【◆】SIDE:破壊神@最強




 ああ――……僕って、どうしてこんなにダメなんだろ。

 何のために生きているのか、それすら分からない僕は、きっと呼吸している事すらおこがましくて、心臓なんて早く潰れてグチャグチャになってしまえば良いんだ。でも死ぬのは怖いんだ。

 これでも一応神らしいから、死ぬと言うよりは消滅するのだろうが、少なくともこの、パルディア大陸世界では、人間と同じように血を流して、痛みを伴って消滅する。消滅する前には、一時期死体にもなる。そうじゃないと、大陸を旅して現れる勇者が、本当に僕のことを倒したか分からないからだ。倒されるのも、僕は怖い。

 端的に言うのならば、僕は多分全てをリセットしたいんだ。

 僕の存在ごとリセットして、何も無かった事にして、”無”になりたい。
 どうして僕なんて、何の価値もない存在を、世界は生み出したのだろう。

 この世界は、≪光の神:ライト≫と≪闇の神:ダーク≫、そして二人の子供である≪人の神:ヒューズ≫が生み出した事になっている。何故人の神なのに、≪ヒューマン≫じゃなかったんだろう。

 この世界の言語は、他世界の”English”という物に近い。他の世界の言語は自動翻訳されるのが常だが、元々近いらしい。

 恐らく、悠久の昔から、パルディアは、他の世界と交流を持っていたからだろうと推測されている(誰が推測しているのかは知らない)。

 ただ僕は、≪光の神≫も≪闇の神≫も≪人の神≫も、”今回”作られた”人間の妄想”だと知っている。

 昔は、≪鬼神≫と≪式神≫とやらが、世界を統べていると考えられていた時代もある。他には、≪天使≫と≪悪魔≫とか。変わらず存在するのは、この大陸と、そこに住む(人間を含めた)動物だけだ。

 だが、大抵人間の想像通りに、この世界には新しい神が産まれる。
 つまり、この世界には、創造神はいないのだ。強いて言うなら、それは人間だ。

 そして一度生まれた神々は、名を変え姿を変え、とりあえず与えられた土地や神世界(天空)で暮らしている。

 僕は、いつから自分が此処にいるのかは忘れてしまったが、人間は何故なのかいつも強い敵の存在を望むため、ずっと岩山の手前にある空中に浮かんでいる。


 今回の衣装は、何か変なコート(表面は黒、後ろ側は赤)だ。

 下に着る服は自由なので(コートは、靴先しか見えないくらい長いのだ)、俺はTシャツとスキニーの黒デニムを穿いている。

 靴は、人目が無い時はスニーカーで、勇者達が来た時は長ブーツに履き替えている。まぁ服なんて、ぼっちで、ある意味引きこもりの僕にはどうでも良いんだけどね。基本的に同じ場所にいるし、この大陸がある世界自体が、開密室状態のような物なんだ。

 勇者――……今回の人間の討伐役は、勇者と呼ばれている。

 三十年に一度くらい、僕を殺しに来る。
 一人、あるいは二人、もしくはご一行様だ。

 ≪聖なる剣を引き抜いた勇者≫や≪生まれた時に祝福があった勇者≫や≪異世界から召喚された勇者≫等々、様々だが、全部”勇者”と呼ばれている。

 そして僕を倒しに来る名目は、

・村々を破壊し荒廃させている破壊神を倒すため
・魔王の腹心であり、人々を恐怖のどん底に落としている破壊神を倒すため
・虐殺を楽しみ、人間を血祭りにしている破壊神を倒すため

 etc.etc...

 勿論言いがかりである。

 引きこもりの僕は、仮に人間のフリをしたとしても、コミュ障だから、人々が多数居る村に何て行けない。第一、破壊した事も無ければ荒廃させた事も無い。そもそも”魔王”が生まれた様子がないので、腹心の部下になるとか、無理だし。

 恐らく、僕の所でみんな倒されるから、生まれてこないんだと思うけど……だってさ、痛いのは嫌じゃん……ねぇ?

 そもそも恐怖のどん底とか言うけどさ、僕の着ているコート(多分マント)とか、普通笑い所な気がする。

 変だよ絶対コレ……衣服に無頓着の僕すらそう思うんだから。

 第一虐殺は、どちらかと言えば僕がされたい(痛みが伴わなければ)。そして僕を血祭りにしようとしているのは、確実に勇者達、人間だ……うう。

 何コレ、僕の存在価値って……何?

 とりあえずここ5000年くらい、僕は≪破壊神:ジャックロフト≫と呼ばれている。
その頃からかな、僕が全部リセットしたいって思うようになったのは。

 最初の頃は、これでも、神話が変われば、僕ももう恐れられる事は無くなるんじゃないか何て期待もしていた。しかしいつだって僕は悪役なんだ。みんなに嫌われてる。

 そして今もただ、僕を殺しに来る勇者を、宙に浮かんで待っているだけ。
 最後に他の神々と会ったのは、新しい神話が出来た時だ。

 ≪ライト≫と≪ダーク≫が、赤ちゃんの≪ヒューズ≫を連れてやってきたのだ。

 菓子折を持参して。

 二人とも引きつった笑顔をしていて、僕を見るなり腰を折り、「これから宜しくお願いいたします」と言っていた。僕の顔ってそんなに気持ち悪いのか……。

 曖昧に笑って、応えたんだったかなぁ。

 なんだか懐かしいなぁと思っていたら、ある日、別世界であるアースザニアの≪ヴァレン≫から連絡が来た。連絡手段は、テレパシーとでも呼べばいいのか、頭の中に直接響く声でだった。

 ちなみにコレは、僕の世界では”連絡紋”と呼ばれる物の応用だ。パルディア世界では、≪紋様≫を発動源にして、”力”を使うんだ。

 僕の場合は、ほとんどの場合、これ無しでも”力”が使えるし、別の神話の時代に覚えた両手を合わせたり組んだりして”力”を使ったり、拳や足に”力”をまとわりつかせることも出来るんだけどね。

 それにしても、≪ヴァレン≫か。
 正確には、アースザニア世界のヴァレンタインという名前だ。
 僕と同じく恐怖の対象で、堕聖人とか言われてるんだっけ?

「≪ひっさしぶり――!! 元気?≫」
「≪おう! あたりまえだろ!!≫」

 ちなみに僕は、他の世界では、ぼっちだと思われないように、リア充っぽく話しをしている。本当は、泣きたいくらい独りぼっちなのにな。

 我ながら、そんなちっぽけなプライドを持つ自分が大嫌いだ。

 本当は、涙が筋を作って頬を流れていくが、無理に口元で笑顔を作り、元気な声で僕は続けた。どうせ見えないんだから、良いだろう。

「≪あのさぁ、やっぱり大本の世界樹の管理もあるし、いろんな世界間のバトル防いだり、緊急時には救命隊送ったりしなきゃだからね、全部の世界での統一機関を作ろうって話しになったんだよ≫」

 誰と? 僕はそんな話聞いた事も無い。ああ、別世界ですら、僕は、ぼっちなのか。鼻水を啜りたい気分になったが、鼻をティッシュで押さえて我慢した。

「≪何それ、楽しそうじゃん!!≫」
「≪でしょ、でしょ? それでね、いくつかの世界に声かけててさぁ≫」

 ああ、なるほど、それで僕なんかに連絡よこしたんだろうな。久しぶりに。

 多分一億年ぶりくらいだ。それにこの世界で、今僕より古い神なんていないから、必然的に交渉相手は僕になるはずだ。

 だけど僕と交渉したってさぁ、僕はこの世界の神々のみんなにそれを伝えるなんて出来ないのに……ううッ、ああ、辛い、苦しい。みんな、そう同じ神々であるみんなすら、僕を見かけると逃げていくんだ。誰も話しかけてすらくれない。

 僕側のコミュ障もあるんだろうけど、軽くイジメにあっている気もするんだ……。
 兎に角嫌われているのは分かる。

「≪だけど、誰がTOPになるかとか、誰が入るかとかが決まらなくてね、それなら何か指標になるものを、って事で、『総合世界神称号』っていうのを世界樹本体から、『世界敵』のS〜SSSランクを討伐する度に、排出されるようにしたんだよねぇ。ほら、ヒゲとハゲいるらしいじゃん、あの中に。世界作った神々しか会えないって人達。で、他の世界の創造神に連絡取ってもらったんだよ。すぐにOK出たって≫」
「≪そうなんだ≫」

 ――ヒゲとハゲ?

 僕は初めて聞いたよ。誰も僕に、そんな人々の事、教えてくれなかったよ。僕は長く生きてるから、それなりに他の世界とも交流している自信があるけど、やっぱりあちらでも、友達はいない。

 強いて言うなら、渾名で呼べるし≪ヴァレン≫だけど、≪ヴァレン≫は用事が無かったら僕に連絡なんてくれないし……そもそも直接顔を見たのなんて5億年は前だ。一緒にご飯を食べた事も無いし、遊びに行った事も無い。

「≪そうそう。で、まぁ各世界で時間の流れバラバラだけど、最低十個以上称号集めたら、統一機関……今はまだ仮称なんだけど『総合統一神世界連合』ってのに、入ってもらおうって話しになってるんだぁ。基本的には、人間とか、他の創造神とかが、いない世界に蔓延ってる『世界敵』討伐が対象ね」

 ふぅんと頷きながら僕は瞬きをして、涙を零した。

 ちなみに『世界敵』というのは、僕も知ってる。勿論それぞれの神々がいる世界にも沸くのだが、基本的には、何故なのか誰も治める神がいない世界で繁殖していき、最終的には、総合世界と呼ばれる、多くの世界と繋がる≪世界樹≫のある”上位世界”への浸食を始める、≪敵≫の事だ。

 各世界にいる僕らのような、悪者と呼ばれる神々なんかとは違い、全ての世界を滅ぼそうとでも言うかのように、存在している不思議な≪敵≫なのだ。僕としては、あれに世界を滅ぼしてもらって、楽に消えたいんだけどね……。

「≪まぁ、そう言うわけだからさぁ、ジャック。十個集めておいてね≫」

 笑み混じりの声が響いた直後、通話(?)は途切れた。
 ――……なんだって?

 そ、それって……ナントカ連合に、僕のことも誘ってくれてるって事なのかな?

 い、いいや、そんなまさか……僕にそんな価値なんて無い……唯一僕の知る中で、渾名で呼んでくれて、こちらも渾名で呼んで良いと言う事になっているのが、≪ヴァレン≫だけど……その優しさを勘違いしちゃダメだ。きっと迷惑だよ。絶対陰でヒキオタニート乙とか思われてるよ。

 だってさ前に「宙に漂ってて三十年に一回くらいしか仕事無いなんてニートだよね。楽で羨ましいよ!」って言われたことがあるし……全くその通りなんだけどね。

 そう思えば、さらに涙が出てきた。


「おい」

 その時不意に声がかかったから、僕はハッとした。
 まずい、勇者にこんな姿を見られていたとしたら、ヤバイ。

 何せコレでも僕は、一応、世界を恐怖のどん底に陥れている魔王いないけどの腹心の部下で、泣いたりせず、嘲笑をいつも浮かべているような、戦闘狂のはずなんだ。

 それで、適当に戦った後、勇者の剣に突き刺されて見せて、消滅するフリをして岩の陰に隠れるんだ。だってね、だってね、勇者……弱いんだもん。勇者の一撃じゃあ、僕死ねないんだよ、基本的にさぁ……。

 勇者の一撃で、大体僕のHP(上位世界で使われる体力数値。交流してないしって事で、ヴァミューダ世界から、誰かがパクって来たと聞いている)が、0.000001しか減らないんだ。

 だけど、だけど、いつ強い勇者が来るか、分からないし、僕は怖いんだ。
 ――それよりも、涙を見られたのが問題だ。

 狼狽えながら、恐る恐る声の方向を見据える。
 するとそこには、僕と同じように宙に浮いている青年が居た。

 人間の魔術師かもしれなかったが(多分似たようなこと出来る人もいるだろうし)、気配的には、神様っぽい。だが、誰だか分からなかった。

 一応コミュ障の僕だが、何故なのか皆気を遣ってくれているようで、新しく生まれると、挨拶に来てくれるのだ。本当、申し訳ないない限りなんだけどさ。何でみんな、僕に挨拶に来てくれるのかな?

 その優しさが逆に、僕は怖い。『あー、アレが噂のボッチか』とか思われてたらどうしよう……。

「何で泣いてるんだ?」
「え、あ」

 慌てて、袖で涙を拭う。ヤバイ、不味い、涙を拭き忘れていたよ。
 しかも完璧に見られちゃった……鼻水は啜ってみたけど、けど、声が震えちゃったし。

 どうしよう……勇者相手なら、案外怯えたフリで乗り切れたかも知れないけど、確実にそこにいるのは神様だよ……。

「全然! 全然泣いてない!」

 素知らぬふりでそう告げると、呆れたように、現れた青年(神?)が溜息をついた。

 金色の髪に、闇のような黒い瞳をしている。真っ黒だ。夜よりも黒いんじゃないかと言うほどに、真っ黒だった。だが髪の色は、驚くほどに光り輝いている。

 太陽と月と闇がまぜこぜになったような、不思議な外見だなぁ。

「破壊神ジャックロフト……だよな? 今の名前は」
「あ、ああ」

 慌てて頷くと、青年が腕を組んだ。何か怖い……端正な顔をしていて、スッと鼻筋が通ってる。今の名前、そうなんだよね、僕神話が変わる度に名前もジョブもチェンジしてるのに、やってること一緒なんだよね、うう、ぐすん、って感じだ。

 まぁそんなこんなで、いつも悪役業だし――僕はかなり体格が良い自信がある。背も高い方だ。だってさ、なんか、その方が悪役っぽいじゃん? 昔≪悪魔≫が世界を支配しようとしている設定の神話だった時は、悪の諸悪の根源の人(神)の外見は少年(神)だっ

 たけど。

 だがこの青年、僕よりも更に背が高かった。筋肉の付き方は、僕と同じくらいだ。
 しかし”力”の量的には、僕の方が上だろう。
 しかし、顔面の造りでは、完全に負けている。格好良い奴だなぁと、僕は見上げた。

 爆発すればいいのに……っうう。

「破壊神様と呼んだ方が良いか? それともジャックロフト様?」
「え、いや、何でも良いけどな……?」

 それにしても、本当に誰だろう、この人(神)。
 首を傾げずには居られない。

 新たに生まれた神ならば、人間の創造した神話の始祖神でない限りは、大抵子供の姿だ。しかし、見た事が無い。まさか……挨拶に来る事さえも、とうとう省かれたのかな、僕。

 元々、何でみんなが挨拶してくれるのかも不明だったし。だけどそれでも辛い。例え後で悪口を言われているんだとしても、この世界の他の神様との唯一の接点だったんだから。

「じゃあ長いから、ジャックで」

 ――いきなり略称で呼ばれた! 渾名で呼ばれた! 畏れ多すぎて、僕は思わず息を飲んだ。気兼ねなく話しかけてくれるだなんて……なんて良い人(神)なんだろう。唐突なことに僕は彼を見上げて、目を見開いた。

「これからよろしくな」

 淡々とそう言われ、僕は訳が分からず、思わず目を瞠った。

 これから、よろしく……? ま、まさか、新たな破壊神? 僕、お役御免なのかな……ついに完全にニート?

「え?」

 ただ、もう僕がいらなくなったのだとしても、だ。宜しくって何だろう?
 後進指導とか? 無理だよ、そんなの僕には難易度が高すぎるよ!!

「なんだ、聞いてないのか?」
「何を?」
「人間が、≪人の神:ヒューズ≫を≪破壊神:ジャックロフト≫が、無理矢理娶ったって神話」

 き、聞いてない……聞いてないよ!

 え? どういう事? 娶るって……僕、誰かと無理矢理結婚した設定の神話に放り込まれたって事? そんなの相手が可哀想すぎるよ……うわあああん。

「ヒューズとミューズを混同してるのか、よく分からんが、今俺は女神様扱いだ。まぁ最初に生まれた段階で性別は決まるから、女神には、なれないけどな、さすがに」

 この世界では、確かに神々の性別が、はっきりしている。その為、後に新たな神話が創作されても、大本は変わらないので、精々女装するので精一杯となる。いくら綺麗でも、この人に女装は無理だろうなぁ……身長的にも骨格的にも。

 なのだから……娶れるわけがない。僕もこの人も、男だ。

 ≪ヒューズ≫って、しかも、前回会いに来た≪ライト≫と≪ダーク≫が連れていた赤ちゃんじゃないんだろうか? 年齢差もありすぎる気がする。え、なんだろう、僕、どうすれば良いのかな? 思わず僕は黙り込んでしまった。眉を顰めてしまった。

「俺じゃ不満か?」
「別に」

 別に不満とかそう言う話しじゃなくて、僕、僕、無理だよこんなの。僕みたいに愚かで何の力もない人間(神)に、誰かを娶れる価値なんて無い。

 幸せに出来る気もしないし、大体相手男の子(子? まぁ見た目は僕とあんまり変わらないか、寧ろ年上だけどさ)……だし。

 きっと僕と一緒にいるなんて、そんなの、可哀想すぎる。本当に無理矢理すぎるよ、相手にとっても、って言うか僕にとっても……だから僕は決意した。

「帰って良いからな! 好きに過ごしてろ!」

 僕は精一杯の笑顔を浮かべてそう告げた。どうしよう、ニヤァとかニタァみたいになってたら。絶対キモがられてる。

 うあぁあああああ、辛い、辛い、誰か一緒にいてくれたらなぁって思った事もあるけどさ、素で、コミュ障なんだよ、だから人と一緒にいること自体苦痛だし、会話なんて思い浮かんでこないのに……どうすれば良いのかな……ッ。

「――分かった。邪魔をしていると確信したら帰る。それまでは、神話的にも一緒にいないとな。後はまぁ、好きにはさせてもらう。で、家は?」
「家?」

 ずっと昼夜を問わず空中に浮かんでいる僕には、家なんか無い。神世界にも、帰る余裕というか、理由も無いし、勇者が来たら困るし……此処にいたんだよ、僕、ずっと。ずっと一人で……っ、うぁあああ、哀しい、また涙が出そうだ。

「お、おい? そんな潤んだ目で見るなよ……」
「べ、別に? 目にゴミが入っただけだからな!」
「押し倒すぞ?」

 なんだそれ……僕を殺す気なのかな? えええ、こんな消滅は想定していなかった。
だけど神様同士なら、あるいは一瞬で消えられるかも知れない!

 よし、もっと怒らせよう! そして、楽に死のう……死のう……ううッ。

「家なんて無い!」
「……へぇ」

 断言した僕を睨むように、ヒューズさんは半眼になった。怒ってる、怒ってる! 計画通りだけど、凄く怖い……。背筋が冷えた。僕の方が絶対強いけど、この顔、怖い!!

「俺を上げる家はないわけか」
「?」

 話がよく分からなくて、思わず首を傾げた。
上げるも何も、家がないのに……。大体あったとしてもさ、誰も来ないしさぁ……。

 だけど、ヒューズさんが悪い訳じゃないって、言わないと、傷つけちゃうかも知れないし……ここは、説明しておいた方が良いかな?

「いや、あの、ヒューズさん……? ほら、ずっと宙に浮かんでいたから、何にも無くて……」

 必死で、もうそりゃぁ必死で、僕は声帯を叱咤した。

 この世界では、死体になったりするから、神々と人間の体のつくりは、ほとんど変わらないんだ。

「……なんだって?」

 するとまた、恐ろしく低い声が返ってきた。僕には、難易度が高すぎる相手だよ!

「え」

 怖くて思わずビクリとしてしまったまま、何か言おうと唇を開いてみる。

「とりあえず、まず一つ目だ。ヒューズで良い。何でお前が、俺に敬称を付けるんだよ、逆なら分かるが――……お前はこの世界で最も強いんだからな」
「そんなの勘違いだ!!」

 僕の口からは、リア充風の言葉を何度も練習したため、そう言う口調しか出てこないのだ、今では。大体、僕が最も強い? そんなわけないよ! きっと僕より強い神様が神世界にはいっぱい居るはずだよ……ああ、本当、何で僕は生きてるんだろう。消えたい。

「謙遜はいらない。それで――家だけどな、本当に無いのか? 何処で寝ているんだ?」
「起きていて、寝ない。いつも勇者を待ってる。まぁ三十年に一回くらいしか来ないんだ
けどな、それは昼夜を問わないから、一応さ……それに、食事? まぁ食べようと思えば食べられるけど、基本的に神様はイラナイだろ」
「イラナイ神など、お前くらいの存在だろ。現存している他の神々は、少なくとも取るし、仮にイラナイ神であれば娯楽などで、食事はする」
「娯楽……」

 僕には娯楽なんて無い。いつも、いつも、いつもだ。どうして僕は生きているんだろうと考えながら過ごしているんだ。

 だってさぁ、神界の本屋さんとか、人見知りの僕は行けないし、欲しい本があっても、レジに持って行ける気がしない。この辺神界の電気も通ってないから、ネットでも買えないし……ッ!

 気づけば俯いていた僕に、ヒューズ(で良いのかな)が、近づいてきた。

「てっきり、≪敵≫を倒すのが趣味だと思っていたんだけどな」

 その言葉に、僕はハッとした。

 そういえば、ヴァレンが、≪世界敵≫を退治しろと言っていたではないか! 世界敵に限らず、その辺に数多居るだろう強い神々と戦ったら、きっと僕はすぐに死ねる!

「その通りだ。いつも暇だからな、他の世界で、戦って――遊んでいる。今からもまた行く予定だ。じゃあな!」

 頑張って僕は、笑顔を取り繕ってそう告げた。
 そしてそのまま、異世界へと出かける事にしたのだった。
 あー怖かった! 心臓が、別の意味で潰れちゃうかと思ったよ!



 だが、それから99人(神)くらい倒したが、誰も僕を殺してくれなかった……。

 殺される前に、僕が勝ってしまうのだ。みんなさぁ、手加減とかしてくれなくて良いのに……! それとも、僕と戦うのも嫌悪感があるとか?

 もう嫌だ。何度泣いても、泣き足りない。

 そんな時僕はいつも、端っこに見つけた何らかの結界を、八つ当たりで殴っている。
 多分一年くらい殴り続けていた。
 ある日それが――……割れてしまった!!

 どうしよう、謝らないと!

 慌てて僕は≪転移紋≫で移動した。別の世界なので、自分の威力を正確に出すために、久方ぶりに紋章を使ったんだ。だが、久しぶりすぎて、上手く使えなかった……ううっ。

 一応、結界を張っていたらしい”時夜見鶏”という、神様一覧表に載っている(引っかかった)、上位世界とは交流していないため”S(推定)”となっている神様の側に転移したはずだったのに……ちなみに何故なのか僕は、”S(確定)”となっている。なんで……!?

「っ、貴方は何者です?」

 すると僕は、正面にいた凄い美人に話しかけられた。

 何者……って、聞くって事は、一緒にいて凄い”力”を感じるし、別の世界から来たって分かっている感じだ。僕の感覚的に、相手が凄いと分かっていたから、よしここは煽って、この人に僕を倒して貰おうと決意した。

「んー、お前に用はないよ。俺は、時夜見鶏とか言う強そうな奴が引っかかったから、会いに来ただけ。倒しにな」

 きっとここまで言えば、『フッ、貴方など私で十分です』とか、返ってくるだろうと思ったのだ。だが……そうはならなかった。

「何か用か?」

 その時、まるで夜のような静寂さと、闇のような冷淡さを持つ、聞くだけで背筋が凍るような声が響いてきた。体が硬直しそうになったが、ゆっくりと顔を向けてみる。

 そこには怖い声だったとはいえ、流麗な調べだったのと同様、本当に端正な顔をした青年神が立っていた。これ、ヒューズ(だっけ?)レベルで格好いいなぁ……でも、表情が無い分、人形みたいに綺麗だった。

 そして漂ってくる”力”と威圧感に、僕は嬉しくなっちゃった。

「お」

 そう声を上げると、思わず笑っていた。今までの99人(神)とは異なり、彼ならば、彼ならば、本当に僕のことを殺してくれるかも知れない……!

「俺は破壊神。他の世界の、な」

 僕はそう告げた。ほら、何て言うの? ”僕”より”俺”の方が、リア充っぽいじゃん? 男らしいじゃん? 何て考えていたら、ちょっと笑ってしまった。

「相手してくれよ。なぁ?」

 ああ、コレでやっと、僕は死ねる!
 その嬉しさと、相手を煽りに煽ってやろうという気持ちが募って、僕はそう告げた。

「……ああ」

 緩慢に冷たい表情で、時夜見鶏が頷いた。闘気とでも言えば良いのか、その場の威圧感が増した。ただし、それは酷く冷たい。なんだかちょっと珍しい。

 これまで戦いを挑んだ相手は、どちらかと言えば、自分から威圧感を撒き散らしていたのに、この人(神)、そう言う事はしない。それだけ余裕だって事なのかな?

 早く殺してくれないかなぁと思いながら、僕は今までのように、相手を倒してしまわないように威力を調整して、”力”をまとわりつかせた拳や蹴りを放った。

 だが、余裕でそれらは交わされたので、僕は心底安堵した。これならば、もう少し強めの力で攻撃しても、避けてくれるだろう。そしてその攻撃を、僕の最上級の攻撃力だと思って、きっときっと殺してくれるはずだ。そう思うと、吐息に笑みを乗せてしまった。

「ふ」

 笑いながら、一気に僕は、威力を増した攻撃を放った。
 そして更に相手を煽ろうと言葉を探した。

「防戦一方かよ。手も足も出ないって?」

 本当は、まだ向こうが、力をセーブしているのだと分かっている。それに先ほどから張り始めた結界も、この世界に傷を付けないようにしているのだと理解している。傷が付いてしまったら、世界の修復には時間がかかるから。

 ただ同時に、僕の先ほどまでの威力の攻撃で、この世界は傷つくのだと分かった。ならば恐らく、同程度の攻撃を続ければ、時夜見鶏は僕を排除してくれるだろう。何せ結界を張るのだから、世界が大切なんだと思う。ボッチの僕であっても、自分のいた世界は大切だしね。

「くっ」

 その時鳩尾に蹴りをまともに喰らって、僕は必死に地へ足をついて堪えた後、後退した。
 ――ああ、いつ以来だろう。体に攻撃を喰らったのは。

 本来それを望んでいたはずなのだが、そこに生まれた痛みに、ああ僕は生きているんだなと思えてきて、自然と笑みが浮かんだ。生きていなければ、痛みなんて無いはずだから。

 これまで、痛みさえない世界で、きっと僕は生活していたから、だからこそ、生きている実感も無かったのかも知れない。

 時夜見鶏と拳を交えていると、何故なのか、自分がきちんと生きている存在に思えて、呼吸していて良い気がしてきた。僕が生きている事が、許される気がしたんだ。

 そんな風に思えたから、思えたのが最後なら、良いかなと思って僕は、今僕に出来る全力を出そうと思った。きっと、全力で戦っても時夜見鶏の方が絶対的に強い。

 僕はもう何年も、何千年も、何億年も、本気で戦っては来なかった。
 だから死ぬ間際にそんな機会が訪れたのは、多分幸福なのだ。

 それから暫くして、ほとんど交わしたものの僕の肩が切り裂かれた。ダラダラと流れる紅い血に、また僕は、生きているんだなと実感した。血を見るなんてこれまでにも、暫く無かった。それでもその色は、僕に生を教えてくれた。

「危ねぇなぁ」

 わざとせせら笑うように僕は言った。この威力を本気でないのに放てているのだから、やはり時夜見鶏になら、僕を殺す事が、消滅させる事が出来る。そう思えば、零れる笑みが止められない。やっと僕は、死ねるのだ。嬉しくて仕方がなかった。

「さすがだな」

 それからも僕は何度も高威力の攻撃を放ち、時夜見鶏が僕を殺してくれるのを待った。
 ――その時の事だった。

「≪何をやっているんだ馬鹿者!! さっさと帰ってこい!!≫」

 不意に響いたその声に、思わず僕は息を飲んだ。発信者がヒューズである事が分かった。

 だが、どうして? あちらにした所で、無理に結婚させられたのだろうから、僕なんか死んだ方が良いと思っているだろうに。それとも新たな勇者でも出てきたのだろうか?

 それならば、僕の方だって気配で分かるはずだ(倒されたフリしなきゃいけないしね)。
 だが、そんな気配はない。

「≪何か用か?≫」

 率直にそう返すと、溜息が聞こえた。

「≪俺が嫌いならそれでも良い。だけどな、死ぬような真似をするな。今戦っている相手は、それくらい強いだろう? お前が怪我をしてる気配なんて、初めて感じた≫」

 何が言いたいのか、いまいち分からない。
 そうして一時考え事をした時、僕は時夜見鶏から、強い攻撃を喰らった。
 HPが四分の一くらい一気に削られた。

「――俺もまだまだみたいだ。調子のってた。もっと強くなってから、出直すわ。またやろうぜ」

 気がつくと僕はそう口にしていた。何となく、ヒューズの所に、早く顔を出さなければいけないような気がしたんだ。殺される前に。

 尤も、この言葉になど構わずに、時夜見鶏に殺されるのだとしたら、それはそれで良かった。しかし時夜見鶏が動く様子は無かったので、僕は無理に笑った。

「じゃあな」

 そう告げ、次こそは僕を殺してくれと願いながら、死にたい時にはいつでも来られるように、近場の壁に≪転移紋≫を刻んだ。壁を汚してごめんなさい……。


 それから、元々いた場所に帰ると、そこにはヒューズがいた。

 まだ帰っていなかったのか、と言うか、先ほどの通信は何だったのだろうかだとか、色々聞きたかったが、コミュ障の僕には、そんな高度な会話は出来ない。出来るはずがないよ!

 その内に手首を捕まれ(痛い、なにするんだろうこの人……あ、神様だった)、岩の裏手から少し遠い場所に広がる森の中へと連れて行かれた。

 この森、仔猫が良く生まれるから、僕好きなんだよね。たまに見に行くんだ。あ、これがもしかして、娯楽って奴なのかな? が、娯楽の存在に気づいたこと以上に、見知らぬ物体の存在に、僕は目を見開いた。

 そこには二階建ての家が建っていたんだ。何コレ?

「?」

 何だろうと思っていると、無言で手を引かれたまま、中へと連れて行かれた。僕まだ一応、介護されるような体力低下はないと思うんだけどなぁ。

 中へ入るとヒューズは険しい顔のまま、僕をじっと見た。

 黒い瞳が細められ、僕を凝視している。僕、何か怒らせるような事しちゃったのかな? なんか、凄く怖いよ。
 思わず体がすくんだ。その時――急に抱きしめられて、額にキスをされた。

「!?」

 事態が把握できずに、ヒューズの腕の中で僕は目を見開いた。

 キス? キス!? キスだよね、コレ。それとも偶然唇が僕の額に当たっただけかな?
あ、なんかその可能性が高い気がする。

「本当に家が無かったんだな」

 呆れた調子でヒューズが言った。溜息混じりだ。ごめんなさい。

「あ、ああ……」

 だけど本当に無かったんだもん……僕にはどうしようもなかったんだよ。

「建てておいたんだ。見せる前に死ぬなよ」

 その言葉に驚いて、僕は何度も瞬きした。

「わ、悪い」

 建てた? そうなの? そうだったの?

 そりゃあ確かに、誰も来ないこんな辺境じゃ、僕以外に見せる相手いないよね。ごめんなさい。きっとそれで通信してきたんだ。僕はやっと理解した。

「いや、悪いとかじゃなくて、死ぬような事をするなと言ってるんだよ!!」
「え」

 そんな事を言われたのは初めてだったから、目を見開いたままで、僕は息を飲んだ。

 これまでに殺されそうになった事は何度もあったけれど、誰かに死ぬなと言われた事など一度も無い。誰も僕が死んだって、消滅したって悲しまないはずだしさ……。

「いつもお前が戦っているのを察知するたびに、無事を祈ってた」
「なんで……」
「なんで!? そんなの決まって――……その、だから、あのな」
「?」
「……一応俺は、お前に無理矢理嫁がされたことになってるんだよ!!」

 ああ、なるほど、この世界の神話が崩れるからかと、僕は納得した。そっか、義務だもんね、この人(神)に取ったら。家まで建ててくれたのに、何か悪い事しちゃったなぁ。

「悪かった。これからは、きちんと神話が保たれるようにする」

 僕がそう言うと、ヒューズが眉間に皺を刻んだ。それから溜息をつきながら俯いた。

 その顎が、僕の頭に当たった。なんだか、ちょっとくすぐったいよ。しかも人の体温を、攻撃以外で感じるのなんて、久しぶりすぎて、なんだか、恥ずかしいよ。

「そうだな、それでも良い……だから、死なないでくれ」

 よく分からなかったが、それじゃあ暫く僕は消滅できないんだなと、ただ思った。
 少なくとも、ヒューズが僕に無理矢理嫁がされたという神話が消えるまでは。



 その日から、奇妙な僕らの同居生活は始まった。

 僕は全く家事が出来ない。何せこれまで家事何てした事が無かったからだ(家が無かったんだもん)。

 一方のヒューズ……こちらもまた、全然家事が出来ないんだ。

 一体コレまでどうやって生活してきたのかは知らないが、明らかにやった事が無い僕の目からしても、コレは、ちょっと厳しい。何せ洗濯物はたまり放題だし、部屋も汚い。

 そして料理こそ三食作ってくれるのだが(僕は、日に三度ご飯を食べる事を教えられた)、すごく、すっごく不味い!! 人間や神々は、こんなものを食べているのだろうか……? 

 ちょっと正気を疑ってしまう。三食料理を食べるなんて拷問だよ……苦痛だ、うう。僕をゆっくりと殺すつもりなのかな……? 痛く殺されるのも嫌だけど、ジワジワ殺されるのは、もっと嫌だ。殺るなら、一気にやって欲しい。

 仕方がないので、気がつけば、僕が洗濯をして、紋章で乾かして、アイロンをかける生活になっていた。その上、毎日掃除もしている。何このシンデレラ!! 食器を洗うのも僕だ。

 だけど料理だけは、ヒューズが譲ってくれない。やっぱり、僕の事を、料理で殺す気なのかな。そんなに僕の事が嫌いなら、さっさと神世界に帰れば良いのに。

 これまでは親元で暮らしてきたはずなのだし、きっと≪ライト≫か≪ダーク≫が世話してくれていたはずだ。どちらが生んだのかは知らないけどさぁ(だって両方男だし)。

「美味しいか?」

 だが今日も笑顔で、料理を前にヒューズが聞いてくる。

「あ、ああ……ま、まぁな」

 必死で頷く僕。だってさ、いくら不味くてもコミュ障の僕に、不味いなんて言えるわけがないじゃん!

 今日は、煮魚らしいが、生煮えだ。明らかに中が、不審な色をしている。
 味噌汁には、溶けきっていない味噌が浮かんでいる。
 ご飯は、お粥かよ状態だ。

 付け合わせのほうれん草のお浸し(?)は、明らかに茹ですぎで、ドロドロだし……。
しかも醤油や鰹節、フリカケなどをかけると、ヒューズは哀しそうな顔で、「不味かったか?」とか、言うんだ。

 ――不味いんだよ! だが、僕はそんな事を言えない……言えないんだ。僕の馬鹿!

 ただ……一つだけ嬉しい事もあるんだ。仮に僕を毒殺しようとしているのだとしても(毒入っていないが、この料理はある種の凶器だ)、僕と一緒にいてくれるのだ、ヒューズは。それが、人間の作った神話のせいだとしても。

 本当は僕なんかと一緒いたくはないのかも知れないけど。それでも、十分だった。僕の側にいてくれる人(神)なんて、コレまで一人(神)も、いなかったのだから。こうして一緒に食事をしているだけで、時折会話するだけで、十分だった。

 時折どころか、会話はいつも、ヒューズが振ってくれる。コミュ障の僕は、元気いっぱいに応えてはみるものの、やっぱり直ぐに素が出てしまい、直ぐに何も話せなくなるんだけどさ。それでもヒューズは毎日話しかけてくれるんだ。

 多分暇なのだろうと言う事は分かっているし、早く僕が勇者に倒されればいいと願っているのだとは思う。だけど、それでもね、僕にはこの生活が、充分すぎるほど嬉しいんだ。

「有難うな」

 せめてその気持ちを伝えようと、僕は生煮え部分の魚を回避しながら告げた。

「美味しいのか?」

 すると、ヒューズが満面の笑みを浮かべた。僕が意図した言葉による笑みとは異なるが、彼が嬉しそうに笑うと、ほのかに胸が温かくなる。

「ん、そうだな」

 否定するのも躊躇われて頷くと、不意にヒューズが席を立った。

「?」

 何事だろうかと顔を上げると、急に後ろから抱きしめられた。何コレ、僕もしかして絞殺されるのだろうか? 今までのは、もしや、暗殺の前振りだったとか?

「ジャック……」
「……」

 急に怖くなって、僕は顔を俯かせた。絶対、絞殺は痛い! 痛いのは、嫌だ!

「……お前に喜んでもらえるのが、俺は、一番嬉しいんだ」

 それが本音なら、だったら手を離して……! 今の僕は、恐怖で心臓が止まりそうだ。多分僕より体格が良いんだから、この状態で首の骨を折られたら、僕は苦しみながら死んでしまう。そんな苦痛は嫌だ。楽に死にたいんだよ!

「好きだ」

 え、何? 殺戮が好きなの? 痛ぶるのが趣味なの? 僕には、そんな事しないで欲しいのに……ヤだよ、もう。気づけば泣きそうになっていた。

「泣くほど嬉しいと思ってもらえているのか」

 逆・逆! 泣くほど、嫌なんです、苦しいのは! お願い、楽に殺して!

「っ!?」

 だが、その時急に顎を捕まれ、無理矢理顔を右上に向かされた。なんだコレ、このままねじ切る気!? 絶対痛いだろう!!

 思わず恐怖で目を伏せた――その時だった。


「≪あージャック? ちょっとヤバめの『世界敵』出てきたから、助けてくれない?≫」


 不意にヴァレンの声が脳裏に響いたので、僕はヒューズの手を振り切り自ずと正面を向いて、片耳に手を当てていた。≪連絡紋≫を正面に開く。僕の目の前に、複雑な紋章が現れた。

「≪おぅ、分かった! 場所は?≫」
「≪ヒンディア世界。直ぐ来て、お願いね! 指揮は、ドウメンダ世界の創世神と闘神がしてるから!≫」

 その声に頷いている僕の前で、通信が終わったから、≪連絡紋≫は、かき消えた。
 アレ、僕何をしていたんだっけ?

 すっかり忘れつつ振り返ると、何故かヒューズが、両目を自分の片手で覆っていた。上を向いている。

「食事の途中で悪いんだけど、別世界に≪世界敵≫が出たらしいから、ちょっと討伐の手助けに行ってくるわ」

 僕が言うと、何故なのか複雑そうな表情で、ヒューズが頷いた。
 やっぱり、食事中なのに、悪かったかな?

「このつけは今度払う」
「待ってるからな」

 僕の声に息を飲んだ後、真剣な表情でヒューズがそう言った。
 嫌、出来ればこの食事は待たずに片付けて欲しいんだけどなぁ……。

 そんな本心は隠したまま、俺は≪転移紋≫で指定された世界へと移動した。


 そこにいたのは、確か≪SSランク宇宙敵:シルバァオクトパス≫と言う名前の≪宇宙敵≫だった。恐らくコレは、俺一人では倒せない。巨大なタコによく似ているのだが、外郭が、かなり固いのだ。

 外郭を壊すだけで、Sランクが1000人(神)、SSランク(現在の僕)で20人、SSSランクならばあるいは一人で倒せるレベルだ。外郭さえ破壊してしまえば、SSランクならば最低二撃、SSSランクなら一撃で倒せるだろう。

 そして僕が駆けつけた時は、B〜SSランクの神々が、倒すための≪ホワイトバレット≫という名の、棒の先に巨大な白い球体がついたような物で、ひたすら攻撃していた。
SS(確定)ランクは、僕を含めて三人いた。

 うち一人は、ランキングの標準化を図るために確定されている、現在の威力が不明の≪レイヴァルダ元帥≫だ。

 他の二人は、一人は大金持ちのため勧誘された人であり、もう一人は他の神々を纏めている指揮官――というか、他の神々に戦わせて自分は何もしないタイプだから、力の程が分からない神だった。

 僕に連絡を取ってきた、僕同様SSランクのヴァレンの姿はない。というか、アイツがこの組織の立案者のような物なのだから、先頭に出てくる気もないのかも知れない。だって、居なくなったら、瓦解するじゃん?

 だが、数百人が、ボコボコ巨大なタコを叩いているのを見て、僕は思わず眉を顰めた。
何せ一撃一撃が、そうだな……分かりやすく表現するならば、時夜見鶏の世界の3打くらいの攻撃しか与えていない上、HPならば、1程度しか削ることが出来ていないのだ。

 無言でその様子を見ていると、≪レイヴァルダ元帥≫に声をかけられた。

 この人(神)には、以前に殺してもらおうと思って戦いを挑み、勝ってしまった過去がある。

「この現状では――破壊神、お前に一人で相手をしてもらう事になるかも知れないが、許して下さい」

 普段は威厳がありそうなのに、僕に向かって精一杯腰を折った彼を見て、息を飲んだ。

「頭を上げてくれ」

 まずはそう告げた。つい、いつも練習しているリア充語が出てしまい、偉そうになってしまったが、慌てて首を振った。

「あの外郭は、俺でも破れるか分からない。まずは、それを試してみてから考える」

 ああ、無理だった。
 練習していないのに、敬語なんて僕には難易度が高すぎる!!

 だから振り返らないで、僕は全力疾走した。
 側に立てかけてあった傘入れのような所から、木の棒(?)を抜き取り走ったのだ。

 そして高く跳び、とりあえず一撃を与えてみる。
 ――うん、コレ無理!

 三度ほど叩いた時に僕は確信した。絶対に破れないよ、この外郭。

 だけど……僕だけが死ぬんなら良いけど、必死で頑張っているみんなを見ていたら、彼等を死なせたくないと思ったんだ。

 十撃目を与えた時、蛸の触手に似たナニカに、僕は吹き飛ばされた。
 ダラダラと額から流れる血が、頬を濡らしていくのが分かる。

「≪ジャック!!≫」

 その時、脳裏で、ヒューズの声がした。
 帰ってこいとまた言われるのかな、そんな風に思ったら、笑みが浮かんだ。

 だが、きっと、そう言われたら僕はこの場を放棄して帰ると思う。

 そうすればいつかこの≪世界敵≫は、僕達の住む世界も壊滅させるだろう。
 僕は、気づくと、ヒューズからの通信を遮断していた。

 ――あるいは、帰ってくるな、と言われるかも知れない。

 その恐怖を打ち消すためでもあった。


 僕は掌を傷に当て、≪レイヴァルダ元帥≫の前へと跳んだ。

「元帥」
「なんだ? やはり……厳しいか?」
「いえ、その……助っ人を呼んできても良いですか?」

 そんな僕の言葉に、彼は目を見開いた。
 何だろう、まさか、此処にまで僕がぼっちだって伝わっているのかな?
 まあ実際、僕なんかが頼んでも来てくれないかも知れない相手だけどさ……。

「分かった。もしそれで、お前が戻らず逃避しても、だ。今の働きだけでも充分だ。来てくれたことに感謝するし、ジャックロフト、お前には礼を言っておきたい。本当に、有難う」

 まさかの言葉に、僕は目を瞠った。
 お礼を言われて泣きそうになるなんて、本当に初めてに近い経験だった。

「――仮に断られたとしても、俺一人でも、絶対に戻るから」

 僕が断言すると、元帥が苦笑した。

「有難う。私は最後に良い部下を――いや、良い友を持った」

 今度は僕が苦笑を返し、そのまま意識を集中させて、転移紋を出現させた。

 向かう先は決まっていた。
 異世界ヴァミューダだ。
 今のところ僕が知っている、僕より唯一強い相手がいる場所だ。

 幸い、以前に転移紋を刻んだ直ぐ側に、時夜見鶏はいた。

「おい、久しぶりだな」

 僕は意を決して声をかける。僕のような矮小な存在を覚えてくれているのか不安でもあったんだ。それでも、だ。今、彼を連れて行かなければ、みんな、みんなが死んでしまう。ああ、それが僕だけだったら良かったのに。

「死んでるかと思ったぜ」

 余裕そうな口調で僕は言ってみた。本当は余裕なんて全然無かったのだけれど、せめて戦意を煽って、それで更に強い敵の所へ連れて行ってやると言って、誤魔化したかったのだ。

 しかし時夜見鶏は無言だった。

 相も変わらず夜のような瞳でこちらを見ている。僕は不意にヒューズのことを思い出した。時夜見鶏の瞳には茶が入っているが、ヒューズは本当に真っ黒だ。ああ、あの黒い瞳を、もう一度見てみたいな。

 それに気づいた時、僕は押さえている掌から溢れ、血が頬を滴っていくのを理解した。もう、もう、煽るだとかそう言う事じゃなくて、時夜見鶏に頼もうと、お願いしようと僕は思っていた。僕達だけじゃ、きっと勝てないから。

「ちょっと来てくれ。頼みがあるんだ」

 僕がそう言うと凍てつくような夜に似た瞳で、緩慢に時夜見鶏が僕を見据えた。
 そんな目を、僕はこれまでには見た事が無かった。

 凍てつくように冷たく見えるのに、なのに――まるで雪で作られた洞窟に灯る明かりのような、どこか温かさに満ちた瞳に見えたのだ。多分わかりやすく名付けるならば、優しさ。それが時夜見鶏の黒と茶を混ぜ合わせたような瞳に宿っていた気がしたのだ。

「……おい」

 その時、時夜見鶏が呟いた。そこで我に返った僕は、唇を噛む。

「説明している時間が惜しいんだ」

 しかし焦燥感にかられている僕を諭すように、淡々と時夜見鶏が続ける。

「飲め」

 そう言って渡されたのは、水色の瓶に入った液体だった。
 なんだろう? 普通に考えれば、以前襲ったのが僕だ。絶命させる毒かも知れない。

 だが、それでも良かった。それはそれで、楽に死ねるのだし。仮にそうではなく、あの慈愛に満ちた様な時夜見の瞳を僕が正確に理解していて、確かに受け止めることが出来ていたのであれば、それもまた自分にとっては素敵な事だった。

 仮に僕に優しくしてくれるのなら、そう思ったら、笑顔が浮かんだ。
 もう毒でも薬でもどちらでも良い。

 ――飲み干してみると、額の傷が消えた。

 やはり、僕に優しくしてくれたのだろう。それだけで嬉しかったが――……ならば、せめて時夜見鶏が来てくれないとしても、僕は再び全力で戦えるまで、体力を戻さなければならない。

「なんだこれ、すごくいいな。体が楽になった。もう一本くれ」

 我ながら、我が儘だと思う。だが、出来る限り時夜見鶏の優しさにつけいる事しか、今の僕に出来る事は無かったんだ。傷が癒えて血が止まっても、僕の体は既に限界だと訴えている。今度は、十撃目どころか、一撃で僕は死ぬ。

 僕は死ぬ事を切望していたはずなのに、なのに今は、一緒に戦っていた皆を助けたくて、そして――……後々は、僕が元々居た世界を滅ぼし、ヒューズを消滅させてしまうだろう、≪世界敵≫を倒したかったのだ。

 そんな僕の体力が全回復するまで、時夜見鶏は薬をくれた。五本くらい飲んじゃった。もしかしたら――……時夜見鶏は加勢してくれるかも知れない。そんな思いで僕は告げた。

「よし、行くぞ」
「……ああ」

 すると、時夜見鶏は着いてきてくれた。
 隣に降り立ったのを確認して嘆息しながら、僕は告げる。

「助っ人を連れてきた」

 すると元帥が、息を飲んでから頬を持ち上げた。

「おお若いの、心強い」

 他の二人は、どちらがどちらか分からないが、とりあえず僕を見た。

「さすがは俺の指揮下」
「頑張ってくれよ」

 調子が良いなと思っていると、その内の一人が、攻撃をするための棒を時夜見鶏に渡した。先端に白い球体がついているソレだ。

 それを見守りながら、元帥が言う。

「全ての世界の上位にある総合世界でも名だたる≪世界敵≫だ」

 そんな事はどうでも良さそうな、至極気怠そうな瞳で、時夜見鶏が僕を見る。
 ――余裕だという事かな?

 思案しつつも、時夜見鶏とならば、この≪世界敵≫を倒せるのではないかと、どこかで僕は考えていた。なにせ時夜見鶏は、初めて僕が倒せなかった相手だし、恐らく僕を殺してくれさえする相手だ。実力は分かっている。僕は表情を引き締めた。

「倒すぞ、行こう」

 宣言して、僕は走り、そして跳んだ。
 時夜見鶏も、無言で着いてくる。

 周囲の神々もそれに従った。だがこの≪世界敵≫の強さは、半端ではなくて、皆が一撃や二撃で倒れ、後ろに後退していく。僕ですら、十撃ほど喰らえば、待避せざるを終えない。

 それでも僕は、時夜見鶏に回復薬の瓶をもらい続けて、飲みながら戦い続けていた。
 終わりが全く見えない。
 なにせ、外郭を破らなければどうしようもない敵なのだ。

 額から流れた血が、口の中に入ってきて、鉄の味がした。・
 ――ああ、僕が怪我をしたら、ヒューズは心配してくれるかな?

 そんな事を考えるのは、初めてだった。これまでは、誰も心配してくれる相手なんて居なかったから、最悪の場合は犠牲になろうと、いつだって考えていたから。

 外郭さえ割れたならば――そう考える内に、この世界では三十時間ほどが経過していたと思う。その時の事だった。

「おい」
「ん?」

 初めて時夜見鶏から自発的に声をかけられたので、僕は額から流れる血を拭いながら視線を向けた。やっぱり夜みたいな声音だった。

「埒があかない、倒すぞ」
「おぅ。俺も同じ心境だ」

 倒せる物なら倒したい。僕は心底そう思っている。そして――自信があるのか冷静な瞳で僕を見ている時夜見鶏の姿に、大きく頷いていた。何か算段でもあるのか? そう考え、その場合に備えて攻撃準備を整えた、まさにその時のことだった。

 時夜見鶏が、巨大なタコ――≪SSランク宇宙敵:シルバァオクトパス≫の固い外郭を切り裂き、真っ二つにしたのだ。球体ではなくて、棒の方で。これならば、内部に向かい、集中攻撃すれば、一撃で僕にも倒せるかもしれない。

 出来ればもう一人SSランクの人がいれば確実なんだけど、此処には多分、名目以外でSSランクの称号を持つ人は一人もいなかったから。

「≪ドドンパ≫」

 僕が放てる一番強力な”攻撃用の力”を放った。元々は≪異世界から来た≫何代か前の勇者が使っていた物だが、それを昇華させ自分の物としていたんだ。名前の意味はよく知らない。ただ両手を合わせてその合間に込めた力を、一筋に放つ。

 目の前では、巨大な体躯が崩れていくため、砂埃が舞っていた。
 慌てて目を逸らそうと、僕は後ろを向いた。
 同時に、僕と同じ方向を向いて、時夜見鶏が着地した。

 僕らの後ろでは、砂埃が上がっていく。
 正面で指揮や回復をしていた神々達と目が合った。丁度、その時の事だった。

 ピロリロリーンと音がした。

「≪総合世界神称号――最強神:時を入手しました≫」
「≪総合世界神称号――最強神:破を入手しました≫」

 その声と同時に、僕の右手には、謎の金メダルのような物が現れた。
 ――!?
 え、これ、僕が貰って良いの!?

 そう言えばそんな称号を≪ヴァレン≫が口にしていた気もするが、今回倒せたのは、明らかに時夜見鶏のおかげだ。僕が貰う資格なんて無い。

 早く捨てろと言われると思いながら、時夜見鶏を見た。すると微笑が浮かんでいた。だからとりあえず僕は純粋に賞賛を送ることにした。

「さすがだな」

 だが僕のその言葉にも、時夜見鶏は穏やかに微笑んでいる。え、これって、どういう意味? 僕でも少しは役に立てたから、貰っても良いって事なのかな? 僕が暫しの間黙り込んでいると、時夜見鶏が目を伏せた。

「もう帰って良いか?」
「うん、またな。今度、飲みにでも行くか」

 僕は焦りながら、そう声をかけた。次に会う機会を作って、きちんとお礼を言いたかったからだ。だけど、僕なんかと飲みに行ってくれるのだろうか……いまだだかつて、僕は誰かと飲みに何て行った事が無いのだ。

「ああ」

 しかし時夜見鶏は、頷いてくれた。
 それだけで、僕は安堵から体の力が抜けそうになったのだった。


 まぁ、そんなこんなで、僕は帰宅した。家に帰ってほっとするなんて、初めての経験だったんだ。なんだか良いな。もっと早くに、家を建てていたら良かったなぁ。

「ジャック!!」

 するといきなり抱きつかれて、困惑しながら首を傾げた。腕にこもる力が強い……見れば、なんだか不安そうな顔をしているヒューズが居た。

「どうかしたのか? ゴキブリでも出たのか?」
「お前は馬鹿か!! ゴキブリがダメなのは、お前だろうがッ!!」

 そう言われてしまうと、返す言葉がないので、視線を逸らした。
 僕は、虫が苦手なのだ。

「とりあえず手当をするからこっちに来い!!」

 強引に右掌を掴まれたから、僕は息を飲んだ。

「いッ」

 そこは丁度タコ(仮)の触手が当たって半分ほど切り裂かれていた箇所だった。

 まだ色々なところに、僕は怪我をしたまんまだ。
 するとヒューズが焦ったような顔になる。

「あ、わ、悪い……」
「いやその、ヒューズは何も悪くない。こっちこそ悪いな、心配してもらったのに」

 言いながら、僕は眉を顰めた。心配? 僕を心配? 僕を心配する人(神)なんているのか? これって多大なる自過剰の上、凄く恥ずかしい事を、僕は言ってしまったのかも知れない。そう思えば羞恥が浮かんできた。

「悪いのは……ぼ、僕――じゃなくて、俺だ!」

 宣言してから僕は、ヒューズの手を振り払い、自分のために用意してもらった部屋へと走った。階段を駆け上る足が、少し震えてしまったが気にしない。顔まで布団を被り、僕は自分の勘違いに恥ずかしくなっていた。

 すると暫くしてから、ノックの音がした。

 声をかけようかと思ったが、まだ僕は自分の勘違いが恥ずかしすぎて、布団を被ったままだった。だが、ヒューズは入ってきた。

「ジャック」
「……」
「俺には心配する事も許してくれないのか?」

 その声に、本当に心配してくれているのだろうかと思うと、僕の頬には涙が伝ってきた。

「確かにこの世界で、一番最強なのは、ジャックだな」

 そんな事はない。そんな事はないのだ。僕は、誰にも愛されたり恋されたりしない。
 そういうのをされる人が多分一番最強なのだと思う。

 それは例えば、ヒューズだ。
 ヒューズくらい格好良くて綺麗ならば、誰だってよりどりみどり(?)だと思う。

「だとしても、だ。他の世界では分からないし、いつか強い勇者が来るかも知れない」
「……でも、そうなれば、ヒューズも俺から解放されて好きに生きられるだろ」

 僕は涙を堪えながらそう告げた。

「お前こそ、俺の事が嫌いならさっさと追い出せばいい。外になんて行かずにな」
「は?」

 何を言われているのか分からなくて、布団を少しだけ捲った。

 そしてこちらをじっと見ているヒューズを見つけた。戦ってる時に、あれほど見たいと感じていた、真っ黒な瞳だ。何で見たいと思っていたのかはよく分からないんだけど。
それにしても本当に、ヒューズが何を言いたいのかが分からない。

「……? 俺が外に行くのは、この世界を含めて、全部を守るのに役立つからだって知ったからだけど……?」

 だってさっき、確かにみんなや、この世界が消えちゃうのは嫌だなって思ったし。

「っ、本当に?」
「ああ。だから前々から言ってる。嫌だからとか、そんなんじゃない。俺がいたら嫌なのは、お前の方だろう?」

 困惑しながら僕は聞いた。
 まぁ外に行くのだって、滅多に誘われないんだけどさ。

 ≪ヴァレン≫が声をかけてくれるのは、基本的に僕は暇だって知ってるからだと思うし。

「俺と過ごすのが嫌だから他の世界の神々に戦いを挑んだり、≪世界敵≫という奴と戦っていたんじゃないのか?」
「なんで? そんなはずないだろ」

 僕がそう言うと、息を飲んでから、ヒューズがその唇を掌で覆った。

 それから僕達の間には再び沈黙が横たわり――……疲れきっていた僕は、そのまま眠ってしまったのだった。

 翌朝。

 目を覚ますと、良い匂いがした。
 僕の手には包帯が巻いてあった、凄く不器用に。

 おずおずとダイニングキッチンがある下へと降りていくと、相変わらず味噌が浮かんでいる味噌汁が出てきた。だが、なんだかそれでさえ嬉しくて、懐かしくて、心が温かくなった。やっぱり家って良いなぁ。

「おはよう」
「おはよ」

 かけられた言葉に、緊張しながら返す。まだ、僕は、こんな風に僕に挨拶をしてくれるヒューズに慣れないでいる。これまで誰一人、僕に朝の挨拶をしてくれる人なんて居なかったのだから。

 だから、だからこそ、疑問に思った。そうであったから、僕は勇気を出して聞いてみることにした。このまま勘違いで終わるのならば、ソレはソレで良かった。

「所でさ」
「なんだ?」
「ヒューズは、どうして家を建てて、此処に居るんだ?」
「は?」
「人間の創作した神話が、俺がお前を娶ったって言う物だからか?」
「なッ」
「どうせ、いなくたって、俺が隠してるフリをすれば人間には分からない。いるのが嫌なら、その、帰っても良いんだぞ」

 本当は一緒にいてもらいたいと思いながら、僕は薄いような、しょっぱいような味噌が浮かんだ味噌汁を飲んだ。こんなに優しくしてくれるヒューズに、これ以上迷惑をかけちゃダメだと思うんだ。いつか僕は、その優しさに縋り付いてしまう気がして怖い。

「――お前さ、ジャック」
「ん?」

 僕が首を傾げていると、立ち上がったヒューズが、この前いつだっけみたいに、後ろから僕を抱きしめた。なんだかそうされると、胸がざわざわする。どうしてなのかな?

「今、どんな顔してるのか、自覚してるのか?」
「は?」
「何で泣きそうな顔で笑ってるんだよ」
「べ、別に俺は――」

 否定しようとした僕の顎を掴み――今度は誰からの連絡も無かったからそのままで居た僕の唇を、唐突にヒューズが貪った。口腔を探られるように歯の後ろを舐められ、それから舌を刺激される。

 苦しくなって息をすると、今度は歯列の上を舐められ、そうしてから、舌を絡め取られた。身動きして回避しようとしたが、僕の後頭部を押さえたヒューズの手がそれを許してはくれない。そのまま引きずり出された舌を噛まれ、僕は背を撓らせた。

「っあ」

 漸くヒューズの唇が離れた時、唾液がまだ線を引いているのを自覚しながらも、僕はクラクラして肩で息をした。何コレ、なんだコレ?

「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけどな、最高に馬鹿だよ、お前は」
「な」
「この世界では強すぎるお前には、いくら惚れても、綺麗だと思っても手を出せる奴なんていないだろうけどな、別世界なら違う」
「……?」
「俺はずっと、お前が好きだった。お前のことを自分の物にしたかった。だから人間をそそのかして今の神話を作らせたんだよ。他のこの世界の神々を蹴落とすために」
「え……?」
「そうしたら、別世界があるだと? お前はどれだけ俺を嫉妬させれば気が済むんだよ!!」

 何事か分からないというよりかは、ヒューズがどうしてそんな事を言うのかが分からなくて、僕は首を捻った。――僕を自分のものにしたいって、どういう意味なのかな? それに、他の神々を蹴落とす? よく意味が分からない。

「みんな牽制し合って、お前の所に行かないように気を配ってるんだぞ?」
「まさか」
「そうなんだよッ」
「だけど――」
「お前が知らないだけだから!!」

 僕の言葉を遮って、ヒューズが続けた。目を瞠った僕は言葉を失う。

「俺は。顔だけが好きなんじゃない。全部好きなんだよ。だからお前が俺以外の誰かの所に行く事も許せない」
「それって……」
「好きなんだよ、どうしようもなく。だから、だからもう、怪我して帰ってきたりするなよ」

 再び強く抱きしめられた時、僕は赤面せずには居られなかった。
 これまでに、ただの一度も好きだなんて言われた事は無かったのだから。

「お前の心が欲しい。だけど、それ以上に、お前が傷ついている姿を見るのが嫌だ」
「ヒューズ……」
「好きなんだ、好きなんだよ」

 泣くようにそう言ってから、再びヒューズが僕にキスをした。

「っう、ァ」

 僕の声が漏れるにも関わらず、深く深く、だ。

「初めは一緒に暮らせればいいと、それだけで良いと思っていた。だけどそれじゃ足りないんだよ。俺の――恋人になってくれよ。愛してるんだよ、本当に」

 ヒューズの切なさがありありと浮かんでいる声に、僕は苦しくなった。

 それまで好きの意味がよく分からなかったけど、キスして、それで恋人って……それって……? え? え? れ、恋愛!? そ、そう言う意味なのかな、そ、そうだよね?
だけど相手が僕なんかで、良いのだろうか?

「ヒューズは、俺と違って――」
「なんだ?」
「モテるだろ、だから俺なんかじゃなくても」
「なんか、じゃない。お前が良い。それにモテるのはお前だろ」

 いまだだかつて、そんな記憶は一度もない。

 もしそうだと思って居るんなら……第一、そもそも僕の『顔』だけじゃないとか言っていたんだから、明らかに、明らかに、視力に問題があるのでは……?

 いや、味噌汁も美味しくなかったし、味覚にも問題あるよね? もしかしてヒューズって、五感が上手く機能していないのかな? とりあえず、兎に角、目!

「が、眼病?」
「視力は良いぞ、かなりな。10.0レベルで近視も遠視もない」
「別の病院に行った方が……」
「誤魔化すな」

 そう言って再び、ヒューズが僕の顔を掴み、唇を貪った。

 その指先の感触にも、舌の感触にも、まだ慣れないヒューズの温度にも、なんだか胸が疼いた。

「ふァ」

 体がゾクゾクとする。寒気ともまた違うのに、体を這い上がるように、ナニカが背筋に走った。体が震えるのに、酷く熱い。

「んぁ、や、止め」

 僕が必死に体を押すと、ヒューズが体を離した。
 瞳に涙が浮かんできたのが自分でも分かる。

「俺とキスするのは嫌か?」
「そ、そうじゃない、だけど」
「だけど?」
「こういうのは、恋人同士じゃなきゃやっちゃダメだろ」

 僕が睨め付けるように言うと、ヒューズが息を飲んだ。僕だって、一応古い神様なのだ。快楽主義者でもないし。だから、弄ばれるなんて嫌だ。するとヒューズが言う。

「俺達は、俺がお前に娶られた以上結婚して居るんじゃないのか?」
「――そんなの、人間の”神話”だろ?」
「それだけじゃ……お前の恋人には、なれないのか?」
「あたりまえだろ。ヒューズが俺の事を好きじゃなかったら何の意味も無いんだからな!!」

 そう宣言すると、呆気にとられたようにヒューズが目を見開いた。もしかしたら、やっぱり僕の勘違いで、ヒューズには、恋愛だとかそう言う意識はないのかも知れない。だってまだ、若い神様だし。

「俺はお前のことが好きだぞ」
「は?」
「逆だ。お前が、俺の事を好きなのか、嫌いなのか、それが、それだけが問題なんだよ!!」

 僕は、今まで、誰にも好きだなんて言われた事がない。

 悠久の時を過ごす中、ただいつも”敵”として、それだけで、”存在証明”を得ていた存在だ。だから、なのだから。僕が、誰かを好きになる? そんな資格、無いのに……。

「嘘だろ?」

 気がつけば、嘲笑しながらそう告げていた。
 涙が何故なのか浮かんできたが、気にしない。

「別に俺を籠絡したって、優しくも何も出来ないし、豪華な生活が出来ないのも、もう分かっただろ? さっさと帰れよ」

 それから僕は頭を振った。
 辛くて言葉が出てこないから、唇を噛みしめる。

 きっとヒューズは、何か勘違いをして、それで僕のことを好きだなんて言っているんだと思う。ならば、僕はきっぱりと、神界にヒューズを帰してあげるべきだよね。何故なのか……寂しいけど。

 瞼を伏せて、早くヒューズが居なくなれば良いと願った。

 だってここには今、僕を殺してくれる人(あるいは神)は、誰もいないのだから。
 だが。
 気づくとまた抱きしめられていて、虚を突かれた僕は目を見開いていた。

「無理だ、好きなんだから。初めから豪華な生活なんて無かっただろ、帰る気はそれでも無かった。でもな、お前は優しかった。優しかっただろ、いつも。俺の下手くそな料理を美味しいって言ってくれただろ。本当は分かってた。何度練習しても、俺には上手な料理なんて作れないんだ。それでもお前に食べて欲しくて、それで、戦いから帰ってきたお前を少しでも労いたかったんだよ。本音を言えば俺が戦いに出て、お前には家で待っていて欲しいくらいだった。何せな、神世界では家事をやった事なんて、俺は一度も無かったのに、お前は全部出来るんだからな。ずっと家事だけやって欲しいと、それでも言えなかったのは、お前が戦うのが好きだと思ったからなんだ。好きな相手を苦しめるような束縛を、俺はしたくない」

 つらつらと耳元で囁かれて、僕は目を瞠ったまま、何も言えないでいた。
 そして全てを聞き終わった後、思った言葉は、多分最低な発言だ。

「お前もやっぱりあの味噌汁、不味いと思ってたのか?」
「っ」
「味噌浮いてるし」

 僕の言葉に、ヒューズが頬を引きつらせた。

「あ、ごめんな、その……や、あの……だから、その」

 上手い言い訳が出てこない。

「だったらお前が作れよ!!」

 ヒューズが言った。僕は大きく頷いた。

「ああ! 頑張るよ! できれば、他の料理も、僕……俺が作る!!」
「コレで俺より不味い物を出したら袋だたきにするからな」
「分かった」

 絶対袋だたきにされる自信がない。ヒューズが味覚音痴でない限りは。

 とりあえずは味の比較のために、しばらくの間は、三日に一回はヒューズが料理を作ることになった。しかしこれって――……ヒューズはまだ、僕の側にいてくれるって事だ。

 だがこれで、なんだかんだで、炊事洗濯皿洗い、全部僕がやることになってしまった気がする。ただ、それでも良かった。多分僕は、初めて僕の事を好きだと言ってくれたヒューズの事が、今ではもう大切だったから。



 そんなこんなで、一緒に暮らし始めて。

 そして――僕は、思った。
 ヒューズは、時折友達と約束があると言って出かけていく。
 しかし僕にはそんな事はほぼ無い。

 あるとすれば、ヴァレン(の他は以下略)に誘われる魔物――≪世界敵≫討伐だけだ。

 完全に、ぼっちなのがバレそうだ。それを好きな人に知られたくなんて無かった。
 誰かいないか、誰かいてくれ!
 そんな思いで、そう言えばと、恐る恐る時夜見鶏の事を思い出した。

 お礼を言わなければと思い、飲みに誘った気がする。
 今何をして居るんだろう。
 僕は意識を集中させて≪閲覧紋≫で動向を探った。

「≪総合世界神称号――殲滅神:時を入手しました≫」
「≪総合世界神称号――闘神:時を入手しました≫」
「≪総合世界神称号――救世神:時を入手しました≫」
「≪総合世界神称号――滅狂神:時を入手しました≫」
「≪総合世界神称号――破壊神:時を入手しました≫」

 え……? え、マジでなにやってんのこの人(神)!
 僕の記憶が正しければ、時夜見鶏の世界は、他世界とは交流を結んでいない。
 なのに何でこんなに称号持ってるの?

 僕にはよく分からない。
 だが僕の目的は、そこではない。
 ヒューズに友達0だと悟られないように、出かける事なのだ!

 よし、勇気を出すんだ、僕!

「≪時夜見鶏≫」

 僕は、足蹴にされるかなだなんて恐れつつも、≪連絡紋≫で連絡を取った。あれ≪通信紋≫だったかな。長いこと使っていないので忘れた。確かあちらの世界では、≪念話≫と呼ばれていた気がする。

「≪……なんだ?≫」

 すると少し間をおいて、連絡が返ってきた。その事実に心底安堵する。

「≪前に飲みに行こうって言ったじゃん? 今日とか、次の休みとか、どう?≫」

 僕はリア充っぽくそう告げた。
 本当は、唇は震えていたし、泣きそうだったし、怖かったし、体も緊張していたんだ。

「≪――ああ、今日なら≫」

 しかし返答が来た。返答が来た――!! え、良いの? 僕と飲みに行ってくれるの? 僕、自慢じゃないけど、誰かと飲みに行った事なんて無いよ? 何処に行けばいいの!?

「≪何時が良い?≫」

 僕は内心の動揺を押し殺しつつ、さも余裕たっぷりに聞いてみた。

「≪二時間後だと仕事が完全に終わるから有難いが、そちらの都合に任せる≫」
「≪じゃあ移動時間もあるだろうし、二時間半後に、イデルア世界の9Nでどうだ? そこの噴水前。あそこなら、飲み屋の商店街の前だからさ≫」

 確か前にヒューズが読んでいた本に、その場所が載っていた気がする。開きっぱなしだったから、掃除をしながら、僕はそれを眺めたんだったっけ。

「≪分かった≫」

 そんな風にして通信は途切れ、僕は一人嬉しさでガッツポーズをした。
 やった、やった、やったよ僕!

 多分初めて、人(神)を誘うのに成功したんだ! 自慢じゃないが、≪ヴァレン≫にすら、僕は自分から連絡を取った事も無いんだ(本当に自慢にならないよね)。

 待ち合わせ場所は、その神様ガイドブックに載っていたから、絶対外してない!

「これでリア充への第一歩……!」

 そう思うと嬉しくて、頬が緩んだ。


 ――そんな僕の表情を、まさか隠れて、ヒューズが見ているなんて知らなかった。



 初めて入った居酒屋の店内は、暗い暖色の照明で彩られていた。
 二人でカウンター席へと座る。

「よ、久しぶりだな」

 僕は内心は兎も角、口調はいつもリア充だ。

「……ああ」
「元気にしてたか?」
「……まぁな」

 なんなんだろう、コイツの喋る前の沈黙。ただ、何かそれが心地良いんだ。僕と同じコミュ障な気がして……! 何だろう、コミュ障には独特の匂いでもあるのかな。

「色々と≪世界敵≫倒して、称号取得してただろ? 幹部でも狙ってんのか?」

 なんでもヴァレンによれば、多くの称号を取得した者が、高位の上官になるらしい。

「≪世界的≫な患部……? なんだそれは。重病か?」
「いやほら、この前のタコみたいなの倒した時に出る奴」
「ああ、あれか。昼寝した時に沢山出てきたんだ。今も昼寝すると良く出てくる。あのゴミみたいな奴だろ。あれが?」

 最初は駄洒落かと思った僕だが、時夜見鶏が本気で分からないという顔をしていたので、この話を打ち切ることにした。

「所でさ、恋とか、した事ある?」

 そして僕は、直球で切り出す事にした。今日の目的は、ボッチじゃない風を装うことの他に、自分の気持ちを誰かに聞いて貰いたいと言うこともあったのだ。

「いやぁもう、俺、本当好きになっちゃってさぁ」

 そうなんだよ、そうなんだよ、そうなんだよ!!

 多分僕はもう絶対的に、ヒューズのことが好きなんだ。うわぁぁぁぁ。恥ずかしい。

 だけど時夜見鶏はさ、別世界の神だから、絶対に話しても、僕の世界には漏れないし。
僕は今日は散々、思いの丈をぶちまけようと考えていた。

 コレまでに恋なんかしたことがない僕だから、本当にどうして良いのか分からないし、いまだに本当にヒューズが僕を本気で好きなのかは分からないけど、だけど……もう絶対僕は、ヒューズの事が好きなんだと思う。すごく大切なんだ。

 グイグイと麦酒を煽り、音を立ててジョッキを置いた。

「……そうか」

 そんな僕に、時夜見鶏が淡々と言った。黒いような茶色いような瞳が、初めて僕を感情的に見た気がする。戦っている時とは異なる、好奇の目線である気がした。やはり夜のように無表情の外見をしている時夜見鶏であっても、恋とかするのかな。

「恋って良いな」
「……恋か」

 僕が告げると、時夜見鶏が黙ってしまった。どこか哀しそうに見える、もしや……悲恋?

 僕、地雷踏んだ? 慌てて、次に来たジョッキを傾ける。どうしよう、僕コミュ障だから、だけどそれを言い訳にも出来ないくらい、人を慰めるなんて、苦手だ! だから必死で次の言葉を探した。

「お前は誰かいないの?」
「……好き、とは、どんな感じだ」

 しかし返ってきた声に息を飲んだ。あれ? もしかして、地雷以前に、いないって事?
印象的に、引く手あまたって感じに見えたから、凄く意外だよ。

「え、そっから? そりゃぁ……」
「ああ」
「目が合うとドキドキしたり」

 僕は必死に、ヒューズの事を思い出しながらそう告げた。

 どちらかと言えば、今日の味噌汁はちゃんと溶けているのか、今日の魚はちゃんと中まで焼けているのか、という思いで、ドキドキする方が多いのだが。最近は僕が作るから、大体大丈夫なんだけどね。ただ三日に一回は、やはり向こうが作るって言うんだ。

「気づくと目で追ってたり」

 だって、放っておくと、洗濯物がアイロンで焦げてるだもん……。

「可愛いなぁとか思ったり」

 うん、でもやっぱり、そういうのを総合して、可愛いなって思うんだ。
 だって僕のために必死にやってくれているのが分かる。

 箱入り息子(だろうからさ、現在の創世神の一人息子だし)と分かるのに、頑張ってくれているんだよ、僕なんかのために。僕にはすぎた、お嫁さんだ!

「もっと話がしたいと思ったりさ」

 ただ、いくら可愛いお嫁さんでも、味噌はきちんと溶かして欲しいし、魚は中までしっかり焼いて欲しいんだよねぇ……うう。いつか、はっきりと話しがしたい。でも神話のせいだとはいえ、僕なんかのお嫁さんになってくれたんだし。言えないよね……。

「会いたいなぁ、とか」

 そう、そうだ、これだよ! ≪世界敵≫と戦っている時は会えない。
 何故なのか、ヒューズのことを思い出すんだよね。

「けど、会えない辛さって言うの?」

 だって会っちゃたらさ、ヒューズが≪世界敵≫に攻撃されちゃうしなぁ。
 まぁ、僕の話はもういいや。とりあえず、時夜見鶏に聞いてみよう。

 なんか、なんとなく、今日話してて思ったんだけど、時夜見鶏って本当に話しやすいんだよね。

「好きまで行かなくてもさ、気になる奴とかいないの?」
「……いる」

 片思いなのかな。

 少々渋るように言った時夜見鶏を見て、時夜見でもそんな顔をするのだなぁと、僕は苦笑した。恋って、そう言うものなのかも知れない。

 ただ時夜見鶏くらい格好良ければ、恋人なんて直ぐに出来そうなのに。まぁ綺麗で近寄りがたいとかって理由で、周りが寄ってこないタイプの童貞もいるらしいしな。童貞だとすれば、そこだけは僕と被ってる。まぁ神様だから、あんまり性欲とか無いけどね。

「それが好きって事だよ」

 そう言いつつも、僕は気になった。一体誰だろう。
 あの世界では、僕が知っているのは二人(神)だけだ。

 最初の一人は凄く綺麗で、多分本気を出せば僕と良い勝負が出来そうな、銀髪で緑色の瞳をした人(神)だ。

 もう一人(神)は、どちらかというと媚びる感じの愛らしさを持つ、金髪の巨乳だった。

「で、誰だよ? あの綺麗な人?」

 僕が聞くと、時夜見鶏がジョッキに手をかけた。

「……誰だ?」
「ほら、俺達が最初に会った時さぁ、いたじゃん、横に。銀髪のさぁ」

 誤魔化すって事はそうなのかなぁと思いながら、僕もジョッキを傾けた。

「……いいや。綺麗って……」

 だが応えた時夜見鶏は、確実に笑うのを堪えている顔だった。寧ろ笑みが漏れている。
 この反応は、絶対に好きじゃない上、綺麗だとすら思っていないだろう。
 なんてもったいないんだ!

 僕の世界には、創成神がいないから知らないが、恐らく時夜見の世界を作った神は、絶対に面食いだと思う。時夜見鶏を見ていても。ちょっとだけムッとして、俺は唇をとがらせながら言った。

「はぁ? ちょっといないだろ、あのくらいの美人なんてさぁ。何それ、イケメンの余裕?うわぁ、イラッときた」
「……違う。悪い」

 ってか、違うって、違うって、何? イヤミの重ね塗りだろ!
 さらには、悪い? 悪い!? 自分の顔面を意識しているって事か!

 ……けどさ、僕に初めて出来た、一緒にお酒を飲める友達だし……。嫌でも、なのだから、ちょっとくらい、つっこんでみても良いのかな? とりあえず会話が途切れないようにしよう!

「そんなマジにとるなって。んじゃあ、あれ? あの可愛い人? 巨乳の」
「……誰?」
「ほら、二回目に会った、タコ倒しに行った時に、側にいたさぁ」
「まさか。あいつ、あの時は女性型の人型使ってたけど、本来男神だぞ」

 半眼で時夜見鶏が言った。別に興味はないので、曖昧に僕は笑うに留める。

「俺の……その、気になってる子の方が可愛い」

 しかし、しかし――!! 俺と同じく童貞的な意味合いで魔法使いっぽかった時夜見からまさかの発言が出た!! なんだと!? やっぱりいるんじゃん。

 とはいえ、ヤったとは限らないし、ヤっていないとしても、初めての友達(?)なんだから、僕は応援しなきゃ!

「ふぅん。じゃあ俺の知らない奴だな。けどさぁお前、綺麗な奴にはちゃんと綺麗って言わないと駄目だ」

 最初は無論、時夜見鶏の好きな相手を想定して告げた。

「……そうか」

 だが俺は、時夜見鶏を見て、確信した。なんていうか、こいつって結構言葉をそのまま受け取る気がする。だとすれば、僕がさっき綺麗だっていったナンチャラ猫さんに綺麗って言いそう。

 ならば、ならば……言葉を素直に受け取る事を好意的に解釈してというか、嫉妬させるように仕向けるのが、友達(?)としての役割ではないのか!!

「できれば、その気になってる子の前で言え」
「何故だ?」
「うーん。言ってみれば、分かるよ」

 僕は一人自分の思考を納得させて頷いていた。多分もう結構酔っていた。

 だけどね、時夜見の幸せ(あ、いつの間にか渾名で呼んでた。しかも怒ってない!)を本気で願っていたんだ、僕は。あと、生ビールを生とか生中とかいうのって、リア充っぽいよね。うんうん。

「ま、健闘を祈る――すいませーん、生中もう一杯!」


 それにしても、帰ると家に人がいるって、なんだか新鮮だ。
 そもそも家の存在自体が、新鮮なんだけどさ。

「遅かったな」

 僕が戻ると、ヒューズが出迎えてくれた。

 これまで最初に宣言してからモンスター退治に出かけるか、ヒューズも察知する勇者との対決でしか外出していなかった僕は、その言葉に寧ろ誇らしい気分になった。

「ああ、友達とちょっとな」

 これで、本当は、ぼっちの僕にもちゃんと友達がいると思ってもらえる。
 そう思えば頬が持ちが上がった。

 ただ、別にそんなに遅い時間じゃない気がする。だって七時手前くらいから飲んで、今九時過ぎくらいだし。でも、でもさ、なんだか今日はボッチ脱出記念日でもあるし、ちょっと嬉しい。

「俺にだって色々付き合いがあるし、友達と飲むこともある。だから、寝ていて良いぞ」

 僕は余裕たっぷりでそう告げた。双眸を伏せ、唇で弧を描く。まぁまだ寝るにはちょっと早いかも知れないけどさ、一回こんな風にリア充な台詞を言ってみたかったんだよ、僕。
だが――その時だった。

「いッ」

 ガンと扉に頭を強打され、ヒューズの体と扉の間に押し付けられた。
 両手は俺の腰に触れている。

「え……?」

 困惑して見上げると、眼を細めたヒューズが、嘲笑するような顔をした。

 そのまま両手で、僕のデニムを下ろし、僕を扉に押し付けたまま、ヒューズがそれを咥えた。

「え、ンぁ、ああッ」

 初めて口淫される感覚に、僕は思わずヒューズの髪をつかんだ。

 柔らかな髪の感触を感じるよりも、何よりも、唇が上下し、先端を時折舐められるのが、苦しい。膝が震え始めた。立っているのが辛い。

「や、止め――」
「お前が悪い」
「な、なんで……ッああっ!!」

 何故なのか、冷たい、怒っているような声でヒューズが言った。僕、何か悪いことした?

 そもそも、そもそもだ。僕はコレでも神様だから、童貞というか、性交渉などコレまでした事が無かった。先ほどは酔いに任せて散々、ヤったヤらないとか言ってたけどさ。そもそもそんな必要など無かったのだ。

 新たに生まれた神は違うのかも知れないが、それでも性欲を感じた事は無い――今までは。ただ、神話が連なるにつれ、神々同士の間でも、そう言うことが行われるようになったとは聞いていたから、僕の体が反応してもおかしくはない。

 けれど、けれど、だ。

 皆に愛される神様のヒューズと破壊神の僕とじゃ釣り合いが取れない。
 なのだから、神話通りに僕が無理矢理犯すことがあったとしても、逆は有り得ない。

「や、やだ、止め」

 僕は懇願した。けれどヒューズの唇の動きは止まらず、僕の快楽を煽っていく。

 知らない感覚だったけど、間違いなく気持ちよかったから、これが快楽って奴なんだと思うんだ。涙が浮かんできた。肩で息をしてしまう。

「ま、待って、本当に待って、僕、出した事なんて一回もない」

 泣きながらそう告げ、ヒューズの頭を離そうと無我夢中で髪の毛を掴む。
 すると驚いたように、彼が顔を上げた。

「出した事が無いって……本当か?」

 何度も頷きながら、浮かんできた涙を必死で堪える。こんな感覚を僕は知らない。
 少なくとも、僕がこの世界に生まれた時には無かっただろうから。

 だって僕は子供を連れて僕の元に来る神々がどうやって子を成すのかも知らなかった し、てっきり人間が作りだした神話から出てくるのだろうと思っていたのだ。

「――前も後ろも?」
「後ろ?」

 訳が分からず首を傾げた。女神ならば、後ろというか、足の親指と親指の間に入れるところがあるのは知っている。僕は入れた事が無いけれど。しかし男神には、その箇所がない事くらいは分かる。だって僕も男だ。

「確かめても良いか?」
「え、どうやって……って、どこをどうやって?」

 純粋に疑問に思っていると、いきなり片手で右足を持ち上げられ、扉に更に強く押し付けられた。

 呆気にとられて目を見開くと、露わになっていた僕の後孔に――いきなり指を一本、当てた。そしてその表面を、突くように撫でられる。

「え、あ」

 どういう事か分からずポカンとしていると、それがユルユルと襞を撫でるように動いた。
思わず体に力がこもる。

「何、何するんだよ? そんな、待って」

 僕は心中の一人称である『僕』の言葉も、普段発している『俺』の言葉もまぜこぜになるくらい狼狽えていた。何せ暫し弄ぶように入り口を撫でた後、それが第一関節くらいまで入ってきたからだ。

「ヒ、あああッ、あ、あ」

 呼吸をするのがやっとで、指の異質感に背がしなった。
 扉に押し付けられている僕は、正面からヒューズの顔を見ている。

「や、止め――」
「他の男と、神界でも噂のデート街の、それもデートスポットとして有名な場所に二人で出かけるお前が、初めてなんだとしたら、だ。今奪わなかったら、今後どうなるか分からないだろ?」
「な」

 何を言われているのか分からない。その時だった。

「う、あ!!」

 不意に、全身がびりびりとする箇所をつかれて、崩れ落ちてしまいそうなほど、僕は体を揺らした。腰も太股も震えて、もう立っているのが辛い。持ち上げられている足がビクビクと震えた。思わずキツく目を伏せると、涙がこぼれてきた。

「ヤダヤダヤダ、そこ、嫌だ!!」
「へぇ、ここがいいのか」
「うあぁあああッ、止めて、本当、止めて、そこは嫌だッ」

 本気で僕は頼み、涙がこぼれる顔を何度も否定するように揺らした。
 そこを突かれる度に、正気を失いそうになる。

「いや、いやだぁ、あッや、やだ、ねぇ、なぁ、や、め」

 僕の声は掠れ、涙すらも嗄れそうになっていた。
 気がつけば、思いっきりヒューズの事を抱きしめていた。

「お願いだから……ヒューズ、なぁ……こんな、こんな……」

 我ながら、乙女なのかも知れないとは思ったが、初めては優しくして欲しいと思っていたのだ。

「酷いことしないでくれ……もっと、優しく……ァ」

 そう呟いた時、俺は快楽と全身を遅う疲労感で意識を失った。


 次に目を覚ましたのは、味噌汁の匂いでだった。

 シャワーを浴びてから、着替えて階下に降りると、久方ぶりに料理をしているヒューズの姿があった。最近はずっと朝は僕がやっていたから、なんだか懐かしい。

「体は、平気か?」

 そう問われ、急に恥ずかしくなって顔を背けた。
 別に、ただ後ろを弄られただけなのだから、大丈夫に決まっている。

「ああ」

 頷きながらも僕は、考えていた。
 昨日――そう、昨日、最後までする未来だってあったと思うんだ。

 そうしなかったのは、多分ヒューズの優しさだ。
 それは死を求める僕を殺してくれないこの世界よりも、ずっと優しい。

 僕は……あるいは、ヒューズの事が好きだからと言う理由で、生きていても良いのだろうか? 時夜見鶏には、さも余裕たっぷりのリア充風に告げたが、本当は僕は不安なんだ。僕自身の気持ちもだが、それよりも、ヒューズが思う僕への気持ちが。

 そもそも人間が神話を作らなければヒューズはここへは来なかったのだ。ヒューズは自分がそれを作らせたと言ったが、そんなのただの優しい嘘なのかも知れない。あるいは僕へ対してではなく、自分自身を納得させるための。

 だと言うのに、何故僕が飲みに行くのを嫌がるんだろう?

「なぁ……もう、時夜見鶏と飲みに行っちゃ駄目か?」

 僕がおずおずと聞くと、鍋をかき混ぜていたヒューズが振り返った。

「行きたいのか?」
「まぁな……あっちの恋の行方も気になるし、それにこっちの……」

 こっちの恋愛相談もしたいだなんて、気まずすぎて言えなかった。

 きっとヒューズは別に僕の事なんて好きじゃないんだろうし。ただの強制された関係なのだろうから。多分この前のアレは、所有欲みたいなものだろう。

「――向こうには恋人がいるのか?」
「うーん、話聞いてると微妙だけどな。時夜見鶏が気になってる相手は、相手側は確実に時夜見のことが好きな気がする」
「お前がその、時夜見鶏を好きだと言うことは?」
「そりゃ良い奴だし好きだよ。ただ俺と時夜見が話したいと思うのは、そう言う好きじゃないから」

 僕はそう言いながら、また味噌が浮かんでいる碗をさしだしてくれたヒューズを見た。
どうしてそんな事を言うんだろう?

「じゃあお前は、誰の話をしたんだ?」

 唐突に言われて、僕は真っ赤になってしまい俯いた。
 本人に、そんな事言えるはずがないだろう。

 第一、本当に僕の事なんて、好きになんてなってくれるはずがない相手なのだから。

「お前が好きなのは、誰なんだ、ジャック?」
「っ」
「言い換える、お前の恋人は誰なんだ、ジャック」

 僕はその答えを頭の中ではヒューズだと思っていたが、それを口に出す度胸はない。
 だからキツク目を伏せた。

「俺だろ?」
「な」
「俺以外の回答は認めないぞ」

 そう言われ、思わず息を飲みながら、目を見開いた。
 信じられなかった。有り得ない。
 ヒューズはみんなに好かれる神様で、僕はみんなに嫌われる神様だ。

「――それ、本気で言ってるのか?」
「あたりまえだろ」
「何で、俺なんかを……」

 ……僕なんかを、そんな風に言ってくれるの?

 訳が分からない。苦しくなって、吐きそうになった。嗚咽が漏れそうになったから、慌てて口を掌で覆う。最終的に嫌われるのならば、此処へ訪れる勇者達のように最初から嫌ってくれていた方がずっとマシだ。

「ずっと、ずっと好きだったんだよ。最初は、どんな奴なのかと思って見に行って、それで、勇者にわざと倒されて岩の陰に隠れるお前を見て。馬鹿じゃないかとすら思ったけどな」
「じゃあさ、もっと笑われる事言っても良いか?」

 僕はヒューズの言葉に泣きそうになりながら笑った。


「俺は本当は、『勇者』に憧れてるんだ。『勇者』になってみたい、なりたかった」


 僕の言葉に、ヒューズが目を見開いた。

「っ」
「倒されるのが嫌だとかそう言うんじゃなくて、世界を、愛する人を、守れる人間……いや、神様かな、そういうのになりたかったんだよ。だけど世界って冷酷だよな、俺にはそんな未来を絶対にくれないんだからさ」

 笑いながら、多分ボロボロと僕は涙を零していた。
 他者に、こんな風に涙を見せるなんて、久方ぶりの事だと思う。

「それが俺なんだ。だから、もう――優しくするのは止めてくれ。俺が今ここで望まれているのは、冷酷な破壊神なんだよ。破壊神だ。だから、だから――……」

 僕が言い切る前に、僕の後頭部を掌が押し付けた。
 目を見開いたまま涙を零し、俺はヒューズの胸元に額を預けていた。

「馬鹿だよ、お前は」

 そんな事を言われ、睨み付けようとしたら、そのまま瞼をつぶってしまい、線のように水滴が流れていく。

「ジャック、お前はお前だ。破壊神と呼ばれようが、勇者と呼ばれようが、あるいは別の名で呼ばれようが、お前は俺の中では変わらずジャックだ」

 そのまま、静かにずっと僕は泣いていた。僕が、僕だなんて、初めて言われた。
 それを、真に受けても良いのかな?

 何て疑問系に思ったのは最初だけで、僕は都合良く、それを真に受けることにした。

 やっぱり料理も含めて全部僕がやることにして、捕まっているフリをしているヒューズは大抵ゴロゴロしていたけれど。僕に友達が居ないことも、別に気にしている風も無かったから、ぼっちだとバレても良い気がした。

 だってさ、向こうも出かけないって事は、ぼっちじゃん?

 ただそんなある日、僕は――時夜見鶏が大怪我をしたのを悟った。

 他世界、異世界、その狭間で交流などをしていると、神様一覧表というものが作成されるのだ。

 そこには、他世界と交流していなくとも、相応の実力を持つ者は記載される。要するに時夜見鶏はS(推定)とされていたのが昔で、一度≪世界敵≫を公式に倒し、その後は一人で複数の≪世界敵≫を倒しているから、現在のランキングでは、僕と同じくSSSランク(確定)なのだ(僕はあのタコを一撃で倒せたので、SSSランクになったみたいだ)。

 他の世界と交流していないのに。なお、SSSランクより上はない。一応SSSランク、SSSランク+というのはあるが、最早測定不能の強さという事だ。


 俺は今度は、ヒューズに聞いてみることにした。

「ん?」
「時夜見鶏が怪我をして――やっと異世界転移できるくらい回復したいみたいなんだ」
「ああ、お前が前に飲みに行った奴だな」
「心配だからその……向こうも会ってくれるか分からないけど」

 僕なんかに。

「会いたいんだ」

 仮に断られたとしても、声だけで良いから聞きたかった。聞きたかったのだ。

 自慢じゃないが、僕に声をかけてくれる人なんてほとんど居ない。同時に、僕がそう思う機会も少ない。そんな中で、一緒に戦った事がある時夜見鶏はやはり特別なのかも知れない。

「勿論さ、お前の事も紹介したいし、一緒に来てくれたって良い。だけど俺は、どうしてもアイツの元気な顔が見たいんだよ」

 笑ってそう告げようと思ったのに、何故なのかまた僕は泣いていた。
 ボロボロと零れてくる涙が、本当に忌まわしい。

「そんなに、会いたいんだな」

 ヒューズの言葉に何度も頷く。

「なら、会ってこいよ。大切な”友達”なんだろ?」

 そう言われたら、もう僕は嗚咽を堪えきれなくなった。

「俺、俺さぁ、何て言えばいいのかな?」
「……」
「自分より辛くて、辛い思いしてた奴にさ、頑張れとか言えないじゃん。応援も出来ないし、もう頑張ってるんだよ、アイツ。俺、何にも出来ない……っ」
「そんな事無い」

 ヒューズはそう言うと僕を抱きしめてくれた。

「会いに来てくれる事、それだけで救われる」
「そうかな……?」
「そうだ。そうなんだよ。俺が保証する。俺は辛い時、お前に会いたい。お前の顔が見たい。それは、俺がお前に恋心があるからだけじゃない。お前はな、みんなに、明るさをくれるんだ。本当はお前にとってはそれが辛いんだって、今なら俺は気がつけるけどな。ただ、ただそれでも、お前の顔を見るだけで救われる奴がいるって事はよく分かってる」

 きっと僕にそんな価値は無いだろうから、それはヒューズの優しさだったのだと思う。
 だけど確かに僕の背中を押してくれたのは間違いなかった。



「――って、結果になったぞ」

 結局この前と同じ場所で(だってさ、僕他の場所知らないんだよ)、僕は時夜見からコレまでの概要を聞いた。

 思わず麦酒を吹きそうになった。
 ちょっと待て、ちょっと待て、なんだかおかしい方向に進んでる気がするよ?
 思わず引きつった笑みを浮かべてしまった。

「へぇ……なんか、複雑」
「だろ?」

 時夜見鶏はそう言うと、あまり感情が見えない瞳を下へと向けた。

 だけど僕は、時夜見のそんな視線も口調も好きだった。好きって言ってもヒューズに向けるような感情ではなくて、なんだか、こう、話しやすいのだ。

 だからこそ、だからこそだ。

 友達として、はっきり言うべきだと思った。勿論友達だと思ってるのは僕の方だけかも知れないけど、それでも良いんだ。

「そんな奴の何処が良いの? 顔?」

 そんな事を言う自分がいたたまれなくて、思わず眉を顰めて、ジョッキを傾ける。
 本当は、純粋に、時夜見鶏の恋を応援したい自分が居る。

 だが、それで苦しむ友達なんて、自己中心的な考えだろうけど見たくなかったんだ。

「……別に」
「じゃあ体? ヤったんだろ?」
「……」

 時夜見鶏が無言になった。僕はまだ誰とも体を重ねたことがないから分からないけど、そう言うのもあるのかも知れない。そして神界総合雑誌には、ここの所よくそう言うネタが記載されている(ヒューズがSEX特集みたいな頁を開きっぱなしで置いておくんだ)。

「良いよなぁ、俺なんてまだだし。うわぁ、ヤりたいけど、怖い」

 が、考えてみれば、恐怖が募った。だってそれって、俺の後ろの孔にヒューズのアレが入るって事だよな? ぶっちゃけ、無理かも。

「ああ、怖いな」

 俺が戦々恐々としていると、ポツリと時夜見が言った。思わず首を捻る。
 だって、話を聞く限り、時夜見は入れる側だ。

「え? なんで? お前もうヤったんだろ?」
「もう絶対ヤりたくない」

 そして続いた声に、ビクリと体がすくんだ。その言葉に、俺は硬直したんだ。

 ついさっきまでは、俺の側のことを考えていたんだよ、でもさ、でもさぁ……ヒューズだってどう思うか分からないよね……。一回ヤったら飽きた、とか、そんな事が特集頁に書いてあった気がする。

 釣った魚に餌はやらないとか、さ。ヤれない内は追いかけるのが楽しいけど、ヤっちゃえばもうね(笑)とかさ……。本当、怖い、怖いよ!

「う……どうしよう。終わった後に、そんな事思われたら」
「俺は――ヤりたい気持ちの方が分からない」

 そうか、そうなのかな。別に、ヒューズは、僕を押し倒したり最近(?)しないし。
ヤりたくないのかもしれない。

 だって年齢差もあるし、僕より明らかにあっち(ヒューズ)の方が格好いいし。
 いくらでも相手は見つかるだろうからね……。

「俺の相手もそう思ってたら嫌だな」
「何お前、つっこまれる方なの?」
「うん」

 神話は兎も角――多分だけど……今の状況からすると、そんな気がする。
 思わず僕は深刻そうな顔になってしまいそうになって、慌てて麦酒を飲み込む。
 俯きながら続けると、時夜見鶏はいつものように気怠そうな瞳で僕を見据えた。

「まぁ……普通は、ヤりたいんじゃないか。思い合ってる同士なら。ほら、俺とその……朝蝶って言うんだけど、そいつはな、思い合ってないからさ」

 時夜見鶏のその言葉に、涙で潤んだ目で僕は顔を上げた。

 僕はきっと今では凄くヒューズのことを思っているけど……だけど向こうはどうなんだろう。嗚呼、もう止めよう。考えても考えても明るい未来が浮かんでこないよ。

 それから暫く僕は考えるのを止めて、ただ会話に注力した。

「確かに話聞いてると強姦魔とか酷いけどさ――なんだかんだで、探しに来て助けてくれたんだろ?」
「二百年後だけどな」

 二百年なんて、僕たちの神の世界では一瞬だと思うけどなぁ。

 いくら僕の世界と時夜見の世界で、時間の流れが違うとは言っても、たったの二百年だし。

 怪我をしていると長く感じるかも知れないけどね……まぁでも、今の僕なら、二百年もヒューズと会えないのは、ちょっと嫌かも知れない。

「寝てるところキスなんて、可愛いじゃん」

 僕が言うと、悩むように時夜見鶏が首を傾げて目を伏せた。
 あれかな、時夜見には、キスなんて日常茶飯事で余裕なのかな。

 僕はヒューズと出会うまで、キスなんて一回もしたことがなかった。あ、強いて言うならば、森にいる猫にチュっとしたことはあるかなぁ? しかし、しかしだ。此処までの話しを総合して考えてみたよ、僕。

「つぅかお前も酷いだろ。ヤったのにさぁ、好きじゃないとか」
「だって……上にのってきたんだ」
「拒めよ!」

 時夜見が黒い瞳を揺らした。その色が、少しだけヒューズに似ているなぁと思う。

 ただ本気で思う。ヒューズにヤるだけヤられて、好きじゃないなんて言われたら、凹むよ。確実に僕、凹む。まぁ僕の方から上にのるなんて事は、難易度が高すぎて無理だけどね。

「でも別に、ヤるの嫌じゃなかったんだろ?」
「いやだから、嫌だって」
「そうじゃなくて、生理的嫌悪とか、無かったんだろ?」

 ああどうしよう、僕は破壊神だし、やっぱり生理的嫌悪とか持たれてるのか……怖いなぁ。言いながら哀しくなってしまった。あり得る……あり得るよ!

「……まぁ」
「体から始まる恋もあるって」

 僕は半ば、自分に言い聞かせるようにそう告げた。

 案外ヤったら、ヒューズが、僕を本気で好きなんだと思ってくれるようになるかも知れない。それなら、嬉しいよね(勿論諸刃の刃で、嫌われるのかも知れないけどさぁ)。

「そういうものか……」
「話を聞いてると、絶対向こうはお前に気があると思うよ」
「そうか?」

 え、え、疑問系なの?
 もしかして、時夜見の世界では、そう言うの普通なのかな?

「うん。それにさ、朝蝶さんだっけ? その人に、好きだって言われたら、嬉しくないか?」
「……そうだな」

 沈黙をたっぷり含んで時夜見が応えた。普通嬉しいよね? だって僕、ヒューズに好きだって言われる度に、凄く胸が高鳴るよ? 嬉しいよ? 僕が変なの?

「こう言う時はさ、やっぱり男から行くべきだよ!」
「両方男だけど」
「いや、その、上! タチ! 入れる方! つっこむ方!」

 想像で言ってみた。何せ僕にはそんな経験はない。ただ、ヒューズから来てくれないと、僕は多分何も出来ない。ちなみにタチという言葉は『SEX特集』の頁で覚えた。案外しっかり僕は、読んでたんだよね、あれ。

 だって、いつかそう言う関係になった時に、萎えられちゃったら困るし。一応――……神話は兎も角、僕たち、恋人って関係で良いと思うんだ、僕とヒューズ。そうしたら、きっといつか……! 知識があるに越したことはないよ!

「……ああ」
「兎に角告白しちゃえって。好きだぁ! ってさぁ」

 あーあ。ヒューズ、僕に告白してくれないかなぁ。もう一回言ってくれないかなぁ。最近あんまり好きだって言ってくれないんだよね……。

「俺は、朝蝶のことが好きなのか」
「そうだよ!」
「そうか……俺は、どうしたら良い?」
「だから告白」

 告白……告白! 僕には、自分でするには難易度が高すぎる。
 だが、だが! 友達が相思相愛になろうとしているのを、僕は応援しないと!

「なんて?」
「好きだ、って」
「いつどうやって?」
「自分で考えろよ!」

 僕は多分、この時既に酔っていた。

 勿論それもあって、近隣の席にヒューズがいて≪盗聴紋≫を使っていただなんて、全く気づいていなかったのだ(普通は近くで≪紋章≫が使われたら分かるんだけどね)。
だから、ガンと音を立ててジョッキを置き断言したのだ。

「兎に角、応援してるから。後で結果、聞かせてくれ」



 フラフラとしながら帰宅した僕は、鍵を開けて中へと入った。
 すると正面にヒューズが立っていた。

 足下がおぼつかなくて思わず倒れそうになった僕を、ギュッとヒューズが抱き留めた。

「ごめん、酔っぱらっちゃった」

 僕が謝ると、何故なのかヒューズが苦笑していた。今日は時夜見と会ってきたのに、前と違って、怖くない。やっぱり事前に話しておいたのが良かったのかな?

「何を話してきたんだ?」
「んー、怪我の具合とか、向こうの恋の進捗度とか?」
「お前の側の話は?」
「してない」

 何せ、惚気ていたとか、突っ込まれるのが怖いとか、話していたなんて言えないだろ。言えないよ、僕、小心者なんだよ……! お願いヒューズ、そんな事聞かないで!

「へぇ」

 だが、何故なのか、ヒューズは冷笑……とも、また違うような、残虐な様でいてそれでも優しい顔をしていた。僕が見たことのない表情だ。そのまま、腕を引かれる。

「酔ってるみたいだな」
「ん」
「早く寝台に行った方が良い」

 頷いたまま、僕は体を離され、手首だけを握られた。そして僕は寝室へと連行された。それから寝間着に着替えるために、Tシャツは着たままでトランクスだけになった。

 ズボンは床に投げ捨てた。コートはさぁ、恥ずかしいから此処以外の所に行く時は、着ていかないんだよね、僕。

「悪いな、寝るわ」

 酔っているせいか、体が熱い。そんな僕に布団を掛けてくれるのかと思いきや、何故なのかヒューズまでベッドの上にのってきた。

「馬鹿だな、本当にお前は」
「?」
「俺がこの状況で寝かせると思ってるのか?」

 どういう意味なのかよく分からない。なにせ、僕がTシャツと下着で寝るのは、大抵いつものことだ。まぁ冬は、下にスエットとかも穿くけどね。

「え? ん? いつもと同じような状況だろ……?」

 僕が酔いをなんとか静めようとしながら、首を傾げた。分からないんだもん、聞くしかないよね。するとヒューズが意地の悪い笑みを浮かべた。

 ――? 怖いような、だけどどちらかというと、意地悪そうな顔をしていて……うーん? 酔っているからよく分からない。

「『ヤりたいけど、怖い』んだって?」

 その言葉に、僕は息を飲んだ。酔いが一気に醒めた気がした。
 僕の顔の両側に突いた腕を折り、耳元で囁くように言われる。

「『どうしよう。終わった後に、ヤりたくないなんて事思われたら』」
「!」
「『俺の相手もそう思ってたら嫌だな』」

 最早目を見開くしかない。それは、それは――!! 先ほどの僕の発言だ。うわ、恥ずかしくて泣きそうだ。頬が真っ赤になってしまった。羞恥が全身を覆う。

「な、なんで……」

 何で僕と時夜見の先ほどの会話を知っているのかと、思わず涙が零れそうになった。

「相手って言うのは、勿論俺だよな? ジャック」
「え、あ、うあ、あの」
「違うのか?」

 腰にゾクゾクとくるような低音で、ジャックが僕の耳元で言う。
 そのまま耳朶を噛まれて、僕の肩がビクンとした。

「そ、そうだけどさ……」
「お前、俺とヤりたかったのか」
「ッ」

 必死に応えていた僕だったけど、その言葉には息を飲むしかできない。

 や、ヤりたかった。え、うあ……そうかもしれないけど、そんな、そんなの……恥ずかしすぎる。

 僕はもう真っ赤になったまま、許して欲しいと思いながら、涙目でヒューズを見上げた。

 こんな風に、意地悪に聞かなくたって良いじゃん。
 気持ち悪いなら、スルーしてくれればいいのに。

「じゃあヤってみるか?」

 しかし、続いた声に、僕はポカンとしてしまった。

「え、なッ」

 は? は――!? ヤ、ヤってみるか……? え?
 いやいやいやいや、そう言う未来を想定していただけで、こんなに急に……!?

「俺に嫌がられないようにしてくれるんだろ?」

 くすくす笑いながら、下着とTシャツ一枚の僕の衣服の下にヒューズが手を入れてきた。

「……そうじゃない。なんにも出来ないから、嫌われたらって、俺……」

 困惑しながら、僕は顔を上げた。
 ヒューズの両手が、僕の胸の突起のそれぞれを摘む。不思議な感じがする。

「……ふぅん。まぁ、今はそれでも良いか。その内、自分から出来るようにしてやるよ」
「え?」

 自分から出来るように……?
 それって神話通り、僕がヒューズを抱くって事? え? えぇ!?

「ただなぁ、俺とヤりたいけど怖いって言葉。あれだけは、忘れる気もなければ、否定させる気もない」

 大混乱中の僕の乳首をユルユル撫でたり、優しく弄ったり、時折摘みながら、ヒューズがそう言った。違和感の方が強いし、そう言う所って普通女神が感じる場所なのではないのだろうかと困惑する。が、不意に、痺れるような疼きが走った。

「あ」

 声が出てしまった。
 僕は恥ずかしくなって、頬が熱くなった。自分でも赤面しているのが分かる。
 思わず顔を背けた瞬間、下着を下ろされ、僕の下半身が空気に触れた。

「っ」

 そして正面を見た瞬間、唐突に両足を、それぞれの手で持ち上げられた。

「え、あ、嘘ッ」

 露わになった僕の後孔に、ヒューズの舌先が触れる。一つ一つの襞を舐めるようにしながら、丹念に解すように、それは蠢いた。

「ひゃッ」

 慣れない感覚に、体が震える。

「止めて、待って、汚いから……!」
「”力”でそんなものいつでも綺麗に出来るし、お前は俺と暮らしてからはまだマシになったとは言え、ほとんど食べないだろ」
「ンぁ――ッ!! ひ、あ」

 襞を解すように少しずつ舐められた後、ヌメヌメとしているのに固い舌先が、中へと押し入ってきた。ヒューズの舌だ。

「止め、」
「俺とヤりたいと言ったのはお前だろ?」

 そういって口を離すと、ドロドロとした液体を指先に絡め、今度はそちらを中へと入れてきた。異物感に体を捩った時、また急にビリビリとする箇所に、指が触れた。

「んぁああっ」

 そして、以前気持ちいいと思った場所を2本の指で突かれる。

「ンァあっ、そ、そこは」
「此処が好きなんだろ?」

 そこを強く刺激されながら、前を撫でられる。いつのまにかユルユルと立ち上がっていた僕の陰茎は反り返り、先端からは透明な液が零れようとしていた。

「や。あぁっ、出る」
「出る、じゃなく、イくと言えよ 」
「んぁああッ、い、イく。俺、も、もう」
「良い子だな。だがまだダメだ」
「ふ、ぁ、あああああ!!」

 その時圧倒的な熱を持った、ヒューズの陰茎が内部へと押し入ってきた。舌先や指で解されていたとはいえ、大きさが全く違う。広がっていく入り口の感覚に背がしなった。

「うあ、あ、ああああああああッ」

 辛くて叫んで逃れようとした僕の腰を、ヒューズの手が掴む。

「此処で逃げたら、それこそ『嫌い』になるぞ?」

 喉で笑うように言われ、涙を浮かべたまま、僕は静かに従った。

 嫌われたくなかった。好きになってもらえるのか、という疑問よりも、嫌われる事の方が悲しい。

 ガンガンと突かれ体を暴かれるのが辛いのに、足を持ち上げられ、もう一方の手で腰を強く引き寄せられている僕には、もう何処にも逃げ場なんて無かった。

「んあ、あ、ああっ、や、やだぁッ」

 その上次第に突かれる度に、中へと快楽が走るようになってくる。
 もう気持ちいいのか痛いのかすら分からない。

「うあっ、ああっ」

 自由になる首を何度も動かすが、体を駆けめぐり支配する熱はどうにもならない。
 挿入されて萎えていた自身を、その時ゆっくりとヒューズが撫で上げた。
 その刺激にすら耐えられなくて、目を見開く。

 さら体が反り返り、ガクガクと震えた。

「あ、あ、ああっ」
「どうされたい?」
「わ、わかんない」

 無我夢中でそう告げると苦笑された。

「本当に初めてみたいだな――……だから、今日は許してやるよ」
「んぁああッ!!」

 そう言って中に精を放たれ、同時に前を刺激され僕も放った。
 呆然としていた僕は、それから意識が蒙昧としていくのを感じていた。
 だからなのか、僕から腰を引き離れたヒューズの首に腕を回していた。

「ヒューズ……好きだ、愛してる」

 多分そう言ったのだと思う。
 ただその後直ぐに、息を飲んだ彼には構わず眠ってしまったから良く覚えてはいない。



 目が醒めると、まだ僕は、半分脱がされたかけたTシャツ姿で、下には何も付けては居なかった。思わず息を飲んで起き上がろうとしたが、身動きが取れない。何事だろうかと思って視線を向けると、僕を抱きしめて眠っているヒューズの姿がそこにはあった。

「え、あ」

 身動きしようとすると、更に深く掴まれて、僕は腕枕をされた状態のまま、キツく目を伏せる。頬が熱くなっていくのが、自分でもよく分かる。

 すると――不意に唇に、口づけされた。その柔らかな感覚に、今度は目を見開く。

「おはよう」

 見れば柔和な表情で、ヒューズが微笑んでいた。

「お、おはよ」
「体は辛くないか?」

 前にもそんな事を聞かれたなと思いながら、何度も大きく頷く。
 コクコクと必死に頷いた僕を見て、ヒューズが苦笑した。

「――……嫌だったか?」

 不安になっておずおずと聞いてみると、頭を撫でられた。

「そんな事思うわけがないだろ。『思い合ってる』んだからな、俺達は。そう思って良いんだよな? ジャック」
「うあ、あ、ああ」

 真っ赤な顔が更に赤くなってしまった気がしながら、僕は頷いた。
 するとヒューズの腕にこもる力が強くなった。

「お前の友達にも、そう報告してくれるな?」
「時夜見の事か?」
「そうだ」
「ああ。次に会ったら、言う」
「……まぁ、それでいい」

 何故なのか僕の回答に、ヒューズが溜息をついた。
 それから僕の後頭部を掴んで、キスをした。

「後な……何で俺が雑誌を開いていたか、本気で分かっていなかったのか?」
「え?」

 どういう意味なんだろう? 思わず僕は首を傾げた。

「お前とたまには外で食事がしたかったんだ――食事というか、デート」
「っ」
「その後のは、俺とそう言うことがしたいって、意識させたかったんだ」

 クスクスと笑いながら、ヒューズがそんな事を言った。
 恥ずかしくなって、僕は俯きながら、また真っ赤になってしまった。

「俺もな、お前と一緒に他の世界に行ってみたかったんだ」
「そ、そうか」
「今度、連れて行ってくれるか?」
「分かった」

 僕が知っているところは、比較的≪モンスター≫が出るところばかりだから、ちょっと探してみようと思う。それにしても、デート……デート? この僕が!?

「そ、その、ヒューズ……」
「なんだ?」
「何処か行きたいところとか、あるか?」

 いまだだかつてデート何てしたことがないから、僕には全然分からないんだよね。
 だけど行きたいって言っているのは、ヒューズだし。
 出来れば僕に可能なことならば、そのお願いは叶えてあげたいし。

「ジャックと一緒なら、何処へでも」

 そう言うとまた唇にキスをされた。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった、けどさ。けどさぁ、僕、僕、何処に行けばいいの?

 それから二人で食事をして(僕が作った)、いつも通りの会話が戻ってきた。

 相変わらずヒューズがゴロゴロしているのを確認してから、僕はひっそりと≪閲覧紋≫を開いた。

 これは、神様一覧表でも非公開設定に出来る、連絡先を交換した相手だけに見える、動向記録表というか――『総合世界神称号』記録表だ。

 僕がコレを知っているのは、≪時夜見鶏≫と≪ヴァレン≫だけだ。

 基本的には、一世界に一体くらいしか≪世界敵≫は出ないから、複数の、『総合世界神称号』が取得されていない限り、その世界は、今では安全だと考えて間違いがない。勿論数百年でまた沸いてくる可能性はあるんだけどね。

 それに同じ名称の称号も、『:破』とか『:時』という形で出てくるから、取得可能なんだ。ただこれって、僕がほら、ぼっちだからさ、ひっそりとみんなのこと知りたくて作っただけだから、他の人は見られないかも知れないんだよね。キモいよね、僕……。

 まずは、≪ヴァレン≫から、確認してみた。
 ええと。

「≪総合世界神称号――花雪神:堕を入手しました(使用済み)≫」
「≪総合世界神称号――光雪神:堕を入手しました(使用済み)≫」
「≪総合世界神称号――焔華神:堕を入手しました(使用済み)≫」
「≪総合世界神称号――風華神:堕を入手しました(使用済み)≫」
「≪総合世界神称号――雷華神:堕を入手しました(使用済み)≫」
「≪総合世界神称号――流血神:堕を入手しました(使用済み)≫」
「≪総合世界神称号――凍血神:堕を入手しました(使用済み)≫」
「≪総合世界神称号――槍血神:堕を入手しました(使用済み)≫」
「≪総合世界神称号――水鏡神:堕を入手しました(使用済み)≫」
「≪総合世界神称号――水狂神:堕を入手しました(使用済み)≫」

 あー……きっちり、ナントカ連合に加盟する最低条件の称号を集め終わってるよ。
 しかも、雪縛り、花縛り、血縛り、水縛り、で、名前縛りしてるみたい。
 これはもしかすると、僕が難しく考えすぎだったのかも知れない。

 今僕はSSSランク(確定)だけど、Sランクの≪世界敵≫なら単発攻撃が効くし、集団で居るからS扱いされている場合もあるから、その単発攻撃か範囲攻撃のどちらか一発で倒せる相手なら、直ぐに十個くらい集まる気がする。

 そういえば、≪ヴァレン≫――ヴァレンタインは、堕聖人とかって言う神様だったなぁ。
(使用済み)というのは、確か、連合に加盟する時などに使用して、持っていることを周囲に知らせる役割をしていた気がする。詳しくは聞いてないから忘れちゃった。

 そんな事を考えながら、次に≪時夜見鶏≫の称号を確認してみることにした。

「≪総合世界神称号――最強神:時を入手しました(未使用)≫」

 懐かしいなぁ、コレは一緒に取ったんだよね。

「≪総合世界神称号――殲滅神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――闘神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――救世神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――滅狂神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――破壊神:時を入手しました(未使用)≫」

 この辺は確か、お昼寝してたら手に入れたんだっけ?
 と言うことは全部同じ場所に出たんだろうから、デート先としては却下だよね。

「≪総合世界神称号――月光神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――太陽神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――大地神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――時空神:時を入手しました(未使用)≫」

 ん、ここでもう、十個だよ?

 ああでも、時夜見鶏の世界はHPって言葉パクられてるけど、他の世界と交流無いんだった。入る資格十分なのに、それで入ってないのかな? だけど、使用は出来るよね。何で全部、未使用なんだろう?

「≪総合世界神称号――凍氷神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――花雪神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――常闇神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――光雪神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――酒酔神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――聖神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――邪悪神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――最凶神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――愛神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――焔華神:時を入手しました(未使用)≫」

 え……20個? 20個!? コミュ障の僕が聞いたこと無いだけかも知れないけど、この数って、前人(神)未踏なんじゃないのかなぁ……?

「≪総合世界神称号――風華神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――雷華神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――樹根神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――世界神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――軍鬼神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――流血神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――凍血神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――槍血神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――螺旋神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――水鏡神:時を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――水狂神:時を入手しました(未使用)≫」

 さ、30個……? いやいやいや、これ、おかしいよね?
 しかも全部未使用って……。ダメだ、コレじゃぁデート先の参考にならないよ!

「≪総合世界神称号――軍神:時を入手しました≫」
「≪総合世界神称号――深緑神:時を入手しました≫」


 計32個も取得していた時夜見鶏の事を考えて、どれだけお昼寝していたんだろうと僕は思った。だってさ、未使用って事は、使う気無いみたいだし。前に、ゴミとか言ってたしさぁ。ダメだ、こうなったら、自分で探しに行くしかないよ。ううう。

 ちなみに僕は、≪ヴァレン≫に頼まれた(?)10個と、たまたま取得した2個と、時夜見鶏と一緒に取った1個で、現在計13個持ってるんだ。

 家事の合間にちょいちょいね。ただほとんど、時夜見鶏は、それら全てを重複して持ってるよ。すごいなぁ。ええと、僕のはね、

「≪総合世界神称号――最強神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――破壊神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――凍氷神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――常闇神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――邪悪神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――最凶神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――焔華神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――軍鬼神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――流血神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――凍血神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――螺旋神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――水狂神:破を入手しました(未使用)≫」
「≪総合世界神称号――軍神:破を入手しました(未使用)≫」

 で、13個。

 ≪ヴァレン≫が、本当に僕のことを誘ってくれているんだったら、使用しようと思ってるんだ。そんな事を考えながら、洗濯物を干していた時のことだった。

「≪ひっさしぶりー、ジャック!≫」

 唐突に≪ヴァレン≫から、連絡が着たのだ。

「≪おう! どうしたんだ?≫」
「≪まず、あれ、この前の『SSランク宇宙敵:シルバァオクトパス』さぁ、急だったのに有難うね。&SSSランク(確定)おめでとう!≫」

 この前……随分前である気もするが、神様の時間感覚なんてこんなものなんだ。

「≪ああ、あれな。全然余裕だったぜ。ま、”時夜見鶏”が、いたからな≫」

 そこで、僕は勇気を出して言ってみる事にした。かなり勇気を出したんだ。

「≪直ぐに来てくれたんだよ、友達だからさ≫」

 友達……友達!!
 良いよね、本人聞いてないしさ、僕がそう思ってるだけかも知れないけどさ。

「≪僕も駆けつけてくれた、ジャックって言う友達がいて本当に助かったよ≫」
「≪っ≫」

 ヴァレンの何気ない言葉に目を見開いた。
 ヴァレンも、僕のこと、友達だと思ってくれてるのかな?

「≪ま、まぁな。友達の頼みなら、断んねぇよ、俺!≫」
「≪本当、有難うね!! 今度お礼するよ!≫」
「≪別に、気にすんなよ。と……友達だろ?≫」

 声が震えてしまいそうになった。脳内通話だというのに。

「≪まぁ、いっつも忙しそうだから、中々誘えないんだよねぇ。でも聞いたよぉ、時夜見鶏とは飲み行ったんでしょ? 僕とも行ってよ、たまにはさぁ≫」

 え、え、え!? これって僕、も、もしかして、誘っても良いのかなぁ? いやだけど、社交辞令かも知れないし……うわあああ、わかんないよ、僕。

「≪後さぁ、『総合世界神称号』どのくらい溜まった?≫」
「≪13個≫」
「≪え!? 本当!? 僕なんてやっと昨日10個になったんだよ……さっすがぁ≫」

 だって別に僕、名前縛りとかしてないもん。

「≪今ね、10個以上なのが、10個の僕と、11個の『レイヴァルダ元帥』と、12個のリーディア世界の前の代の創世神の『ラウエル』と、同じく12個のフェルダー世界の商人神の『スカイフェルド』だけなんだよね。13個なら、君が一番じゃん!!≫」
「≪いやでも、時夜見、多分『32個』とかだぞ≫」
「≪ぶ≫」

 吹き出したのが、≪紋章≫で通話しているにも関わらず、僕にも分かった。

「≪ま、まぁ、でも”時夜見鶏”の異世界ヴァミューダって、上位世界と関係持ってないじゃん? 君しか知り合いいないしさぁ。誘いづらいし、この連合のこと知らないじゃん≫」
「≪まぁなぁ≫」
「≪だから、とりあえず、君と僕と、元帥とラウエルと商人の五人で始めようかと思って。この後TOPとか作るにしても、一応『桜花5将軍』って形でさ≫」

 第一の感想は、変な名前だなぁ、だった。
 次の感想は、僕なんかで良いのだろうか、って言うものだった。

「≪じゃあ、よろしくね≫」
「≪へ?≫」
「≪ジャックは戦うのメインで良いからさぁ。他の雑務はとりあえずこっちでやっとくから。一応第一回会議は千年後ね。近くなったら、また連絡するよ≫」
「≪え、あ≫」

 しかし詳細を聞いたり、断ろうとする前に、通話は途切れてしまった。
 どうしよう……?

 確かに三十年に一回くらいしか勇者は来ないから僕は暇なんだ。
 暇なんだよ?

 それに最悪そっちは、≪偽装紋≫で、しばらくの間は幻想を見せて、途中で入れ替われるんだけど……だけどさぁ……え?

 洗濯物を干し終わるまでの間、僕は暫し考えた。

 もしかして、僕にも、役に立てることがあるんだろうか。勇者の相手をして殺されるフリをする以外に……?

 そう思えば嬉しさがこみ上げてくるし、≪世界敵≫の相手はそんなに嫌いじゃない。いつか、ヒューズは、僕が戦うのが好きなんだろうなんて言っていたけれど。

 実はさ、死にたいだとか、苦しいだとか、消えたいだとか、そう言う思いを外部の敵に対して昇華していただけなんだ。もしも≪モンスター≫がいなかったら、恐らく僕は、自分自身を傷つけている気がする。

 だってさ、だってさ、時夜見鶏と初めて戦った時に、血を見て安堵したんだよ、僕。なら、自分の血が見たいんなら、半分くらい首を切ってみたらいいじゃん?

 きっと沢山血が出ると思う。そうしないただ一つの理由は、僕が痛いのが嫌いだって言う、それだけなんだ。

 だけど――考えてみたら、最近の僕は、そんなに死にたい……というか、リセットしたいと思わなくなった。多分それは、側にヒューズがいてくれるからなんだと思う。

 ナントカ連合に入ったら、もっとヒューズを守れるかな? 役に立てるのかな?

 そんな事を考えている内に洗濯物を干し終わり、僕はヒューズがゴロゴロしているリビングへと戻った。そこでは、彼が、僕がさっき揚げたドーナツを食べている。

「……あの」

 連合のことを話してみた方が良いのだろうか? ≪ヴァレン≫の事も、友達だって言ってみた方が良いのかな? グルグルと悩む思考に答えが出ない。

「なんだ?」

 すると立ち上がり、ヒューズが僕の正面に立った。
 だから僕は、精一杯の笑顔を浮かべて、ニッと笑ってみた。

「あのな、いろんな世界の上位にある世界で、統一機関を作るんだって。それって、称号を十個以上持ってる人しか入れないんだって。俺さぁ十三個も持ってるから、と、友達に誘われてさ、入ろっかなぁ、なんて……」

 明るい声で伝えたはずだったんだけど、なんだか少し震えてしまった。

「入って、何をするんだ? まさか、怪我をするような仕事じゃないんだろうな?」

 ヒューズの声が少しだけ険しいものに変わった気がする。

 基本的には、≪宇宙敵≫退治だし、≪ヴァレン≫が僕には戦えって言ってたから、怪我だってするとは思うんだ。

 だから、なんとなく、理由は分からないけど、普段ふらっと戦いに行くのとは違って、真面目にヒューズに話しをしておかなきゃならない気がしたんだ。

 ヒューズが僕のことをそんなに気にしていないかも知れないし、心配なんてしてくれないかも知れないとしても、僕が話したかったんだ。

「世界を救う仕事なんだ」

 僕がそう言うと、ヒューズが息を飲んだ。

「ほらさ、これで、俺も勇者に一歩近づけるかも知れないだろ? まぁ、怪我をすることもあるかも知れないけどさ」

 頑張って僕は笑った。

「ヒューズのことを守りたい、この世界を守りたい、その為の期間なんだ。それに、友達が作った機関なんだ。助けにもなりたい」
「時夜見鶏か?」
「ううん。ヴァレン――ヴァレンタインっていう、もっと前からの、と、友達」
「……どうしてもやりたいのか?」
「うん。俺だってさ、旦那様っぽいこと、一つくらいしたい」
「ッ、の、馬鹿!」
「え」
「勇者になりたいって言うんなら、俺は応援する。けどな、けどな、俺が居る世界がいくら続いても、そこにお前が居なきゃ、何の意味もないんだぞ。それに、お前は居てくれるだけで充分なんだぞ”旦那様”」
「ヒューズ……」
「どうしてもやるって言うんなら、俺は止めない。お前がやりたいことならな。ただ、一つだけ約束しろ。絶対、絶対、どんな怪我をしても、此処に帰ってこい」

 そう言うと、ヒューズが僕のことを抱きしめてくれた。
 その温もりが嬉しくて、僕は顔を埋めた。

「うん、うん。分かった。必ず――……帰ってくるから」

 まさかそれが破壊神である僕が、ヒューズと話す最後になるだなんて、この時は、考えても居なかったのだった。



 ある日、『総合統一神世界連合』の仕事を終え、僕は帰宅した。

 2000年くらい討伐にかかり、本当はその場で意識を失いそうになるほど、僕は失血していた。何度も口から血を吐いて、肺に突き刺さり、胸からも飛び出した肋骨が、痛みを教える。――帰らなきゃ。

 だが、僕はそれだけを考えていた。

 その時は、SSSランク(+)の敵が数十体出ていたのだが、時夜見鶏に声をかけようと思っても、弱り切っているのが気配で分かったから、そうはできなかった。
だってあいつは――……僕の友達だからだ。

「っ、く」

 玄関に入るなり、灰色の床に吐血して、僕は倒れ込むようにしゃがんだ。
 血が喉をせり上がってくる。止まらない。

 だけど、だけど、ヒューズに帰ってくると約束したから。
 それだけを、曖昧模糊とした意識の中で、僕は覚えていた。

 そして。

 誰もいない気配に苦笑しながら靴を脱いで(この世界では、室内に上がる時に靴を脱ぐのだ)、リビングへと向かった。電気を付けると、テーブルの上には、一冊の分厚い本と、紙の切れ端が置いてあった。

 片方は、人間の神話を綴った本だった、
 開かれていた頁を見て、僕は眼を細めた。

『≪――人の神:ヒューズは、無事に勇者に助け出されて、天空の神界へと戻った≫』

 ああ、そう言えば、ここのところ忙しすぎて、と言うよりも余裕がなさ過ぎて、勇者の来訪に気がついても、戻ってこられないで居た。全て≪偽装紋≫で対処していた。

 あの≪偽装紋≫は、30撃喰らうと、自動的に死んだふりをすることになっていたはずだ。

 その記述がいつ書かれた物か確認すると、約1500年程前の物だった。
 続く行には、≪――破壊神は死に、もう人々を襲う事は無くなった≫と書いてあった。

 再び僕が吐いた血が、その本を濡らした。そうか――僕はもう、死んだ事になっているのか。悪役から解放されたのだろうか?

 それから、一番新しい頁を捲り、現在の状況を確認する。

『――≪魔王の復活により、破壊神の手などで、人々は恐怖のどん底に突き落とされた。魔王は無理に”人の神”を娶った≫』

 前後の頁を捲っても、もう何処にも≪破壊神≫に無理矢理嫁いだ、ヒューズの名前はない。

 深々と目を伏せ、この2000年の間、一度も連絡を取らなかったことを思いだした。
 他に机に置かれた紙片を見ると、『神界に帰るbyヒューズ』と、だけ書いてあった。
 つまり今はもう、ヒューズは僕はじゃなくて、≪魔王≫のお嫁さんって事なんだろう。

 こうしてまた、僕は一人になった。

 やはり、やはりだ。考えても見れば、ジャックほどの綺麗で優しい神が、僕なんかを相手にしてくれるなんて、初めからおかしかったんだ。

 怪我をして帰ってきたら、また抱きしめてくれるんじゃないか何て思っていた僕が、おこがましかったんだ。溶けきっていない味噌汁の味も、今となっては何もかもが愛おしくて、懐かしい。

 気づくと僕は、泣くのではなく、笑っていた。嗤っていた。
 本当はやっぱり、やっぱり、ヒューズは義務として此処にいたんだと思う。

 好きだ、何てそんなの、優しい戯言だったんだ。それを真に受けて、喜んで、デート先なんか探していた僕は、きっと滑稽だったに違いない。結局、一度も何処にも連れて行ってあげられなかったのだけれど。

 何度も笑ったのに、僕の口から漏れるのは血液で、目から流れるのは温水だった。
 呼吸するのが苦しくて、ゼェゼェと音とがした。

 ――それでも、会いたかった。一目で良いから、会いたかった。

 なのに僕にはもう、そんな資格なんて無いんだ。

 怪我とは違う疼きが、胸から広がり全身を覆っていく。吐き気がした、だけど多分それは、怪我による物ではなくて、自分自身への嫌悪のためだった。

 そのまま、失った血の量が多すぎたのか、机に突っ伏していた体が、いつの間にか床へと打ち付けられた。そのまま僕は、意識を落としたようだった。


 まぁ、でも。

 何億年も一人でいた僕だ。

 すぐに一人きりの生活には慣れたし、一通り掃除をしてからは、家はそのままに、また一人宙に浮いていることにした。そもそも、僕なんかが家や家庭を持てるだなんて、そんなの幸せすぎることだったのだろうし、甘い幻想だったのだ。

 時折やってくる勇者に殺されたフリをしながら、僕はいつも空を見上げていた。

 雨の日もあれば、雪の日もあるが、僕が一番好きなのは青空のはずだった――昔は。
 だけど今の僕は、夜が好きだ。

 どちらかと言えば時夜見鶏の瞳の方が似て居るんだろうけど、あの暗い色を見ていると、ヒューズのことが思い出せたから。

 時折は、『総合統一神世界連合』の仕事として、今も≪宇宙敵≫の退治に出かける。
 それは、前よりも頻度が増えたかも知れない。

 最近は称号でもなく、元々の名前からでもなく、僕は『破壊神』と呼ばれることが増えてきた。無理に与えられた五将軍の仕事としては、上位世界に影響を与えるほどの強い敵が出た場合に介入して、それを破壊する仕事をしている。


 ――時夜見鶏が死んだ事を認識したのは、そんな時のことだった。


 慌てて異世界ヴァミューダの光景を≪映像紋≫で出現させると、そこには、

「≪闇焔夜ファイアーナイト≫」

 残響として、そんな時夜見鶏の声が聞こえた。
 その時アイツは、華奢な不思議な着物を着た青年(神)の前に立っていた。

 庇うように、そうしながら、あの世界で言う≪邪魔獣モンスター≫から伸びた木の枝が、時夜見鶏の上半身を潰すように締め上げていた。

 枝が、左の手首を締め上げて、ねじ切れた手がそのまま地に落ちた。
 人型を取ってはいるが、それは紛れもなく時夜見鶏の本体だと分かった。

「死んじゃ駄目だよ」

 庇われた青年が、そう告げて抱きしめている。
 だが青年の腕の合間から、泡のように光が宙へと向かって昇っていく。

 僕が死を関知した以上、もう――助からない。なお言えば、死んでいる。
 光るようにしながら、時夜見鶏の体が消えようとしていた。
 ああ、確実に消滅する光景だ。

 気づけば、≪映像紋≫越しに僕は、口を掌で覆っていた。

「命令だよ、これは、命令だ。死なないで」

 土の上に落ちている時夜見鶏の左手を、淡々と脳裏に走る映像で、僕は眺めていた。
 消え行く時夜見の口元から血が滴っているのが分かる。

「どうして、どうして!? なんで僕なんか助けたの? そんな命令、してないのに」

 その時、泣き叫ぶように青年が言った。

 相手を見る限り、そして時夜見鶏が一撃で倒せた通り、SSSランクであれば直ぐに倒せる≪邪魔獣モンスター≫にすぎないのに……その枝に突き抜かれているだけで、消えゆく体。

 あれは、僕が数千年前に関知した時のまま、いまだに体力が戻っていないのだろうと直ぐに分かった。

 気づけば思わず目を見開いていた。
 信じられなかったからだ。


 直後だった。

「今日は、魔法薬をもう飲んだのか?」

 時間軸にはそれ程変化がないというのに、先ほどまでには聞いたことのない言葉が、僕の耳に入ってきた。

 ――何が起きた?

 困惑しながらも、気配で、まだ時夜見鶏が生きていることを僕は悟った。

「さすがに、聖龍様の記憶は、消せないか。巻き戻す時は、記憶を消せる魔法も、大抵の相手には使えるんですけどね。僕が記憶消去の魔法を使う事を、忘れてさえいなければ」

 先ほど庇われていた青年の声に、僕は息を飲んだ。
 ――これは……世界を、巻き戻したと言うことなのだろう。

 時夜見鶏が死ぬ前の世界に。それも、多くの神々の動きや記憶操作まで行っている。

 そんな技、SSSランクの人間が自分の世界で行うにしても、かなりの労力を使う。
 各世界の、規則ルールや力として存在するとしても、難易度が高いはずだ。

「少し、席を外します」
「――基本的には、いくら巻き戻したとしても、この世の理は変わらない」
「だけどそれは、きっと今じゃ無くなるし……時夜見が僕を守ったりしないでしょう?
きっとさっきのは、僕が無意識に、僕を守れって服従の指輪で命令させたんだと思うから」

 僕の眼前で響く二人の光景から、推測していく。
 恐らく先ほど庇われた青年は、時夜見鶏が好きだと言っていた、朝蝶さんだ。
 もう一人は恐らく、この世界の最高神だろう。

 どうなるのだろうか――そんな思いが半分と、時夜見鶏には死んで欲しくないという思いが半分だった。基本的に、既に死んでしまった物を、消滅してしまった物を、修復するのは、大変困難だ。

 その上、先ほど見た限り、相手は、≪世界樹≫に纏わる物だ。各世界の≪世界樹≫関連の物には、基本的に、他の世界から干渉することは出来ない。

 干渉した場合、ヴァミューダで言うところのHPやMPが通常時の3倍のペースで削られる。僕が今から出向いたところで、時夜見鶏が助かる保証は何処にも無い、何処にも無かった。

「戻りました」

 そんな事を考えていた時、朝蝶さんらしき青年が戻ってきた。

「何をしてきたんだ?」
「幸せな……少なくとも、僕にとっては幸せな結末を、作ってきました」
「二人で末永く一緒に暮らしました――が、終わりだろ?」

 その言葉に、僕は苦しくなった。僕も、そんな未来が欲しかったから。
 もう僕には手に入らない代物だけれど。

「聖龍様、人間界に毒されてますよ」

 喉で笑った青年を見ていたら――ああ、時夜見鶏は、本当に愛されていたんだなぁと思った。率直に言えば、凄く羨ましい。

 その直ぐ後に、再び戦いは始まった。
 時夜見鶏の姿は、そこにはない。
 恐らく時夜見の死を回避するために、朝蝶さんが置いてきたのだろう。

 なにせ、僕の持つ≪関知紋≫にも、まだ、時夜見鶏の死は表示されていないのだから、このまま助かる可能性がある。だが――僕は、時夜見鶏の立場で考えた。

 有り得ないことだろうけれど、ヒューズがそんな選択をしたら、僕はきっと泣きくれる。それは自分が消滅してしまう事よりもずっと辛い。このままならば、恐らく朝蝶さんが、死んでしまうからだ。僕はそんな悔恨を背負って等、生きてはいけない。

 ≪映像紋≫を通して見守っていると、≪新たな世界樹≫と呼ばれる≪世界樹≫に関わる物が二匹出現した。≪邪魔獣モンスター≫だ。先ほど時夜見を根で貫き、爪で抉ろうとした相手。

 息を飲んで僕は、朝蝶さんを見守っていた。
 先ほど時夜見鶏が庇ったのだろう光景までの戦闘行為は、ほぼ同じだったのだと思う。

 だが――……朝蝶さんは、笑っていた。微笑んでいた。あのはにかむような笑顔、優しげな瞳、それらを見て、ああ、時夜見のことをこの人は本当に好きだったんだなと確信した。

 朝蝶さんが微笑したまま、静かに目を伏せた。

 ヒューズとは全然似ていないのに、ヒューズが昔僕のことを、似たような瞳で見てくれたことがある。せめてあの頃だけは、本当にヒューズが僕のことを、ちょっとだけかも知れないけど、好きでいてくれたんなら良かったと、今でもよく思うから。

 その時だった。

 朝蝶さんのすぐ正面に≪邪魔獣モンスター≫で爪が振りかぶられた瞬間。
 彼は息を飲み、伏せていた瞼を静かに開いた。

 そして目を見開いた。

 朝蝶さんの隣に魔法で転移したようで、≪闇焔夜ファイアーナイト≫の声が残響してくる。

 攻撃を放ったのとほぼ同時に、時夜見鶏は両腕で、正面から愛する人を抱きしめていた。
 やっぱり、好きだったんじゃないかだなんて、場違いなのに苦笑してしまう。

「――……! 時夜見……? 時夜見! どうして」

 驚いたような声が、震えていた。

 ≪邪魔獣モンスター≫の紅い血が、時夜見鶏にかかり、衣服も体も汚していく。木の根で彼は貫かれていた。最初の時とは異なるが、死にゆくことは、見ていて分かった。

 致命傷になる箇所を貫かれた時夜見鶏は、形を保つのが精一杯の様子で――再び消滅しようとしていた。

「命令したのに……っ、え、なんで? なんで、指輪、してないの?」

 涙の混じった朝蝶さんの声が響いてくる。

「時夜見、ねぇ……なんで、なんで、僕なんか庇うの?」

 今度は朝蝶さんが呟いた。何で庇ったかなんて、それこそ人付き合いが薄くて、人の気持ちなんて全然想像も出来ない僕だって分かる。分かるよ。きっと、ヒューズがそんな状況になったら、僕だって同じ事をした。例え向こうが僕の事なんて好きじゃなかったとしても。

「それは――俺が世界で一番お前のことが大好きで、お前を愛してるからだろ?」

 最後に響いた時夜見鶏の声に、苦しくなって僕は目を伏せた。
 ボロボロと涙が零れていくのが止められない。

 これが最後?

 これが僕の、初めて出来た友達の最後なの?
 どうして、どうして、こんなことになったの?

 もう訳が分からなくて、僕は≪映像紋≫の前で嗚咽した。堪えられなかった。体が震え、指先の感覚を失ってしまったようだった。息をするのが苦しい。

 消え行く友達の最後の姿を、それでもはっきりと目に焼き付けようと、僕は涙を拭って正面を見据えた。その時のことだった。

「今日は、魔法薬をもう飲んだのか?」

 先ほども響いた、恐らくはこの世界の最高神の言葉に、僕は目を見開いた。
 しかし時間軸には、今度は変化があった。

 記憶こそ、最高神以外の記憶の中から時夜見鶏の死の記憶が消去されているようだったが、今度の時間軸は、≪邪魔獣モンスター≫に襲われる直ぐ側になっていた。

 恐らくは――三回目の巻き戻しだから、最早、長く巻き戻すことが出来なかったのだろう。死の記憶消去と巻き戻しは、同じくらいに高難易度の”力”だ。恐らく、もう次は無い。

 僕は息を飲んだ。
 まだ――それでもまだ、時夜見鶏は、生きている。

 もうどうしようもない事だなんて、朝蝶さんだって、最高神だって分かっているはずだ。ただ、ただそれでも、時夜見鶏にどうしても死んで欲しくなくて、あがいているだけのはずだ。

 きっと打開策なんて、もう無いだろう。あったとしても、実行している時間があるのかな? 少なくと僕には無理に思える。それでも、それでも、まだ時夜見鶏は、僕の友人は生きているんだ。

 まずは、冷静になろう。

 神々の記憶ごと消去しての巻き戻しなんて、仮に出来たとしても状況的に三回――要するに後は今回が限度だろう。

 一回目も二回目も庇って、時夜見鶏は死んでいる。

 だけどその直前には、それなりの威力の攻撃を放っている。
 恐らく二度目なんて、転移した段階で、それなりにMPを消費しているはずなのに。

 だが、普段ならば、あの程度の敵には、攻撃されても死なないし、恐らくは当たりもしないだろう。本当に弱ってるんだ。

 僕はたった一人の友達のことを考えた。
 あんなのに殺されて……消滅させられる?

 そんなのは――嫌だった。
 だとすれば、僕に今できる選択肢は一つだけだ。

 もう嫌われようが、友達じゃなくなろうが、そんな事はどうでも良い。そもそも僕は悪役なんだから、嫌われることには慣れているじゃないか。

 僕も、僕は、あいつに、生きていて欲しいんだ。

 僕は破壊神だ。
 だから――だから、コイツが消滅する未来を破壊する事にした。

「≪ロンギヌスの槍≫!!」

 僕が≪移動≫し、持っている一撃必殺の技で、光で出来た矢を振るい≪邪魔獣モンスター≫を突き刺すと、辺りに黄緑色の体液が散った。咆哮する直前に、爪が振るわれる直前には≪敵≫は死んだ。

 見れば、朝蝶さんとやらの腕の中で、時夜見鶏は意識を失っている。

 二回目同様、転移してきたんだろう。だが、庇って死ぬ前に、僕が≪邪魔獣モンスター≫を倒した。僕は肩と左足が根に裂かれ、腹部を爪で抉られたが、前回の≪世界敵≫との戦いの後は、回復に専念していたからまだ余裕がある。

 相手が別の世界の≪世界樹≫関連であっても、コレでも僕は一応SSSランクなんだよ? HPとMPが半分以下まで削られたけどさ、まだ余裕で生きているんだからね!! なんか、こんな風に思うのも、死にたかったはずだから、凄く不思議なんだけどさ。

 それから時夜見鶏を一瞥した。
 ――ああ、まだ、生きている。

 その後、≪紋章≫を出現させて、完全に生きていることを確認した。
 恐らく転移で力を使い切ったのだろうが、消滅するほどの体力減少も致命傷も無い。

 安堵したのと同時に、僕が此処にいる理由をきっちりと作って、上位世界の整合性を保たなければならないと一人思い出した。

「あーあー、折角暇だから、時夜見鶏を殺しに来たのに、その様子じゃ楽勝だな」

 僕がそう言って、わざと哄笑して見せた時、時夜見鶏の体を隣の木に預けて、朝蝶さんが立ち上がった。

 時夜見鶏には、恐らくこの世界の最高神が歩み寄り、気を充満させている。両者からの圧倒的な威圧感に、思わず唾液を嚥下しそうになるが、僕は堪えた。

「お前で俺に勝てるのか? まぁ良いか、時夜見鶏を殺す前に遊んでやるよ」

 一撃喰らって、僕は、「まだまだ、だな」とか言って消える(立ち去る)予定だった。
 そういうのは、対勇者対策で慣れてたからね。

「≪空日蝕アポカリプス≫」

 淡々と朝蝶さんが呟いた。

 瞬間、空も視界も何もかもが真っ白になり、気づくと僕は日蝕のようにキラキラした鱗粉の中にいた。ヤバイコレ、本気で――……悪くすると、≪世界樹≫関連の≪邪魔獣モンスター≫のせいでそれなりに消耗している僕が消滅する!

 意を決して僕は、そのまま別世界へと移動した。

 あれは本気で来た場合、恐らく時夜見鶏が元気で人間界の器を使っているレベルには、強い。あの世界を作った創造神は、単なる面食いじゃなくて、戦闘狂だったのかもしれない。

 そんな事を考えながら、HPが150を切ってしまった僕は、溜息をついた。

 他の異世界で、創造神が既にいる場所では、≪世界樹≫は共通として、通行手形を持っていない場合に攻撃を受けた際は、HPにしろMPにしろ、≪宇宙敵≫しかいない世界よりも、多大なダメージを被るのだ。

「覚悟しろ、破壊神!!」

 その時、嫌な声が響き渡った。
 見ると、勇者ご一行様がいた。

 やばい、まずい、今は確実に、攻撃されたら数発で死ぬし、疲れ切っている僕がどの程度攻撃を避けられるか分からないし、こちらから攻撃する余力なんてもう無い。

 いつも浮かんでいる宙とも異なり、今僕は、地の上に立っている。

 目の前に迫り来る白刃の剣。
 それが突き刺さり、脇腹から血が流れてきたのが分かる。
 ああ――もう一回くらい、時夜見鶏と酒が飲みたかった。

 そして、アイツの初回や二回目みたいに恋人の腕の中で意識を失い――消えたかったな。
今となっては、ヒューズが本当に恋人になってくれていたのかすら分からないけどね。

 首を横に切り離されようとしているのが分かる。
 自身の血が、僕の頬へと跳んでくる。
 だが僕には、まだ最後の仕事が残っていた。

「……さすがは勇者だ。この俺を倒すとはな」

 そう笑って告げて、うつぶせに倒れた僕の背には、まるで地に縫いつけるかのように、勇者の剣が突き刺さった。

 僕の破壊神としての一生は、そこで終焉を迎えた。

 ――まぁ良いか。友達を救って死ぬなんて、それこそ”勇者”みたいだからな。

 僕はあこがれの勇者に、一歩近づけたかな?
 そう思え苦笑が浮かんできて、土の味を感じながら、僕の意識は闇に飲まれた。





 目が醒めた時、僕は白い天井を眺めていた。

「ク……ジャック……ジャック!?」

 声のした方に首を向けようとしたのに、気怠くてそれが出来ない。

 だが、誰の声かは直ぐに分かった。何せ、ずっとずっと聞きたくて仕方がなかった声なのだから。緩慢に瞳だけを向けると、そこには涙ぐんでいるヒューズの姿があった。

「?」

 何がどうしてこうなったのだろう?
 というか、此処は一体何処なのだろう?
 大体何で此処にヒューズはいるのだろう?

 分からないことだらけだったが、ずっと見たかった顔がそこにあったから、思わず笑ってしまった。

「意識が戻ったんだな!?」

 声を出すのが億劫だったから、ぼんやりとした眼差しのまま、僕は何度か頷いた。

「一体俺をどれだけ心配させれば気が済むんだよ!!」
「?」

 何の話しかいまいちよく分からない。

「――何処まで覚えているんだ?」

 すると不安そうな声で、ヒューズが俺の両頬に手を添えた。

「っ、ぁ……く、み、水」

 喉が酷く渇いていた。喋るのが、それで苦痛だったのかな。
 僕の言葉に、ヒューズがペットボトルを手渡してくれたのだが、取り落としてしまう。

「んァ」

 すると何故なのか、口うつしで飲ませてくれた。
 恥ずかしくなって、布団を被りたくなったが、だるい体ではそれが出来ない。

「……えっと……ちょっと強い≪世界敵≫を倒したんだ。時夜見が怪我してたから、頼れなくて、2000年くらいかかって……」
「それから?」
「帰ったら神話が変わってたから、もうヒューズは俺の所にいなくて良くなったんだよな?」
「馬鹿。本当に馬鹿だよ、お前。俺、は! お前に迎えに来て欲しくて、会いに来て欲しかったのに。来ないし!!」
「だって……ヒューズ、もう俺に会う必要も、優しくしてくれる必要も無かっただろ?」
「何でそんな事言うんだよッ、んとに、馬鹿!! 俺達恋人じゃなかったのかよ!?」
「……神話変わっちゃったら、ヒューズ、無理に俺なんかと……」
「いつ俺が無理にお前の側にいるなんて言った!?」
「だって俺が無理矢理娶った事になってた……」
「馬鹿馬鹿馬鹿!! で? その後は?」

 なんだかヒューズが怒っていたけど、ぼんやりとした思考が、考えることを拒否していた。

「仕事して、後は空中に浮かんでて……そしたら、時夜見が死んじゃって、だけど、死なないように……っ、ぁ、み、水」

 咳き込んでからそう言うと、またヒューズが口うつしで飲ませてくれた。

 その柔らかな感触が懐かしくて、嬉しくて、僕は泣いてしまった。笑いながら泣いてしまった。ただの医療行為だって分かってるのに。

「何で泣くんだよ? そんなに時夜見鶏が大切なのか?」
「大切だけど、けど、ヒューズとキスしてるみたいで嬉しくて……ごめんな、キモくて」
「お前本気で馬鹿だよ!!」

 そう言うと、ヒューズはもう水を口に含んでいないのに、また僕の唇に触れた。

「ン」

 そのまま舌が入ってきて、僕の舌を絡め取る。
 息苦しくなって、体が震えた。

 意識を失いそうになって、ぐったりと布団に体を預けて、目を伏せた。
 睫が震えた気がする。

「あ、悪い、大丈夫か!?」
「え、あ……ん……っ、!!」

 苦しくなって、僕はまた咳き込んだ。

「時夜見鶏を助けた後どうなったかは?」
「悪役やったよ……だって、そうしなきゃ、上位世界の恒常性が保てないし、僕があそこにいた理由もないし」
「それで?」
「帰ってきて、勇者に殺されたんだ……! そ、そうだよ、僕、あ嫌、俺、殺されたのに、何で!?」
「お前さ、ジャック。ちゃんと俺が置いてった神話読んだの?」
「魔王が復活して、破壊神の手で街が荒廃って奴だろ?」
「お前はもう破壊神じゃないから、アレじゃあ死なないんだよ」
「へ?」
「これまで魔王が生まれなかった理由もそうだけどな、お前が一番強いから、お前が≪魔王≫なんだよ。お前本人は気づいてなかったみたいだけど」
「……? じゃあ、破壊神は?」
「両方お前なんだよ」
「え?」
「つまり、ジャックは≪破壊神≫として死んでも、≪魔王≫だから、勇者に≪魔王≫が倒されない限り生きてるんだよ。それも今回の神話では、きっちり名前が出なくなっただろ? だから……≪魔王:ジャックロフト≫これからは、そう名乗ればいい。≪破壊神≫は娯楽でやりながらな」

 つまりじゃあ僕、≪破壊神≫として、もう二度とヒューズと話せないと思っていたけど、今は≪魔王≫だから、こうやって話していても良いのかな? 聞いてみたいけど、否定が返ってきたら怖い。

「……だから、だから俺はな、今でもジャック。お前のお嫁さんなんだよ」
「本当に?」
「ああ。お前が迎えに来てくれないもんだから、やきもきしてたんだ。――愛してる、ジャック。今も昔も」

 その言葉に、僕は苦笑しながら、泣いてしまった。我ながら、格好悪い。

「仕事のせいで帰ってこられないのは分かる。でもな、連絡の一つも寄越せよ、馬鹿」
「ごめん……」
「俺が、俺が、どれだけ心配したと思ってるんだよ!!」
「ごめん」
「今度こそ異世界にデートに連れて行ってくれよ」
「うん、うん。それは、さ。探してたんだよ」
「本当に?」
「ああ。それに、時夜見にも、≪ヴァレン≫っていう、長い付き合いだけど、最近友達だって分かった奴にも、他の同僚にも、会わせたい。会って欲しいんだ」
涙をこぼしながら僕がそう言うと、嘆息したヒューズがそれから苦笑した。
「もう会った」
「……は?」

 その言葉に驚いて眉を顰めると、ヒューズが肩を竦めた。

「ここは、ヴァミューダの神界の医療塔なんだよ。上位世界でも、一番魔法薬とかって言う医学が進んでる土地なんだ。ヴァレン――ヴァレンタインが、お前の意図を察して、最高神の超越聖龍に連絡を取ってくれて、此処に入院してるんだよ」
「え」
「お前は三年も此処で寝てたんだ。二年と八ヶ月、まぁようするに、ちょっと前に時夜見鶏は、目を覚ました」
「本当か?」
「ああ。だからもう、何も心配はいらない。力が回復したら目覚めるって話しだったんだ」

 そう言うとヒューズが頭を撫でてくれた。

「ジャックがもう少し回復したら、俺達の世界、パルディアに帰ろうな」
「うん」

 嬉しくなって、僕は笑ってしまった。


 ああ、本当は、世界は僕に優しくて、そしてこんなにも綺麗だったんだね。
 単純に僕が、この世界の美しさをきっと見ていなかったんだと思う。
 だって何て滑稽で退屈で愚かな世界なのかだなんて考えていたんだから。

 こんな世界に生まれた自分自身のことを呪ってさえいたんだ。
 だけど今は違う。違うと思うんだ。

 ヒューズが居てくれて、そして僕が居る。友達――だと呼んでも良いのかな、時夜見鶏もヴァレンもいるんだ。

「それと報告が二つある」

 その時僕の思考を打ち切るように、ヒューズが言った。
 何だろうかと顔を上げると、なんだか照れたような顔をしていた。

「良い報告と、更に良い報告のどちらから聞きたい?」

 そんな事を言われたら、普通良い報告で喜んで、その後更に良い報告で喜ぶ方が良いよね?

 だが、今目覚めたばかりの僕に、良い報告?

 魔王になった僕のお嫁さんになったとか……いやもしかすると、それは、ヒューズにとっては、あんまり嬉しくないかも知れないし。一体何だろう?

「え、っと、良い報告からお願いします」
「お前が仕事に、連絡も無しに行くから俺は考えたんだ。お前と一緒に仕事に行けば、良いじゃないかってな」
「へ?」
「と言うことで、≪総合世界神称号≫を十個以上集めた」
「!」

 なんてこったい!

「ダメ、ダメだ、危ないよ!!」
「どうしてだ?」
「心配だもん」
「その心配をコレまで俺にさせてきたのは何処の誰だ?」
「え? さぁ?」

 知らない。僕にはよく分からない。

「お前だ、お前! お前に決まってるだろうが!」
「え、うあ……心配してくれてたのか……」
「あたりまえだろ!!」

 なんだか心配してくれたのは凄く嬉しいが、ヒューズに危ない場所に行って欲しくないんだよ。どうしよう、何て伝えればいいのかな?

「それと、もう一つ」
「え、ああ、うん」

 全然僕にとっては良い報告じゃなかったけど、更にもう一個あるんだよね?

「子供が出来た」

 瞬間、頭が真っ白になった。

「え」
「嬉しくないか……?」
「えええ? ヒューズの子供だよね?」
「ああ」
「一体誰と!?」

 僕は動揺して、動揺したら思わず上半身で起き上がれた。

 気がつけば僕の右手の甲には、針が突き刺さっていて、そこからチューブが一本、謎の機具があって、更にそこから四本チューブが伸びて繋がる点滴が四つあった。

「お前の子に決まってんだろ!」
「は? どうやって出来たの!? そう言う神話が生まれたの!?」
「どうやってって……お前、子供のでき方を知らないのか?」
「うん。だって、大体、創世神二人くらいが、赤ちゃん連れてくるし。両方男神だと、どうなってるのか分からなかったんだ」

 僕がポカンとして目を見開いていると、呆れたような顔でヒューズが溜息をついた。

「まず。パルディアではな、全ての神の中に、”神の卵”が存在する。これは良いな?」
「良くないよ? そうなのか?」
「そうなんだよ!! で、そこに、片方の”神聖力”を注ぎ込む。卵を力が包み込み、絡め取る形だと、学校で習うぞ」
「学校なんて存在するのか!?」
「お前本当に、なんにも神世界のこと知らないんだな……」
「まぁ、おじいちゃんだし……」
「つまりお前の中の”神の卵”を、俺の”神聖力”が包み取ったんだ。絡め取ったが正しいか。いいか、これは、双方が愛し合っていないと、起こらないんだ」
最早、僕にはついて行けないお話しだった。

 なにそれ?

 聞いたことすらない。だが、男神同士で赤ちゃんを連れてくる理由は、よく分かった。つまり、全ての神という事は、男の中にも卵とやらが存在するのだろう。

「神聖力っていうのは、なんだ?」
「まぁ端的に言えば、精液だな」

 端的すぎて、僕は赤面するしかない。なんだと――!?

「この世界とは違い、別にどちらかの力を奪い取る訳じゃなく、必ず赤子として生まれるから心配するな」
「この世界のことも知らないし、お、俺は一体何を心配すれば良いんだ?」
「3000年前後で、卵は出てくる。つまり――俺とお前の子供だ。最後にしたのはその位だな。こちらの医療技術で、お前が卵を宿しているのは確認している」
確かに2000年くらいは戦いに出ていたし、その前後の期間を考えるとその位だ。

「!?」
「それから100年に一歳くらい歳を取っていく」
「???」
「お前の意識が戻らなければ、俺が育てようと思っていたんだけどな」
「ちょ、待って、待って!? 俺がその卵、生むのか!?」
「まぁそうなるな。今日か明日か、と言ったレベルで、そろそろ生まれるから、俺は日参してたんだ。勿論お前が心配で、お前の顔が見たいというのもあったんだが」

 飄々とヒューズは言うが、僕にとっては大問題だ。

「どうやって生まれてくるんだ?」
「腹部、へその辺りから、光となって生まれるそうだ」
「はぁ……? え? えええ? 男同士なのにか?」
「俺の両親も男だ」

 何でもないことのようにヒューズは言う。
 しかし僕はクラクラしてしまった。

「俺との間に子供が出来るのは嫌か?」
「そう言う問題じゃなくて。子育て? 出来るのか!?」

 だって、だってだよ? 家事が全く出来ないヒューズと、最近覚えた僕だよ? 無理があるよね? 子供が可哀想だよ。

「だからしばらくの間は、体調の問題もあるだろうし、お前は仕事を休め。代わりに俺が≪世界敵≫を倒すから」

 そ、そう言う問題なのだろうかと思った瞬間だった。
 パァァァァァっと、俺の下腹部を覆っている布団から光が溢れ出した。

 呆気にとられれていると、ヒューズがそれを捲った。

 すると僕の確かにへその辺りから、巨大な卵が出現しようとしていた。

「う、ンァ」

 全身に震動が走り、僕は辛くなって瞼を伏せる。

「大丈夫か!?」

 僕の肩を抱きながら、ヒューズが言う。やっぱり絶対眼病だよ。間違いないよ。大丈夫に見えるとか奇跡だよ!

 最初は卵の頭の部分が出てきて、次に一番太い真ん中、それから最後までが出ようとしている。青白い卵を絡め取るように、太い蔦のような物が絡みついていた。どちらも光を放っている。

「どんな気分だ?」
「うう、あ、あああ、なんか変……ッ」

 なにかが僕の体から失われていくような、おかしな感覚だった。
 だが、確かに力を吸われるような感覚はない。

「具体的には?」
「シラタキが大根に絡まってる感じ……!」
「……悪い、逆に具体的すぎてよく分からない」
「ああっ、だ、だからぁ、縄跳びでグルグル巻きにされた跳び箱って言うかぁぁあああっ」
「尚更わかんねぇよ!!」

 ヒューズがそう言った瞬間、卵が僕の体の上に、完全に出て、宙に浮いた。やはり光り輝いている。不思議な脱力感で、僕はまたシーツの上に体を預けた。汗がどんどん流れ落ちていく。ただ不思議と、達成感と、心が満ちていく感覚がした。

「大丈夫か?」
「う、うんっ、あ」
「……本当はな、お前の体力を考えて、何度か卵を除去しようか迷ったんだ」
「そんな事してたら、俺がボコボコにしてたよ……」
「ああ。お前なら、絶対にそう言ってくれると思ってたんだ」

 そう言ってヒューズが苦笑した時、卵に亀裂が走った。
 その音に慌てて、体を弛緩させたまま、視線を向ける。

 すると、割れた卵の殻が、ベッドの上にいくつもいくつも落ちてきた。
 そして――一人(神)の幼児がそこにはいた。

 神は僕と同じ茶色をしていて、目はヒューズそっくりの黒い目だったが、僕に少し似ているのか、ちょっとだけ赤が指している。ただ鼻筋や目つき的に、顔立ちはヒューズそっくりだった。これから育てば変わるかも知れないけれど。

 それを見た瞬間、僕は完全に体の力が抜けて、倒れ込むように再び、眠るというよりかは意識を落としたのだった。



「――で、名前どうするの?」
「本当は、相談して決めたいんだよな」

 次に目を覚ました時、僕はヴァレンとヒューズの声を聴いていた。

「ん、ぁ」
「あ、ジャック!! 大丈夫!?」

 のぞき込んできたヴァレンの姿に、曖昧に頷いてみせると、横から、赤子を抱いたヒューズもまたこちらを見た。

「いやぁ、僕まさか、ジャックが生む側だとは思わなかったよ」

 肩を竦めたヴァレンがクスクスと笑った。

「ま、ヒューズさんくらい、タッパがあってイケメンなら、分からなくもないかな」

 タッパって何だろう、アレかな、冷蔵庫にしまう奴かな?
 朦朧とした意識でそんな事を考える。
 ――ああ、僕、本当に子供生んだんだな。

 そんな事を、赤ちゃんを見ながら思った。

「丁度良かった。名前を決めようと思ってな」

 ヒューズの声に、僕は枕に頭を乗せたまま首を傾げた。

「女の子? 男の子?」

 僕らの世界パルディアでは、それが生まれた時に、はっきりとするのだ。

「男の子だ」

 その言葉に、僕は考えてみる。ヒューズと、ジャックロフト(現在)の子供だから、うーん。光の神ライトと闇の神ダークの孫、人の神ヒューズと破壊神兼魔王の子供だ。

「ナイトバレルは?」

 全く思いつかなかったので、適当に言ってみた。

「俺は、レイスロフトが良い」
「じゃあ、レイスロフトにしよう。レイって呼ぼう」

 うんうんと僕が頷くと、ヒューズが目を丸くした。

「良いのか?」
「うん。ヒューズが決めた名前が良いよ」

 そんなこんなで、僕たちの子供の名前はレイスロフトになった。



 それから暫くして。

 僕はもう起き上がることが出来るようになったが、まだ時夜見鶏は横になっているらしい。そこでお見舞いに行こうと、医療塔の回廊を歩いていた。

 すると病室の前に、朝蝶さんがいた。
 思わずビクリとしてしまったら、頭を下げられた。

「改めまして、空巻朝蝶です」
「あ、その、破壊神……魔王の、ジャックロフトです」

 僕もまた頭を下げる。正直緊張していた。だってこの前、怒らせちゃったし、殺されかけちゃったし。絶対この人、僕に良い印象無いよね。

「あ、ええと、お見舞い中なんだろ、帰るわ」

 こんな時まで出てくる僕のリア充語……! 次は敬語の練習しよ! 僕は決意した。

「ま、待って」

 しかし引き留められて焦った。冷や汗が浮かんでくる。怒られるのかな?

「あの時は、今度こそ時夜見のことを助けなきゃと思って、酷いことしちゃって、ごめんなさい」

 が、朝蝶さんが、涙声で言った。
 え、え? なにこれ? 泣きたいのは僕だよ!
 しかし頑張れ僕。リア充っぽく!!

「ま、気にすんなって。時夜見はさぁ、俺にとって大切な、その、その、ほら、あれだよ、と、とも……飲み友達だからさっ!!」

 恥ずかしくて、照れくさくて、友達って言えなかった。だって、本人にも言ったことがないし、否定されたら悲しいし。

「有難う。上位世界の事とか、全然僕、知らなくて……ジャックさんが、時夜見のこと助けてくれて、それで、それで、悪者のフリしてくれて……」

 どどどどうしよう!? 朝蝶さんが泣き始めちゃった。僕が泣きたいよ、だって僕、人を慰めるの、苦手だし……。

「き、気にすんなって。ほらさ、毎回飲みに行くと、時夜見から朝蝶さんの事相談されてた身としては? 二人の幸せ応援したくなるじゃん? それに俺だって、時夜見が元気な方が嬉しいしさ。また戦いたいからな。具合悪い時じゃなくて、全力でな!」

 いけたかな、これ、リア充っぽい台詞かな? どどどどうだろう? 誰か判定して、お願い! だけど、だけど、僕がリア充目指してるだなんて恥ずかしくて誰にも言えないし……。しかも、いつもとか言ってみたけど、二回しか行ってないし!

「朝蝶って呼んで下さい、良かったら」
「ああ、じゃあ俺のことはジャックで良いから」

 渾名呼びキター!! 嬉しいなぁ!

「ただ、ジャックがいなかったら、時夜見は本当に死んでたから、嬉しくて……あんな風に悪役やってくれて……それも、お子さん身ごもってたのに……僕、全力で……ッ」
「いやさ、朝蝶が三回目の巻き戻しやってくれたからだから、アレ。それに俺はさ、破壊神だし、今は魔王だし? 悪役って言うか、未来含めて破壊するの慣れてるんだよ。まさか子供が中にいるとか知らなかったしさ! 俺じゃなくてな、時夜見が助かったのはさ、やっぱり朝蝶の愛の力だって。絶対そう。保証する!」

 僕がそう告げると、泣きながら、何度も何度も朝蝶が頷いた。
 ああ、本当に時夜見鶏のことが好きなんだなぁって思った。いいよね、そういうの。

「そ、そのさ、良かったら何だけど――……」
「はい?」
「今度、俺のさ、旦那? 奥さん? とな、異世界に行こうって話してるから、時夜見の体調治ったら、一緒に四人で――……ああ、そっちは子供二人いるんだっけ、じゃあこっちの一人もで、さ。遊びに行こうぜ。ピクニックとかさ。それがさぁ、もう、俺も俺の相手も料理とか全然ダメなんだけどな。まぁ、あの、迷惑じゃなかったら」

 僕が頑張ってそう言うと、また蝶々が泣き出してしまった。
 本当に僕、どうしたらいいのかなぁ……?

「……っ、あ、あの、楽しみにしてます」

 小さな声で、笑っているのに泣きながら、朝蝶が言った。
 うんうんと何度か頷いてみる。

「俺、元気になったから、その内、パルディアに帰るんだ。だから、時夜見経由で連絡くれるか、出来たら、で良いんだけど、連絡先教えてくれ」

 断られるかなぁなんて思いながらも、僕は勇気を出した。

「はい!」

 すると朝蝶が、連絡先を教えてくれた。これならば、あちらの≪念話≫、こちらの≪連絡紋≫で話が出来る。

「有難うな!」
「こちらこそです。時夜見に、貴方みたいに素敵な友人がいて本当に羨ましいです。僕とも友達になってくれますか?」
「あたりまえだろ! 一度話したら友達で、それ以上は親友だ!」

 僕は一度言ってみたかった台詞を使ってみた。
 すると蝶々は泣きながら頷いてくれたんだ。なんだか、心が凄く温かくなった。



 それから1000年くらい経った。

 もう僕の中では、自分のいる世界よりも、他の世界に移動したり、総合世界の雑務をしたりする時間の方が長い。ただ、何処に行っても結局、文章系の仕事あるんだよね……本当怠い。僕ってさ、頭使わない仕事の方が得意なんだよね。

 だって、頭を使うと糖分が必要になるんだよ。だけどお菓子とか、中々手に入らないんだよね(自作以外じゃ)。お菓子スイーツか――と言ったら、やっぱりアイツだよね。

 ――時夜見鶏。

 今のところ、今だ唯一僕より強い奴。

 育児の相談も出来るし、ちょいちょい会いたいんだけどなぁ……旦那、になるのかな、僕の配偶者のヒューズが、あんまりいい顔しないんだよね……別に僕が何処の誰と会おうが自由だって思うけど……うーん。嫌、やっぱりじっくり考えたけど、自由だ。自由だよ!
よし、神世界ヴァミューダだったよね、時夜見鶏の所は。

 僕が≪転移紋≫を描こうとした時だった。

「破壊神だな!」

 あ、何か僕、嫌な予感しかしない。きつい、面倒だよねぇ、本当。どうして今来るかな。
思わず腕を組んで、僕は勇者パーティを見おろした。

 今でも大体30年に一回くらいは、僕を倒しに勇者(自称)が来るんだよね、相変わらず。一応僕、この世界では、中ボス的な位置づけだからさぁ、破壊神役の時は。適当に煽って、適当に倒されないと

 だけど一応、魔王ジャックロフトを倒すために、勇者が生まれることになってるからさ、今だ公にはならない僕達の関係。それでもって、ラスボスの魔王も相変わらず僕なんだよね……はぁ。本当神界は人(神)手不足で嫌になっちゃうよ。

「――と言うことで、俺がお前を倒す!」

 あ、何か勇者の話し終わったみたいだ。僕は、毎回大体同じ台詞なので、聞いていなかった。聞かなくても、基本的にみんな同じ事を言うんだよ、相変わらず。

『方々の街を破壊し荒廃させた罪を償って貰う』だとか。
『捕まえた人神ヒューズを解放しろ』だとか。
『光の剣の血肉にしてくれるわ』とか。

 いやでも、ヒューズに寧ろ捕まったの僕なんだけどね……やばい、惚気ちゃいそう。
 子供も出来ちゃったしね。本当に可愛いんだ。
 とりあえず僕は適当に相手をした。

 だっていまだだに、『伝説の勇者』か『召喚された勇者』か『勇者の末裔』か、まぁどれも似たり寄ったりなんだけどさ、あの人達の攻撃、時夜見鶏の世界風に言うと、僕にダメージ(打)を0か1位しか与えられないんだよ。

 よくその力量で、中ボス倒しにこれるよね。厚顔無恥って奴かな? 最近ちょっと、僕はヒューズの影響で、僕人称の内心の時よりも、俺人称の時みたいにリア充っぽい思考をすることが増えてきた気がする。

 が、僕は、時夜見の世界と違って此処には、HP表示とかMP表示とか無いから、相変わらず50回くらい攻撃されたら、腹部から血を流し(血糊)、呻いて倒れている。

 それから、『くっ、侮った』とか何とかいって、消滅したフリをして、隠れるんだ。

 僕は今でも周囲が荒れ地で、何か微妙な岩山があるところに浮かんでいるから、その岩の後ろに転移紋で移動するんだ。で、勇者達が満足して帰って行くのを見守る。

 つまり、30年に一回くらいしか仕事はない。

 だからほぼ無職なので、家事も育児も僕がやってる。最初は愛がある感じでやる気もあったけど、その内に自由に遊び(世界敵倒し)に行けなくなった僕は、ストレスが溜まっていた(案外僕にとってあれはいい娯楽みたいだったのかもしれない。僕にもちゃんと娯楽があったんだって気づいた)。

 でも今でも総合世界にできた、総合統一神世界連合の五将軍の一人になっているから、ほぼ無職とか言われることは減ったのかなぁ(主にヴァレンに)。

 それでも僕が此処にいないと勇者達が折角来た時に可哀想だから、≪偽装紋≫で、フォログラム出して、ずっと此処にいるフリをしてる。で、途中で僕は入れ替わってるんだ。

 ――よし、勇者達は帰って行った。

 今回のレベルなら、三年後くらいに魔王城で会うかなぁ。


 そんな事を考えながら、≪転移紋≫に潜った。

 だけど時夜見鶏、忙しかったら悪いなぁと思って、≪時空遠鏡紋≫で姿を探した。
 ――ん、あれ? アイツ何やってるんだろ?

 見つけた姿に僕は首を捻った。

 ≪世界樹≫にノコギリいれてる。正確には、世界を構築する≪世界樹≫じゃなくて、この世に害をなす≪新しい世界樹≫だ。

 ≪新しい世界樹≫は、以前に時夜見に酷いことをした、≪世界敵≫のSSSランクに入る敵だ。大抵の世界に存在する。

 やっかいなのは、今でも、自分が所属している世界の≪新しい世界樹≫以外は基本的には倒せないこと。基本的にアレは、その世界を構築した時に産まれた、世界を支える樹が狂って産まれる。

 だから他の世界のを倒そうとすると、ずっと前の僕みたいに、すっごいダメージを喰らうんだ。

 基本的には集中しないと、一応SSSランク+の僕でも一人で倒すのは無理だ。
 だが、時夜見鶏の周囲には誰もいない。

 え、まさかあれ、倒す気なの? いや確かに時夜見ならば、やれるかも知れない。
 ぼんやりとそんな事を考えている間に、≪新しい世界樹≫は倒れた。
 さすがだよ……強いよ。強すぎるよ。

 それから時夜見鶏は何かしていたのだが、一段落したのを見守ってから、僕はすぐ側に転移した。

「よ。久しぶり」
「……ああ」

 沈黙をたっぷり挟んで、こちらを流し目で見てから、時夜見が頷いた。
 切れ長の瞳の黒茶色が、俺を見ている。髪も同色だ。

 相変わらず色っぽい。その無駄な色気、何? 多分僕が知ってる顔面の中で、一番エロ格好いい。整った鼻だちで、唇は薄い。当然一番好きなのは、ヒューズだけどね。

「いやぁ、何かお前、大変だったらしいじゃん?」

 僕の言葉に、時夜見が僅かに視線を揺らした。
 何も感情が見えない瞳が、僅かに揺れた気がする。

 どうして僕が、コイツが大変だったか分かるかって言うと、子供が生まれてからも医療塔に入院してからもずっと明らかに具合が悪そうだったからだ。何度か、入院しているにも関わらず、危ういところまで体力を落としていたんだよね。

 あんまり強い神様が消滅するかしそうになると、総合世界にすら歪みが生じるのは変わらない。ちょっと前に、その歪みが生じたから、また原因調査を僕がしたんだ。僕は≪上位世界≫では、今も変わらず破壊神だ。

「どうして助けてくれたんだ?」
「え」
「違うのか?」

 自慢じゃないが、僕は、自分の世界では今でも、破壊神だとか魔王だから嫌われてる。総合世界では、力の強さで恐れられている(多分)。

 だから、対等に話が出来る相手なんて、恋人しかいない――友達0だったって事だ。
最近ちょっとずつ出来てきた気がするんだけどね。

 多分僕の中で、時夜見鶏は、大切な友達になっていたんだ。
 恥ずかしいから絶対本人には言わないけどね。

「いや、朝蝶の愛の力じゃないの?」
「愛……」
「そ。それより、飲みにでも行こうぜ」

 時夜見鶏が頷いたのを確認して、僕は≪転移紋≫で移動した。
 勿論、時夜見は着いてくる。

 転移は、神様でも結構力を使うんだけど、時夜見が怪我で消耗している意外に疲れているところとか、僕は見たことがない。その辺りにすら、僕は時夜見鶏とのレベル格差を感じる。

 二人で移動した先は、いつの間にかお決まりになった、小さなダイニングバーだ。
 時夜見鶏のここでの好物は、鶏のたたきだ。

 ――共食い?

 最初こそそんな疑問を抱いたが、神様だし別なんだろうなと思う。
 とりあえず二人で麦酒を頼んでから、運ばれてくるまでは、メニューを見ていた。

「乾杯」
「ああ、乾杯」

 最初は、こういう仲になるとは思っていなかった。
 そう考えると、なんだか本当に懐かしい。
 瞬きをしながら、僕は時夜見鶏と初めて会った時のことを思い出した。

 やっぱりこの世界は、僕が思っているよりも、ずっとずっと優しかったんだと思う。
きっと僕が見ようとしなかっただけなんだ。

「なぁ、時夜見」
「……ん?」
「俺達……友達だよな?」

 明るく言ったが、本当は、声が震えそうだった。

「少なくとも、俺はそう思ってる」

 返ってきた声に僕は苦笑して、泣きそうになったから天井を見上げたのだった。

 ――僕はもう、死にたいなんて、思わない。