【二十三】建国記念日B






 なんだかんだで忙しかったが、建国祭も今日で終わりだ。

 前夜祭と初日こそ忙しかったが、それ以後は恙なく日程を消化した。

 後は今日、『時の奇術師』を讃える儀式を、各国の王族が執り行い、建国記念日は終了する。いつもより早起きをした僕は、庭に出て、空を見上げた。

 白い雲がいくつも見えるが、青空が心地良い。

「ニャァ」

 そこへ絡みつくように、白い仔猫がやってきた。

「ジル」

 仔猫の頭を撫でてから、僕は抱き上げた。
 まだ着替えていないから、毛が付いても構わない。
 不思議な紅い瞳をした仔猫である。

 ジークとゼルが連れてきたので、ジルと名付けた仔猫とは、中々忙しくて遊ぶ事ができていない現状がある。

「――おはよう」

 不意にその時後ろから声をかけられて、僕は目を見張った。
 一呼吸置いてから振り返るとそこには、ヴェルダンディ第三王子殿下が立っていた。

「おはようございます殿下。お早いですね」

 まだ朝の五時だ。
 僕基準ではそれ程早い時間ではないが、王族にしては早い。
 やはり我が家の質素な枕では寝付きが悪いのだろうか。

「その猫は?」
「野良猫でしたものを、我が家で引き取りました」
「……野良猫……クロックストーンの御遣いではないのか?」
「え?」

 意味が測りかねず首を傾げると、ヴェルダンディ王子が困ったような顔をした。

「『時の奇術師』の使者だとされている。かの魔術師と関わりの深い、この国の侯爵家のみに姿を現す尊い存在だと聞いた事がある」

 そんな話は初耳だった。
 しかし、この猫を見つけて手渡してきたのは、侯爵家の人間であるジークだ。

「元来その使者は、友人たる侯爵家の人間の命の元、『愛しい人』を守るらしいが――……『時の奇術師』の友人たり得るような凄い力の持ち主を見つけると、時の狭間に攫っていくという伝承がある。少なくともアシュタロテにはそうした話が残っている」
「そうなのですか」
「私はその猫とナガトを会わせるのが怖い。できれば、あまり目につく場所においてくれるな」

 王子はそれだけ言うと踵を返した。

 なんだか、何かが繋がりそうで、だが確固とした事が何も分からない気持ちの悪さを覚えながら、僕はそれ以上考えるのを止めた。



 それから王宮へと向かい、最後の儀式が行われた。
 僕を初めとした文官や、各国の宮廷魔術師がその光景を見守っている。
 僕の一歩後ろにはレガシーが立っていて、左側にはナガトが立っている。

 右隣にはゼルがいる。

「さすがは、クロックストーン王国の儀式だね。時の精霊が、所狭しと降りてきている」

 僕とは異なり、精霊魔術が使えるナガトは、何もない場所をキラキラした瞳で眺めている。

 多分僕が幽霊を信じない一番の原因は、ナガトだ。

 彼は昔から、何もない場所を楽しそうに見ていたし、楽しそうに何もない空間と話しをしていた。きっと僕には見えないナニカがいるのだろうと確信した物である。

「雑談をしている余裕があるのか?」

 静かにしていた方が良いのではないかと、僕は周囲を一瞥しながら告げた。
 残念ながら、周囲は比較的静まりかえっている。
 だがその理由は、儀式が荘厳すぎて、大半の人間が言葉を失っているというのが正しい。
 話をしたり口を開く余裕がないのだ。

「問題ないよ。私語に苛立つなんて言うのは、ただの人間の価値観だからね」

 笑いながら肩を竦めたナガトを見て、僕はふと尋ねたい事を思い出した。

「ならば、いくつか聞いても良いか?」

 時計を見れば、儀式終了まで後三時間弱あった。

「何々?」
「一応招いた我輩が言うのも何だが、心当たりのない客人がいるんだ。白髪に紅い瞳をした、恐らく魔術師だ。我輩にすら魔術を使う気配など感じさせなかったのに、我が国の騎士が、気づいた。戯れ言だろうが、我が輩を攫おうとしていたらしい」
「――何時何処でどういう状況で会ったの?」
「晩餐会終わりに、気配もなくテラスに現れた。建国記念日を開いてくれた礼を言いたいと言われた」
「うーん。確認したい事が二つかな。その仮に魔術師、黒曜石の指輪を両手にいくつかはめてなかった?」
「はめていたな」
「気づいた騎士は、クロックストーンの侯爵家の血族?」
「ああ、騎士団長のジーク・オデッセイだ」
「だとすればオデッセイ侯爵家の加護をしていた、クロックストーンの御遣いが、人型を取ったんじゃないかな」
「……クロックストーンの御遣い」
「御遣いが人型を取るときは、めぼしい魔術師を、時の狭間に攫う時だとされている。それ以外なら、本当に御遣いはいい人で、侯爵家の人間の愛しい人を守る守護神になってくれるらしいんだけどね。いったん目をつけられちゃったら後は、引き込まれるか、引き込まれないように現世側に強い繋がりを持たなきゃならないとされてる」
「よく分からないんだが簡潔に言ってくれ」
「要するに愛する人に守護してくれる存在を贈ったとする。だけど愛を交わす前――肉体関係を交わす前だと、逆に守護する存在に遠くに連れて行かれちゃう場合があるって事。ま、よっぽど力の強い魔術師じゃなければ、遠くに連れて行かれる事なんて無いけどね」
「悪いんだがもっと簡単に話してくれ」
「だから、ヤらないと、連れてかれちゃうの」
「なんだと? どこへだ!?」
「さぁ。そこまでは僕も知らないよ。本当、アシュタロテ以外だと、神話って廃れてくって言うのは分かったけど」

 そこまでの話から、僕は思わず眉を顰めた。

 多分、あの猫的な代物は、クロックストーンの御遣いという存在なのだろう。そしてそれは、通常であれば、守護をしてくれる尊い存在らしい。が、実力在る魔術師(僕は実力在るしな!)を誘拐するらしい。しかし肉体的に、要するにヤれば、現世から連れ去られなくなるらしい。ということで、ジークはきっと大切な僕に猫(御遣い)をくれたものの、連れ去られそうになっているのを見て、肉体関係を焦って結ぼうとしているのだろう。なんだそれは。はた迷惑な話である。

 しかもそれが理由だとすると、なんだか若干、恋心とかそう言う物がないのかと考えると寂しい。まぁいい。

 僕は折角地位を築いたこの国からいなくなるつもりなんて無い。

「それよりフェルさぁ、真面目な話、何で宰相何てやってるの?」
「最高権力者とも言えるだろう。跪く愚民共が気持ちいいぞ」

 血族間でしか聞こえないようにする妨害魔術をかけて僕は言った。

 先ほどからチラチラとこちらを見ているから、もしかしなくてもゼルは、明らかにこちらを盗聴しているが、別段問題はない。ナガトといえ、所詮他人だ。他人度で言えば、ゼルとそんなに代わらない。

「もったいない、もったいないよ、フェルクラスの魔術師ならば、いくらだってなんだってできるのに」

 ふははははは、もっと僕を褒め称えてくれて構わないぞ!

「本気でアシュタロテ帝国に来ない?」
「アシュタロテに?」
「なんだかんだ言っても、魔術師の総本山だし。伯父さんの家跡とり探してるし。フェルなら、すぐに宮廷魔術師長になれるよ。だってうちの国、権力に興味在る人間少ないしさ」

 その言葉に僕は双眸を伏せた。

 確かにこのクロックストーン王国にいるよりは、楽に出世できそうな気はする。
 だが、不意に首に腕を回して引き寄せられ、僕は目を見開いた。

「我が国の宰相を公衆の面前で引き抜かないでもらえますか」

 目を見開くと、不機嫌そうな顔に、口元だけ笑みを浮かべてゼルが言った。

「フェルシア卿がいなくなるのは、当国にとって、大変な痛手です」

 敬語を話しているゼルを久しぶりに見た。
 真剣な色を紅い瞳に宿し、ゼルは、ナガトを見ている。

「……ふぅん。魔術師としてじゃなくても価値あるの? 宮廷魔術師長の貴方がそう言うんだから、強力な魔術師のフェルなんて邪魔なだけだと思ってたけど勘違いかぁ」
「勘違いです。別に私はこの地位に固執しているわけではございませんが、宰相を引き抜かれるくらいならば、他のどんな地位を明け渡してでもひき止める所存です」

 ゼルはそう言うと、公衆の面前だというのに、僕の事を抱きしめた。
 ぶっちゃけ、気恥ずかしい。

「人気者なんだね、フェルは」

 朗らかにナガトが笑う。

 そうなんだろうか、さすがは僕だ! とも思いつつ、なんとなくいたたまれない気分になった。

「――そろそろ儀式が終わりますよ」

 そこへ咳払いしたレガシーの声が響いてきた。


 このようにして、建国祭は終わりを告げたのだった。