【二十四】平和な日常が戻って……こなかった! わけじゃない。
建国記念日が終わり、宰相府にはいつもの通りの日々が戻ってくるはずだった。
「何故ここにいる?」
「あ? ここはお前の部屋じゃないだろ」
僕は腕に載る書類を落とさないようにしながら、我が物顔で宰相府のソファに座っているジークとゼルをそれぞれ見た。
断言するがここは城の物であり、強いて言うならば、今の部屋の主は僕だ。
建国記念日の後、一日だけ休みを貰い、爆睡して回復した僕は、今日久方ぶりに出勤し、さてチャキチャキ頑張って仕事をこなすかと決意していたのであるが、その決意は見事二十分でくじかれた。
何故なのかジークとゼルがやってきて、ソファに座り言い争いを始めたからである。
「レガシー、珈琲を淹れてくれ」
しかしスルースキルの高い僕は、書類を無事に執務机の上に置くと、そう頼んだ。
「俺にもくれ」
「俺にも」
声を上げた二人を睨め付け、備品代を請求してやろうかと思案する。
この二人であればポケットマネーからだってサクッと支払えるだろう。
「どうぞ」
レガシーからブレンドコーヒーを受け取った僕は、今日中に片付けなければならない書類を分別しながら、溜息をついた。
まぁなにはともあれ、建国記念日が無事に終わってくれたのは有難い。
「――宮廷魔術師長。兎も角だ、現在、フェルの恋人は俺だ」
その時ジークがカップを置きながらそんな事を言った。
陶器と陶器が奏でる高い音が周囲に谺する。
茶器同士で音を立てるというのはあまり品が良くないが、その辺にわざと配慮を欠いた姿に、ジークの怒気が感じ取れる。
「そんな口約束が何になるんだ? お前、フェルに愛されているとでも本気で思っているんじゃないだろうな?」
スッと眼を細め、呆れた様子でゼルが言う。
何処か自信が漂っている顔だった。
「口約束すらない、ただの『お友達』に言われる筋合いはない」
「俺はフェルの気持ちが欲しいんであって、形式的な形が欲しい訳じゃない。そんなもん、嫌々ながらの見合い結婚や許嫁制度と何の変わりもないだろう」
「フェルが俺を受け入れられないのは、お前の告白をまだ断っていない、『まだ』断っていないから、不誠実だという理由だった。要するに、お前の告白を断るのを前提にしている」
「は? 俺の告白を『断る気がない』から『お前を受け入れられない』って事だろう」
言い合っている二人の声に、僕は頭痛がしてきた。
「貴様ら、仕事はどうした」
「「明後日まで休みだ」」
休みならば、わざわざ城へ来て、あまつさえ僕の所になんか来るなよ……。
辟易した気持ちで、カップを傾ける。
「兎に角早くしなければ、御遣いにフェルが持って行かれてしまうかも知れないんだ」
「ふざけんじゃねぇぞジーク。勝手な思いで勝手にフェルに御遣いをプレゼントして、それで体を寄越せとか馬鹿じゃないのか」
「愛し合っているのだから構わないだろう」
「誰と誰がだ? フェルと愛し合ってるのは俺だから!」
そんな二人の前に、乱暴な音を立ててレガシーが茶菓子を置いた。
「お二人には悪いんですが、宰相閣下は、俺のなんで」
レガシーの人好きがする顔のこめかみに青筋が立っている。
よし、状況を整理しよう。
どうやら三人は僕の事を本気で好きらしい。
そして僕の体を狙っているそうだ(怖)。
羽ペンを持つ手が震えそうになる。流石は僕の魅力! 何て言っている場合ではない。なんだかよく分からないが、僕は貞操の危機を迎えていた。
なんでも先日引き取った白い仔猫は、”時の奇術師”の眷属で、現世に強い繋がり(要するに愛する者との肉体関係)がないと、問答無用で時の狭間へとひきずり込む存在らしく、僕は現在、誰か一人を決めて抱かれろと言われている。と言うかなんで僕はつっこまれる方扱いになっているんだろう。ただそれはあくまでも伝承だし、僕が直接話をした限りだと、ジル(仮称)は僕を無理矢理どこかに連れて行ったりはしない気がする。
ようは単純に、この三人が、いい加減本命を決めろと、僕に迫っているのが現状だ(と、僕は認識している)。
確かにいくら僕が麗しいからとはいえ、僕だって人の子だから、人の気持ちを弄ぶような事はしたくない。だが、だが、だ! 僕に恋心がないんだからどうしようもないではないか!
そんな事を考えていた時、執務室の扉がノックされた。
「はい」
レガシーが返事をして扉を開ける。
そこに立っていたのは、神官長のスイと――……!
僕は慌てて立ち上がった。
「エルグランド侯爵様。このようなお見苦しい場所へお越し下さるとは、恐縮です」
僕は水色の髪をした青年の前で深々と腰を折った。
先ほどまでの喧噪など嘘のように、ジークも騎士最上級の礼を取っていたし、ゼルもまた宮廷魔術師として最上級の礼を取る。
エルグランド侯爵家は、他の四大侯爵家の筆頭とも言われる実力者だ。
確かに当代の当主は引きこもりと渾名されるくらい、滅多に人前に姿は現さない。
だからこそ、ごく稀にこうしてあったときには、心証を悪くしないよう、最上の礼を取らなければならない相手だ。
「あ、うあ、あ……いや、いいいいや、あ、ら、ら、あ、ら、あ、楽にして下さい」
盛大にどもりながら、エルグランド侯爵がそう言った。
彼も黄金世代なんて揶揄される僕らと同世代で、今年二十七歳だったはずである。
「フェル義兄さま、良かったですね、良い方法が見つかりましたよ!」
スイがそう言うと、ジークとゼルがあからさまに眉を顰めた。
「「義兄様?」」
「スイ、口をつぐむか、ここで永久に俺に黙らされるかどちらが良い?」
僕は引きつった笑みを浮かべて杖を突きつけた。
「冗談だよ。それより、見つけたんだ。勇者アスカへの対処法を」
「なんだと?」
「結論から言うと、やっぱり、フェルの事掘りたいと思ってたのもアスカだった」
「ちっ」
宰相あるまじき仕草だとは分かっていたが、僕は舌打ちを止められなかった。
「そこでね、ビスと相談したんだけど」
ビステック・エルグランドは、そこにいるエルグランド家当主だ。
「やっぱり勇者を元々いた世界に強制送還するのが良いって結論になったんだよね」
スイの言葉に、レガシーが更に二つ珈琲を用意しながら首を傾げた。
「ですが、アスカは元いた世界ではコウツウジコとやらで絶命しているんですよね?」
「だ、だ、だ、だから」
エルグランド侯爵がどもりながら声を上げた。
「じ、じ、事故に遭う前の時間軸に戻して、事故自体無かった事にしてしまえば良いんじゃないかな?」
異世界移動だけでも相当高度な魔術である上に、時間制御か。
言うのは簡単であるが、どのように行使するのか、僕は興味を持った。
それからエルグランド侯爵から魔術の概要を聞き、嗚呼それならば僕一人でも使えるなと、理論を詰めていく。元々なにかとおかしくなったのは、勇者がここへ来てしまったせいだった。アレさえなければ、今頃僕が、ジーク(以下略)に迫られる事もなかっただろう。
「お話はよく分かりました。早速勇者殿にお話しをしましょう。――レガシーお呼びしてくれ」
僕がそう言うと、レガシーが執務室を出て行った。
なんだかこれで丸く収まりな気がする。
そう思えば、僕の気持ちも晴れ晴れとした。
「は? 絶対ヤだよ」
だがしかし。
執務室へと招いて事情を説明すると勇者が泣き出した。
何故だ!
元いた世界に帰れるんだぞ!
「俺は、俺は、フェルとずっと一緒にいたいっ……!」
泣き出した勇者に僕は抱きつかれた。
はっきりいうが、僕と勇者殿は、ほとんど話した事すらない。
何で彼はこんなに僕に懐いて居るんだ!
しかししかーし。
僕はもう面倒くさい事はゴメン被るのである。
僕は勇者の言葉など、聞かなかった事にした。
先ほどエルグランド侯爵より聞き、理論を頭に叩き込んでおいた魔術を展開する。
「時神の導き、時空の精霊よ応えよ、≪ごった混ぜ≫!!」
僕が唱えると、瞬間、勇者殿の体が光り輝き始めた。
その光は白く部屋中を多い、全てをかき消した。
「……終わったのか?」
ポツリとジークが呟いたとき、漸く室内の時間が正確に時を刻み始めた気がした。
「ちょ、閣下。嫌がるアスカを無理矢理帰還させるとか、本当に鬼畜ですね」
レガシーが引きつった笑みでそう言った。
「えげつない……」
「っ、たった一人であんな高度な魔術を……」
エルグランド侯爵が呟く。
まぁ、結果オーライという奴である。
何はともあれこのようにして、勇者は帰還した。
多分、クロックストーン王国には平和が戻ったのだと思う。