い事もあり、第三寄宿舎は古めかしい。
階段を上る度に、ギシギシと嫌な音がする。いかにも幽霊――というよりも、害虫が出そうで、僕はそちらの方に嫌な気分がしていた。今物音でもしたならば、僕は動揺して、建物ごと火の魔術で害虫駆除をしてしまうかも知れない。
「顔色が悪いな……大丈夫か?」
合流し隣を歩くゼルが、複雑そうな顔で僕を見た。
「無論だ」
「怖いなら無理するなよ」
「怖いはずがないだろう。突然顔に向かって飛んできたり、足下をすり抜けられない限りは、心の準備はできている……!」
「何の話だ、フェル。幽霊は基本的に、動かないぞ」
「だから幽霊など、端から眼中にはないんだ。我輩は忙しいのだ、さっさと片付けよう」
目指す回の踊り場に立った所でそう宣言すると、ゼルが、外に続く階段の扉を開けた。
「こちらから出て、奥に回ってくれ。挟みうつ。幽霊は二分前後はその場に留まり、いつも消えるんだ。俺の読みだと、外側に姿を消して逃げているんだと思う」
「承知した。結界を張りながら、監視魔術も起動させる」
「ああ。俺の方は、人間を相手にする上ではかなり上級の攻撃魔術で追い詰める。俺が攻撃を開始したら、囮の人間を含めて、総員家屋から待避させるから、後は機を見て加勢してくれ」
簡単に打ち合わせをし、僕は外へと出た。
普段は非常用の階段として機能している、外の通路は、これまた古びていてギシギシと音を立てる。これほど軋むのでは、補強工事を真剣に考えた方が良いかもしれない。幽霊よりも倒壊の方が、僕にとっては余程恐ろしい。
対角まで歩いて、目指す扉を、解錠魔術で開いた。
鍵を渡されていなかったのだから、自力で開けろと言う事だと思う。
中へと入ると窓もなく、埃っぽいにおいがした。
思わず眼を細めてローブの袖を鼻と口にあてがう。
その時廊下の奥が、橙色に染まった。火の攻撃魔術の気配と、ゼルの魔力の気配がする。
自身の背後から、この塔全体を覆うように結界を構築し、その範囲内全てを監視できるように杖をふる。どちらもアシュタロテ帝国の魔術だ。隠密行動(?)には、普段使用している呪文は長すぎて不向きなのである。
淡々とそんな事を考えながら、僕は前方へと向かって歩く事にした。
もう背後は封鎖したのだから、ここに突っ立っていても、何もやるべき事はない。
さっさと挟み撃ちにして、この仕事を片付けてしまおう!
前方から響いてくる足音と、近づいてくる橙色の明りに、眼を細めながら、僕は歩いた。
そして角を曲がり――「っ」
白い半透明の人型の何かがそこにはいた。
幽霊、だと……? 何て恐怖して息を飲んだわけではない。僕が入るにもかかわらず、影から飛び出してきたソレは、なんと――そのまま僕のぶつかり、スッと消えた。消えたと言うよりもコレは……「くっ、なッ」
体の皮膚の内側に何かが入ってきた感覚だった。
杖を持つ手に力を込めるが、自分でも冷や汗が浮かんできた事が分かった。
ガクリと膝を突く。
宰相としてあるまじき姿だとは思うのだが、呼吸する度に、まるで別の人間の心音が響くようで、自分の分と二つの鼓動が交互に頭に響いてきて、不協和音を奏でていく。
「フェル!!」
目眩によく似た、グラグラとする視界を、気合いでしっかりと一つにする。
吐息すると、妙に熱かった。
なのに全身が寒くて、酷い悪寒に襲われる。
ゼルに助けおこされたと気がついたのは、杖を取り落とした時の事だった。
ワインレッド色の瞳が僕を見ている。
――杖を落とすなんて、僕としてはあり得ない。
そう思って、手を必死で伸ばすのだが、体の統制権が僕から外れたようで、震えるだけだった。なんだこれは? 事態が上手く把握できず、眉を顰めた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫に見えるのか?」
「悪い、見えない。気分は? すぐ医務室に――」
「それよりも先にすべきことがある。結界から外には誰も出ていない」
僕は必死に自分の放った魔術部分だけを、思考で制御し、その事実を確認する事にした。
僅かに動く利き手を宙に向け、記憶しておいた魔法陣を呼び出す。
すると空中に、結界魔術と監視魔術の映像記録が広がった。
「お前な、お前の体優先で良いから、今は」
「いいや、ゼル。この俺に、杖を手放させたんだ。逃がすものか」
しかし監視魔術の記録をたぐり寄せてみても、たった今、囮役をしていたメンバーが屋外に避難した事、及び、現在唯一空いていた一回の扉が固く閉ざされた事しか浮かんでこない。
――では、僕が今し方見た、白い人型は、記録に残っているのか?
残っていた。
しかし僕が視覚で捕らえた人型とは異なり、たった数分前に僕に激突したのは、白い封筒の形をしていた。万物に魂が宿る、として、この場合で言えば、手紙に思いのたけを詰め込んだ魂をいれて、操作する魔術がある。古代魔術だ。
「――思念魔術らしいな。なんらかのフェルへの思いを手紙にして、ぶつけてきたんだろう。宰相府の結界は流石に簡単には通り抜けられないから、ここで足止めされていたのか」
ポツリとゼルが呟いた。
自由にならない体のまま、僕はフッと笑った。
「犯人の特定は困難だな。我輩は、殺意を向けられる覚えが腐るほどある」
「殺意……なのか?」
「これほど強い想いなどそれくらいしかあり得ないだろう」
「それだったら、こんな思念魔術を放つくらいなんだから、触った瞬間にお前の命を奪っているんじゃないのか。迂闊だった、悪いな、危険な目にあわせて」
「謝るな、ゼルのせいじゃない……じゃあなんだ、現在俺は動けないわけだが、俺の体の動きを封じる事を目的としているのか?」
自由に動く首を後ろに倒してゼルの腕に預け、下から顔を見上げてみた。
次第に少しずつ体が動くようになってきた。
だが、全身は無理だ。
それに先ほどから、胸の奥で何かが、じくじくと疼く。吐息するのが辛い。
「分からない……とりあえず、手紙を読んでみれば、相手の目的が分かるはずだ。最短でこの魔術を解くのは、害がなければ、手紙に書かれた願いを叶えてしまう事でもある」
ゼルはそう言うと、俺の右の頬に手を当てた。
ひんやりとして感じられ、急に触られたからなのか、僕の背が跳ねた。
「≪寄代分離≫」
ゼルは静かに呟き、手紙を呼びだした。
本体を引きはがす事は無理らしいと僕にも分かる。
僕の前で、ゼルが、白い封筒から一通の簡素な便せんを取り出し広げた。
「「!」」
見据えて僕は目を見開いた。ゼルは吹き出している。
そこにはこう書いてあった。
『フェルがイく所を見たい』
――……って、どいうことだ!
正確には、『フェル(明らかに僕の事だな)が、×××(術者の名前だろう。男だという事は特定できたが、破損しているのか防御されているのか、具体的に誰だかは分からない)の手(というか体を使って)でイく(イかせられる。要するに、僕が下!)所が見たい』と書いてあった。
――男にイかされるとか、ふざけるなと言う話だ!
が、その文面を見た瞬間、高い耳鳴りがして、頭の中を一本の線が突き抜けたような気がした。まずい、体の制御件を完全に奪われそうになっている。
「うッ」
きつく目を伏せ、歪む視界をシャットダウンしようとする。
するとドクンドクンと鼓動が嫌に大きな音を立てた。
「……ま、まぁあれだな。お前のファンクラブの人間に近づいたのはさ、お前とヤれる機会があるかも知れないって、手紙が判断したんだろうな」
「そんな機会があるわけ無いだろう……っ、ぁ……」
「本物に取り憑いたって事は、あれだな条件的に、お前がイく所見ないと、この魔術消えないぞ」
「うぁ……っ、はぁ……ゼル」
僕は我ながら恨みがましい目で、ゼルを見上げたと思う。
悔しさから涙が浮かんでくるのが止まらない。
この僕をそんな目に会わせた奴など、金輪際許さない。
そう思う反面、ゾクゾクと体をはい上がってくる何か――その正体を、僕ははっきりと自覚した。おかしな快楽がわき上がってくるのだ。
「何とかしてくれゼル……っ」
「いやちょ、俺もそんな風に色っぽく言われると困る、凄く困る」
「困るな! さっさと娼館に連絡してくれ!」
「――え? それって要するに、男買って、その……」
「兎に角この魔術を解除しない事には、仕事にならない!」
「……それは、そうだろうけどな……おい、ジーク呼ぶとかそう言う選択肢は?」
「ありえん!」
反射的にそう叫んだ僕だが、なるほどそれも良いのかも知れないとハッとした。
しかし、しかしだ。もしここでアイツを頼れば、今後もずるずると、そう言う関係になりそうだ。そんなもの願い下げだ。
「――……ビジネスとしてなら誰でも良いけど、ジークは嫌だって事か?」
「まぁそうとも言えるな!」
「っ、なら、こうなったのは、俺の責任だし。宮廷魔術師長の仕事として、楽にしてやろうか、俺が」
「は?」
「何でジークが嫌なのかは個人的に気になるから後で詳しく聞かせて貰うけどな。正直言って、何処の誰とも知れない奴にお前を抱かれるのを、ぼけっと眺めてるほど俺だって優しくないし、我が儘なんだよ」
「ちょ、ゼル――っ」
その時、ゼルの唇が、僕の右の首筋に降りてきた。
「余裕なんか本当は全然無いんだよ。本当は独占欲で気が狂いそうなんだ」
「ぁ……ッ、お、おい……!」
するすると僕のローブの紐を解き、ゼルが静かにシャツのボタンを外した。
熱い体と霞む思考の中、僕は呆然とした気持ちで、ゼルを見上げた。
「ン……っ、ぁ」
そのまま目を伏せたゼルの唇が、僕の口元に重なった。
睫が長いな、だなんて場違いな事を考えていると、息継ぎをする間に舌が入ってきた。
「っく」
角度を変えて深く貪られ、息が上がるのを止められない。
「!」
ぼんやりとしていると、そのまま下衣の中にゼルの手が忍び込んできた。
「ちょ、おい――ふァ」
ゾクゾクゾクと震えと一緒に、言いしれぬ快感が、体を這い上がってくる。
「ひッ、……ぅン――っ、ぁ……」
漏れた声が悔しくて恥ずかしくて、慌てて唇を噛む。
本当は手で口を覆いたいのだが、自由にならない体がもどかしい。
「フェル――嫌だろうけどな……我慢してくれ。酷い事はしない」
「っ、あ……ああ。そっちこそ嫌だろうけどな……しっかりと仕事しろ」
僕は何故なのか切なそうな顔をしているゼルを見て、思わず苦笑した。
もし僕が逆の立場だったら、僕は二つ返事で娼館に連絡を取ったと思うのだ。
「ぁ、ちょ……うううッ、ぁ」
僕の男根をゆるゆると撫でたまま、ゼルが器用に僕の下衣を全ておろした。
ぼんやりと見上げていると、膝を押し開くようにして、ゼルが体を動かす。
後頭部が壁に当たり、若干痛かった。
「な、何を――うわッ」
その時ゼルが、僕の自身を、口へと含んだ。
焦って、彼の金色の髪をつかむが、ゆっくりと口を上下され、その度に僕の肩は震えて力を失っていった。
舌先で敏感な箇所を刺激され、添えられた手では緩急をつけて扱かれて、ドクンドクンと中心が熱く脈打つようになる。
「ぁ……止め……っ、は」
限界だった。こんな経験など無い僕は、体の中心に集まった熱を解放してしまいたくてしかたがなくなった。理性では、何をやっているんだろうなどと考えるのだが、快楽を追い求める体は、≪思念魔術≫の効果なのか、嫌悪も苦痛も感じさせない。
「ゼル、離してくれ、出る、出るから……っ」
さすがにマズイと思い、僕はきつく目を伏せて、体を自制しながら、ゼルの頭を押し返した。
「……」
しかしゼルは何も言わずに、口の動きを早めた。
「ゼルっ……おいッ……うぁ」
「……」
「ぁ、あッ……――あああ!」
僕はそのまま、ゼルの口の中に精を放ってしまった。
途端頭が冷静になって、目を見開く。呆然とした。え、僕、今、え?
「おいゼル……」
「ん、ああ? 大丈夫か?」
目の前でのど仏を上下させて、ゼルが飲み干す。飲み干した!
「吐き出せ馬鹿者!」
「ぶ」
思わず僕はゼルを吹っ飛ばしていた。顔が熱い。頬が熱い。恥ずかしい!
「あ、あ、いやその……あ……ええと、ゼル……し、仕事は終わったし我輩は帰る!」
「おぅ。思念魔術解けたみたいだな。主犯の割り出しはこっちでやっておくから、監視魔術と結界魔術のデータ置いていってくれ」
「いや、結構だ。命に代えても、この我輩に屈辱を与えた敵は、我輩が割り出す!」
「忙しいんじゃないのか? 別にお前がイった顔とか悪用したりしないから、素直に俺に渡せ」
「ふざけるな! そんな事を考えていたのか?」
「いや、別にそうじゃないけどさ、普通にお前忙しいだろう。フェルを狙った敵なんだから、俺だって許せないって言うか、本当――……いや、なんだろう、役得というか、ちょっとだけ感謝してると言わない事もないけど」
「最低な奴だな!」
「冗談。冗談だから!」
「兎に角、この件は内密に」
「ん。ま、俺は俺の他の人間がお前の可愛さ知るとか嫌だから、言わないけどな」
そう言ってフッとゼルが笑った。
その柔らかい笑顔に、僕は何故なのか、胸が少しだけ苦しくなった。
一体ゼルの言動は、何処まで本気なのだろうか。
このようにして、幽霊騒ぎは一応の解決をみせたのだった。