【◆】SIDE:超越聖龍




 ――聖龍暦1年(だいぶ前)


「***(以下謎の言語が続いたが、怒っているのは分かった)」
「△△×××××――!(今度は別の言語が続いた。こちらも怒っているようだ)」
「……」

 俺はそれを、二億年くらい見ていたのである。ヒゲとハゲが争っていたのだ。この時の俺には、名前は無かった。「やれやれ、俺の出番か」だとか、ほぼ毎日考えながら、机の上にある本を読んだりした。二冊存在した。

 この活字嫌いの俺が、読書をして、奇跡的にその内容が頭に入ってしまうほどの時間が過ぎたのだ。ふぅ。俺がダウナー系チートだったら「怠いなぁ」とか言いながら、実は凄い人だった的なオチを用意するが、そんなものは無い。

 この本は、神であれば、読めるそうだ。

 この頃はまだ、音声翻訳の機能は無かったのである。
 俺が最初に手に取った一冊目は、『いかにして世界を構築するか』だった。

 それを読み進める内に、俺は自分が神様なのだと知った。
 もう一冊は、『易しい神々の作り方』という本だ。

 そしてダウナー系チートや俺様といった、神々に与えなければならない必要性格を俺は学んだ。俺としては、やはり全員女神にして、所謂チートハーレムを作りたい――いいよなぁ、プライドが高そうな女王様タイプを屈服させて……けど、俺に従順なメイドさんも捨てがたい。

 5億年後、ヒゲとハゲはまだ争っていたので、俺はもう帰ることにした。
 しかし生まれてこの方ずっとこの部屋(?)にいたようなので、帰る場所がない。

 そこで俺は、俺の世界を作ることにしたのだ。
 止めておけば良かった。

 最初、俺は光だった。

 なんか巨大なでかい球体が、まだ何もない世界に浮いている感じだ。

『いかにして世界を構築するか』を読んだ限り、最初の神がまずいて(要するに俺だろう)、その後神話では、大陸の下に眠っているだとか、語られる存在になるそうだ。

 眠っているのは、魚か両生類か蛇か龍。見た感じ、龍が一番字面的に格好良かったので、俺は龍になることにした。決めた瞬間、俺は光に飲まれ、龍になっていた。

 ……いやでもなんかなぁ、チートハーレムの主人公は、男性の人間の形をしている。そう思い当たり、俺はとりあえず、人間界を作った。他にも魔界も作った。獣人を作るか否かは、大層悩んだ。猫耳――嫌いじゃない。

 だが、世界を沢山作るのは面倒なので、魔界に、猫耳の魔族を作ることにした。俺が元々いた場所は神界と名付けた。

 海を作ったり火山を作ったり、それなりに充実した生活を送りながら、それでもやっぱり二億年位すると飽きた。俺の短所は、恐らく飽きっぽいところだ。

 そんなこんなで久しぶりに神界に戻る頃には、俺は、世界を作った神だと人間にあがめられ、時間を超越して存在する聖なる龍と呼ばれるようになった。超越聖龍――ああ、中二病っぽい名前、俺は嫌いではない。

 神界に戻り、俺は目を瞠った。
 巨大な光がそこにいたのだ。
 明らかにアレは、神だ。

 他の世界から迷い込んだようには見えない。なぜなら、この神界の気を纏っている。
 光に包まれた巨大な卵に見えた。三百年は、顕現してから経過していそうだった。

「鶏か……」

 そういえば、俺が人間界に、平べったい工具を落としたら、それがフライパンという名前になって、鶏の卵を割って焼くと、目玉焼きという品が出来るようになっていたな。これだけ大きければ、食べ甲斐もある。

 そもそも、俺の他に神が産まれたら、ハーレムが形成できない。いや、女神かもしれない。あれ、あ……神様に性別作るの忘れてた。何とかして産まれる前に、男と女を分けよう。俺は必死で頑張った。

 その内に、卵の外郭に罅が入り、とんでもない光が周囲に漏れた。

 思わず目を伏せそうになったが、その罅の合間から、何か黒い物が舞い散ったので、堪える――鳥の羽根だ。一種荘厳な気配を保ちながら、光が収束するに従い、その雪のように舞う羽根も、地に落ちる前に消えていく。

 中から出てきたのは、俺が地上に作った、鴉と鶏を混ぜ合わせたような、巨大な神だった。恐らく男神だが――あまりにも強い力に気圧されていた俺は、自分を無理に納得させた。

 ――フッ、一人きりの神界は、寂しいからな。
 それから俺は、余裕たっぷりの表情を取り繕い、一歩前へと出た。

「人型も取れないのか」

 今産まれたばかり何だから、逆に取れたら怖い。が。
 今度は夜と呼ぶにはあまりにも冷たすぎる闇のような気配が、鶏から放たれた。
 その威圧感に、俺は完全に言葉を失った。

 俺は一応聖龍と呼ばれているわけだから、どちらかと言えば、昼や光の神なのだろう。
ならば、あれか。魔王? そう言う奴か……? 俺の運命の好敵手? 平和な俺の世界、グッバイ……。

「っ」

 瞬間、闇で一瞬何も見えなくなった後――そこに黒髪の少年が現れた。冷ややかな眼差しで、気怠そうに俺を見ている。まじまじと見れば、僅かに黒髪にも黒い目にも、茶が入り込んでいる。

 まずいぞ、コイツ……俺より強いかも知れない。しかも一瞬で人型になった。
 敵に回さない方がよさそうだなと、俺の本能が言う。

 よし、話しかけよう。ここはやはり、威厳たっぷりの口調で、どちらが上の立場か分からせてやらないとな。

「貴様、名前は?」
「……」

 すると少年神は、プイと顔を背けた。このガキ、人が折角話しかけてやった物を――という内心が半分と、まずいな……不良だ、怖い、と言う心境が、半分だった。

「――名前とは、何だ?」

 その時、たどたどしく、少年神が言った。まだ声帯を上手く使えない様子で、どこか舌っ足らずにも聞こえる。改めてこちらを見た少年は、よく見ると、大変可愛かった。綺麗な顔だ。俺がショタコンじゃなくて良かったな、少年よ。

「名前か――そうだな、貴様の一番の能力は何だ?」

 とりあえず外見は鶏だから、鶏入りの名前を付ければいいだろう。神様の名付け親も俺がやるのか。仕事が増えてしまった。俺の予想だと、ぐうたらして、たまにハーレムとチートを楽しむだけの予定だったはずなんだけどな。

「時、読み取り……予知する」
「じゃあ時夜見……鶏で」

 取りと鶏をかけてみた。鳥よりは、本体が鶏に近いし、これで良いだろう。後、夜見にした。夜みたいな色をしていたからな。

「時夜見鶏……」
「気に入ったか?」
「……他の名前を知らないから比較が出来ない」

 少年神――時夜見鶏は、難しい言葉を知っていた。比較だなんて言葉、俺は恐らく誕生して2000年くらいしないと、分からなかった気がする。

「私は超越聖龍という」

 私、とか言ってみた。その方が威厳がありそうな気がしたんだ。

「何か分からないことはあるか?」

 するとたっぷりと沈黙を挟み、俺をじっくり見た後、時夜見鶏が淡々と言った。

「何故名前は、四文字なんだ?」
「……さぁな。いつか貴様にも分かる日が来る」

 俺はそう答えた。実際には俺も知らないのだし、そんな日は来ないだろう。だが、意味深に回答しておけば、きっと相手も深読みしてくれる。

「他には無いか?」
「此処は何処だ?」
「神世界」
「何という神世界だ?」

 どういう意味だろう。俺にはちょっと分からなかった。なので、また意味深に笑ってみる。今度は無言で。

「世界、というのは、鳥、龍、人型、のような物だろう? ならば他の世界もあるはずだ。この神世界は、他と区別するために、なんと呼称されているんだ?」

 初めて、時夜見鶏が長文で喋った。

 しかも産まれたばかりにしては、頭が良い。俺よりも良かったりして……いや、俺はこの世界を作った神だし、まさか。はぁ、でもなんか、名前考えないと馬鹿にされそう。俺の威厳を崩すわけには行かない。

「――ヴァミューダだ」

 特にこの言葉に意味はない。今咄嗟に適当に浮かんだ言葉を並べただけである。

「神世界ヴァミューダか」
「そうだ」
「主食は?」
「……」

 無い。そんなもの、無い。無いぞ……主食だと? 鶏は、トウモロコシなどを食べているイメージだが、俺は龍が本体だ。龍って、何を食べるんだ? 今は人型を保っているから、一応人間の食事をしている。

 が……本体の、鶏と龍が共通して食べる物など存在するのか? 俺は困惑して歪みそうになる表情を、一生懸命無表情に保った。

「貴様が好む食べ物とやらを、私に献上しろ」

 トウモロコシが出てきたら困るが、持って来て貰えば、何を食べるのか分かる。
 俺の言葉に、面倒くさそうに時夜見鶏が二度ほど頷いた。

 ――なんだこの威圧感は。まさか俺を屠る気で、毒でも盛って来ないだろうな。

 正直恐怖を覚えた俺は、あんまり関わらないことにしようと決意した。

「私は多忙だ。神界も人間界も、その他の全てを生み出した者として、見守らなければならない。他に何かあれば、呼ぶが良い。新しい神よ」

 本当は俺は、ぐうたら生活を目指しているため、それ程忙しくはない。例えば人間は勝手に育ち、繁殖し、文明も進化させている。だが、威厳は保たなければ。馬鹿にされたら、何されるか分からないしな。

 俺はそのまま立ち去ることにした。背後に時夜見鶏の視線を感じたが……そして産まれたばかりの少年を、いくら神様だからとはいえ置き去りにするのは心が痛んだが……俺だって、自分の命は可愛い。悪いな、少年神。俺は、振り返らなかった。


 それから1000年くらい、俺は時夜見鶏のことを忘れていた。
 そんなある日だった。

「≪超越聖龍≫」

 ボソリと、低い声が聞こえた。瞬間的に、俺の背筋を怖気が這いあがり、体が冷え切った。夜瞬く星の声、くらい小さい音量だったのに、そこにある月と同じくらい存在感がある声だった。

 しかも、声帯を震わせず、直接頭の中に話しかけてきた。何だろう、この技法――さも知っている感じで、名前を付けておこう。聞かれたら面倒だしな。念じると話が出来る……念話でいいか。

「≪どうした?≫」
「≪主食が出来た≫」

 主食? 何の話しか俺には分からなかった。普通そんな、1000年も前の話題なんて、忘れるだろう? が、忘れているなんて発言は、俺の辞書にはない。

「≪そうか。フッ、今から出向こう≫」

 だから笑いながら言ってみた。そのまま時夜見鶏は、念話を停止したようだった。

 俺はといえば、必死で時夜見鶏の場所を探した。あれだけの力の持ち主なのだからすぐに見つかるだろうと高をくくっていたら、気配を消しているのか全然見つからない。嫌がらせか、それとも俺の力を見極めているのか。生意気だな。意地で、俺は、時夜見鶏の居場所を見つけ出した。

「……超越聖龍」
「聖龍で構わない」

 大人の余裕を俺は見せつけた。まだ、時夜見鶏は、少年の姿だ。

 しかし――時夜見鶏は、凄い家に住んでいた。城……いや、宮殿? 呆気にとられそうになりながらも、俺は後に続いた。床は規則正しく組まれた木目、壁は象牙、高い天井には、星が散りばめられたステンドグラス。所々に、油絵が飾られていて、豪奢なシャンデリアと美しい意匠の燭台が並んでいる。絶対に俺の家には招けない。

「……」

 飴色の扉の前で、時夜見鶏が足を止めた。
 振り返り、俺を一瞥する。

「なんだ?」

 内心の動揺を押し殺し、俺は笑う。笑った。余裕の笑みを浮かべたのだ。

「不味かったら……食べなくて良い。残してくれ」

 小さな声で、ポツリと言われた。

 ――なんか、可愛い。顔面の造りは兎も角、初めて俺はそんな事を思った。アレか、これが世に言うツンデレか? 駄目だ、俺にはツンデレの概念は高等すぎて、まだ理解できない。

 ギギギと音を立てて、豪華な扉が開く。

 白いテーブルクロスがあり、その上に並んでいる料理を見て、俺は目を見開いた。

「――これは、貴様が作ったのか……?」

 ま、まさかなぁ。否定が返ってくるのを待ちながら、俺は料理を凝視した。見ているだけで美味しそうだった。匂いも、なんだかそれだけで食欲を誘う。

「……主食だけじゃ寂しいだろ」

 そう言って時夜見鶏が、俺を案内してくれた。

 座ってからじっくりと見ると、主食は、米だった。やっぱり鶏は、雑穀を食べるのだろう。しかしそれにしても……まだ人間界は、目玉焼きが高等料理だ。魔界は、肉をそのまま生で食べている。

 この料理は、本当にどうしたんだろう。
 作ったらしいが、レシピはどうしたんだ?

「何処で覚えた?」
「俺が考えた」

 少しだけ、時夜見鶏の頬が朱くなった気がした。照れているようだ。可愛いなぁ、子供!
だが本当に作ったんだろうか。この肉なんて中は赤いが外は焼けている。一瞬生焼けかと思ったが、ソースに絡めて食べると、大変美味しい。

 ドロドロとした謎の液体は、嫌がらせかと思ったら、ジャガイモと恐らく牛乳の冷製スープだった。別の肉料理には、酢に似た何かがかかっているのだが、これも美味しい。中でも俺が気に入ったのは……茶色いスープだった。

「これは何という料理だ?」

 思わず聞いてしまった。

「……味噌汁だ」

 初めて聞いた。すごい、美味しい。薄味なのに、何らかの風味を感じる。

「……味噌汁に、見えないか……」
「え、いや――」

 哀しげな声で言われて、反射的に俺は否定していた。
 見えないかも何も、俺は初めて飲んだ。

「無理をしなくて良い。聖龍は超越神だから、全ての料理を知っているんだろう? 俺が予知で、見た目と材料だけ覚えて、真似て作った料理は……駄目だったか……これじゃあ献上品にはならないな」

 なるほど、予知か。
 要するに、今後広まるだろう料理を、先取りして作ったのだろう。

「十分だ。美味しいぞ、時夜見鶏」

 俺が言うと、時夜見鶏が無表情に戻り、俺を見上げた。瞳だけがキラキラしていた。

「そうか」
「ああ。所で、この家(?)は、どうしたんだ?」
「建てた」

 いやだから、どうやって建てたんだ? 俺の家でさえ木造の一軒家であるにも関わらず。

「木を伐ったり、象牙を削り出したり、魔法で灯りを作って、硝子の中や蝋燭に灯したり、後絵は描いてみた」

 魔法――は、まぁ分かる。概念的に俺達の本体の力を用いる場合、何らかの名称があった方が良いだろうから、言いたいことは分かる。木を伐るなども、それの応用だろう。
だが……。

「描いた?」

 え、嘘だろう……あの油絵を? 立った今俺はアレを油絵と命名したが、描いた? 描いたって、描いた!?

「絵を描くのは、楽しい」
「そうか」
「……まだ下手だけどな」

 嫌もう十分すぎるとお兄さんは思います。写真レベルで、凄いだろうよ、アレ。
 もしかしてこの子……芸術神か料理神か建築神を狙っているんだろうか?
 創作神か?

「その服も作ったのか?」

 産まれた時は、黒い外套姿だった少年は、今シャツと黒ネクタイに、黒いボトムス姿だ。ちょっとファンタジーっぽい格好の俺は、場違い感があって、恥ずかしい。

「ああ」

 小さく二度、時夜見鶏が頷いた。

「いつか、貴様の作った服を、纏ってみたい物だな」

 格好良く言ってみたが、結構俺は、切実だった。

 俺は、山を作ったり川を作ったりするのは好きだ。だが、これまで衣食住には一切拘ってこなかったのだ。

 衣は人間が俺に対して献上してきた、チャイナ服(俺命名)を着ていたし、食べなくても別に困らないし、住むところは一応木で建てたが、数年でゴミが溜まったので、最近帰る気が起きない。

 寝には帰るが。洗濯物と廃棄物が床から天井までを埋め尽くしていて、ベッドの上だけが綺麗なのだ。

 だから格好いい服なんて、作りようがない。

「――いいのか?」
「?」
「着いてこい」

 時夜見鶏が立ち上がった。

 何が『いい』なのか判断に困ったのだが、毛足の長い絨毯がしかれた廊下を歩き、俺は白い階段を上り、二階の一室に通された。見るからにフカフカしていそうなベッドがある。そこのクローゼットを開け、時夜見鶏が振り返った。

「着ろ」
「なに?」
「作っておいた」

 声を失い、中に並ぶ衣装を、俺は呆然と見据えた。
 天才が此処にいる。

「これは?」

 必死に俺は聞いた。

「……服だ」

 見れば分かる。見れば分かる。見れば分かるんだよ! そうじゃない、何故俺のサイズの服が並んでいるのだ。それも今着ているファンタジーっぽい物から、時夜見鶏が着ているものに似ている奴、他にもよく分からないが、なんか格好いい服が沢山あった。

「……別に良いだろ」

 時夜見鶏の声で、俺は我に返った。動揺して汗が出そうだった。

「作るのは俺の自由だ」

 そして恥ずかしそうに顔を背けた時夜見鶏を見て、俺は柄でもなく、母性(?)本能を刺激された。

 まぁ……色々なものを生み出してきているし、俺はチートハーレムを求めて男神になった(時夜見鶏の時は結局間に合わなかったのだ)が、母性もあるのかも知れない。

「有難う、時夜見鶏」

 自然と浮かんできた笑みをそのままに、改めて少年神を見る。

 すると端正な顔の少年は、気怠そうに夜色の瞳を揺らしてから、小さく頷き部屋を出た。
――残された俺は、このフカフカのベッドで寝ても良いと言う事だろうかと思案した。

 別に良いか、俺は最高に偉い神だ。
 もてなされて当然、うん。

 俺は自分に都合よく考えるのが、基本的に得意だったから、そのままベッドに横になった。羽毛布団……これ、まさか、時夜見鶏の羽根じゃないよな?

 そのまま俺は――そこに住むことにした。

 時夜見鶏は出て行けとは言わないし、自動的に食べ物は出てくるし、服も出てくるし、掃除洗濯ゴミ出しも、全部少年神はやってくれた。ゴミ出しというのは、要するに分解だ。
何よりも、居心地が良すぎて、もう俺は、他に行ける気がしない。

 が。

 俺はこれでも、最高神である。

 神界には、常に神々の座をつけ狙う≪邪魔獣モンスター≫が出るのだ。それらを討伐し、世界を平常化するのは、大切な仕事だ。嘗て、放って置いたら、人間界を滅ぼされたことがある。

 世界、とは、≪世界樹≫を土台にして産まれる。ある程度世界が出来たら、土が存在する人間界に定着することが多い。≪世界樹≫は、巨大な本体があり、そこの内部に、俺は生じた(ようだ、ヒゲとハゲが争っていた部屋だ)。

 そして≪世界樹≫には沢山の枝があり、その枝一つ一つが、新しい世界の土台になる。枝が一本で出来た世界もあれば、複数で出来た世界もあるし、定着後に増える場合もある。俺が作ったこの世界は、定着した≪世界樹≫がどんどん繁殖し、地表の悪意を取り込んで、定期的に≪種子≫として吐き出されるようになった。

 それが育つとそのまま≪世界樹≫という新たな≪樹≫になり、大層強くなる。また人間界においては≪眷属≫として強い力を持つが、神界……ヴァミューダとかだったかな、俺が付けた名前……では、その悪意が分散して、≪邪魔獣モンスター≫となる。

 今のところ、退治できるのは、俺しかいない。
 敬ってくれて良い、俺のことを。

 ただ……守るべき物は、この神世界と、強いて言うなら時夜見鶏だけだ。

 俺はシングルファーザーの気持ちが分かった気もするが、家事全般をやってもらっているのだから、何とも情けない。

 ――さて、退治に行くか。

 昼食に弁当でも頼もうか、嫌、もう朝だし、夜型の時夜見は寝ているだろうから、寝かせておくか、何て俺が考えていた時の事だった。

「何処に行くんだ?」

 時夜見が珍しく起きてきた。朝なのにな。

「気にするな、お前には関係がない――私の仕事だ」

 最近俺は、貴様ではなくお前と呼んでいる。
 時折、私という一人称すら崩れかけて、俺と言いそうになる。

「俺も……行く」

 その言葉に、思わず眉を顰めた。危ないから駄目に決まってる。

「邪魔はしない」

 腕を組み、俺は思案した。確かに、産まれた時、かなりの力を感じた。潜在能力は、本当に俺をも凌ぐ可能性がある。それに、正直な話、≪邪魔獣モンスター≫退治は、面倒くさい。

 もし時夜見が覚えてくれたら、俺のぐうたら計画は、多大な進展を見せるはずだ。でもな……俺は、仕事を理由に家事全てを、時夜見に押し付けている。仕事を覚えたら、もう時夜見がご飯を作ってくれないかも知れない。

 それに、現在までには、攻撃する姿を時夜見は見せてはいないが、もし攻撃好きになり、俺を消滅させる気にでもなられては困る。逆に運悪く、強力な≪邪魔獣モンスター≫に遭遇して、時夜見が消えてしまうのも、今となっては哀しい。どうしたものだろう。

 基本的に物事をあまりじっくり考えない俺にしては、珍しく深く悩んだ。最終的には、家事と≪邪魔獣モンスター≫討伐が楽になることを天秤にかけ、俺は決断した。

「時夜見、お前はまだ若い。どうしても来るというのであれば、今後もしっかりと家事をしろ。自分の土台をきちんと形成出来もしない弱者が相手にするには、厳しい敵だ」

 要するに、両方やれ、と俺は思った。
 それがいいではないか。

「……分かった」

 素直に時夜見が頷いた。子供って素直で良いよな。疑うことも知らないし。

「そうか。ならば着いてこい」

 俺はそう告げ転移した。そして、転移なんて俺も、この世界で2000年くらいしてやっと使えるようになったんだったことを思いだした。

 時夜見は、まだ1000歳にも満たない。まずい、転移は流石に出来ないだろうから、一度戻ろう――そう決意した瞬間、俺は荘厳な夜の気配に包まれた。

 チラリと視線だけで横を見れば、俺の隣の宙に浮いている時夜見がいた。

 追尾して転移された、その上、風魔法(俺も最近魔法と呼ぶことにした)で、一時的に空中で動きを止めている。

「……あれか」

 時夜見が、前方を、退屈そうな顔で眺めていた。

 そこにいたのは、俺が三撃くらいで倒すことの出来る≪邪魔獣モンスター≫だった。これでも俺は、最強神なので、本気でやると神界が瓦解してしまう。そのため、いつも力を制御しているのだ。

「ああ」
「倒すのか」
「そうだ」

 五体もいる。困ったな、一体だけ、相手にさせてみるか。そんな事を考えていると、時夜見の力が増した。呆気にとられて、それを凝視してしまう。

「≪夜壊線ナイトブレイク≫」

 淡々と時夜見が呟いた。

 瞬間、空が唐突に夜になり、いや夜ですらない、闇だ。

 月も星も、何もかが闇のしとねに囚われ――そしてそこから、無数の光が降り注いできた。オーロラで出来た円柱に見える。

 それにしても、今の呪文……俺がこの世界に来る前に、多分この世界に暇つぶしにやってきて、飽きて帰ったのだろう、どこかの神が残していった魔術書に載っていた気がする。ひでぇ名前、って笑った覚えがある。が、いや、あんな威力があったのか……!

 目の前では、≪邪魔獣モンスター≫が五体全て、消滅していた。
 はっきり言って、冷や汗が出てきた。

 もし時夜見と喧嘩したら、まずいな。でもなぁ……俺も父親(?)として、褒めるところはきちんと褒めないと。

「……他は?」
「もう終わりだ。よく頑張ったな、時夜見鶏」
「……」

 不服そうな顔で、時夜見鶏が俯いた。やはりこれだけ力があるのだから、もっと戦いたいのだろう。だが、無理に戦わせて、俺より強くなられたら困るぞ。

「聖龍」
「なんだ?」
「俺が弱いから……弱い敵を宛がってくれたのか?」

 その言葉に、うわぁなんだこの可愛い生き物は、と思った。

 俺にはそんな力はない。だが、きっと俺が強いと思ってるんだ、時夜見。夢は壊さない方が良いよな。吹き出しそうになるのを堪え、俺は威厳を保つことにした。

「強くなれ、時夜見。私はいつでも、見守っている」

 うーん、この言い回しじゃ、まるでその内死ぬみたいだ。

「攻撃力が弱い事と、心根が弱い事はまた別だ。安心しろ、そう言う意味では、お前は強い。なのだから、これから、精一杯努力しろ」

 こんな感じか? なんか、それっぽいだろう。ちょっと良いことも言っているしな。
それに俺はこれから面倒な戦いは回避して、全部時夜見にやって貰うつもりなのだから、いかにもこう、師匠やら兄貴分やら、そう言う姿勢を貫いた方が良い。家事も出来るフリをしようか……でも俺できねぇしな。

「帰るぞ。早くお前の料理が食べたい。今日は……時夜見の討伐を祝して、祝いをしよう。良い酒をあけるか」

 これだけ言えば、豪華な食事も出てくるだろう。俺は、気分が良くなった。

 その頃までに俺は、ラ・フランスとイタリ・アとワコクとタイラン・ド等の人間の国を作り、時夜見の料理をフレンチ・イタリアン・和食等と勝手に名付けていた。

 年齢的にはとっくにクリアしているのだが、酒は中々貴重品なので、俺は、時夜見鶏の外見を理由に飲んでは駄目だと少年神に言い聞かせてきた。俺が飲む分が無くなると困るからな。

 だが、良い酒をあけるか、と言った俺を、帰宅してすぐに、時夜見が地下へと連れて行った。そこには琥珀色の、何とも香しい匂いが漂っていた。

「これは?」
「酒だ」
「酒……どうしたんだ?」
「作った」

 もう俺は、時夜見が何を作っても、驚かないことにした。
 そして自作できるなら良いかと、その日以来、時夜見鶏に飲酒を解禁した。


 それから五百年ほど経った。

 いやぁもう、時夜見鶏さまさまである。
 俺はもう何百年も、討伐に出ていない。

 日がな一日ベッドの上で、時夜見が作ったお菓子を食べている。人間界も徐々に発展を見せ、様々な書籍が発行されるようになった。基本的に活字嫌いの俺だが、こうも暇だと、読みもする。特に俺の英雄譚とか。流石は俺だ。凄い、格好いい。

 時夜見は忙しいらしく、最近では、あまり帰っては来ないので、机の上に勝手に食事やお菓子が用意されるようになった。最上級の時空魔法だ。最早、俺には使えないレベルだ。恐らく、本体になれば使えるが、平常時モードなら、絶対的に無理だ(その後一億年くらい経過したら使えるようになったけどな)。

 そんなある日だった。

「聖龍――……!!」

 入ってきた時夜見が息を飲んだ。

 まさか、時夜見でも苦戦する≪邪魔獣モンスター≫が出た訳じゃないだろうなと、俺は嫌な気分になった。焦燥感が浮かんでくる。

「……」

 呆気にとられたような顔をしたまま、時夜見が俺を見ていた。
 何か俺に言いたいことでもあるのか?

 あったとしても、俺はもう、≪邪魔獣モンスター≫退治のあてにされても困るんだけどな。はぁ。子離れの時期かなぁ……。

「……どういう事だ?」
「何が言いたい?」

 威厳だけは込めて尋ね、俺は唇の片端だけを持ち上げた。

「掃除……しなかったのか?」

 泣きそうな声で、時夜見が言った。

「……」

 俺は、作り笑いを浮かべるしかない。それとなく、威厳がありそうな意地悪な笑みを消し、相手をうかがうように、引きつった笑みを浮かべた。

「……洗濯も……ッ」

 涙目になった時夜見が、床に散乱している俺の服を拾い始めた。だってねぇ。怠惰を求めて世界を作った俺が、掃除なんて言う高等技法を持ち合わせているわけがないだろう。≪邪魔獣モンスター≫退治より、困難だ!

「風呂には、入っている」
「……そうか」
「食事も取っている」
「……ああ」
「時夜見……どうして俺が、こんな事をしたか分かるか?」

 最早、俺の一人称は、『俺』になった。

「?」

 本気で切ない顔をして、まだ少年姿の時夜見が、こちらを見た。

「最近のお前は、戦ってばかりで、家のことをおろそかにしている。俺は、土台をきちんとしろと、教えなかったか?」

 ちょっと苦しい言い訳かなぁと思いつつ俺は言った。

「……っ」

 しかし俺はこの数百年で、時夜見が基本的に俺には反論しないことを知っていた。そして、純粋で、子供だって事も。騙されやすいのだ。後は――押しに凄く弱い。

「お前の顔が見られなくて、俺は寂しかったぞ」
「!」
「さっさと掃除をしてくれ、時夜見。久しぶりに、一緒に食事をしよう。食事は、一人で食べるよりも、二人で食べた方が美味しい。違うか?」

 最後に俺は、ちょっと良いことを言った。大抵これで、時夜見は、頷く。

「……ああ。分かった」

 やっぱり頷いた。俺、結構良い下僕を手に入れたな。あ、つい本音が。下僕――じゃない、大切な子供(?)……いや、俺が産んだ訳じゃないしな……兄弟(?)、うーん、友達?

 何はともあれ、時夜見鶏に家事を押し付けた俺は、まだ俺が汚していないため綺麗な応接間へと行き、再びお菓子を食べることにした。

 しかしまぁ、少しは手伝おうかと思って、俺は、宮殿のそばの倉庫を開けた。

「なんだ、これは」

 よく分からなかったが、大量の黄緑色の小箱があった。十個ほど開けてみたが、全部銀色の輪っかだった。まぁいらないだろうと思い、俺はぽいぽい捨てた。とりあえず人間界に。だって計一億個もあったのだ(神様能力でカウントした)。

 続いて、隣の倉庫へ行き、今度は大量の服を見つけた。うん、なんかこれは、可愛かったり格好良かったりするから、一応取っておこう。でもな、目的は掃除だしなぁ。と言うことで、そちらは神界の一角に木造の家みたいなモノを作って、全部放りこんだ。

「……聖龍」
「なんだ?」

 一通り片付け終わった頃、時夜見鶏がやってきて、倉庫の中を見て哀しそうな顔をした。

「捨てちゃったのか?」

 あ、なんか、やばかった? 焦った俺は、思案した。そこで、遠くを見ているような顔で、口元には穏やかな笑みを浮かべてみる。

「大人になるためには、時に必要なものであっても、捨てていかなければならないんだ……」
「……そうか」

 時夜見鶏が俯いたまま頷いたのだった。


 以来時夜見は、きちんと帰ってくるようになった。

 ≪邪魔獣モンスター≫退治も、どうやら俺は知らなかったが、出現する度に消滅させていたらしい。

 俺は、強いやつ以外は放っておいたし、強いのが複数群れるまでは知らんぷりをしていたのだが、几帳面な奴だ。しかし家事があるので、最近は週に一度ほど集中して時夜見鶏は討伐に出るようになった。

 そんなある頃から、時夜見が、討伐以外でも、家を空けるようになった。
 家というか、城というか、宮殿的なものだけどな。

 何をしているのか、流石に俺も気になった。人間、あるいは寿命の長い魔族と恋に堕ちた、等の現実があると、非常に困る。いったい時夜見が家事をしてくれなかったら、誰が俺の食事を作るというのだ。絶対に反対だ。

 と言うことで、俺は時夜見の後を付けた。気配を消すことぐらいは、俺の方が時夜見よりもまだ上だ。何せ、人間同士が乳繰り合っている様を鑑賞したりするには、気配があるとまずいしな。やばい、乳繰り合ってる、とか。俺も、人間界に毒されてきてるな。

 時夜見はと言えば、微笑んでいた。
 俺は少し、衝撃を受けた。
 未だかつて、時夜見が俺を見て笑った事などあったか? 嫌、無い。

 なんだかイラッとしつつ、俺は、何を見ているのか探った。
 するとそこには、猫がいた。
 傍らには、割れた卵がある。

 ……え? 俺、あの猫が弱すぎて(いや、時夜見の強い気配に慣れきっていて)気づかなかったようだが、新しい神が、産まれている。なんだと!?

 まだ人型は取れない様子だが、羽の生えた猫がいた。白い羽だ。その羽が動く度に、きらきらと星が舞っている。

「何をしている?」

 さすがに新神を放置しておくのは、まずいよなぁと思って俺は声をかけた。

「……別に」

 俯きながら、時夜見が言った。

「……別に、別に、何もしていない」

 そして俺の視線から遮るように、羽つき猫の前に立った。

「……」

 どうやら、まだ俺が、何も見ていないと思っているようだ。

「時夜見鶏、隠しても無駄だ」
「っ、コイツ……何も悪いことしてない」

 悪いこと?
 まさか、邪悪な神なのか?

 思わず眉間に皺が寄った。邪神と時夜見鶏がタッグを組んだら、確実に俺の方が、ダメージを受ける。最近俺は、暇な時に、水鏡で眺めながら、時夜見鶏の攻撃威力を『打』という形式で判別している。

 他に体力と力を使うと消耗する『ナニカ』もカウントしている。『HP』と『MP』だ。確実に、今俺は、時夜見鶏の能力で不意打ちされれば消されるぞ。

「≪邪魔獣モンスター≫だって……生きてる」

 しかし続いた言葉に俺は驚いた。そうか、俺しか他の神を見た事が無いから、時夜見は、産まれた新しい神を、≪邪魔獣モンスター≫だと思っているのか……!

 あービックリした。なんだか一気に力が抜けた。

「時夜見の言う通りだ」
「……そうか」

 俺の言葉に、安堵するように吐息してから、時夜見が優しい目で猫神(仮)を見た。なんかムカツクな。新神の分際で、俺より愛されてないか、アレ。

「じゃあ、家においても良いか?」
「駄目だ」
「……何故だ?」
「生き物を育てるというのは、そのものの人生全てを背負うという事だ。まだ子供のお前には、その資格はない」
「なッ」
「世話が出来るのか? 世話の仕方が分かるのか? 動物を飼うことを簡単に考えるな。貴重な命なんだからな」

 威厳たっぷりというか、内心の苛立ち紛れに俺は言った。まぁここまで言えば、時夜見ならば折れる。さっさと諦めろと俺は考えていた。

「世話、する! 俺……世話する!」

 が、珍しく(いや寧ろ初めて)時夜見が、反論した。
 反抗期、か、これが!

 俺は、笑ってもらえないのも哀しかったが、普段怒りも俺に見せない時夜見の姿に、なんだか嬉しくなった。どうしよう、楽しい。

「いいだろう」

 俺がいやみったらしく笑うと、時夜見が唾液を嚥下したのが分かった。

「名前は――そうだな」

 そう言えば、俺、神様を名前付ける役目も持っているんだったな(ちなみにこれ以後俺はその仕事を忘れさったけどな)。しかし、困った。時夜見は喋れたが、先ほどからこの猫(仮)は、にゃーにゃー言っている。とりあえず、猫を含んだの名前だな。

 どんな能力があるんだろう。これでも俺には、最高に偉い神様なので、力の弱い相手であればそれが分かる(というより、生まれた直後の時夜見鶏の能力が強すぎて、時夜見の場合だけは分からなかったのだ)。

 幾星霜に渡る歴史を記録できる――本人が、暦の生き字引って事か。

「暦猫星霜にしよう。暦猫だ」
「か……飼って良いのか?」
「時夜見がそうしたいのならな。俺は止めない。きちんと世話をするんだぞ」

 なんだか照れくさかったが、俺は時夜見の髪を撫でてみた。思いの外、柔らかかった。

 すると時夜見が、俺に向かって満面の笑みを浮かべた。
 何これ、可愛い。やっと笑ってくれた。

「有難う」

 時夜見の言葉に、何度か頷き、俺は室内へと戻った。


 そして――ここ数百年、本気で失敗したなぁと思っている。

「ニャァ」

 相変わらず時夜見の前で、この猫は鳴く。
 しかし時夜見が討伐に出ると、人型になり、俺をせせら笑うのだ。

「貴方も討伐に出かけたらどうですか? この無職がっ、フフ」

 暦猫は、性根が悪かった。腹黒かった。最悪である。

「貴様こそ、いつまで人型が取れないフリをしている気だ?」
「時夜見が気づくまでです。そうしないと、一緒の布団で眠れませんので」
「バラしてやる」
「何回も貴方、バラしたでしょう? その時、時夜見が信じたのは、貴方と私のどちらです?」
「くっ」

 息を飲み、俺は舌打ちを誤魔化した。

 確かに、俺が暦猫の正体をバラそうとしたり、悪い方面の事を言うと、大変哀しそうな顔で時夜見が俺を見るのだ。やっぱり、暦猫を飼うのは駄目だったのか、等と言いながら、泣きそうになるのだ。すごい……ムカツク。むかつきすぎて、笑えてくるな、さすがに。

「時夜見がいない間に、捨てるぞ」
「そんな事をしたら、時夜見がどんな顔をするか」
「……んー、あー……」

 そこで俺は思いついた。暦猫を捨てられないんなら、俺が家出してみるか。
 時夜見鶏、探しに来てくれる、よな?

 仮に来なかったとしてもだ、泣きくれた日々を送る(よなぁ、さすがに)。そしてそんな時夜見を見たら、慰めたりするために、コイツも姿を人型にして、言葉を話すんじゃないか? 良い考えに思えてきた。

 それに最近、俺は土地などを生み出していない。

 他の神々もついでに生み出せば、相対的に、現在三人しかいないから価値が上がっている暦猫の評価も下がるかも知れない。そうだ、可愛い犬でも作ってやるか。

「おや、どちらへ?」

 銀髪を揺らしながら、暦猫が言う。
 神の外見年齢は様々だから、寧ろ暦猫は、俺に近い年齢に見える。

 そうだな、時夜見が今、ギリギリ二次成長を迎え始めた十代半ばくらいの見た目だとすると、コイツは二十代前半だ。ちなみに俺は、二十代後半にさしかかったくらいの見た目だ。初めからこの姿だったし、不老不死のような物だから、俺はもう成長しないだろう。
どうやら二十代半ば前後で、神の外見年齢は止まるらしい。

「貴様には関係ない」

 俺は暦猫にそう返し、移動魔法で姿を消した。

 その内に、俺は、まぁ簡潔に言えば、ヤリチンと化した。

 とりあえず犬が生まれる卵を作り、その後は神世界の一角に自然と生じた強い力から、もう一つ卵を作った。此処までは、比較的本気だったが、後はもう、適当だった。

 人間を相手にしたり魔族を相手にしたりしつつ、山や川などに自然発生した精霊と交わったりもしながら、それはもう、ぎょうさん神々を作った。体を重ねて作るよりは、本体同士でぶつかり合いその時の衝撃で卵を作る方が圧倒的に多かった。

 何故なのかそれ以外の方法で、俺が本気で子供を愛そうと思って作ると、母親側の種族として産まれて、皆短命だったのだ。

 辛い、辛かった。

 だから俺はもう、子供は、神の力で生み出すに止めて、かつ飽きて、神界へと戻った。

 戻ってから、住む場所が無いので、時夜見の所に行こうかと思ったが――ふと思い出した。

 そう言えば、一度も探しに来なかったな。

 さらには、神界には、時夜見がいるというのに、≪邪魔獣モンスター≫が溢れかえっていた。

 俺がいない間に、一体何があったのだろう。
 そんな事を考えていた時、時夜見鶏がやってきた。

「……聖龍」
「……なんだ?」

 今更謝っても遅いからな、てめぇ。そんな心境だ。

「暦猫から聞いていた。聖龍が、新たな神々を生み出すための神聖な仕事をしていることは」

 なんだと? そんな仕事、してないぞ(いや二回だけやったが、残りはただの、ええと、要するに、溜まってたから排出したんだ)。不可抗力だ、ただの。

「聖龍がいなくなってから少しして、魔力が満ちて、暦猫は人型をとれるようになったんだ」

 魔力というのも、本体の力を説明するために、呼称しているのだろう。
 しかしなんだその、いきなり人型を取れた感じ。

 まぁ……時夜見鶏なら、人(神)を疑わないし、信じたんだろうな。

「俺を信用して……≪邪魔獣モンスター≫退治を任せてくれて、それで安心して子供神を産み出したんだとも聞いた」

 何て都合が良い――俺は決めた、暦猫は信用してはならない。

「……でも俺は、期待には応えられなかった」

 確かに周囲には、≪邪魔獣モンスター≫の気配が溢れている。時夜見なら数分で一掃できそうなのに、不思議だった。

「聖龍が前に――貴重な命だって言っていたのを思い出すと、俺は、殺せない」

 思わず言葉に詰まった。
 そう言えば、そんな事を言ったかも知れないが、俺ですら記憶が曖昧なのに……!
 なんて優しいんだ。時夜見――!!

「時夜見鶏――命には、始まりと終焉がある」
「……ああ」

 表情こそ変えないが、時夜見は苦しんでいるのだろう。

「確かに命は平等だ。だが、他者の命を奪い、他者に害を与える物を放置することは出来ない。それは、分かるか?」
「……分かる」
「誰かが手を汚さなければならない。違うか?」
「……」
「お前が産まれる前は、私は一人で、そうしてきた」
「聖龍……」
「苦しむのは分かる。ただな、神界を統べる者として私は、皆を守らなければならない」
久方ぶりに俺は威厳を演出した。
「しかしお前にだけ、その責務を負わせたのは酷だったな」
言いながら、そういや、神様が増えすぎて今、神界も大混乱なんだろうなぁと思い出した。
「――これからは、皆で戦おう。私はその為に、軍を作る。力になってくれるか?」
「……分かった」

 このようにして、<鎮魂歌レクイエム>が生まれる事となった。

 名称は、時夜見鶏が使っていた魔術書の、第四章のタイトルから拝借した。意味はよく知らないんだけどな、なんか格好良さそうだったからな。

 しかし、それにしてもだ。

 とりあえず、暦猫星霜とは話を付けなければ。
 アイツ、純情な時夜見鶏に、何を吹き込んでるんだよ。イライラした。


「おや、お久しぶりですね。帰ってきたんですか」

 暦猫は、さも自分の家だという顔で、応接間のソファに深々と背を預け、面倒くさそうに俺を見た。いや、此処は俺の家だぞ……いやいやいや時夜見鶏の家か。

「時夜見から聞きましたよ、軍を作るそうですね」
「ああ」
「ですが、本当に貴方も人(神)望が無いですね」
「どういう意味だ?」
「現在、貴方と時夜見以外のメンバーがいないんだとか」

 嘲笑するような暦猫の姿に、俺の笑顔は引きつりそうになった。

 無職ばかりの神界だから、すぐに人手は集まるだろうと思っていたのだが……さすがは俺が生み出した神々。みんなやる気が欠如している。

「貴様を誘う気はないぞ」

 ただどーせコイツは入りたいんだろうなぁと思いながら、俺は冷淡な声で告げた。

 間違いなく暦猫は、一日の内の約半分であっても、時夜見鶏から離れるのが――そして俺と時夜見が一緒にいるのが気にくわないはずだ。絶対誘ってやらない。

「結構ですよ、別に。第一、私を誘いたいんであれば、それ相応の職場を用意していただかないと。そうですね、この宮殿よりは最低限立派なものを。尤も、貴方に用意できるとは思えませんがね、超越聖龍」
「なんだと?」

 売り言葉に買い言葉、みたいな状況なのは分かる。が、確かに俺には用意など出来ない。

「まさか貴方が、こんな宮殿を建てられるとは思いませんでしたよ。誰にでも一つくらい特技はあるのですね」

 ん、何の話だ? いや、この家建てたの、時夜見だぞ。何か勘違いをしているのか。

「貴方が神界で初めて、建築を行ったそうですね。その後も、増改築に当たっては、貴方が指揮を執ったのだとか」

 確かに俺は、掘っ立て小屋を建てて住んでいた。あれは自作だ。この神界初だろう家だと言えなくもない。

 それにこの宮殿(?)を増改築する時は、時夜見にあれこれ指示を出していた。よりぐうたら出来る快適な空間を目指した結果だ。しかしながら、俺は希望を出しただけである。

 そのくらい――この性格がねじ曲がっている暦猫にも推測できそうだ。

 あ。
 まさかコイツ、実は俺に戻ってきて欲しかったんじゃねぇの?
 可愛いところ、あるじゃん。

「なるほど。相応の職場――宮殿を用意すれば、働くんだな」
「ええ、良いでしょう」
「その言葉、忘れるなよ」

 それに同じ職場だったら、イヤミとかイヤミとかイヤミとか、言えるしな。何せ上司は俺だからな。気晴らしにも丁度良い。思わず俺は喉で笑った。


 そんなこんなで、≪邪魔獣モンスター≫討伐を再開した時夜見を、俺は探した。

 一段落した様子で、次第に商店街なども、できはじめた神界の通路にいる時夜見の姿を発見した。本当――人形みたいに、端正な顔だ。

「何をしている?」

 石段に座り込み、何かを手に、ぼんやりとしていた時夜見が顔を上げた。

「愛の三十人キス計画」

 ポツリと時夜見がそんな事を言った。

「聖龍も、キスしたことあるか?」

 首を傾げた時夜見に真顔で言われ、俺は硬直しそうになった。

 そりゃあ、ある。俺は、下半身がユルユルだと、これでも自覚している。恐らく時夜見は、詳しく神産みのことなど知らないから、純粋に聞いているのだろう――が、なんだその、不穏な計画名は。

「……ま、まぁな」

 答える声が震えてしまった。

「頬や額に唇を押し付けると、その……子供が出来るのか?」
「いや、無い。出来ない」

 反射的に反論していた。するとよく分からなそうな顔で、時夜見鶏が頷いた。

「じゃあ子供はどこから生まれてくるんだ?」
「あ、頭からの場合が多い」

 嫌でもこれは、人間の場合か。
 だけど、股から出てくるとか、こんな純粋な時夜見鶏に、俺は説明できなかった。
 それに神様同士というのは、まだ俺にも経験がない。

「時には、頭が逆さに出てくることもある――どうしたんだ、いきなり。案ずるな、お前は鶏が本体だから、きっと卵だ。コウノトリが、運んでくるんだ」
「……さっき、声をかけられた。計画のために、キスしろって」
「なんだと?」

 俺は顔を引きつらせた。確かに、確かにだ。見た目はもうこれ以上ないってくらい、時夜見は、綺麗だ。少年特有のアンバランスさを持ち合わせている。

 俺は男もイけるが、少年愛は、イけない。もしイけてたら、確実に、時夜見は何か孕んでる。違うんだ、俺の中で時夜見は、聖域なんだよ!

 その聖域を、誰かが汚したというのか? 誰だ? 嬲って消滅させちゃおうかな。

「それで、写真ていうのを撮ったんだ。これだ」
「……っ」

 見れば、そこには、時夜見に勝るとも劣らない実に愛らしい少年(?)か少女(?)が映っていた。こちらもまた、非常に非常に綺麗で、最早性別の判定すらつかない。時夜見が、金色の巻き毛のその子の白い頬に、目をつぶって、チューしようとしている。

「この後、キスしたのか?」
「いいや。子供が出来ても、俺も子供だからまだ育てられないと思って、しなかった。そうか、キスじゃ、子供は出来ないのか」
「ああ」

 ああ……っ、やっぱり可愛いなぁ、時夜見。

「その後は、この子が、俺を道に立たせて、『キスしたくない?』って道いく神々に声をかけて、なんだか赤い顔になったように見える神々がやってきたんだ」
「――何?」
「絶対俺の方が年上なのに。みんな俺のこと、子供だって言うんだ。失礼だ」
「失礼というか……なんだと? そ、それで?」
「その後、この子が別の誰かを連れてきて、その人達同士でキスさせてた。俺と違って、ちゃんと」
「ほう」
「それで写真が三十枚になった時、この子が言ったんだ。俺がいると、写真の素材になる人がいっぱい釣れるって。魚類の神様だったのかな? 赤くなってたから、赤い魚の神かな?」
「……確認事項は二つだ。一つ、お前は誰ともキスしなかったんだな?」
「当たり前だ。暦猫が、キスしたら子供ができるって言っていたからな。だから誰ともキスしちゃ駄目だって」

 たまには良いことをするんだな、暦猫も。

「もう一つは、その、最初にお前にキスを迫った相手の名前は?」
「ああ、愛犬天使って言ってた」
「犬………か」

 俺は最高神なので、この世界にいる神々のことなら、ちょっと意識すれば誰でも分かる。

 ……ああ、自分の蒔いた種だったよ。俺が暦猫への仕返しに産まれろと願った、あの犬だ。

 ということは、もう一匹もどこかに生まれてるな、これ。愛犬がこれなんだから、もう一人までそうだったら困る。サーチしてみると……空神だった。幸い、まだ幼児(神)みたいだから、放って置いても大丈夫だろう。

「時夜見」
「……なんだ?」

 俺の引きつった顔を見て、怒っているのかという風に、時夜見が首を傾げた。

「知らない人(神)には絶対について行っちゃ駄目だ。いいな?」
「……ああ」

 俺の気迫に気圧されたのか、おずおずと時夜見が頷いた。
 それを確認し、安堵してから、俺は本題を思いだした。

「所で、本題だ」
「?」
「実はお前に、宮殿を造って欲しいんだ。<鎮魂歌>のな」
「俺が……?」
「ああ。お前の腕前を、信頼している」

 俺の言葉に、時夜見が嬉しそうに頷いたのだった。


 その後暫く経った。

「聖龍」

 呼び止められた俺は、俺自身も≪邪魔獣モンスター≫退治に復帰していたので、少しだけ疲れながら、時夜見を見た。

「どちらが良い?」

 何の話だろうかと視線を向け、俺は絶句した。

 そこには、さも古から聳え立っている風の宮殿と、何もかも最先端と言った形の外見からしてアヴァンギャルド(古いか、この表現)な宮殿(? なのか、こ、これ)が建っていた。

「新旧両方作ってみた。好きな方を使ってくれ」

 俺の答えにドキドキするような目で、時夜見が頬を持ち上げた。

「ああ、じゃあ、両方で」
「両方?」
「ああ」

 駄目だ、俺には、どちらか一つなんて選べない。
 時夜見のこの無駄すぎるとも言える才能が怖い。

「分かった。暦猫が言うには、引っ越しもした方が良いらしい」

 ――引っ越しだと。
 まさか、アイツ、俺を追い出す算段だったのか?

「そ、うだな。時夜見も一緒に暮らそう」
「俺も?」
「ああ。勿論前の家は自宅として良い。ただ、軍が落ち着くまでは、側に待機し……私と一緒にいて欲しい」
「そうか」

 何の疑問も持たずに頷いた時夜見を見て、俺は安堵した。


 このようにして、正常化機関<鎮魂歌>は活動を開始した。

 しかしながら、TOPにいる俺、文官的な雑務をする暦猫、武官的な雑務をする時夜見鶏の三人(神)しかいなかった。

「……まさか本当に宮殿を建てるとは」

 普段仕事をしている、旧宮殿コルテ・ヴェッキアで時夜見鶏が仕事へ出かけたのを見送った後、残された俺と暦猫は執務室にいた。

 時夜見鶏が淹れるお茶には叶わないが、恐らく暦猫の淹れるお茶は神界第2位だ(ここには3人しかいない上、3位は俺だ)。ちなみに旧宮殿というのは、あくまで見た目の話しである。どちらの宮殿も同じ日に完成したらしい。

「さすがは最高神ですね」

 褒められて悪い気はしない。
 しかし当然だという顔をして、俺は余裕のフリをした。

「貴方が数多の神々を生み出し神界に戻ってから、街ができ、市街も活性化しています」
「そうか」
「そろそろ通貨を制定した方が良いでしょうね。現在の物々交換では、限度があります」
「そうだな」

 面倒くさいが、暦猫はそういう仕事が好きらしいから、押し付ければいいだろう。

「通貨の単位はどうしましょうか」

 神だし、GODとかで良いだろう。

「ゴーっル、ドで良いだろう」

 適当に考えていたら、俺は舌を噛んだ。あんまり滑舌良くないんだよ。

「ゴールドですね。略字表記はGにしますか。貴方から、まともな案が出てくるとは……」

 その様にして、通貨の単位は決まってしまった。
 そこに、時夜見が戻ってきた。

「――はぁ、それにしても、人間界のように、金貨・銀貨・銅貨では、管理が面倒ですね」

 丁度暦猫が呟いた時だった。

「まぁ神は、」

 持ち運ぶ手段も数多あるだろう、と続けようとしたら、勢いよく暦猫が机を叩いた。行儀が悪い。時夜見が真似したらどうするつもりだ!

「紙ですか。紙幣! なるほど!」

 え? 暦猫、どうしていきなり興奮し始めたんだ?
 訳が分からず、とりあえずまぁいいかと思い、俺は時夜見を見た。

 俺は時夜見が帰り次第、なんかこう格好いいTOPにいる俺の認め印のデザインをして貰うつもりだったのだ(勿論、作るのも時夜見だ)。

「時夜見、デザインして、作ってくれ」
「……ああ」

 いつもの通り頷き、時夜見が踵を返した。あ、何をデザインして欲しいのか、言うのを忘れた。後で言おう。そんな時夜見鶏の後を、何故なのか全力疾走で暦猫が追いかけていった。


「いかがでしょうか」

 数日後、俺は執務室で、ポンポンポンと判子を押しながら、顔を上げた。
 さすがに時夜見は、センスが良い。

「これが100万ゴールド、こちらが50万ゴールド、これが1万、5000、1000ゴールドの紙幣です。更に細かい500G、100G、50G、10G、5G、1Gは硬貨にしました。50万と1万には多大な額の差がありますが、標準的な使用率を考えると、これが適正です」

 興奮したように、暦猫が俺の前に紙や何らかの鉱物(?)を並べた。ただ一つ分かるのは、どれにも意匠が施されていて、こんなに芸術的なのだから、時夜見の手が入っている事だ。

「好きにしろ」

 俺はよく分からないからそう言いつつも、多分、貨幣なんだろうなと思った。
 貨幣ができたと言うことは、今後給与も払わなければならない。

 ただ、現状では、こちらで勝手にお金を作っているのだから、今ならばいくらでも作ることが可能だろう。その内に、早いうちに、軍に入ってくれる神を見つけないとな。

「暦猫」

 俺が告げると、暦猫が顔を上げた。
 よく見れば、中々綺麗な顔をしている。猫そっくりの瞳とか、綺麗だ。

 ただ何とも言えない、プライドが高そうな気配がまとわりついている。
 ただし時夜見鶏のように、畏怖するようなものではない。

 多分俺はこの頃になると、懐かない猫を相手にする気持ちで、暦猫を見ていたのだろう。
 懐かない猫って、何か良いよな。
 たまに甘えてきたりすると、キュンとするだろ。

「そろそろ本腰を入れて、勧誘を強化しよう」
「ええ。特に医学知識がある者は必須ですね」

 頷いた暦猫を見て、嫌なことを思い出してしまった。基本的に怪我をするのは、俺か時夜見だ。この世界で現在、一番治癒能力が高いのは俺だ。何しろ俺が死んだら世界は滅亡する。

 代わりに一番攻撃力が高いのは、最早紛れもなく時夜見だが、元々体の怪我に無頓着なのか、怪我をしても何も言わない事が多い。手当自体も、本人が自分でやるか、時夜見と一緒に暮らす内に覚えた暦猫がしている。

 俺はいつか時夜見が、とんでもない怪我を負って生死を彷徨うのではないかと不安だった。この俺を、どんな神でも再出現させられる俺を、不安にさせるのだから大した物だ。

 だが再出現させる事がいくら出来ても、もう今の時夜見とは違う存在になる。

 俺は――多分、今の時夜見だから、側にいると安堵するのだろう。今の時夜見じゃなきゃ駄目なのだ。中身が違ったらもう、それは時夜見じゃない。


 そんなこんなで、時夜見も交えて、俺達は勧誘活動をする事になった。

 時夜見を交えたのは、怪我をしたのが気配で分かったため、念話で勧誘業に尽力するように通達したからだ。

 結果――……三日後、時夜見が5000人(神)も連れてやってきた。

「はじめましてっ、聖龍様」
「……貴様が、愛犬天使か」

 本体が犬であるのを察知し、そして本体には暦猫によく似た羽が生えているのを関知しながら、俺は笑顔が引きつりそうになった。

 無表情の時夜見の腕に両手を絡め、そこでは綺麗な少年が微笑んでいた。

 しかしながら少年を愛好する趣味がない上、少年同士の絡みにも興味がない俺には、ただソレが、不愉快だっただけだ。

 コイツが、コイツが――愛の三十人キス計画などという訳の分からん計画の実行者か。

 こめかみに血管が浮きそうになる心境とは、こういう事かと、俺は笑顔を引きつらせた。

「医者も兵士も揃った」

 淡々と時夜見が言う。

「身元も確かですッ」

 愛犬が、額の前でピースした。俺は中指をたてた。
 指と指の無言の戦争の開始だった。

「根拠はなんだ?」

 俺の問いに愛犬天使が、僅かに頬を染め、両手を顔に当てた。

「いやだなぁ、体で確かめたに決まってるじゃありませんか」

 確信したのだ、俺はその時。俺がヤリ神だとすると、コイツはヤリマンだ。ちなみにマンは、その、女性型の秘所ではなくてMANだ。

 ただし雰囲気で、どちらが下か上か分かる俺は、コイツはつっこまれる側だと確信した。ホモ。ホモだ! 別に俺もどちらでもイけるとはいえ――まさか、時夜見に手を出していないだろうな? 俺は気づけば険しい顔をしていた。

「まだ……足りないか?」

 すると不安そうに、時夜見が言った。

「いや、十分だ……」

 十分なんだけどな、おい! ふざけるなよ、時夜見は駄目だからな!

「良かった。少しは役に立てたか?」

 すると、はにかむような顔で時夜見が言った。うわぁ……苦しい。俺は、時夜見を悲しませるようなことは言えない。だってな、最早、息子同然なんだ。

 最近は、前よりも少しだけ、時夜見の表情変化が俺には分かるようになってきたから、尚更だ。まぁ一見すればただの無表情なのだろうが。

「ただし、<鎮魂歌>で働く以上は規律正しくしろ。職場内恋愛は認めない。愛だの恋だのにうつつを抜かす暇があるなら、働け。良いな?」

 手を出すなよ、時夜見に手を出したらぶっ殺すからな、本当消滅させるからな、と思いながら俺は愛犬天使を睨んだ。睨め付けた。睥睨した。

「聖龍、ソレは無理だ」
「なっ」

 しかし思わぬ所から、なんと、時夜見から反論が返ってきた。
 え、嘘……もう惚れてるのか!? お父さん(?)認めないからな!

「愛犬がいないと、みんな辞めるって言ってる。そして愛犬は、毎日誰かと体を重ねないと、死んじゃう病を患っているから、毎日違う人と恋をしないとならないそうだ」

 なんだその理屈は! そんな病神界にあるわけ無いだろ! このヤリMANビッチ!

「そうそう。俺の恋人日替わり何で。あ、聖龍様。ご安心下さい、僕『も』少年趣味は無いんで」

 なんだと、なんだよ、今の『も』って……!

「俺、オッサン趣味で、外見、人間で言うところの三十後半からしか基本受け付けないんです」

 愛犬天使と言ったな、貴様の嗜好や性癖になどまるで興味が無いからな!
 と、言いたかったが、俺は鼻で笑うに止めた。

 このようにして、兵士も増え、貨幣の流通も始まり、一時神世界は平穏になった。

 話してみれば、暦猫も愛犬も、第一印象よりは、悪い奴では無かった。

 暦猫は、最初に優しくしてくれた、だとか理由があるのかは知らないが、なんだかんだで時夜見のことを思って行動している。

 そして愛犬は、いつの間に仲良くなったのかは知らないが、時夜見の初めての『友達』の座におさまったらしい。

 それに仕事の関係だろうが、暦猫は、少なくとも人前では俺をたててくれる。

 愛犬は、働き出す前から、俺が最高神だとよく分かっていた様子で、低姿勢だ(愛や恋が関係無い場合に限るが)。時夜見にも、友達だから手を出す様子はない。

 なお時夜見鶏は、会った時から、相変わらず変わらない態度だ。

 強いて言うならば、≪世界樹≫が人間界で出現し、人間の器を得て以降、ぐんぐんと見た目が成長した。今では、二十代に見える。身長も俺と変わらなくなった。可愛かった見た目は、今では精悍で、格好いいと評するのが適しているだろう。

 そして。

 昔から、武力は言うまでもなく――多分俺以外なら、ちょっとでも時夜見が苛立ちでもしたら、消滅の危機だろう――謎の(何て表すれば良いんだ、料理に芸術に……)才能を持ち合わせていた時夜見鶏の、新たな才能も俺は知る事となった。

 <鎮魂歌>の内部も外部もそれ相応に落ち着き、師団がいくつも形成され、≪邪魔獣モンスター≫退治は基本的に、師団が行うようになった頃だった。

 そろそろ、討伐だけではなく、様々な意味合いで、神世界の正常化を行うことに決まった(というか暦猫に提案され、俺は頷いた)。通貨は既に決定されていたし、街の建築なども、最近では商売が趣味の神々が行っていた。

 しかしそれに伴い不正が起きたり、逆に誰も統一していないことで、値段の上下が激しかったり、あるいは≪邪魔獣モンスター≫に襲われ、大きな打撃を被った場所があったりしたため、なんとかしようという話しになったのだ。

 本音を言えば、俺はダラダラしたい。
 こういう雑務処理など、最も苦手とするところだ。
 こういうのをやらなくて良いように、<鎮魂歌>とか作ったような気がすらする。

 だが無情にも、会議の時は訪れた。

 初めての会議の日――愛犬天使が遅れるとのことだった。最初にも関わらずな。
 だから、俺と暦猫と時夜見の前には、先にレジュメが配られた。

 本日の議題だ。
 パラパラと捲っては見たものの、活字嫌いの俺の頭には何も入らない。

 暦猫は、このレジュメを作った張本人だし、全て頭に入っている様子で、めくりすらしない。これまで、芸術作品(?)を作るか、戦っているだけだった時夜見鶏は何を考えているのだろうか。

 少しだけ興味がわいて、俺は思考を簡単に閲覧することにした。最高神だから、他者の頭の中を覗くことくらいは出来る。後は、その時進行中の場面を視たり出来る(人間の性行為とかを見るためにな)。



――会議:レジュメを事前に見ておく
――一つ目が:コルヴァルタ渓谷の≪邪魔獣モンスター≫の駆除
――討伐。俺が処理。
――次が、旧宮殿と新宮殿の調査……建築年代の調査? 聖龍の資料室の右から三段目のファイルに載っている。
――三個目は――……



 時夜見鶏が考えたことの要点だけを何とか見て取り、眺めている内に、レジュメの最後まで回答が出された。流石は時夜見。感情までは、今の俺では読めなかった。

 愛犬が来た後、俺はさもソレが自分の意見である風に言った。
 暦猫と愛犬が、感動したように俺を見ている。
 時夜見はどう思っているのかと再び視線を向けてみた。

『――俺が考えつく事は、聖龍は最初から思いついている』

 全く考えていなかった俺であるが、無事に会議を乗り切ることには成功した。

 やっぱり、頭も良かったんだな、時夜見……だけど、俺の怠惰さと、暦猫の腹黒さと、愛犬のビッチ度合いに気づいていない辺り、人(神)としては、馬鹿だな。


 ちなみに俺は、大層酒癖が悪い。

 後、基本根はネガティブなんだ。もう全てが嫌になって、何度世界を滅ぼそうと思ったか分からない。

「俺なんて、俺なんて……ッ」

 泣き上戸の俺の本領発揮である。

 既に時夜見も愛犬も、外見だけは育った。だが最初から何の違和感も無く連れて行ける、暦猫を俺は仕事終わりに伴って、飲みに出かけた。これでも最高神の俺は、仕事が忙しくて、中々飲みになんて来られない。だから事前約束とか無理なんだ。

 どうしても暦猫が捕まらない日は、時夜見に『今夜は暇な事』を予知させて無理矢理飲みに誘うんだけど、アイツも忙しいしな。何より、子供あるいは弟みたいな時夜見に、こんな情けない姿を見せたくない。

 ぐずぐずと泣きながら、ワコク酒を徳利に注ぐ。

「本当貴方は駄目ですね。駄目人間を装っているのかと思ったら、中身まで駄目だったとは」

 呆れたような、失笑するような顔で、暦猫がウォッカを飲んでいる。
 ここは≪聖神宴≫――<鎮魂歌>最寄りの、酒場だ。

 全室個室で、大抵四人がけの畳+掘りごたつ付きの場所に俺達は通される。確実に密談用という態だ。ワコク風の室内が、越後谷&お代官様を迎える感じで、並んでいるのだ。当然俺は一番偉いので、一番良い部屋に通される。

「だってなぁ……ううっ、酷くないか? 空神族!!」

 俺の目下の悩みは、空族の神々だった。俺から、最高神の座を奪おうとしているのだ。っていうか、奪えるのか? 最高神って、一応、簒奪できる位とは違うはずだ。

 だが、空神は、俺がバコバコ生み出した数多の空神の眷属を従え、まだ十代にしか見えないが、この世界に五番目に顕現した空神である空巻朝蝶を旗印に俺を狙っているのだ。

 対抗して時神族も作ってみたが、結局時夜見鶏が一番強いので、現状ではあまりよく存在意義が分からない。

 <鎮魂歌>も出来て大分たつし、神世界を守るという、最低限の目標は、空神とも共通している。それも一つの師団を任せられるくらい、朝蝶は強い。

 悪く見積もっても、時夜見の頬に切り傷を付けられるくらいには強い。そんなのに、力を抑えている平常時の俺が仮に攻撃されてみろ……消滅だ!

「別に<鎮魂歌>の最高権力が欲しいのなら、私は固執しないからやる」
「聖龍……」
「だがな、この世界の他の神々は見捨てられない」

 いや本音を言えば見捨てても良いんだけどな、見捨て方が分からない。
 どうやって俺は、最高神から降りれば良いんだ?

「時夜見も愛犬も貴方の味方です――そして、私も」

 慰めるような声で、暦猫に言われた。
 宝石みたいな緑色の瞳が俺を見ている。

「あああ、もうッ、やっていられるか!! 飲むぞ!!」

 何もかもが嫌になって、俺はボトルをれた。
 本当、こんな世界消滅してしまえ!

「そう、やけにならないで下さい……私では、貴方の側にいる価値も、貴方を慰めることも出来ませんか?」
「はぁ? なんだ急に」
「やはり――時夜見鶏でなければ駄目ですか」

 何言ってンだコイツ。
 怪訝に思いながら、届いた酒の蓋を俺は開けた。

「初めて見た時から――……私は目を惹かれました」
「酒酒酒」
「嫌ちょっと自嘲して下さい。私の話を聞いて下さい」
「どうせ説教だろう。聞きたくない。今は、飲むんだ!」
「ああ、もう!」

 俺がドクドクと酒瓶を傾けていると、何故なのか隣に暦猫が座った。
 酒の酔いが回ってきて、俺は暑くなってきた。
 プチプチと時夜見から貰ったシャツのボタンを外す。

「私は、貴方のことが好きなんです。私がどれだけ好きかなんて、ご存じないんでしょうけど」

 何故なのか、暦猫は怒っていた。が、俺の方がやるせない気持ちでいっぱいだ。

「酒の話か? お前ワコク酒飲まないだろう。ウォッカばっかり」

 それでも精一杯の親切で聞いてやった。

「違います」
「じゃあ何だ?」
「貴方が好きなんです」

 そう言うと暦猫が、かみつくように俺の唇を奪った。
 いやぁ俺、そうした事はあるけど、そうされた事はあんまり無い。
 暫く唇を貪られたので、反射的に舌を入れた。

「っ」

 すると暦猫が目を見開いたが、誘ってきたのは向こうなんだからと思いながら、口腔を貪る。暫しの間をおき、唇が離れた。

 そこには、赤面しながら肩で息をしている暦猫がいた。

 うーん、こういう顔をしていれば、綺麗だな。けどこいつ、基本的に時夜見のことが好きなんだろうし――一体今度は何を企んでいるんだ?

 俺はただれた性生活しか送ってこなかったので、いまいちよく分からない。
 ただ。

「いくら酔って、素を見せている風に見えようがだ。私が、誰かにつけいられる隙など見せるはずがないだろう」

 失笑混じりに告げた。だってな、弄ばれて捨てられるだとか、俺は許容できない。
 それで久々に威厳たっぷりに言ってみた。

「っ」

 暦猫が息を飲んだ。そんな顔まで一々綺麗だから頭にくる。

「私を好きに出来ると思うな」

 っていうか、ああ本当、愛とか恋とかそう言う気持ちを利用されるのは、最悪に嫌だ。そうする奴も最低だと思う。俺は確かにヤリ神チンだったかもしれないが、嫌がる相手を無理に従わせた事は一度も無い。

「興が冷めた。帰る」

 淡々とそう告げると、ハッと暦猫が我に返ったような顔をした。

「ま、待って下さい。私は――」
「今は何も聞きたくない」

 結構これは、俺の本心だった。

 多分俺はその時相応に、暦猫の事を好ましく思っていたのだろう。
 勿論信頼感という意味だ。部下として、友人(?)として。

 その気持ちを利用されるのなんて、堪えられなかったのだ。



 ――聖龍暦:7251年(他色々と開始)


「そうか」

 俺と暦猫は、飲みに行く機会も減った。
 俺が悪いのかも知れないが、利用される気はサラサラない。

 暦猫は、最近では俺に事務的な会話しかしなくなった。別に、それで構わなかった。

 最高神である俺に元々話しかけてくるのなんて、時夜見ぐらいのものだったのだから。
強いて言うなら、一度だけ愛犬が率先して寄ってきた。

 抱いてと言われて、抱いたが、それっきりだ。

 愛犬天使は、日替わりで恋人がいる。ただ――快楽で理性を飛ばしてやった時、『時夜見』と呟いた気がする。本人にその記憶があるのか無いのかは知らないが、以降は寄ってこなくなった。恐らく、時夜見が好きなんだろうが、好きすぎて手が出せないのだろう。

 根は純情だ。
 一方の暦猫は、俺のそうした下関係の話を全部知っているはずだ。

 暦猫星霜の能力は、『事実を記録する鏡』を持っていることだから。感情まで反映されないが、例えば『SEX』したら、『○○と××が性交渉した』、と、暦猫が持つ分厚い本(鏡)に刻まれる。

 で――俺と暦猫は何の話しをしていたのだったか。

「ええ。単刀直入に言えば、時夜見鶏と空巻朝蝶は、一対一で鬼ごっこをし、捕まった方が、条件を一つのみます」

 ああ、そうだ。あの二人が、本気で戦ったらこの世界が滅ぶから、落としどころを見つけてくれと俺は言ったのだ。

 今ではもう、仕事の話し以外では、暦猫は俺と口をきいてくれない。それでも時に、俺はたまに聞きたくなる。どうしてあの時、俺にキスをしたのかと。

「会談の結果は?」
「朝蝶側は、殺戮をしない条件で、捕まえたら一つ要求をのんで貰うとのことです」

 微妙だなと俺は思った。
 空神族は、明らかに神々の肉体及び本体の研究をしている。

 今のところ、俺以外が神を産み出した、要するに産ませた事例はない。そして、俺ですら未だに、神を相手に孕ませた記憶はない。例えば山の神々相手に交わったとしても、それは俺から見れば神ではない、精霊と呼ぶのが相応しい。

 もし仮に俺が、空神族の長であり、子を熱望されているとしたら、確実に自分と同等あるいはそれ以上の力を持つ時夜見鶏を――そう言った意味で狙う。

 ただその気配も光景も見られないのは、互いに仲が悪いからだろう。

 時神としての時夜見鶏の実力が知れて以後、時神の軍団を作った時神の一族もまた、時夜見の子を熱望している程だ。空神も時神も最近は女神を探す事に躍起になっている。

 まぁ、別に同性でも子供は生まれるかも知れないが(俺の感覚的に)。
 それにしても本当に、時神と空神の仲は悪い。

 恐らく対として並ぶ神々(というか対空族用に時神族は俺が作ったので、確かに並んでいて当然)なのにもかかわらず、俺の寵愛が、時神に傾いているからだ(あたりまえだろうが!)。

 本当にこればっかりは、しかたがない。なにせ、時夜見鶏は、我が子のようなものなのだ。

 そして空族……空神族は、最高神の座を狙ってるんだぞ?

「時夜見は――刺して磔にして、石壁などに朝蝶を拘束し、二時間ほど眺めるとの事です」

 怯えるように続いた暦猫の声に、思わず眉を顰めた。
 なんだそれ?
 精一杯、酷い処遇を考えた結果か?

 だろうな、時夜見が、あの≪邪魔獣モンスター≫を殺す事さえ渋っていた時夜見が、そんな残酷な事などするとは思えない。

 今ではもう、力が強すぎて、(会議の時だけ必死に)意識しないと、時夜見鶏の考えは読めなくなった。だから真意は分からないが……いやでも、まさかなぁ。

「そうか」

 聞いた俺は、だから淡々と頷いた。
 時夜見鶏はきっと他に、どうする事も思いつかなかったのだろう。



 ――聖龍暦:7751年


 最近、俺は胃がキリキリしている。
 暦猫が、全てが記録してある本(鏡)を見ながら、俺の横で溜息をついた。
 俺も溜息をつきたい。何せそこには――……

・時夜見鶏が朝巻朝蝶を追い、捕まえている。
・磔にして、拷問している。
・蝋燭を垂らす拷問である。

 と、記されていたのだ。

 蝋燭……蝋燭だと? これが世に言うSMか? 俺は生憎アブノーマルな行為には興味がない。しかも、空族の話しだと、無理矢理好みの服を着せ、いたぶっているという。人目に付かないところでは、攻撃までしているのだとか。

 勿論、相手は空族だから、何処までこの話が本気かは分からないが、執拗に時夜見が朝蝶を追いかけている姿は俺も見ている。

 そもそも、この条件は、二人の間で攻撃が始まるとマズいために設定されたものなのだから、戦意がなければ、追いかける必要は無いのだ。

 だが朝蝶もかなり必死に逃げている様子で、端から見ていると、本当になんというか……時夜見鶏が愛のあまりストーカーと化して、捕まえてはSMプレイに走ったり、それがちょっと痛い系(攻撃)に見えないこともないのだ。

 いやまさか、時夜見に限ってそれは無いだろう。しかし、良い子は突然キレるとか言うしな……これまで寡黙だったが、実は内心あるいは肉体的にドSだったとか?


 そんなある日だった。
 <鎮魂歌>の内部を、仕事から逃げ(サボ)るように、俺は歩いていた。
 そこで、目を疑った。

 俯きがちに苦しそうな顔をしている朝蝶に、歩み寄った時夜見鶏が、右手を振り上げようとしていた。まさかとは思ったが、空神族の報告に寄れば――人目に付かないところでは、攻撃までしている、だとか。時夜見鶏がそんな事をするとは思えなかったが、仮に事実だとすれば、止めなければならない。

 俺は仮にも一番偉い神様なのだから、いくら相手が敵だとはいえ、だ。それに勘違いだったら、時夜見だって否定してくれるはずだ。

「<鎮魂歌>内での攻撃は禁止されている」

 俺は緊張しながら、そう告げた。

 俺をじっと夜のような威圧感を伴う目で見た後、たっぷりと沈黙を置いてから、時夜見鶏が言う。

「そうだな」

 右手を下ろした時夜見鶏のその言葉に、俺は顔が強ばった。

 何、何だって? そうだな、と言うことは、俺が止めなければ、攻撃していたと言うことか? いや、そんなまさか。だが、これが世に言う、『うちの子がまさか』という奴なのかも知れない。

 グルグルと回る思考下で、俺は我ながら険しい表情を浮かべたまま、つげる言葉が見つからなかったので、その場を歩き去る事にした。


 それから暫くして――俺は呆気にとられた。

「時夜見が……ラピスラズリの媚薬を用いて、空巻朝蝶を手込めにしたそうです」

 嘘だろうと俺は耳を疑った。しかし俯いて唇を噛んでいる暦猫の表情に、冷や汗が垂れた。あの、時夜見が?

 まさか、と思いながら、暦猫の持つ記録帳(鏡)を見る。

・朝巻朝蝶がラピスラズリの媚薬を飲んだ。
・時夜見鶏が、男根を差し入れた。
・二人は性交渉をした。

 暦猫の持つ歴史書(鏡)に、嘘は記載されない。
 ならばこれは、確実に時夜見が朝蝶の後孔を暴いたという事だ。

 そんな馬鹿な、と俺は思った。なにせ、愛犬がどんなに求愛しようとも気づかないほど鈍いのだ、時夜見鶏は。両手で口を覆い、眼を細める。攻撃に限っては、相手は敵だし、

 有り得ない訳じゃないかも知れないと、考えるこ事もあったが……よりにもよって、愛だの恋だのストーカーだのSMなんていうのは、俺は信じていなかった。いなかった!
絶対的に、時夜見鶏が、無理矢理そんな事をするとは思えない。

 寧ろ――空神の策略にはまったと考える方が易い。

 とはいえ、とはいえだ。確かに、時夜見鶏(と、暦猫だけ)は、俺が生み出した神ではないが、此処は俺が作った世界なので、よく考えてみれば、やはり子供のはずだ。父親(?)として、時夜見鶏がヤってしまった事は確実なのだから、叱らないと!


 それからすぐに、俺は≪念話≫で時夜見を呼びだした。

「何故呼び出されたかは分かっているだろうな?」

 策略にはまったにしろ……変態的な趣味があるにしろ、どちらにしてもコレは釘を刺さなければならない。そう思えば、自然と声が冷たいモノになってしまった。

 我ながら険しい顔になったのが分かる。
 そのままじっと時夜見鶏を見た。まずい、気を抜くと気圧されそうになる。
 本当に、何でこんなに威圧感があるんだろうな……。

 その上、時夜見は何も言わずに、『それがどうした』とばかりに、首を僅かに傾けて俺を見ている。俺はそんな子に育てた覚えはないぞ! まぁ、俺が育てたなんて事実は無いが。あちらにも育てられた記憶は無いだろう。寧ろ俺が世話されていたような……。

 そのまま沈黙は続き、時夜見鶏からは、何も答えが返ってこなかった。
 結果、俺達は無言のまま、応接間に辿り着いた。

 まずは、悔しそうな――泣きそうになっている蝶々を俺は観察した。
 それを見て、ひとまず俺は安堵した。

 確実にアレは、嘘泣きだ。俺は、よく暦猫や愛犬に嘘泣きをされるので、慣れている。思わず安堵の息が漏れそうになったが、それを空族に悟られるわけにはいかない。何せ、ヤったのは事実で間違いない。

 だとすると、空族達は本気で怒っている様子でわめき立てているが、一体どのように伝えたのか朝蝶の意図が見えない。ただ俺は、こんな事をする朝蝶を半ば蔑んでいた。少し探ってみようか、そんな事を考えながら、表情は変えずに静かに時夜見を見る。

 時夜見鶏は、相も変わらず、いつも通りの気怠そうな眼差しから、夜の気配を撒き散らして、淡々と空族を眺めていた。まぁ、後で弁解することにして、俺はとりあえず朝蝶の意図を探るために、威厳たっぷりに言ってみる。

「擁護しかねるぞ。今回の行いは、最低だ」

 これは同時に、時夜見鶏からの反論が聞きたいという思いもあった。

 具体的に、要約ではなく何があったのかを、感情の動きも交えて、俺は知りたかったのだ。何せ時夜見の感情は、ただでさえ分からないのだから。

 昔はそれでも大分わかるようになっていたのだが、<鎮魂歌>が大きくなり、時夜見が大人の姿になり、離れて師団を指揮する時間が増えてから、会う機会が減る内に、また俺には分からなくなっていったのだ。

 それに今では、最高神の俺に、なにかと美味しい食事を持ってきてくれたり、部屋を掃除してくれたり、服を用意してくれる師団員が増えたため、家事をして貰う事など無くなったから、笑ってくれたり悲しんでくれたりするような表情を、そもそも俺の前では見せなくなったのかも知れない。

 ……だからと言って、だ。ちょっと、時夜見鶏の沈黙が長すぎる。

 何せキスで子供が生まれると思っていた時夜見だ。もしかして、『今回の行い』の意味が、分かっていないんじゃないのか?

 そもそも、これまで性交渉なんて、したこともないだろうし、意味が分かっていないとか……これは、まずいぞ。朝蝶が利用したのは、そこかも知れない。

 時夜見の無知につけいったのではないか? なんてこったい!
 確認しようと、俺は眉間に皺を寄せた。

「性交渉は、同意の下、双方が愛し合って行うべきだ」

 すると暫し沈黙してから、不意に時夜見鶏が、空巻朝蝶を見据えた。
 僅かに切れ長の瞳が細くなる。

 それから――嘲笑するように、時夜見鶏が笑った。

 ちょっと待て、今の笑みはどういう意味だ? 朝蝶の策略を見抜いている……のか? だったら、さすがに何か言いそうだ。それとも……噂のSMプレイ? いや、まさか。

「何か言ったらどうだ?」

 俺は反論が来ますようにと願いながら、かなり険しい顔で、時夜見鶏を見た。
 しかし時夜見は何も言わずに笑みを消し、流し目で俺を見た。

 ――察しろ、何があったか何て自明の理だろ?

 と、でも言うかのように、否定の言葉は出てこない。最早祈る気持ちで、俺は険しい顔のまま、反論してくれと思いながら強めに言った。

「謝罪をしろ!」

 しかし何も言わずに足を組み、聞き流すような、余裕そうな表情で時夜見は瞬きをするだけだった。もう、俺の言葉なんて聞く価値もない、そんな眼差しで時折こちらを見ては、すぐに瞼を伏せる。

 もう駄目だ、俺には時夜見の気持ちが分からないし――あるいは本気で時夜見は、朝蝶を無理矢理ヤったのかも知れない……いや、寧ろ先ほど俺が自分で言った通り(俺は愛が無くてもヤれちゃうんだから馬鹿げているが)、本気で時夜見鶏は朝蝶の事が好きなのかも知れない(双方が愛し合っていると思っているのか!)。

 だからあえて朝蝶の策略にのっているのか――……それすら掌の上の出来事だと、余裕さえ覚えているのか。

 結局その日、それ以上時夜見鶏が何かを発言する事は無かった。鬱々とした気分で<鎮魂歌>の回廊を歩いていると、兵士の噂話が耳に入ってきた。

「無理矢理朝蝶様を犯すとか、本当に最低だよな」
「まぁ、見るからに時夜見鶏様って、怖いし、鬼畜っぽいよな」
「だからって、最低だろ? 媚薬まで飲ませたって話しだぜ」
「しかも聖龍様に呼び出されて直接謝罪を命じられたのにしなかったとかさぁ」
「馬鹿にしてる感じだよな」

 謝罪云々という応接間の話しまで既に漏れているのだから、空族が広めているのは間違いない。

 その上、時夜見鶏の外見や、恐らく朝蝶の涙(絶対嘘泣きだろうけどな)から、確実に兵士達は信じている様子だ。まぁ、ただ一点――俺のことを時夜見鶏が馬鹿にしている可能性は否定できない。

 そろそろ俺の怠惰さと、駄目人間(神)っぷりに、時夜見鶏が気づいていてもおかしくはないし、何せ本当に先ほどは何も言わなかったのだから。



 ――聖龍暦:9500年(二千二百四十九年後)


 ≪聖神宴≫――<鎮魂歌>最寄りの、酒場にて。
 俺はその日、かなり久しぶりに暦猫と二人で飲みに来た。

 愛犬も誘ったのだが、何故なのか用事があると言われた(大方、今日の恋人と過ごすのだろう)。

「あー、もう、もうさ、本当、俺はどうしたらいい……ッ!! 分からない!!」

 空腹だった事も手伝い、すぐにワコク酒が回り始める。
 最早俺の酒癖を知っている暦猫の前では、俺の一人称は、完全に『俺』だ。

 俺は言うのとほぼ同時に、机に突っ伏し泣き始めた。

 漸く空神族との和平交渉が出来そうになり、あれ以来、口には出さずとも反省していたのか、時夜見鶏が空巻朝蝶に手を出す事も無かったので、俺は仲直りして欲しい(何せ戦争の指揮官はあの二人だ)という思いで遺跡調査(恐らく大昔に遊びに来た、変な呪文を考えた神が作ったのだろう)を合同で行わせたのだが――即刻中止になった。よりにもよってその時にまた、無理に時夜見鶏が、朝蝶を犯したそうだ。

 もう、俺の涙が止まらない。

「――愛すると、その人(神)と体を重ねたくなる気持ちは分かります」

 すると溜息混じりに、暦猫がそんな事を言った。
 俺は涙で歪んだ瞳で、それを見上げる。相変わらず、美人だ。

 しかしまさか、仕事一筋で几帳面の暦猫からそんな言葉が返ってくるとは思わず、意外に思いながら、俺は問う。

「誰か好きな相手が居るのか?」
「……フラれましたけど」
「え」

 ちょっと信じられなくて、俺は目を見開いた。瞬時に涙は、どこかへ消えた。

 何せ暦猫は、この世界に三番目に顕現した、三番目に高位の神なのだから、告白されたら普通はOK以外の選択以外できないだろう(断ったら何が起きるか分からないからな。最悪消滅する)。

 出来るとすれば、それこそかなり仲の良い一般神か、あるいは俺が自分で意図的に生み出した愛犬と朝蝶を加えて、五神と呼ばれる存在だけだ。

 仕事中毒ワーカーホリックの暦猫に、そんな親しい一般神が居るとは思えない。

 何せ、当初に引っ越しを提案したのが、単に家には寝に帰るだけ、を地でいくためだったのだと、今では理解している。

 最初は絶対にやらないとか言っていたが、本当に今ではよく働いてくれるし、そのおかげで俺は、会議以外(まぁそれも時夜見の考えている要点を読み取っているだけだが)、全ての書類をほぼ暦猫に片付けてもらい、俺はポンポンと判子を押すだけの生活を送っているのだ。

 だとすると、身近にいるのは、まぁ最近姿を見ないが、時夜見鶏と、よくその辺にいる愛犬と、こちらもまた滅多に会わないが、朝蝶しか選択肢はない。

 まぁ、元々の仲を考えると、時夜見鶏だろう。

 なにせ、フラれたと言っているし。時夜見鶏は、やはり、やはり、考えたくはないが、蝶々が好きか、少なくとも体には興味を持っているはずだ。

 が、俺としては、暦猫が頑張って時夜見鶏のハートをゲット(この表現も古いかな)してくれれば、事態が丸く収まるような気がした。よし、暦猫と時夜見鶏をくっつける計画を立てようではないか!

「――暦猫。辛いのは分かる。だけどな、好きなら押せ。押すんだ。押し倒してしまえ」
「……え?」
「案外、暦猫のことを思っているのは、相手側なのかも知れないぞ」

 俺は微笑して見せた。
 すると暦猫が困惑したように、瞳を揺らした。

「ですが、もう他者と体を重ねているのを知っているのに……きっと、私とよりも仲が良いし、好きなのでしょう……付き合っているのか、と……」
「それがどうした。ならば、もっと仲良くなれば良いだけだろう。第一、相手の気持ちではなく、お前の気持ちが大切なんだ。その気持ちを知れば、きっと相手も答えてくれる」
「……本当に?」
「ああ、間違いない。なにせ、長いこと、一緒にいるのだからな。まだ宮殿に移る前、三人で暮らしていた頃が、懐かしい」
「っ、あ、そ、それは……」

 あからさまに暦猫が照れた。
 これはもう、時夜見鶏に惚れているのは確実だろう。

「好きだと言った事、あるだろう?」
「はい……でもまさか、覚えているとは……」
「忘れるはずがない。何よりも大切な、お前の言葉を」
「っ」

 暦猫が真っ赤になった。これは後一押しだな! よし、この暦猫&時夜見鶏恋愛計画には、成功の余地がある!

「……でも、じゃあ何故、キスした時に、冷たく私をあしらい……ッ」

 至極珍しいことに暦猫が涙目になった。

 綺麗だなとは思う、が、いや本当、朝蝶より絶対綺麗だろうこっちの方が、時夜見鶏は一体何処に目がついているのか。もしや現在使用中の人型の器は、目が悪いのだろうか。

 しかし、キスまでしているのだから、勝算はある!

「よく考えてみろ、その時恋人関係だったか?」
「いいえ……」
「大切に思う相手に、戯れでキスされるなんて、堪えられないだろう、辛くて」
「!」
「大切だからこそ、だ」
「え、あ」
「冷たくしたのもそうだ。お前の気持ちを試したんだ。試すような事をして悪かったと――」
「本当ですか!?」

 俺の言葉を遮り、暦猫が声を上げた。

「え、あ、ああ」

 驚いてどもってしまったが、俺は大きく頷いた。
 そして、泣きながら満面の笑みを浮かべて立ち上がった暦猫を見た。
 それから暦猫が、俺の隣に座った。え、何事だ?

「今でも、貴方の事が好きなんです。本当に好きなんです。何度も諦めようとしたのですが、出来なくて。愛しています」
「……」

 冷や汗が出そうになった俺の腕に、暦猫が両手を絡めた。双眸からは、涙がまだ滴っている。

 ――俺は、冷静になろうと努めた。コレは、一体どういう状況だ。

 成る程、冷静に考えてみれば、俺は時夜見鶏の名前を出していない。確信していたからだ。そしてさっきの条件は全て、俺にも当てはまる。

 好きだと言われたこともあるし(酔っていたけどな)、キスされたこともあるし(酔っていたんだよ!)、いかにもフるような発言もしたし、付き合ってる暦猫より仲が良さそうな相手と言えば――……ああ、一見仲良く俺と愛犬は話すな、アイツは暦猫や時夜見と違って表情豊かだから気が楽なんだよな、で、一回だけ、関係を持ったことがある。

 恐らく暦猫の持つ鏡には『超越聖龍と愛犬天使が性交した』とか、書かれていたはずだ。そう言えば、俺、あれ以降ヤってないかもなぁ。付き合っていると思われても不思議はないかも知れない。って、待て、待て、待ってくれ!

 違う、俺は暦猫と時夜見をくっつけようとしていただけで、え? だが、俺を愛おしそうに見ている暦猫に、今更勘違いだなんて言い難い。困ったぞぉ……断る言葉が見つからない、第一断ったら、あのキスの後冷たくなった暦猫だ。

 今回は最早、退職してしまうかも知れないぞ。そうしたら、誰が書類を整理するんだ?
俺はもう一方の手で頬杖をつき、笑みさえ消えて引きつった表情のまま、暦猫をじっと見た。確かに、暦猫は美人で綺麗だとは思う。

 うーん。今更、愛犬と付き合ってます、とかいう言い訳ですら、通じないほど、俺は、既に暦猫を煽っている。別に、暦猫のことも嫌いじゃないしな。てっきり以前の暦猫からのキスは策略か何かだと思っていたが、あの後何か企まれた事も無い。

 ――これはもう、俺、覚悟を決めろ!

「俺の事が、好きか?」
「はい」
「恋人になりたいのか?」
「はい」
「お互い仕事は忙しいし、そうじゃなくとも、俺と付き合うんなら覚悟しろ」
「は、はい!」

 何度も必死に暦猫が頷いている。うわぁ、もうこれ完全に本気で俺に惚れてるんだろうな。そんな事、最高神じゃなかろうとも、相手の顔を見れば分かるだろう。

 さて、どうしたものか。俺は、ヤりはするが、付き合ったことなど無い。無いんだよ!
 キスとSEXにしか、自信は無い。

 だがそれじゃぁ、ただのセフレだ。プライドの高い暦猫が、そんな扱いをされたら、きっとただではすまない。すまされない気がする。ここは、毎日ヤっているにしろ、その相手をその日の恋人だとして、きちんと扱っている愛犬にでも相談すべきか?

 しかし、俺と愛犬の仲を疑っていた暦猫に、それも秘密で、俺が会いに行ったりしたら、絶対に気にするだろう。俺は、どうすれば良い? 聞ける相手も居ないぞ。うわぁ。考えてみると、俺、孤独だわ。

 覚悟しろとか言っちゃった手前、本人に聞くのも憚られるぞ――いいや、俺の特技は、それっぽく言う事だ。そうだった、威厳ある感じの台詞が、俺は得意じゃないか!

 その特技を、此処で生かさずして、何処で発揮する!

「暦猫」
「は、はい……なんでしょうか?」

 不安そうな瞳で、小首を傾げて暦猫が俺を見た。

 普段は真面目一色なので、こんな表情見た事が無い。わずかに胸が高鳴った。頼む、俺の中にも、こういう思いが重なって、恋心が生まれてくれ。本当、切実にそう思う。両思いなら、何の問題も無いのだ。

「俺の恋人になって、どうしたい?」
「ただ……ただ、貴方が側にいてくれたのなら、それだけで満足です」

 くっ、回答が無い。お前、そんなに俺のことが好きなのか……!
 どうしようか、何か俺の方から具体例でも挙げてみるか。

「俺は、お前が淹れてくれるお茶が好きだぞ」

 一番は、相変わらず時夜見のだけどな。第二位は、今でも確実に暦猫だ。第三位の座は今は既に俺のものじゃないけどな(他の兵士)。

「お前と二人で、お茶が飲みたい。お前は?」
「私も、聖龍とお茶を飲むのが好きです」
「他には、何かしたい事は無いのか? 一つ、俺の我が儘を聞いてもらったんだからな」

 お茶は向こうも飲みたいって言ってるんだから、我が儘じゃないだろうが、他に、話の振り方が見つからない。

「っ、その……」

 あ、何か答えてくれそうだ。その様子に安堵した。

「もっと……仕事をして欲しいです」

 なんだと――!! 無理だ! 判子を押す作業だけでも、面倒くさいのに!
 っていうか、それの何処が、恋人同士でする事なんだよ?

「そして……このように夜にお酒を飲むのではなく、いえその、こうして二人で酌み交わすのも好きなのですが……昼間に、その……一緒に、出かけてみたいです。仕事を関係無しに」

 成る程、確かに仕事があったら、昼間は出かけられないな。俺も暦猫も、休日など無い。だから、昼間に出かけるなど、今までには無かった。それに昼間は、兵士が食事を持ってきてくれるのだから外食もしない。

「何処へ行きたいんだ?」

 俺は聞いた。行き先により、どの程度仕事の速度を上げれば良いのかが分かる。

「人間界に……」

 その言葉に俺は首を傾げた。

「討伐で、頻繁に行くだろう」
「私は事務作業で残る事が多いですし、顔を出すとしても、討伐後の平野です。貴方が創った人間の世界を、きちんと見てみたいのです」

 成る程、とは思ったが、困ったとも同時に思う。

 神界には最近街が出来たらしい(行った事が無いので、そこを所望されても困るのだが)。しかし人間界となると、尚更困る。人間界のデートスポットなど知らない。

 最近は人間界も発展している様子だから、国が出来て戦争が起きたり魔術師やら騎士やらがいるらしいとは聞く。そちらの街にも飲食店や露店が出来たらしく、新鮮な果物や魚など、目玉焼きONLYだった頃よりは、食べ物も美味しいはずだ。

 断るとしたら――お前の事が心配だから連れていけない、の一択だろう。

 だが、それでより困難な場所を指定されても困る。あ、二択目があった。俺が仕事を今まで通りのペースでやれば良いのだ。それなら行く暇ができないはずだ。

 でもな、こんなに照れているというか、恥ずかしそうに頬を染めている姿を見ると、いたたまれない。あ、三択目を思いついた。お前の意見は分かった、と言う風に答えればいいだろう。

「そうか」
「ええ。楽しみにしています」

 ああ……本当に、いたたまれないな。いっそ、嫌われる作戦で行ってみるか。

 だが、暦猫の嫌いなタイプとか知らないな。何せ、怠惰でヤリ神チンの俺の事を好きって言ってるんだ。これ以下、だろ? 自分でも酷いと思う。俺以下の相手だとか、全力で制止する自信がある。

 一応、威厳を演出して、キリッとした顔を繕っているから、皆俺が凄い最高神だと思っているようだが、多大なる勘違いなのだ。だが暦猫は長く一緒にいるのだから、俺の駄目っぷりもヤリっぷりも知っているはずだ。

 いっそ、ドMだとか、言ってみるか?
 いやだが、それでドSだとか返ってきたら、洒落にならない。

「俺も楽しみにしている」

 とりあえずそう返し、沈黙を破ってみる。

「あの、できたらで良いのですが」
「なんだ?」
「キスをして下さい……」
「キスがしたいのか?」
「はい……」

 頬を染めながら言われた。これなら、俺は得意だ。

「それと、その、一緒の部屋で、寝て下さい」

 うむ、きっとこれは性交渉の誘いだ。これもイける。

「分かった。毎晩、俺の部屋で……いや、お前の部屋に行く」

 すっかり忘れていたのだが、俺の部屋は汚い。掃除する兵士も、よく顔を引きつらせていた。だから威厳を保つために、俺は、機密書類があるから、と言って、滅多に部屋の掃除をさせないようにしていたのだった。

 そして、それを理由に嫌われれば良いのだが、何せ過去に一緒に住んでいたのだから、俺の部屋が汚くても暦猫は何も言わない気がする。

 とりあえず俺は、暦猫の顎を掴み、口内を貪りながら、そんな事を考えていた。
 舌先で、向こうを追い詰めていく。
 暫くすると、苦しそうに暦猫が口を開いたので、俺は余裕そうに笑った。

 暦猫は真っ赤な顔をしている。
 それにしても……困ったな。


 その後、俺は二百年くらい、時夜見鶏を見ると苛立ってしまった。
 何せ元凶は、明らかに時夜見だ。

 朝蝶に手を出すは(暦猫の鏡に「朝蝶と時夜見鶏が性交した」とまた記録されていたから遺跡調査は打ち切られたのだし)、なによりも、暦猫と付き合う事になってしまったのだから(これは責任転嫁だって分かってるけどな)!

 ただ、三点だけ、俺の側にも変化があった。結局まだ、人間界には行っていない。仕事三昧だからな(判子を押すだけだけど)。

 ――その一。体を重ねる内に、暦猫が愛おしくなってきた。
 本当に綺麗なあの顔を、快楽に堕とすのは、なんだか気分が良い。
 俺の前でだけ、涙を流して哀願する表情。誰にもそれを見せたくない。

「ンぁあっ、や、聖龍」
「ここ、好きだろう?」
「ひ、ゃ、ああっ、ん」

 中の最も感じる場所を刺激しながら、前の先端を嬲ると、震えるように睫が揺れ、涙が溜まっていく。いつもの義務的な声とは異なり、甘く響くその声と吐息に、多分俺は体を絆されていた。

 もっと、啼かせたい。

 そう思って、中の刺激を強くしながら、俺は暦猫の耳に舌を入れた。

「ンァ、あ、あ、そ、それ止め――っう」

 暦猫は耳が弱い。

 そんな一つ一つを知る度に、誰にもこれまで体を暴かれた事が無かったらしい暦猫が、新たな快楽を覚えていくのだ。俺の手の中だけで、喘ぐ暦猫は、身をよじって、快楽から逃れようとする。後ろから指を引き抜き、俺は暦猫の腰に手を添え、静かに撫でた。

「あ、あ、ッ」

 するともどかしくなったのか、目を見開き、俺の首に手を伸ばして暦猫が体を揺らした。

「や、嫌、ヤだっ」
「どうして欲しい?」
「イッ、あ、入れて……フ、ァアアア」

 わざと焦らすように、今度は両手で、乳首を嬲る。
 ガクガクと暦猫の体が震えたから、俺は首筋を舐める。

「ヤァ――っ、ぁ!! いや、あ、聖龍ッ」

 可愛いなぁと思ってから、俺は予告無しに陰茎を差し込んだ。

「ああ、ぅあ、あ、イヤァ――!!」

 その声を聴きながら、最奥まで進め、わざとゆっくりと動く。

「ん、ぁ、ああっ、ねぇ、ああ、あッ」
「入れて欲しいんだったな、その後は?」
「うぁ、うご、動いて」
「動いてるだろ?」

 わざと感じる場所から逸らして、ユルユルと腰を動かす。
 すると蕩けたような、虚ろな瞳で、頬を染め、か細い声で暦猫が言う。

「う、動いて、下さっ、あああっ、いや、あッ」
「聞こえないな」
「嫌ァアアア、ああ、あっ」

 焦らしていると、暦猫が泣くように腰を動かし始めた。太股が、震えている。

「腰が動いてるぞ」
「ひ、ァ」
「自分で、乳首を触ってみろ」
「ッ、ナ、な。あぁああッ」

 意地悪く笑うと、震える指先で、両方の胸の突起に暦猫が触れる。

「もっと強くだ」
「え、ぁ」
「早くしろ」

 そう告げまたユルユルと腰を動かすと、ボロボロと涙をこぼしながら、暦猫が乳首を撫でた。その痴態を嘲笑するように(別に本当は可愛いと思っているだけだが)、俺は腰を動かし、一番感じるところを突いてやる。

「ンァ――!! そ、そこは、ああっ」
「自分で乳首を弄りながら、後ろでよがっている自分をどう思う? ああ、自分の男根を、俺の腹にすりつけて、ダラダラ液を零しているのも忘れるな」
「ううっああああっ」

 俺がそう言って笑うと、もう限界だったのか、俺が突き上げた瞬間、暦猫は精を放った。ぐったりとしたその姿に、吐息に笑みを乗せ、俺は唇で左の乳首を噛みながら、右手で、暦猫の陰茎を撫でる。

「ぅン、アアッ――……ま、まだッ!!」
「俺はイってないぞ」

 そう告げ激しく腰を打ち付けると、俺と暦猫の、肌と肌が音を立てた。

「いやぁああっ!!」

 そして強制的に俺が煽った前と、突き上げた後ろで、再び暦猫が精を放ったのだった。


 ――所でその二。

 最近、俺は、本当に暦猫が俺のことを好きなのか分からないで居た。何せ仕事量もいつもと変わらないし、人間界に行く日取りも決まらない。寧ろ増えた程で、行く気が本当にあるのかも分からない。大体、一緒に夜は眠るのだが、性交渉自体が、十年に一回くらいだ。本当に、暦猫は睡眠を取るのだ。

 まぁ、忙しいからそれは分かるのだが……なんとも言えない気分になる。それを気にしているのだから、本来は性交渉など無しの名ばかり恋人を望んでいたはずだから、嫌われる計画どころか、恐らく俺は、暦猫を好きになりつつある。

 ――ちなみに、その三。本人には自覚が無いようだが、暦猫は大層モテた。
 それに苛立っていると、ある日時夜見が言った。

 それは五神会議の一日目が終わった時の事だった。

「おい」

 珍しく時夜見が暦猫に声をかけたのだ。

「――なにか?」

 暦猫も不思議そうな顔をしている。

「お前、綺麗だな」

 淡々と、いつもの通り、夜のような眼差しで時夜見鶏が言った。

「なっ」

 息を飲んだ暦猫が、不意に真っ赤になった。体が緊張でもしているのか、硬直している。
お前、何赤くなってんだよ。それが率直な感想だった。

 俺の事が好きなら、俺以外の言葉にそんな反応をするんじゃない――……それが俺の想いだったのと、元々暦猫は時夜見鶏の事が好きだったのではと考えていたため、苛立ちが募る。自分でも、眉間に皺が寄ったのが分かった。

 だが、すぐに打ち消し、俺は笑顔を浮かべた。我ながら、引きつっているのが自覚できたが……暦猫の方が、俺の事を好きなんだろう、違うのか?

 まさか、まさかだ。俺が最近、いくら暦猫の事が好きになろうとしているのだとしても、案外、もしかすれば、暦猫の事が既に好きなのだとしても、だ。

 どちらにしろ、暦猫のこんな真っ赤な表情は許容できないし、最近朝蝶を時夜見が襲ったという話も聞かない以上、時夜見が、あるいは暦猫を嫉妬させるために、わざと朝蝶を誘っていた可能性だって否定できない。

 そんな事を考えている内に、俺は自分でも、久方ぶりに”力”が、平常時モードではなく、本体からの”力”が、漏れ出している事に気がついた。

 本来なら、そして普段は、最高神ゆえの威圧感に皆が恐れをなさないように、そして≪邪魔獣モンスター≫退治の時にうっかり世界にダメージを与えないように平常時モードでいるにもかかわらず、だ。

 自分でも顔が引きつっているのが分かる。何とか笑おうとしたが――無理だった。

 何せ仮に時夜見鶏に好きだと言われたら?
 あんな反応をしているのだから、暦猫の気持ちは揺れるだろう。

 その上今の時夜見は、俺の知っている幼神では、もう無い。
 何せ、朝蝶と体を重ねているのだから。

 ――愛犬ならば恋愛ごとに聡いし、朝蝶だって、時夜見と肌を重ねている以上、何らかの反応を見せるだろう。何とか冷静になろうとして、愛犬に視線を向けたら、逸らされた。なんだよ、その反応は。

 暦猫と時夜見ならあり得るとでも思っているのか? その上朝蝶は、息を飲んでいる。それは、空族としては、時夜見鶏が暦猫とそう言う関係だとマズイからか?

「からかわないで下さい」

 その時暦猫が言った。険しい顔はしているが、頬はまだ朱いままだった。
 本気でイライラした。

 そんな自分の反応に――とっくに、俺は暦猫の事が好きだったんだなと悟った。

 会議後、暦猫が何か言いたそうに、こちらを見ていたが、話す気も起きない。
 俺を、フるつもりで居るのかと思えば、失笑が沸いてきた。

 どうして恋とは――……終わってから気づくのだろうか。こんな事ならば、人間界とは言わずとも、もっと二人で過ごしたかった。そんな事を考えながら夜になり、俺は久しぶりに、自分の部屋で睡眠を取る。

 翌日の五神会議でも、俺は暦猫とは目を合わせなかった。

「聖龍、待って下さい」

 だが、帰り際に呼び止められた。
 そこには、焦ったような表情の暦猫が立っていた。

「なんだ?」
「その……」

 困惑するように瞳を揺らした暦猫を見ていると、怒りと同時に、強い悲しみが浮かんでくる。もう、暦猫が俺のものではないのだと思えば、辛かった。こんな感情、初めてかも知れない。

「私のこと……本当に好きなのですか?」

 今更何を言い出すのかと思えば――と、溜息が出た。

「良かったな、綺麗だと言われて」
「っ、貴方は、一度もそんな事を言ってくれませんでした」
「これからは、時夜見が言ってくれるんじゃないか」
「貴方に言われなければ、意味がありません」
「どうして?」
「聖龍の事が、好きだからです」
「そうか。そうは見えないがな。違うなら、何故あんなに照れたんだ?」
「――貴方にも、そう思ってもらえているのかと思って。あの時夜見が、そんな風に言ってくれたのですから」

 泣くような、焦るようなその言葉に、俺は顔を上げた。
 暦猫が、哀しそうな顔をしていた。

「本当に、俺を好きなのか?」
「あたりまえです」
「俺を時夜見と重ねているんじゃないのか」

 思わず、また溜息が漏れてしまった。個人的には全然似ていないとは思うのだが、時折俺と時夜見は似ていると言われる。愛犬が以前俺を誘ったのも恐らくそれが理由だ。

「ッ、そんなわけ、ないでしょう……」

 暦猫の左目から、ポロリと涙がこぼれた。
 じっくり見れば、双眸の睫が、涙に濡れていた。

「貴方と時夜見は全然似ていません。重なりません」
「どうだろうな」
「貴方こそ、私の事を本当に好きなのですか?」

 今度は睨むように言われ、俺の苛立ちも最高潮に達した。
 気づけば無理に暦猫の顎を掴み、その唇を貪っていた。

「っ」

 苦しそうに暦猫が吐息したが、構わず、今度は別の角度から、舌を追い詰め、絡め取る。

「んぅッ」

 そのまま抱きしめ、無理に舌を引きずり出して、甘噛みした。
 肩がピクリと揺れたが、それでも俺は唇を離す気は無かった。
 腰に手を回し、逃げられないようにして、更に深く貪る。

 それから――漸く唇を離すと、暦猫が真っ赤な顔をしていた。
 唾液が線を引いている。暦猫は、惚けたようにトロンとした瞳で俺を見る。

「言わないと分からないのか?」
「っ、え」
「フる気なら、そうしろ。ただな、仕事は続けろ」
「え、あ、待って下さい」

 そのまま帰ろうとした俺に、暦猫が後ろから抱きついてきた。

「好きです、私は好きです、どうしようもないくらい、聖龍の事が好きなんです」
「……」

 視線だけで振り返ると、まだ暦猫は泣いていた。
 踵を返して、柔らかな、銀髪を撫でる。

「――一緒に、人間界に行ってくれるか? 仕事なんて放り出して」
「ッ」
「仕事と俺と、どっちが大切なんだ?」

 我ながら女々しい台詞だとは思ったが、俺は精一杯笑って見せた。きっと意地の悪い顔をしていたと思う。

「貴方です――……私は貴方の事が好きだから、だから、少しでも力になれるのではと思って仕事を……」
「本音か?」
「勿論です」

 俺は今度は、優しい笑顔を浮かべる事が出来たと思う。
 涙を拭った暦猫に、俺は告げた。

「俺も、好きだ」

 思えば、俺は初めてそう口にしていた。とっくに俺は、暦猫に惚れていたのだなと改めて思う。もう、暦猫の事を離すなんて、考えられなかった。

 ――その時だった。

「いや、いやぁッ!!」

 近くの開け放された扉の中から、朝蝶の悲鳴が聞こえてきた。
 顔を見合わせてから、俺と暦猫は走る。

「もう……止めて下さい」

 俺達が到着すると、小さな声で震えながら朝蝶が言った。

「何をしているんだ、時夜見!」

 明らかにまた嘘泣きをしている上、震えるようにしている朝蝶の姿に、俺は思わず眉を顰めた。何でコイツは、こんなに空神族の罠に引っかかるんだよ。やっぱり、人間(神)として、時夜見は馬鹿だ! そう思い、俺は思わず怒鳴ってしまった。

 暦猫は気づいているのかいないのか、素っ裸の朝蝶に上着を掛けている。

 一応神でも、風邪を引くからな……そんな思いで、俺は、別に断言して、見たかったわけでは無いが、時夜見鶏の下半身をチラリと一瞥する。明らかに萎えきっている。確実に俺達が来たからではないだろう。

 朝蝶は『もう止めて』と言っていたのだから、少なくともこんなに早急に、アレが静まるわけでも、先走りの液が消え去るとも思えない。

 その上、完全に時夜見鶏は、眉を顰めている。今度こそ、何か発言して否定して欲しいという思いで、俺はじっと時夜見を見た。我ながら、眉を顰めていたと思う。

「俺は――」
「……苦しい、っ、どうして――」

 たっぷりと沈黙を取った後、やっと何か言おうとした時夜見の言葉を、朝蝶が遮った。
すると何も言わないまま、切れ長の瞳で時夜見が気怠そうに朝蝶を見る。

 夜のような威圧感を放ってはいたが、育てた身(?)としては、困惑しているようにも思えた。が、自信はない。

「こんな、こんな風に体を無理に暴かれて、っ」

 しかし、涙声で朝蝶は続ける。完全にもう、朝蝶が犯されかけたようにしか見えない。
 絶対にそんな事は有り得ないだろうと俺は確信していた。

 だが、否定しない時夜見鶏を見ていると、もしや本気で蝶々が好きなのかも知れないと思える。好きだからこそ、頭の良い(会議の時の要点思考など)時夜見は、愛するゆえに黙っているのかも知れない。

 たった今、本当に直前だが、俺は恋という感情を知った。多分暦猫が、朝蝶と同じような行為をしたとしたら、黙り込む自信がある。暦猫はそんな事はしないと思うけどな。

「なんて事を……貴方という人は。朝蝶がこんなにも傷ついているのに……ッ」

 その時暦猫が声を上げた。
 俺が一瞥すると、一瞬だけ目が合った。

 すぐに視線は、憤怒の色を宿し、時夜見へと向かったが、俺は確信した。暦猫も、朝蝶を疑っている。しかし空族には、それを悟られない方が良い。俺も暦猫の案に乗ろう。

「最低だ。何度も釘を刺しただろう」

 俺はあえて怒りの表情を取り繕いながら告げた。
 相変わらず、時夜見は何も言わない。

 時夜見には辛い思いをさせるかも知れないし、あるいは時夜見が本当に好きならばその恋心を朝蝶が利用している形でもあるから気づかせなければ。

 俺は後者だけは許せない、要するに時夜見の心を弄んでいるとすれば、空神族が許せないが、時夜見が本当に好きなのだとしたら、何かしらの反論もあるかも知れないし、黙秘したとしても、きっとそれは愛なのだと思う。

 それを否定することもまた、俺には出来ない。恋は、仮に利用されたとしても、それでも良いくらい狂うものだと知ったからだ。今であれば、最初に暦猫が言った言葉も理解できる。――愛しい相手ならば、体を重ねる関係だけでも維持したいと思うその心が。

 それから、暦猫の説教が始まった。俺も何か言わなければと思い、時折口を挟む。

 だがそれにしても、本気で暦猫の説教は長い。どうしたものか、俺の勘違いで、本気で暦猫が怒っていたら、本当にどうしたものか。お腹が減ってきた俺は、時折溜息が出そうになったり、お腹が鳴りそうになったりしたが、必死で堪えた。

 最高神だから、それくらいは出来る。
 それに、俺の腹の虫が鳴ったら、暦猫の計画は台無しだろう。


 それから二人きりになった時、回廊を歩きながら暦猫が俺を見た。

「どう思います、アレ」
「空神族の陰謀だろう」
「……それだけでしょうか」

 ポツリと続いたその声に、驚いて俺は顔を向けた。

「――まさか本気で時夜見が、蝶々を好きだと言いたいのか?」

 ビックリして俺が言うと、暦猫が目を伏せ首を振った。

「むしろ逆です」

 予想外の言葉に、俺は息を飲んだ。

「わざわざ私達が近くにいる事を察知して、あんな行為をしたのですよ」
「俺達に時夜見を疑わせたいからじゃないのか?」
「それならば、対処の仕様もあるのですが……」
「他にも可能性が考えられるのか?」
「――ええ。私が自意識過剰なのかも知れませんが」

 そう言いながら、暦猫が溜息をついた。

「時夜見鶏が、私を綺麗だなんて言うとは、普通は考えられないでしょう? 貴方ですら、怒るほどです」

 確かにそれもそうだなと思い、俺は苦笑しながら腕を組んだ。

「時夜見を疑わせたいのであれば、確かに私達にその姿を見せるのは有効かも知れませんが――……もしかすると、朝蝶は私に見せたかったのかも知れません」
「何故だ?」
「いくら綺麗だと言われようが、体の関係を持っているのは自分だと、見せつけたかったのかも知れません」
「どういう事だ?」
「ですから、要するに――……空巻朝蝶が、朝蝶の方が、時夜見鶏に惚れているのでは?」
「なッ」

 思わず足を止め、俺はポカンとしてしまった。

「勿論朝蝶の嫉妬心を煽るために、時夜見が、私にあんな事を言ったのかも知れませんが……朝蝶の方が嫌がっている現状を、時夜見は知っているわけですし……仮に、時夜見鶏が蝶々も自分の事を好きなはずだという妄想に取り憑かれているとしても、その妄想ゆえに嫉妬心を煽ろうとしたのだとしても……通常なら、仲が良い上、その、何というか、性的に奔放な愛犬天使にでも言う方が自然ではありませんか」

 溜息混じりに続いた暦猫の声に、俺は眉を顰めた。

「確かにそうだな。愛犬相手なら、飲みに行った時に、いくらでも冗談だと言えるだろうし……要するに、時夜見の言葉に、朝蝶が嫉妬して、お前に見せつけたと言うことか」
「だとすれば――……それよりも、愛や恋に鈍すぎる時夜見鶏と、跡継ぎを切望されていて、そちら方面を恐らく他の空族……空神族に熱望されていて、知識も媚薬も持っている朝蝶が相手です。対処法が分かりません」

 困ったように暦猫が細く息を吐いた。

「和平交渉には都合が良いでしょうが、いくら敵とはいえ、その心を弄ぶような事は、したくない。それが貴方でしょう?」
「まぁな」

 よく分かっているなぁと俺は思った。何となく暦猫と一緒にいると、アレ、と言えば、醤油が手渡される感覚なのだ。そう言うのも、今思えば、自然だと思っていたが、愛だという気がする。

 暦猫の存在は、これまで自然すぎたが、好きだと確信した今では、その一つ一つが嬉しくて仕方がないんだ。好きだ、と言うのが伝わらなかったのは、最初は好きじゃなかったからだ。だが今では、言わずとも伝わっていて欲しいくらいだ。

 だが、これからは、ちゃんと口にしようと、したいと思っている俺がいた。

「そう言えば、何で暦猫は、空族を疑ったんだ?」
「媚薬です。そんなもの、時夜見が持っているとは思えませんし、買いに行ったとも思えません。あの手の媚薬は、あの頃は街にも売っていませんでしたから。勿論、時夜見の、魔法薬を作る腕前ならば、やれば作る事が出来たでしょうが、鏡に『時夜見鶏が媚薬を作った』という事実は記録されていませんでした。改竄も時夜見鶏ならば出来るでしょうが、改竄した記録もまた、私の持つ鏡には残りますので。そんな記録はありませんでしたし、そもそも時夜見がそんなモノを作るとは思えません」

 つらつらと続いた暦猫の声に、俺は首を傾げた。

「何故すぐに、俺に言わなかったんだ?」
「貴方が気づいていない可能性を考慮したからです。それに、空族にも、貴方が最初から時夜見鶏を擁護したら、こちらの能力をはっきりと知られる可能性があったので」

 確かにそれは一理あるなと思った。いくら恋人同士(最初は兎も角)であっても、俺もきっと、暦猫と同じ能力を持っていたら、事実を確信するまでは黙秘するだろう。

 俺も暦猫も、多分だが、仕事と恋は切り分けるタイプだ。まぁ俺は、タイプみたいなモノで、カテゴリ分けされるのは、馬鹿馬鹿しいと思ってるんだけどな。

「それで?」
「え?」
「これからどうするつもりだ? 本当は何か、考えがあるんだろう?」

 勝算がなければ、暦猫は恐らく、今回も黙っていたと思う。
 そうでなければ、あんなに真剣に、真に迫った説教など出来ないだろう。

「貴方に、朝蝶を口説いてもらいます」
「――なんだって?」

 俺は思わず眉を顰めた。
 何せ、つい先ほど、ある意味新しく恋愛関係になったばかり何だぞ、俺達!

「私達が付き合っている事を、恐らく朝蝶は知りません」
「嫌だぞ。これから広める予定だからな。お前は俺のモノだから、手を出すなと」

 半ば怒りを込めて俺が言うと、暦猫が赤面した。

「え、あ、いえ、その、嬉しいです……えっと、ですが、そうじゃなくて」
「そうじゃないならどういう意味だ?」
「和平交渉の成功と――……仮に朝蝶が本気で時夜見を好きな場合には、時夜見側を嫉妬させて煽れるかも知れないと、二つのために共謀しないかと朝蝶本人にも伝えるんです。後者の場合は、気が惹けるかも知れないと言って。あくまでも空族の計画にこちらが乗る形だと伝えればいいでしょう」
「……成る程な。だが、それならやはり、俺とお前の関係を隠す事になるだろう」
「少しの間だけです。なんなら、朝蝶には伝えて貰っても構いませんし……愛犬には既に言ってあります。それと、私が貴方以外に靡くと思っているんですか? 信用して下さらないのですか?」
「……そうだな、信用している。分かった……って、愛犬に? いつだ?」
「貴方と愛犬が関係を持った直後です」

 思わず俺は吹きそうになった。鼻水が出そうになる。頑張って止めたけどな。

「そうだったのか」
「応援しますと告げたら、そんな関係じゃないから、逆に応援すると言われました。ただ、それでも貴方が片思いしているのかと思って……付き合っていると思いこんでいるのかと思って……ただ、恋愛相談はしていました」
「馬鹿。俺にはお前しかいない。お前こそ俺のことを信用してくれ」

 確かに当時の俺について考えたら言えたギリではないが、思わず抱きしめて、軽く頬にキスしてしまった。真っ赤になった暦猫が、とても可愛かった。


 それから暫くして、人間界に≪邪魔獣モンスター≫が出た。
 これの討伐にだけは、俺も参加する事に決まっている。

 ――良くある事だったのだ。だから、時夜見鶏が大怪我を負った上に、行方不明になるなんて、思いにもよらなかった。

「暦猫、見つかったか?」

 十年ぐらい、時夜見鶏が帰ってこないことは良くあった。

 俺も、<鎮魂歌>を始める前は、よくその位姿を消したものだ。怪我のついでに休息を取る――休日の無い俺達にとってはそれが、暗黙の常識となっていたんだ。

 だが、百年以上経過して、戻ってこない事などこれまでには無かった。それに百年も経過すれば、大抵の怪我は治癒する。

 そうすれば、居場所を伝えるくらいの気配は戻るはずなんだ。生まれたばかりの頃(いや、1000年くらいだったかな)当時は、それこそ気配を消すように時夜見鶏は生きていたが、<鎮魂歌>に入ってからは、一度もそうした事は無い。

 現在では師団長を務める時夜見鶏の姿が見られなければ、団員が心配するからだ。だが、もう二百年も、時夜見の姿は見つからない。

 俺の言葉に、暦猫が唇を噛んで頷いた。
 暦猫の鏡には、

・時夜見鶏は負傷した。
・時夜見鶏は神界に戻った。
・時夜見鶏は洞窟で寝ている。

 しか、書いていないのだ。それが仕様だ。

 寝ている――……それは本人の認識であり、外部の認識でもあるが、正確には『傷を負った人型の器が消滅しようとしていて、本体が何とかそれを保っている状態』である。その時分に本体を攻撃されでもしたら、死ぬ(神々の言葉で言えば消滅か)。

 保護する場所――例えば医療塔などにいなければ、安全に、安静にしていなければ、少しの衝撃で本体が傷つき、意識を落として、そのまま死ぬのだ。

 時夜見は昔から、自分自身の怪我には、本当に無頓着だ。ただ消滅していない事だけは、最高神である俺には分かる。

「神界の洞窟……その洞窟が特定できれば良いのですが、悪くすれば、私達が入った衝撃や、転移した際の魔力圧で簡単に死んでしまいますよね……」

 俺は口元を手で覆った。暦猫を、本当は抱きしめて、慰めてやりたいが、俺はこれでも最高神だ。まずは、時夜見鶏を救う事。本来のダラダラチートハーレム予定は、もう完全に狂いかけているが、チート能力だけは健在だ。

 いくら平常時モードで人型であっても、今の時夜見の、眠っている状態ならば、恐らく無意識に放たれているため抑えきれない俺の魔力の力で、時夜見鶏を殺してしまう。

 いつもそれを恐れるから、俺は探しに行きたい衝動を堪えているのだ。目をキツク伏せ、俺もまた唇を噛んだ。

 洞窟の場所さえ分かれば、今では時夜見さえ従えている(理由は知らないが、時夜見は腰が低いのだ、何かと。表情と態度と声からは分からないが。

 最近は時夜見が言わないせいなのか、時神の思いあがりっぷりも激しい、とはいえ)時神の長に迎えに行かせる事が出来る。他の弱い神々でも良いし、兵士でも良い。

 例えば、俺とは違って、威圧感が薄い暦猫や愛犬だって、洞窟さえ特定できれば、少し離れた場所へ転移する事で魔力圧なしに、力を抑えて迎えに行けるはずだ。

 その時、扉をノックする音が響いた。

 空巻朝蝶だった。
 現在も、暦猫の計画は進行中だ。

 だから俺と朝蝶は、恋愛関係によく似た仲で、和平交渉は上手く機能している事になっている。

 ――仮に今、時夜見鶏の不在を知られたら、時神と空神の間では、再び戦が始まるだろう。時神には、俺達が肩入れする形となって。本当は、時夜見の事が心配すぎて、戦争の事なんて考えたくもないし、放っておきたい。

 だが、朝蝶はあの時、確かに俺の横に立って、時夜見ではなく、俺を守ってくれた。あの行為は、やはり同じ神だからであり、朝蝶も、この世界の滅亡を願ってはいない事、俺が死ぬのを回避したい事を、ありありと教えてくれた。

 仮に暦猫が言う通り、本当に時夜見鶏の事が好きだったならば、それは辛い選択だったはずだ。意識があるのか無いのか、その時の時夜見の状態では分からなかったが、ずっと朝蝶は泣きそうな顔で、時夜見鶏の事を呼んでいた。

 あの姿を、俺は覚えている。だからきっと、朝蝶は辛いはずなのだ。朝蝶だって、俺とこんな和平交渉などせずに、恐らくもう時夜見鶏の不在を悟っているのだから、探しに行きたいのかも知れない。

 悟っているのに、空神族には何も言わない朝蝶の事を、その時から多分俺は、信用し始めていた。

「聖龍様、仲の良さをアピールするために、出かけませんか?」

 柔和な笑顔で、朝蝶が言う。俺に断る理由は無い。

「ああ、そうだな」

 頷いてから、暦猫を見た。すると、小さく頷き返された。
 二人で暫く<鎮魂歌>の庭を歩く。
 今となっては、朝蝶と時夜見が、此処で鬼ごっこをしていた光景すら、懐かしい。

 思わず苦笑が漏れた。

「聖龍様?」
「いや……悪い。蝶々達が、此処で逃げたり追いかけたりしていた事を思い出してな」

 何気なく俺がそう言うと、朝蝶が足を止めた。
 体が硬直している様子で、目を見開いている。
 今にも泣きそうな顔で、朝蝶が唾液を嚥下した。

「悪い……その、配慮が足りなかった」

 恋する相手の不在を実感させられる事など辛いはずだ。
 涙を今にも零しそうなまま、朝蝶が顔を背ける。

「全くです。医療塔にも居ない、追いかける事も出来ない、そんな事実、空神族が知ったら、どう感じると思いますか? 医療塔の入院患者くらいすぐに分かるんですよ? 追いかける事が出来ないなんて……どれだけ消耗しているのか……あるいは、まだ戻らないのか……」

 何でもないというように、朝蝶は言う。呆れた声をしていた。
 だが、彼の嘘泣きに気づける俺は、本当に泣いているのだという事だって、当然分かる。

「もし僕が見つけたら、当然殺しますよ。なにせ、敵なんですから」
「そうか」
「ええ」

 きっと、朝蝶には、そんな事は出来ない気がした。
 時夜見鶏は鈍いから兎も角、ずっと朝蝶はこれまで、逃げ続けてきたのだ。

 たった一言、戦意が無ければ鬼ごっこをする必要がないと、伝えれば良かっただけなのに。それでもずっと逃げていたのは、朝蝶の意志だ。時夜見鶏が、ストーカーだと誤解されるほど、ずっと逃げてきたのだ。

 強姦の事実よりも、そちらの方が、皆の目を惹くとはいえ、本気でやり合った所など見た事も無い。戦場などは別としてだが。確かに時夜見鶏は強いが、だからこそ、朝蝶が本気で殺そうとしている場面の方が、見る確率は高いはずなのに。

 ただ、殺そうと、そんな風に見えるようにしていたとしか思えない。朝蝶だって時夜見の頬に傷を付けるくらいには強いのだから。

「――好きだという気持ちは、恥ずべき事ではない」

 俺は久方ぶりに、威厳たっぷりに言ってみた。なにせ、照れくさかったのだ。それは恐らく、本音が多大に混じっていたからだ。

「何を仰っているのか分かりません」
「自分の気持ちに嘘をつき続けて、そして最後に気がついた。その時にはもう、遅い可能性もあるんだ」

 あの時、時夜見鶏が暦猫を綺麗だと言ったあの時、きっと俺は苦しかったのだと思う。
 暦猫が――俺の側から居なくなってしまうのではないかという不安感。
 上手く説明は出来ないけど、俺はきっと、どうしようもなく辛かったのだろう。

「朝蝶」
「なんですか?」
「敵だとしても、和平交渉をしている身であっても、だ。俺は、お前の幸福を、幸せな恋を、祈っている」
「ッ」
「さて、帰るか」

 その様にして庭の散策を終え、俺達は戻った。


「聖龍」

 帰宅してから、数十分が過ぎた頃の事だった。
 暦猫が、慌てたような声を放ち、俺を見る。

「どうしたんだ?」
「これを見て下さい」

・時夜見鶏の姿は、秘匿された洞窟にある。
・新たに秘匿された洞窟が、記録された。
・空神族の祠。
・時夜見鶏を空巻朝蝶が見つける。
・空巻朝蝶は帰宅した。
・空巻朝蝶は、≪深紅球≫と≪蒼海球≫を購入した。

 俺と暦猫は顔を見合わせる。

「購入物は、HPとMPを回復させる≪球≫です。洞窟からは、30kmほど離れた場所の街にしか売っていない」

 kmというのは、俺がまた昔に、舌を噛みながら「めっ−とりで良くないか」と暦猫に告げた時に決まった、「メートル」という単位だ。Kは、「き、ろっ」とか、で決まったんだったか。

「すぐにでも殺す事が出来たはずです。それに武器を使わずとも、夜の神でもある時夜見鶏ならば、洞窟から放り出されたら、すぐに消滅したはずです」
「場所も空族の秘匿していた場所ならば、俺達には察知できないからな」

 強い結界が張られていて、不可侵の場所とされているからだ。
 最早俺達には、選択肢は一つしか無かった。

 敵対している空族に依頼すれば、すぐに時夜見鶏は殺されて(消滅して)しまうだろうから。

 ――空巻朝蝶の善意を、好意を、信じる他はない。

 翌日、祈るような気持ちで、俺達は鏡を見守った。
 そこには。

・空巻朝蝶は、時夜見鶏に≪深紅球≫と≪蒼海球≫を飲ませた。
・時夜見鶏は、≪深紅球≫を摂取した。
・時夜見鶏は、≪蒼海球≫を摂取した。
・時夜見鶏と空巻朝蝶は口づけした。

 と、記載されていた。
 その事実に、まず俺と暦猫は安堵した。

 ――摂取できる状態ではあるのか。
 ――だが、ちょっと待て。最後の口づけした……口づけした!?

「ど、どう思う?」

 思わず聞いた俺の声が震えた。

「さ、さぁ……?」

 答えた暦猫の声もまた、震えていた。


 それから暫くして、時夜見鶏は、<鎮魂歌>の前に倒れていた。
 愛犬天使が見つけて、医療塔に運んですぐに、目を覚ました。
 かなり消耗していた時夜見だったが、すぐに回復した。

 俺は復活した時夜見鶏に会おうと暦猫と二人、回廊を歩いていた。
 遠目にその姿が見える。
 その時だった。

「強姦魔なんて死ねば良かったのに」

 どこかで誰か、一人の兵士がそんな事を言った。怒りで我を忘れそうになる。
 だが――怒鳴りつけようとした俺よりも一歩早く、暦猫が兵士に走り寄った。

 バシン、と。
 乾いた音が鳴り響いた。頬を平手で打ったのだ。

 こんな風に激高した暦猫を、俺は初めて見たかも知れない。

 冷たい眼差しだったのに、暦猫の緑色の瞳は、どこか悲愴と憤怒に彩られていて、紅潮した頬は怒りを露わにしていた。

 頬を殴りつけられた兵士は、唖然とした様子で、暦猫を見ている。

「最低なのは――」

 言葉を続けようとした暦猫を、腕で俺は制した。
 すると驚いたように、我に返ったように、暦猫が俺を見上げた。

「……何も、お前が手を出す必要はない。最低なのが誰なのかなど、見ていれば、噂話を真に受けた愚劣な兵士の言葉を聞けば分かる。ただな、時夜見鶏が何故黙秘を通すのかにすら、考えが至らない者を殴る必要など無い。その価値すらないだろう? 違うか?」
「それは……」

 それでも怒りと悲しみを堪えるように、暦猫が俯いて唇を噛む。

「<鎮魂歌>内での戦闘は禁止だ」
「っ」
「行くぞ、暦猫。残念ながら、時夜見鶏は帰ってしまったようだがな」

 先ほどまで遠目に見えたその姿が無い事を確認してから、俺は暦猫の手首を握った。
 そして俺は無理に歩き出しながら、目を伏せる。眉間に皺を作って。

 歩き出したから怒る相手も居なくなり、やり場のない感情が浮かんでくる。
 何故なのか、泣きそうになった。

 俺が作りたかったのは、こんな世界じゃないはずだった。

 だが、暦猫の前で、涙なんて見せたくはない。俺は、ちっぽけな自尊心の元、きっと暦猫の前では、大人で、そしてその時はきっと、格好良くいたかったのだろう。

 執務室へ戻るなり、暦猫が、涙を浮かべて怒った顔をした。

「処罰ならいくらでも受けました。なのに、なのに、どうして――」

 その言葉を遮るように俺は、柔らかな銀髪の後頭部に手を当て、無理に唇を奪う。
 目を見開いた暦猫に苦笑した。

「もしお前がああしていなかったら、俺が怒鳴っていた。多分俺が怒鳴っていたら、お前が収めたんじゃないのか?」
「っ、それは……」

 上を向いて、天井を眺めながら、俺は涙を堪えた。

「俺はな、それでも今は、お前がいて、時夜見や愛犬、蝶々がいるこの世界に、絶望なんてしていない」
「!」

 目を見開いた暦猫の両頬に手を添え、俺は苦笑した。

「愛している」
「私も、私もです」
「だったらな、多分だけど、俺達がすべき事は、あの兵士を殴って消滅させる事じゃない。時夜見が、俺と同じように、この世界を好きになってくれるように、努力する事なんだ。あんな馬鹿げた中傷を受けずにな」

 俺が必死に笑ってそう告げると、泣きながら何度も暦猫が頷いた。

「そのために――協力してくれるか?」
「はい」

 その声に俺は暦猫を抱きしめてから、再び天井を見上げたのだった。


 それから。

 和平交渉は上手く進んでいたから(時夜見鶏が見つかる前に)、そして暦猫の本(鏡)で、朝蝶が時夜見の事を助けてくれたのも知っていたから、回廊で偶然であった朝蝶を見て、笑顔で足を止めた。

 ――もう此処まで来れば、蝶々が時夜見を好きだというのは、確定だと俺は思っている。

 和平交渉時の付き合っているフリも、時夜見鶏が戻る直前に解消されていたので、もう俺は、朝蝶と付き合っているフリをする必要もない。

 朝蝶も、時夜見が見つかった安堵感があるのか、最近は以前よりも優しくなった気がする。朝蝶と遭遇したのは、そんなある日の事だったのだ。

「僕本当に聖龍様を、敬愛しています」

 これまでに、朝蝶からそんな台詞を言われた事は無かった。
 おかしいな、と思い周囲の気配を探ると、時夜見鶏が居るのが分かった。

「聖龍様のこと、仕事ぶりを拝見して、今では、大好きです」

 まぁやってるの、ほとんど暦猫だけどな。
 とはいえ、仲が良い姿を見せれば、時夜見だって嫉妬するかも知れない。

 朝蝶の恋心を知り、時夜見だって……朝蝶に助けてもらったり色々あった(口づけ……)のだから、ちょっとは嫉妬するかもな!

「ああ、私も朝蝶の事が好きだ。現在の関係になれて、嬉しい」

 それにちょっとだけ――以前に暦猫に『綺麗だ』なんて言った事に、俺の方が嫉妬していたりもする。

「好きだぞ、朝蝶」

 だから言ってやった。

 ただし半分は、やはり朝蝶には恋心があるにしろ、未だに空族は時夜見鶏を籠絡したり、罠にはめてやろうとしている可能性が高い(から、朝蝶は他の空神族に伝えなかったのだろう)と思い、戒めの言葉と、早くそれに気付けという親心(?)半分で言った。

 ――この笑顔に騙されるなよ、と思いながら、時夜見をチラリと見た。

 相変わらずの威圧感を放ちながら、夜のような瞳でこちらを見ていた。気怠そうには見えるが、それはいつもの事なので、怒っているのか嫉妬しているのかすら分からない。

「嬉しいです」

 すると柔和な表情で、朝蝶が答えた。

 時夜見が戻っているせいか、これまでの嘘泣きから一転して、最近の朝蝶は、思いっきり作り笑いなのだ。だから俺も作り笑いで対応している。


 その翌日の事だった。

「嫌、嫌だ、ッ、止め」

 朝蝶の嬌声が、空室から漏れてきた。
 ちょっと待て、一体どういう事だ?
 漸く二人は付き合う事にでもなったのか?

 困惑しつつも、俺は扉を開け放った。ここで、致されてもマズイし。どちらかの部屋でヤれ! そんな思いで俺は告げた。

「時夜見、貴様……!」

 本当、場所を考えろよ! 俺だって、仕事場PLAYとか、してみたいんだぞ!! そう思えば、怒りが沸々とわいてくる。

「何を考えているんだ」

 全く……俺ですら、まだヤってないのに。まぁ、暦猫はそんなの許してくれないかも知れないな――いやでも、案外……? 考える内に、思わず眉間に皺が寄ってしまった。

「ああっ、もう……嫌だッ」

 快楽に堪えられないように、朝蝶が甘い声を出している。
 なんて、なんて、なんて羨ましいんだ!

「……そうか」

 だが、その時ポツリと時夜見鶏が呟いた。

 そんな調子に、俺は思わず眉を顰めた。これは……俺が昔、掃除しようと思って、ぽいぽい時夜見鶏の倉庫の箱を捨てた時に、よく似ている。

 あの時は少年だったし、今となってはあの箱に入っていた装飾品は、人間界で、大変貴重な魔力を持った指輪とか呼ばれているらしいが……。

 ただ、ただ、本当に哀しそうに見えた。いつもと変わらない無表情だったが、切れ長の瞳の奥に、多分長い間一緒に暮らして成長を見守ってきた、恐らく俺にしか分からないだろう悲愴が浮かんでいる気がしたのだ。

「っ」

 朝蝶もまた、そんな時夜見の表情に、息を飲んでいるようだった。
 表情変化が分かるとしたら、本当に好きになって、観察していたんだろうな。

 その時――不意に時夜見鶏が、切れ長の目はそのままに、唇の両端を持ち上げた。

 よく見ればそこある、彼の黒がメインで僅かに茶が指した瞳が、馬鹿にするようにこちらを見ていた。明らかに――……時夜見鶏が、嘲笑しているのと、怒っているのが分かる。
このままだと、間違いなく、俺も蝶々も、ただでは済まない。

 時夜見鶏の実力ならば、平常時モードの俺も、朝蝶も、一瞬で塵芥と化すだろう。
 慌てて俺は、剣を抜いた。
 すると、焦った様子で、朝蝶が俺を制するように声を上げる。

「聖龍様、違うんです、これは――」
「庇う必要はない」

 俺の事はとりあえず庇わなくて良いから、お前は先に逃げて誰か呼んできてくれ!

 そんな心境だったが、時夜見鶏が怖すぎて俺は、あまりよく聞いていなかった。
 だが必死で剣を構える。
 武器があれば、数分は持つかも知れない。

 その間に、朝蝶が呼びに行くか、この威圧感に気づいてくれそうな、愛犬……出来れば苦しまずに死んで欲しいが、最後になるなら顔を見たい暦猫の事を思い出す。

 実際、仮に現在の時夜見鶏を倒すとしたら、本気の朝蝶と、通常モードの俺と、戦闘モードの愛犬と、完璧補佐の暦猫が揃っても、難しい可能性が高いし、何より彼等の到着まで、持ちこたえられるかも怪しい(通常モードになるには時間もかかるし)。

 こうなったら、何か動揺させられるような言葉を発して、会話で時間を稼ぐしかない。
俺は必死で考えた、そして願うように告げた。

「以後二度と朝蝶には近づくな」

 お願いだ、コレに動揺してくれ!

 本気で、願うような気持ちで俺は言ったのだ。精一杯威圧感を発揮し、俺はそれを剣にまとわりつかせる。この剣はそうする事により、少しは威力が増すのだ。同時に思った。

 最初に時夜見鶏が卵から生まれてきた時の直感通り、やっぱり敵に回してはならない相手であったのだと。

「僕が悪かったんです……っ」

 その時、朝蝶が声を上げた。俺の作戦に気がついて、のってくれているのか?
 いやもうそう言うの良いから、誰かを早く呼んできてくれ!

 しかし時夜見鶏は、失笑しているだけだった。切れ長の瞳が細まり、口元の片端だけをつり上げて、馬鹿にするように笑っている。

「俺が無理矢理したんだ。別に、いいだろ? 俺の行動を指図する権利なんて、誰にもない。勿論お前にもだ、聖龍」
「!」

 ――俺は、息を飲まずにはいられなかった。

 無理矢理、した? これまで、俺は時夜見を信じていたから、そんなはずがないと思っていた。だがどこかで俺は、敵である空族を信用しないでいたのかも知れない、無意識に。

 これまで、時夜見は俺に嘘をついたことなど、一度も無かった。無かったのだ。

 だから時夜見が無理矢理していると、
 信じなかっただけなのだろうか?
 本当に朝蝶は無理矢理犯されていたのだろうか?

 それに確かに、俺には、時夜見鶏に指図する権利など無い。最高神だからと図にのって、あれこれやらせてきただけなのだ。それに時夜見が不満を募らせていたとしてもおかしくはない。

 その上確かに、俺は、時夜見が何時だって俺に従ってくれるから、だから、調子にのっていた。行動を指図できる、その権利はない、それは、俺の考えていた傲慢さと、現実をつきつけられるには十分すぎる言葉だった。

 俺は――子供だとか兄弟だとか友達だとか、時に思う事はあったけれども、下僕とさえ考えかけた事があるではないか。

「なんだ? 何か言いたいことでもあるのか?」

 時夜見鶏が、唇の片端を持ち上げたまま言った。
 相変わらず、その瞳は夜のようで、何も映してはいない。
 まるで俺の事など、見る価値すらないと思っているかのようだった。

 しかし――それでも、やはり俺の中で、時夜見は大切なのだ。

「貴様がしたことは、到底許される事では無い」

 無理矢理したというのならば、俺が叱るべきだ。
 仮にそれが俺の最後の言葉になったとしても。

「別に。許される必要なんか無い――それとも、俺を追い出しでもする気か? 俺がいなくなったら、お前、困るだろ?」

 失笑するように、時夜見が言った。俺は、時夜見が居ない<鎮魂歌>なんて、考えたくもなかった。

 だが、仮に誰かを、すきかってに犯しても良いとすら思っているのであれば、それが俺の嘗てを真似した行為であったとしても(いや、俺は無理矢理はないが)、キツク言わなければならない。

「思い上がるな。貴様一人いなくとも、此処は困らない」

 そんな俺の言葉は、あるいは自分自身に向けられたものだったのかもしれない。

 時夜見が、そんな風に思える世界を作ってしまった俺は、時夜見鶏が居なくなっても仕方がないと、どこかで考えていたのだ。暦猫に書類仕事を任せ、討伐は時夜見に任せている――いらないのは、多分俺だ。

「出て行け、二度と俺の前にも顔を見せるな。<鎮魂歌>へ近づくな。入ることも許さない」

 ここまで言えば、流石に時夜見も、俺を攻撃すると思った。

 何時しか、どのようにして消滅するのを防ぐかではなく、その時の俺は確実に自分の死を考えていた。

 元々俺は、何でも出来る時夜見よりも、本当は劣った存在だったのだ。それでもこの世界が好きで、時夜見と一緒にいるのが楽しくて――そして暦猫に恋をしたのだ。

 すると時夜見が、いつもの気怠そうな瞳で俺を見た。
 俺もまた、時夜見を見た。

 こんな風に、視線が合うのは、いつ以来なのだろう。それすら思い出せない己を呪った。
 ああ……大事だと思っていたはずなのに。

 俺は目を伏せたくなったが、これが最後だと思えば、時夜見の顔を、せめて忘れたくなくて、じっくりと見た。見据えた。

 すると不意に時夜見が鼻で笑った。俺達の間に横たわっていた沈黙が消える。

「分かった」

 その声に、俺は思わず息を飲んだ。

「これをやる」

 不意に渡された退職願を見て、俺は思わず目を見開いた。
 色あせたその封筒、蝋印。
 明らかに、以前から用意された物であったと分かる。

「なッ……本気か?」

 これが、本音だとすれば、先ほどまでの時夜見鶏の威圧感も、何もかもが、この時のための演出に思えた。時夜見鶏は――この<鎮魂歌>から出て行きたいと思っていたのか?
呆気にとられて、時夜見を見据える。

 だがそこにはいつも通りの気怠い瞳と、夜のような気配があるだけだった。

「ああ」

 沈黙してから、時夜見鶏が頷いた。

 だとしても、だとしても――俺の中では、時夜見鶏が側にいないなんて事はもう、考えられなかったのだ。本当に朝蝶を強姦したとしていても、だ。朝蝶を一瞥してから、俺は一歩前へと出た。それが許されない事であるくらいは、分かっている。

 だが、それ以上に、俺にとっては何よりも、嫌、勿論暦猫を愛しているのだが、そうであったとしても、時夜見鶏がどうしようもなく、大切だったのだ。

「言い過ぎた。考え直してくれ」

 俺は、多分声が震えていた。けれど、震えを止められなかった。
 だが再び沈黙し、弧を描いた口元で、こちらを静かに時夜見は見ている。

 暫しの間をおいてから、フッと笑み混じりの声を時夜見が放った。

「もう決めた。じゃあな。出て行く」
「待て、時夜見――」

 俺が引き留めようと言いかけた言葉を遮るように、時夜見鶏は部屋を出て行ったのだった。


 ≪聖神宴≫――<鎮魂歌>最寄りの、酒場にて再び、今度は愛犬も交えて俺は酒を飲んでいた。俺は時夜見鶏が出て行った後、七十年くらい酒に溺れていた。

「時夜見……ううッ」

 俺は既に酔い、自分の愚かさと悲しさが極まって、涙がボロボロと零れていた。
 涙が頬を濡らしていくのが自分でも分かる。

 それは別に、会議で時夜見の意見を参考に出来なくなったとか、討伐が大変になったとか、あの時朝蝶を庇うように、と言うか己を庇うために剣を抜いてしまったとか、そう言うことではない。

 何よりも辛かったのは、時夜見が<鎮魂歌>を辞めたいと、退職願まで前々から用意していた事実、それはきっともう俺の顔なんて見たくないと思っていたからだろう事が原因だ。

「時夜見は、時夜見はさぁ、そんなに俺のことウザがってたのか……ッ!!」
「聖龍……哀しいのは分かります。私も寂しいですから。だけど、私が側に居るではありませんか」

 暦猫がそう言って、俺を優しい目で見た。

「でもな、アイツは俺とお前の子供のようなものだっただろ?」

 俺の言葉に、酔っているのか暦猫が赤くなった。

「あああああ、時夜見――!!」

 現在は、俺と暦猫が横並びに、正面には愛犬が座っている。嘗ては、愛犬の隣には、時夜見が座っていたのだ。その時は、必死でいつも俺は酔いを堪え、格好いい父親(?)のフリをしていたのだ。

「うーん、だけどさぁ」

 麦酒を飲みながら、愛犬が呟く。

「例えば、暦猫をさ、『綺麗だ』って言ってたのが、朝蝶が嫉妬するのを期待して、言った言葉だとするじゃん?」
「ああ、ああ、そんなの、そんなの、どうでもいいッ!!」
「ちょっと聖龍は黙ってて。暦猫も黙らせて」
「はい!」

 暦猫は頷くと、俺の唇に両手を当てた。可愛いが、今はそれどころではないので、舐めてやると、暦猫が真っ赤になった。だが、手は離してくれない。

「それってさぁ、実際には、仕事あっさり止めるくらいだから顔が見られなくなってもOKで、恋して無さそうだった時夜見からすればさ、特に意味が無かったとするじゃん?」
「まぁ、そうでしょうね」
「けどその後、聖龍と朝蝶は、付き合ってるフリして、至る所で一緒にいたよね?」
「ええ……私の計画とはいえ、私が嫉妬するくらい一緒にいましたね」
「要するに、最初は興味なかったけど、朝蝶やら、聖龍の反応やらを見て――かつ暦猫の反応じゃなくて、会議の最初の時点で、二人が威圧感出したり固まっているのを見て、もしやこの二人……って、勘違いにしろ推測くらいは出来るじゃん? 目を逸らした僕は兎も角」
「「……」」
「その上で、眠って帰ってきてみたら、仲が良い二人の姿があったわけでしょう? もうこの二人は、相思相愛だって確信してもおかしく無くない?」
「そ、それは、その可能性はあるでしょうが……」

 暦猫が漸く俺から手を離し、腕を組む。

「そうしたらさ、追いかけっこのせいで、ストーカー扱いされて、その上強姦魔扱いされてた時夜見鶏的にさ、二人の邪魔をしてるとか、考えない? でさぁ、邪魔なら姿を消さないと、みたいな」
「それで……辞めたって事か?」

 俺が首を傾げながら不安そうに聞くと、愛犬が大きく頷いた。

「そ。で、仮に本当に時夜見が朝蝶の事好きだったら、尚更じゃない?」

 愛犬の言葉に、酒を飲みながら俺は俯いた。

「俺が嫌いだとか、<鎮魂歌>が嫌になったのかも知れないだろ?」
「そんなはずはないと思いますが……特に眠って起きた後ならば、いくら消耗していても嫌ならば帰ってこないでしょう?」
「だってあれは誰か……朝蝶に連れて帰られたんだぞ?」
「逃げればいいじゃん。医療塔から逃げるなんて、時夜見ならすぐに出来たはずだよ。五神の誰かが見張っていたわけでもないんだし」

 確かにそうかと思い、俺は顔を上げた。

「だから、今聖龍がやるべき事は、時夜見に会いに行く事!」
「その通りです」

 二人に断言され、おずおずと俺は頷いた。


 それから三十有余年ほど、会いに行こうとしては、足が止まって、何度も何度も悩んでから、決意し、会いに行く事に決めた。


 俺は、庭で何らかの作業をしている時夜見を見つけた。
 そういえば――昔から物作りが得意だったよな。今となっては懐かしい思い出だ。

「……時夜見」

 まるで声帯が機能を失ってしまったようにすら思える中で、俺はおずおずと声をかけた。無視されたらどうしよう、更に今より傷つく気がした。

 沈黙が俺達の間に横たわる。
 それは夜が明けるのを待っているような心境だった。

「なんだ?」

 たっぷりと間を挟んで、時夜見鶏が答えた。首を肩に近づけるその仕草も、気怠そうな切れ長の視線も、そして無表情も、何もかもが懐かしい。

 俺は暦猫の事を愛していると自覚している。

 だが、それとは、全く異なる意味で、時夜見鶏は、俺には、無くてはならない存在なのだ。とても冷たい声音だというのに、その闇のような声音すら、俺は聞きたくてたまらなかったのだ。

 ずっと、そうだ、ずっと俺達は一緒にいたのだ。何もせず、だらしなく、ぐうたらしてきたのだし、愛想をつかされても仕方がないだろう俺だけど、それでも、時夜見が帰ってきてくれるならば、何でもしたい。だから泣きそうになった自分を堪えた。

「単刀直入に言う。戻ってきて欲しい」

 再会したら、色々と話そうと思っていたが、俺の口から出たのは、それだけだった。

 呆れたように吐息し、作業を終えたのか、手を洗いながら、時夜見は俺を眺めている。

 俺を不思議そうに見ているように思えたし、同時に、何も理由が無いのに此処へとやってきた自分は、いつも通りに、結局時夜見鶏の前では、余裕たっぷりを装い話してしまった。特に時夜見の前では、威厳があるふりを、いつだって俺はしてきた。

 一度だって、一緒にいたいだとか、信頼しているだとか、そんな事は言った事がない。ああ、なぜそうしなかったのだろう。滑稽すぎて、笑ってしまうのに、やはり泣きそうになったから、俺は目に力を込めた。

 何故なのかは分からないけど、やっぱり、こいつの前では格好良くいたいんだ。

 格好良さの意味は、暦猫と時夜見の前では全然違うけど。暦猫相手だったら、俺はきっと、情けない姿もまた見せられる。だが、時夜見には違う。時夜見には、父親のような、兄のような、師匠のような、あるいは年嵩の友人のような、よく分からない、ただ格好いいところを見せたいのだ。

 とっくに時夜見が俺よりも上の実力を誇っている事など、分かっているのに。だけどそれを口に出来るのは、精々、何らかの理由付けが合った時でしかない。

「≪邪魔獣モンスター≫の討伐、神界も人間界もだ……お前の助力が無いのは厳しい。それに他の世界からの攻撃もある」

 俺の言葉に、無表情に見えこそはするが呆れているのか、静かにまた時夜見が首を傾げた。二人で<鎮魂歌>を作った理由は、それこそ時夜見だけに討伐を任せないことが理由だったはずなのだから。

 あの時の俺は、何にも考えては、いなかった。ただ自分に都合の良い言葉を並べていただけなのだ。考えてみれば、俺が時夜見鶏に、何かを自発的にしてあげた事など一度も無い。無かった。

「今更?」

 その時、続いた沈黙を打ち切るように、時夜見鶏がそう言った。

 それもそうだろう、もう百年も経っているのに、俺は今日初めて顔を見せたのだから。大体本人からしてみれば、勘違いとはいえ、俺と朝蝶の仲を疑っているとしたならば、ある種追い出されたような形に見えない事もないはずだ。

 しかも俺が語った戻ってきて欲しい理由は、≪邪魔獣モンスター≫の討伐だ。何故、何故俺は、寂しいから戻ってきて欲しいという、その一言が言えないのだろう。まるでこれじゃあ、働かせるために戻れと言う風に聞こえてもおかしくない。

「……何も返す言葉がない」

 それが、本心だった。俺は今更、何をしに来たんだろう。涙が、零れそうになる。もう嫌だ、こんな世界など、滅びてしまえば良いとすら思った。

 だが。目の前にいる時夜見が、俺に再び笑顔を見せてくれる前に、全てが滅びるのも苦痛だった。勿論それは、言い訳なのかも知れないが。

 だから俺は、必死で、時夜見鶏に戻ってきて欲しい理由を探した。

「お前がどれだけ、これまで討伐に尽力してくれていたのか、そして、会議で、どれだけ雑務処理に文官としての仕事に注力してくれていたのか、俺は知らなかったのかも知れない。それが当然だと思っていたんだ。浅はかだった。許して欲しい」

 威力の強い≪邪魔獣モンスター≫の討伐は、百年前まで、時夜見鶏が一人で行っていた。今では、百師団くらいが連携して行っている。

 また、会議の度に俺は時夜見鶏の思考を見ていた。

 今では俺は、会議では何も発言する事が出来なくなったから、ただ威厳たっぷりに笑っているだけだ。そうして無言を通しているのだ。大抵そうすれば、暦猫か朝蝶、ごく稀に愛犬が何かしら提案してくれる。

 無論それらは、時夜見の案には、ほど遠く稚拙な案にすら思えるが――ただみんな、俺が時夜見鶏の不在を嘆いていて、会議でも虚ろなのだと考えてくれている。

 俺はいつも、討伐してくれる事も、会議に真剣に取り組んでくれる事も、それまではいつも『ごく普通』の事だと思っていたらしい。それに気づいた。

 時夜見鶏がいなければ、何も出来ない俺――それに気づいた事も、これからは時夜見鶏だけに全てを任せないようにしようという考えの基盤となった。

 そして何よりも、何よりも本当に、ただ一緒にいて欲しかった。そんな事にさえ気づかなかったなんて、俺は本当に馬鹿だったんだ。

 俺は気づくと懺悔していて、頭を下げていた。
 すると時夜見鶏が立ち上がった。

「別に」

 そんな俺に、時夜見鶏はいつもと同じく、淡々とした声を放った。
 俯いたまま目を見開き、それから俺は顔を上げた。

「戻ってきてくれ」
「……それは」

 だが、時夜見は、思案でもしているかのように瞳を揺らした。
 俺は回答を待ちながら、心臓が早鐘を打つのを感じていた。

「――討伐は、引き受ける。俺一人で十分だ」
「っ」
「それで良いだろう?」

 時夜見鶏が、俺を正面から見据えた。
 そこには、はっきりと、拒絶の意志が見て取れた気がした。

 息を飲んだ俺にも、何も構わずに、夜のような瞳で瞬きをしている。
 仕事だけはしても良い――……

「……フリーでやると言うことか?」

 俺は、沈黙した後、そう尋ねた。声が震えそうになったのを必死で抑えた。
 やはり最早、<鎮魂歌>に戻る気はない――暗にそう言われているのだと思う。

「ならば、師団長をしていた時のように、三師団分と、指揮をしない四師団分の成果を上げろ。この条件が飲めるか?」

 俺はもう必死だった。時夜見鶏に、どうしても戻ってきて欲しかったのだ。

 本音を言うならば、戦いなど、討伐など、何もしなくて良いから、だから帰ってきて欲しかったのだ。俺達の、新しい居場所に。涙を堪えていたら、思わず眼が細くなってしまった。

 だが、こんな条件など余裕だという表情で、淡々と時夜見は俺を見ている。だから俺は、食い下がった。

 実際、働いていた頃の時夜見は、新人の……なんだっけ、今では将軍になったラクスか、あいつを助けるぐらい余裕で、百師団が相手にするような≪邪魔獣モンスター≫を倒してはいたが、それはあくまで現役の頃だ。さすがに今なら、きついはずだ。

 そう気がつき、俺は続けた。

「更に言うならば、百師団分、働け。それに是というならば、認めよう」

 さすがにこの条件には、時夜見鶏だって折れるだろう。
 折れてくれ。
 俺は祈るような気持ちで、下におろしている両手を握りしめた。

 だが。

「……分かった。百師団だな」

 少しだけ思案した様子を見せたものの、時夜見が頷いた。

 そんなの、平常時モードは愚か、通常時モードの俺であっても苦戦するだろうに。
 ただ――……時夜見鶏の気持ちは分かった気がした。

 それ程までに、戻りたくないのだろう。きっとやはり、愛犬や暦猫の言葉は、ただの慰めだったのだ。

 ならば――……退職の為に嘲笑していた時のように、俺に見せた時夜見と同じく、俺はきっとこの場所で、怒ったようなフリをして、戻りたくないという気持ちや、俺を嫌いだと思う時夜見の気持ちを、確固たるものとする事が、時夜見鶏に対して出来る、最後の優しさであるような気がした。

 だから、思案するうちに生まれた沈黙を、打ち切るように俺は告げた。

「そうか。それ程までに戻りたくないのか。勝手にしろ」

 言いながら、俺は一生懸命に、不機嫌そうな顔を取り繕った。

 それから暫く歩いてから、俺はもう堪えられなくなって、ただ一人静かに、そう静かに涙を流した。頬が濡れていく俺の顔は、きっと時夜見には見えない。それで良かった、だって俺は、格好良くいたかったんだから。


 その後しばらくの間、俺は時夜見が、百師団分の仕事をしているのだと聞いた。
 当然、給料は支払っている。
 それを教えてくれた暦猫を見て、俺は眼を細めた。

「もう、時夜見のことは見ないでくれ」
「なッ……何故ですか?」

 俺はその時、思わず哀しくなって、気がつくと暦猫を抱きしめていた。
 絹のような髪に顎を乗せ、ポツリと呟く。

「辛いんだ――もう、思い出したくない。コレは命令じゃなくて、恋人への頼みだから、破っても良い」

 俺はきっと初めて、その時仕事と恋愛を混同した。

「悪いな」

 だから謝り苦笑して、離れようとした。
 その手を、だが暦猫が掴んだ。

「暦猫?」
「そんな哀しそうな顔、しないで下さい」

 そんな事を言うくせに、暦猫の両目には涙が浮かんでいて、すぐにポロリと零れた。

「いつか貴方は、時夜見は私達の子供のようなものだと言いましたね」
「……ああ」
「私にとっても、そうなんですよ。時夜見の方が先に生まれたとはいえ。私の中でも、彼は特別なんです。貴方と、貴方――聖龍が、一番良く、時夜見の事を知ってるんですよ。私達は、確かに家族でした」

 静かに泣き出した暦猫を、俺は再び抱きしめていた。
 腕に込める力が止まらない。

「ああ、そうだな。俺は……あれを、思い出だと考えようとしていたのかも知れない」
「聖龍……」

 自分の双眸から涙がこぼれるのも、結局俺は止められなかった。

「悪いな、格好悪くて」
「そ、んなこと、無いです」
「有難うな。お前の前では……俺は泣けるよ。だけど、本当は支えてやりたいんだ。ごめんな」
「私だって貴方を支えたい。なのに、なのに、嗚呼、貴方を見ていると、本当にたまに時夜見鶏を思い出します」
「――それは、どういう意味だ? あいつが好きだったって事か? 前に、似てないと言ったくせに」
「違います。私が初めて恋をしたのは貴方です。昔貴方がいなくなって時夜見鶏と二人きりになった時、どれほど心臓が押しつぶされそうだったか……どうせ貴方は知らないでしょうけど」

 俺の体に、今度は暦猫の腕もまわった。二人で抱きしめ合う。

「その、『ごめんな』の、言い方が、そっくりなんですよッ」
「え?」

 思わぬ事を言われて、俺は驚いて目を見開いた。

「話を聞く限り、それぞれ別の神だと思いますし、まぁ貴方が作った世界ですから、子供と言えば子供なのでしょうが――人間のように血が繋がっているわけでもなく、魔族のように精力と血液から子供を作るわけでもなく……なのに、なのに、育ての親とでも言えば良いのでしょうか? 顔も基本性格も全然似てないのに、癖とかちょっとした仕草がそっくりなんです」

 初めて言われたそんな言葉に、俺は思わず苦笑していた。
 ならば、それが本当ならば、とても嬉しい。

「――俺は、時夜見にとって、良い家族に、なれていたかな?」
「あたりまえです」

 ぎゅっと、暦猫がまわす腕に力がこもり、涙が更に流れた。
 俺はその時の暦猫の言葉が、純粋に嬉しかった。嬉しかったのだ。


 それでもやはり、俺は時夜見の動向を暦猫に見ないように伝えた。
 家族だ――そう言ってもらえたのだから、なおの事だ。

 勿論怪我をすれば分かるようにしていたし、何処の誰と戦っているのかは関知できたのだが。それでも俺は、時夜見の幸せを願い、そしてその実現は、時夜見に任せることにしたのだ。巣立った一人前の子供……いや、大人として見守ろうと思ったから。

 ――勿論噂は、耳に入った。

 <鎮魂歌>を辞めた後でも、時夜見鶏が空巻朝蝶を追いかけ、嬲っているという噂だ。
だが、俺は、それを信じる気すら無かった。

 仮に時夜見の気持ちがどうであれ、少なくとも、時夜見鶏が出て行った時に、苦しそうな表情を見せた朝蝶を俺は信用していた。

 仮にそれが、空神と時神の間で、今も水平化で繰り広げられる競争や喧噪に関わっていたとしても、だ。いつか二人の関係が、恋として結ばれれば良いと、どこかで願う自分がいた。本心から、幸せになって欲しかったのだ。


 そんな時だった。久方ぶりに、会議以外で朝蝶と会う事になった。
 呼び出されたのだ。

 基本的に俺への面会は、二ヶ月待ちで予約を取り、半年後くらいに顔を合わせる事になっている。

 これでも一応、最高神だから忙しいのだ(判子を押すのが主な仕事だけどな)。

 だが相手は、最も古く力のある神々――そうでなくとも、時夜見鶏を伴っていると聞いたから、俺は無理に時間を作った。

 待ち合わせ時間には少し遅れてしまったが、俺は緊張しながら扉を開けた。
 最後に邂逅した時の、時夜見鶏との気まずさも合ったのかも知れない。

 そして――……「っ」

 俺は息を飲まずにはいられなかった。
 時夜見の左手の薬指に、目が釘付けになる。

 そこに填っていたのは、服従の指輪だった。
 それは、従者が主人に贈るものだ――奴隷ではない証に。

 だが、そんなものは建前だ。脅されれば、奴隷は指輪を填める以外の選択肢を持たない。
 とはいえ名目上は、忠誠を誓った従僕が主人に贈るものだ。

 奴隷がそんな代物を入手できるはずがないのだから、ある意味その指輪をしている時点で、奴隷であり、主人の命令をなんでも聞くという――聞かなければならないという枷がはめられた状態になる。

 それでもやはり、名目上は、従僕……奴隷が主人に贈ったものだから、その命令を聞くのは奴隷の意志だと言う事になる。この指輪は、指輪に込められた魔力以上の力が無ければ、あるいは主人が外さなければ、決して外れない。

 ただ少なくとも、噂の媚薬でどんなに快楽に溺れようとも、時夜見鶏ならば、魔力の気配に自ずと気づくはずだ。きっと、填めたのは自分の意志だ。少なからず、時夜見もまた、朝蝶を思っているのかも知れない。ただ、そうだとしても、聞かずにはいられなかった。

「それは……」

 気づけば俺は呟いていた。俺の声に、嘲笑するように朝蝶が笑う。

「時夜見は、僕に服従を誓ってくれたんです。聖龍、貴方ではなくて」
「なッ」

 俺はその時、理解した気がした。本当に――蝶々は時夜見の事を好きなのだろうと。それこそ、隷属させてすら、手元に置きたいのだろう事を。それならば、あの時「綺麗だ」なんて暦猫に言った時夜見に対して、嫉妬をしてもおかしくはない。

「ね、そうだよね、時夜見。僕に、キスして」
「……ああ」

 俺の前で頷き、目を伏せた朝蝶の頬に、静かに時夜見が唇を近づけた。
 その時だった。

 まるで朝蝶に悟られないようにするかのように、時夜見がこちらを一瞥した。それから何気ない風に、右の手首を朝蝶の髪に当てた。

 撫でるかのような仕草だったが、長袖が少しだけ落ちて、そして――……俺と時夜見しか知らない、牢獄で自害させないために隷属させる腕輪がのぞいた。

 あの腕輪を時夜見が自分自身ではめたとすれば、服従の指輪などより絶対的に効果が高いはずだ。

 息を飲みそうになった俺が唇を掌で押さえると、眼を細めて時夜見が小さく頷いた。そうでなくとも、あの腕輪を付けていれば、俺と時夜見に攻撃は出来なくなる。腕輪の主人は、時夜見鶏だ。

 直後、朝蝶が目を開いたので、俺は、硬直しているのが分かるように演技し体の動きを止めた。眉間に皺を寄せる。あの行為が意識的にしろ、無意識的にしろ――だ、俺は、頷いた時夜見を信じようと思ったし、それで裏切られる事があっても構わないとすら思った。

 やはりきっと――時夜見鶏は、俺にとって、聖域という意味で、大切なのだ。
 信頼せずには、いられないのだ。

「悔しいですか?」
「……どういう意味だ?」

 失笑している朝蝶を、俺は睨め付けるように見る。

「貴方の最強の右腕を取られて。時夜見鶏がいなければ、貴方は無力だ。僕に勝利する可能性を失って」

 笑っている朝蝶に、俺もまた失笑を返した。

「私から言わせて貰えば、可哀想なのは貴様だ」
「? 何故ですか?」
「永遠に……愛される機会を逃し、愛の言葉を、本心を、聞く事が出来なくなったのだからな」
「な」
「隷属させられた相手に、本心から愛の言葉を紡ぐ者がいると思うのか? いくら快楽に堕とそうとも、その行為でもまた本心は聞けなくなる。意味も感情も伴わない愛の言葉を紡がれて、満足するのか?」
「べ、別に僕は……利用するだけのつもりですよ」

 嘲笑するように朝蝶は言ったが、その瞳の奥に、俺は焦燥感を見て取った気がした。

「こんな事をしなければ――あるいは、時夜見もお前を好きと言ったかも知れないぞ」
「っ、そんな戯言、あるはずが……」
「恋に自信が無いのも、恥ずべき事ではない。ただ貴様は、永久にその機会を、自分自身の手で潰したようだがな」

 俺の言葉に、朝蝶が顔を歪めて唇を噛んだ。

 すぐ隣に立っている時夜見は、やはり媚薬でも盛られているのか、ぼんやりとしていて、視線が合わない。時折、苦しそうに吐息しているだけだ。

「そもそも私『達』は誰も、時夜見鶏に忠誠など誓ってもらおうとは思っていなかった。ただ側にいてくれればそれで良い、そんな仲だった。仮に時夜見が、貴様を好きだと言えば、きっと応援した。それは空神も時神も関係ない。そうした関係の未来だって、合ったはずだ。消し去り潰したのは貴様だ」
「そんな馬鹿げた事が――」
「馬鹿げていない恋なんて無い。愛は神をも狂わせる。貴様の愛もそうなのではないのか?」

 俺がそう言うと、朝蝶が歯をキツク噛み、目を伏せ頭を振った。

「……ッ、帰ります。ご多忙でしょうから」
「そうか」
「次に戦う時は、時夜見が貴方を殺めるかも知れない」
「それが?」
「え?」
「時夜見が貴様を選び隷属した。殺される事もあるだろう。覚悟は出来ている。勿論死ぬ気は無いがな」

 そう告げて、俺は立ち上がった。
 俺は、多分――信じていた。

 媚薬に体を侵されていても、時夜見は俺を殺めないと言う事――それは、世界が消えてしまうからではない。それだけの時間を、一緒に過ごしてきたからだ。

 そして……朝蝶の、時夜見に対する愛を、だった。




 ――聖龍暦:19500年(一億九千二百四十九年後)


 新たに神が生まれれば、神界中にそれを識らせる鐘が鳴る。

 無論暦猫の本(鏡のような頁の本だ。最前面には、最新の出来事が鏡に文字で映る)のように、だだ生まれたという事実だけが、響いていく。

「『新しい神が産まれました。二体です』」

 誰が何をしたのか、そんな事は記載されない。
 無機質なその声に、けれど神の気配を探れる俺は息を飲んだ。

 生まれたのは、空神と時神が一神ずつ。

 放つ気配から察しても――時夜見鶏と空巻朝蝶の子供だった。
 俺以外に、いや俺ですら未経験の、神同士から生まれた子供。

 ――何故俺が神々と子を成すために交わらなかったのかと言えば、それは、暦猫に出会う以前だったからではなく、別の理由がきちんとある。

 性別などが理由ではない。いくらでも女の人型を探せば良いだけなのだから。
 違うのだ、違うのだ――……数多の神々や、土地を生み出してきた俺だから分かる。

 新しい神を創造する時、その時は、本体の力を形にして、神産みをするのだ。
 それでも俺ならば、すぐに力を取り戻せる。

 だが本来、神同士では、本体から多大なる力を抜かれるため、神を生み出したら消滅してしまう事すらあるはずだ。

 意識を集中させ、俺は現場に意識を向けた。生きて動いてさえいれば、俺はその同じ時の場面であれば、まるでその場にいるかのように見ることが出来る。

 いつの間にか勝手に呼ばれるようになった、”超越”の力がもたらすものらしい(普段はさも思案している素振りで難しい顔で目を伏せ、人間同士の性行為を見るのに使っていたのだが、こんな風に役立つとは……って、そんな事を考えている場合じゃない!)。俺は目をしっかりと伏せた。


 雪のように、黒い羽が舞っている。

 一種荘厳なその気配に、俺は氷づけになったように、瞼の裏の暗闇の中で、目を見開いた。それらの間を縫うように、まるで星の瞬きのように、濃紺の蒼い粉――恐らく鱗粉が舞っている。

 最初の感想は――綺麗、の一言だけだった。
 夜が覆い尽くした空に、蒼い星が瞬いている感覚。
 冬の空気のように冷たく澄んでいるのに、雪のような、けれど蒼い粉が散る。

 それすらも覆い隠すような黒い羽は、幼子二人を守るかのように包んでいて、次第に生まれた赤子に服を着せるかのように集まっていく。

 ――唾液を嚥下し、俺は自分の仕事を思い出して我に返った。

 そこにはぐったりと半ば意識を落としてでもいるかのように、いつ消滅してもおかしくないような時夜見鶏がいた。その体を、朝蝶が支えている。

 抱きしめるようにしてから、恐らく時夜見の上から体を離したのだろう。朝蝶が、壁に時夜見鶏を立てかけていたのだ。だがそれは上手くいかなかったようで、床へと時夜見が倒れる。

 青白い顔をしていて、何度か咳き込んでいるようだった。

 気配を探れば、朝蝶の方は、魔力を抜かれた気配がほとんど無いから、内部に時夜見鶏の男根を挿入して、無理に吸収したのだろう。

 あるいは空神族がずっと研究していたらしい、神々から力を無理に引き出す方法でも使ったのか。一方の時夜見は、人型を保っているのがやっとの様子で、相変わらず、時折黒い羽を降らせている。

 意識を集中させていた俺は、不意に朝蝶の言葉を聞いた。

「もう君は用なしだ。僕の目的の一つは、空神の後継者を得ることで、それは達成された」

 背筋が冷えた。だが、冷静な思考が言う。嘲笑するようなその声に、いつか俺自身も、空神が交わるとしたら同等あるいはそれ以上の時夜見鶏ではないのかと推測した事があるではないかと。

 冷たいかもしれないが、客観的に見れば、それはあり得る事なのだ。

 それに、他者の気持ちなど、本来は誰にも分からない。だから暦猫の鏡にも感情は表示されないのだ。だとすれば、朝蝶が時夜見を好きだなんて、ただの俺達の妄想だったのかも知れない。

 その時だった。

「――お前は気まぐれで生み出した命かも知れないけどな、命は命だ。殺すなよ」

 俺ですら初めて聞くような、それこそ夜の権化であり、この黒い羽のような、氷に酷似した声で、時夜見が言った。体力的にも音量的にも、呟くようなものだったはずなのに、それらは何もかも凍てつかせるように、絶大な威圧感と気配を持っていた。

 意識を集中させ、その場の光景を見ていた俺ですら、体が震えた。

「っ」

 だが、俺は、気がついた。
 そんな俺の感想とは全く異なり、朝蝶が泣きそうに笑っている事に。
 息を飲んだ後に朝蝶は、何度も頷くと、二人の赤子を抱き寄せた。

 それぞれの頬にキスをして、ついに静かに泣き始めた。

「時夜見は、本当に君達に、元気で……ッ」

 声が掠れていた。

「そんなの、僕だって、僕だってさ……うあッ」

 涙を拭って朝蝶が笑う。

「君達のお父さん……に、なるのかな、それとも僕が、お父さんなのかな?」

 それでも止めどなく涙がこぼれてくるようだった。

「時夜見が死ぬかも知れないって僕は分かってた。そうしてあげられたら、逆に僕から解放されるのかもとすら、思ってたんだよ。だけど、だけど、君達を……一度くらい、抱きしめさせてあげたかった。きっと、きっとね、時夜見は僕の事を恨んでいて大嫌いかも知れないけど、君達の事は、きっと、本当に、あ、嗚呼、ッ、愛してくれたと思うんだ。本当に、本当に、あんなに強くて、なのにいつも僕には手加減してくれてね、それでね、それで、それなのに……馬鹿みたいに、≪邪魔獣モンスター≫は倒してた。でも本当は、それすら出来ないくらい優しいんだ。昔ね、鳥を助けてくれた事もあるんだよ。ふっ、あ、うぁ……あんな高級な魔法薬なんて、時夜見鶏しか、あの頃は生成できなかったのにさぁ。すぐに分かったよ。なのに瓶とか置いてって、本当馬鹿。本当、馬鹿なんだけど、凄いんだ……ッ、多分僕は、愛してる。勿論、君達のことも。なにせ僕と時夜見の子供だよ? 君達の事だって、愛してる。空の子は、誰にも負けないくらいに育てるし、だって僕の才能受け継いでるはずだから、後は、本当に自分勝手だけど、時の子は、強く強く生きられるように、それで時夜見が僕を忘れないくらい、僕に似た子供だったらいいな。だけどそんなの全部無くても良いから、幸せに生まれてきて欲しかったんだ。僕は、絶対、愛せるから、殺すわけなんて無いじゃないか。気まぐれなんかじゃないんだよ。直接なんて、絶対言えないけどさ」

 こらえられない様子で泣いている蝶々の声を聴きながら、一番近い場所にいる愛犬天使に俺は≪念話≫で連絡した。

「≪すぐに、行ってくれ。俺もすぐに行く≫」
「≪分かった≫」

 俺は、二人の姿に意識を集中させながら――……勿論、時夜見が消滅しないように気を配るため、だ――だから、視たまま、走り出した。途中転移もしたが、場所が近づきがたく魔法陣が無い場所だったから、その後は、走った。

 その時、俺達よりも一歩早く、空神族が辿り着いたのが分かった。

「朝蝶様、これは――……」

 すっかり涙を拭った様子で、朝蝶は柔和な笑みを浮かべ、その後は時夜見を嘲るように見据えた。もう何処にも、先ほどまで泣いていた気配など無かった。

「力量的には丁度良い相手だったから、籠絡したんだ。そうしていたのは、話していたでしょう?」
「は、はい……」
「僕を愛させたから、向こうの”魔法力”を奪い取って子をなした。僕の方には、力も残っているし、何の問題もないよ。僕が産んだとはいえ」

 朝蝶が笑いながらそう告げて、空神の赤子だけを手に取る。

「僕の後継者だ。時神の赤子は殺すのもありだけど――力を吸わせて貰ったからね。生かしておいてみる? どうせ、もう時夜見鶏は戦えないくらい消耗しているし、あちらの時神はただの赤子だ。時夜見鶏には与えて世話する魔力なんて残っていないから、放って置いても赤子はすぐに死ぬ。それに赤子を助けたとなれば、空族の優しさもアピールできるしね。借りは作っておくに越したことはない」

 失笑するような朝蝶の言葉に、おずおずと空神族は頷いた。
 それから、床に倒れ込んでいる時夜見鶏を見据える。

「時夜見鶏は、いかが致しますか? 此処で、トドメを?」
「――それじゃあ、面白く無いじゃないか。精々苦しんで、死んで貰わないとね。ああ、哀願する姿も、絶望する姿も、楽しみだ。僕を孕ませたんだから、それくらい、時夜見鶏で遊んでも良いでしょう?」

 クスクスと朝蝶が笑った。先ほどまでの悲愴を隠すように。

 その様にして、空神族達と空巻朝蝶は、一人だけの赤子を連れて、帰って行ったのだった。

 続いて到着したのは、愛犬だった。

「時夜見、時夜見鶏」

 愛犬が駆けつけた時、時夜見鶏は、石の床に横たわっていた。
 慌てて上着を脱ぎ、体にかける。俺はその姿に、少しだけほっとしてしまった。
 その時、虚ろな瞳で、時夜見鶏が目を開いた。

「大丈夫?」

 愛犬が問いかけるが、時夜見鶏から答えはない。

「すぐに、時神の者達が来るから」

 その様子に、俺は一刻も早く到着して、消滅を阻止しなければと焦った。

 意識しながら、そのまま石段を駆け上がる。
 思いの外長い塔だった。
 俺よりも少し早く――時神達が到着したのが分かった。

 これで少しは、愛犬よりも魔法力が近い時神同士の力で回復させてくれるだろう、そう安堵した時の事だった。

「これは一体、どういう事だ」

 怒りにかられた様子の、時神の長の声が響いた。時夜見の方が勿論年上だが、一族を纏めるという意味で、時神の中から長とされる者が生まれたのだ。なぜなのかTOPの座にいる朝蝶とは異なり、時夜見は彼に従っている。

 それは、長が厳しい顔で時折を見据えた直後の事だった――……

「く」

 時夜見の口から、声が漏れる。弛緩した体を何とか動かし紐を緩めようとしている様子だったが、それすら今の時夜見には出来ない様子だ。

 朱い紐が何周も巻き付けられ、それぞれの端が強く引かれている。

 あれは……『神殺しの紐』だ。時神に伝わる、犯罪者を消滅させる紐だ。戦時に考案されたのを知っている。作られたと聞いた直後に、廃棄するよう命じた覚えがある。

 それで締め上げられた時夜見は何度か呻くような声を発したものの、どんどん瞳が、更に虚ろになっていく。

「ちょ――」

 愛犬が声を上げようとしたが、時神の長は、それを遮った。恐らく、滅多に見せない愛犬の実力を知らないのだろう。

「これは時神の問題だ。下がっていろ――この、恥知らず!! 無理矢理孕ませるなど、それも敵たる空族の長を。勘当だ、お前は最早時神ではない。無論、そこにいる子供もだ。此処で、殺す」

 それを意識の中で映る映像として視ていた俺は、漸くその場に辿り着いた。
 やっと、辿り着いたのだ。

「止めろ!!」

 俺が声を荒げると、皆の動きが一瞬止まった。
 これでも俺は最高神だから、その威圧感と権威に、動ける者はいなかった。
 それから、いち早く立ち直ったのは、時神族の長だった。

 相変わらず憤怒にかられた様子で、俺を見ている。

「しかし、聖龍様」

 何か言いたそうに声をかけられたが、俺も此処で退く気は無かった。

 それは、時夜見鶏の事を大切に思っているからだとか、空巻朝蝶の涙を見たからだとか、そんな理由じゃないと――自分自身を納得させる。あくまでもこれは、最高神である俺の決めた最低限のルールなのだ。

「神殺しは許されない」
「っ」
「去れ。時夜見鶏とその子の処遇は、私が引き受ける」

 俺の言葉にあからさまな舌打ちが聞こえてきたが、そんな物は、どうでも良かった。
 その程度で怒るほど、器が小さいわけではない。

「愛犬、俺は時夜見を運ぶから、赤子を運ぶのに手を貸してくれ」
「う、うん」

 意識が無くなった様子で、床に倒れている時夜見を一瞥した。

 直接手を握り、動かせる余裕が生まれるだけの力を送る。衝撃が少しでもあれば、体は崩れてしまうだろうから、なるべく力だけを送るようにした。その様にして、体の震動や転移魔法には堪えられるくらいになった様子の時夜見鶏を背負う。

「行くぞ。とりあえず、医療塔だな。転移が可能だ」
「けど、転移ってこの子は大丈夫かな?」

 言われて俺は、じっと幼神を見据えた。

 ……なんだか、時夜見鶏が生まれた時に放っていた力を思い出したが、外見はあの時よりは大分幼い。一歳になったか、一歳半か、二歳か。そのくらいだ。申し訳ないが、俺はその年代の子供の世話などした事が無い。その為、魔力量だけ見た。

 吹き出しそうになった。

 今でこそ時夜見は消耗しきっていて、魔力がほとんど無いわけだが……――勝るとも劣らないほどの潜在魔力があった。いや、だが、使いこなせるとは限らないし、いくら強くとも、その能力に今後、本体や器が耐えきれない可能性もある。

 だがそれも今は、どうでも良い。まずは、時夜見が問題だ。赤子の方も、この潜在魔力なら耐えられるはずだ。

「恐らく大丈夫だ、行くぞ!」
「分かった!」

 こうして俺と愛犬は、二人を連れて医療塔へと転移したのだった。


 それから三年――時夜見鶏は目を覚まさなかった。

「見ただけで、確認はしていないのですが――……」

 目を覚ましたという暦猫の報告に、俺は冷静を装いながらも歓喜していた。
 だが何故なのか、暦猫の口調が重い。

「雰囲気からして、声が出ないようです。声帯には異常が見られないのですが」

 思わず俺は腕を組んだ。
 端正すぎて怖い容姿の上、表情があまり見えない時夜見だが、俺は知っている気がする。
 アイツが結構繊細だと言う事を。

 無理に子供を作られたからだ、とも考えられるが、それ以上に時神に首を絞められた事の方に、潜在的にショック受けたような気がする。あるいは子供が手をかけられそうになった事か?

「時夜見は……あの子を愛せるでしょうか?」

 まだ、時神の子には名前がない。
 だが不安そうな暦猫を見て思わず苦笑してしまった。
 現在は暦猫と愛犬が育てているようなものなのだ。

 俺は――……俺が知っている時夜見ならば、絶対に我が子を愛すると思う。
 自信があった。

「声が出ないとしても、暦猫ならとっくに聞いたんだろう、その問を」
「っ、はい……」
「時夜見は、頷いたはずだ」
「!」
「アイツは、自分の子供を愛する。間違いなく、な」

 俺が言い切ると、暦猫が驚いたような顔をした。

「何故です?」
「いつか、お前にも分かる日が来る」

 なんだかこの台詞を、久方ぶりに使った気がする。ようは、俺にも分からないんだ。ただ、ただ、俺は時夜見鶏のことを、信じている。だって、だ。俺達は、きっともう、家族なのだから。あちらには新しい家庭が出来たのかも知れないが。

 まぁ、軽く言っちゃえばカンって奴かも知れないけどな。


 その日、時夜見鶏は赤子を連れて、姿を消した。

 暦猫も愛犬も必死で探していたが、俺は、それでもやはり、時夜見鶏の事を信用していた。だから、だからだ。そんなに必死に探さなくても良いと思っていた。時夜見ならば、大丈夫だ。俺は、信じると決めたのだから。


 それから暫くして、愛犬から、居場所を見つけたと聞いたが、俺は何もしなかった。
 俺はもう、時夜見鶏を、一人の大人神として扱うことに決めていたからだ。
 何となく、何となくだが。

 俺は時夜見鶏が、好きでもない相手と子供を作る事はあっても、あれほどの力を注ぐとは思えない。きっと、あの魔力量を見る限り、長い間体を重ねていたにしろ、相手が自分を好きじゃないと思っていたとしても。

 時夜見は、きっとあれだけの力を明け渡したのだから、そんな子供を愛していると、俺は何となく確信していた。あんな力、無理矢理では奪えるはずがない。

 それは例えば、隷属させてまで、時夜見を側に置きたがった朝蝶の気持ちを悟った時に似ているのかもしれない。だがあの時、俺にあえて腕輪を見せた時夜見。あれは、俺を殺さない、強い攻撃をしない、という意味だけではない気がするのだ。

 自分自身が好きだから、あえてあの指輪をはめて、隷属するフリをしている――そんな決意に見えたから。だから俺は意地の悪い事をあの時、朝蝶に告げたのだ。

 子供が大人になっていく姿は、なんだか寂しくて、空虚をもたらすのかも知れない。
 勿論俺は神だから、子育て何てした事も無いし、ただの空想なんだけどな。


 その後のある日、弱りきった時夜見鶏とその幼神――時神が神界で暮らし始めたと聞いた。

 服従の指輪で、朝蝶が、無理矢理、時夜見とその子を神界に連れてきたと耳にしたのだ。 二人は森で暮らしているらしい。

 俺は、なんにも知らないフリというか、気づかないフリというか、気にしないフリという形で、ただ体調は考慮して、三師団分の仕事の依頼を書面でした。

 返事はすぐに返ってきたがこちらも書面で、俺達は顔を合わせないままだった。
 いつか、そう、いつか昔は――……俺は、時夜見鶏に会いたくて仕方が無かった。
 だけど今は、違う。

 自立したアイツを、見守ることが正しいと思うのだ。何時だって本当は過去を思い出して泣きすがりたくなるが、そんなみっともない姿は、やはり時夜見鶏の前では格好良くいたい俺には出来ない。

 第一、嘗て俺が時夜見鶏を育てていた(?)ように、今では時夜見鶏が、父親(?)としての役割をはしているはずだ。俺はあるいは祖父かも知れないが、きっと時夜見と俺の関係は親子ではないだろうし、やっぱり俺の中での聖域なんだ。

 怪我が治らないと聞いた。
 血が止まらないと聞いた。
 咳が止まらないと聞いた。

 本当はいつも、何時だって、心配で駆けつけたいんだ。だけど。

 その状態でも、アイツは子供を育てている。何となく、何となくだけど、俺があいつの前で格好良くいたいように、時夜見鶏だって格好良くいたいんじゃないかと思う。


 服従の指輪の効果が既に無いことを知っているのは、いまだに俺と時夜見だけだ。

 それも媚薬が切れた今、時夜見が自覚していないわけがない。だから神界に来たのも、本当は時夜見の意志なのだろう。俺の仕事を引き受けているのも、多分子供を育てるためだろう。

「今日は、魔法薬をもう飲んだのか?」

 俺は尋ねた。

 その頃から、俺の依頼以外に、咳止めと血止めを飲ませて、朝蝶が戦場に時夜見鶏を連れ出すようになっていた。名目上は護衛だが、俺は本当は違う理由だと思っている。

 朝蝶が、自分が目を離している間も、三食後きちんと魔法薬を飲ませたいから時夜見を側に置いているのだと思っているのだ。ただ、本音を隠すように、単純に自分を守らせ戦わせるためだと、朝蝶は口にしているのだが。

 ――ただその日は、相手が悪すぎた。

 世界樹から生まれた、≪新たな世界樹≫が二匹もいたのだ。
 これは、俺が通常モードでなくとも、数撃を放たなければ倒せない。

 普段の時夜見鶏だって、暫く時間を使うだろう。

 はっきり言えば――空巻朝蝶には、まだ、戦うのは無理だ。一撃で死ぬ。
 そう悟った俺が、待避を命じようとした瞬間、木の根の攻撃が跳んできた。
 それも、最前線にいた、朝蝶に向かって。

「ッ――!!」

 俺には、叫んで声をかける余裕すら無かった。

 目を見開いた俺は、遠くにいたはずなのに、こちらまで跳んできた体液に濡れた自分を自覚した。

「え?」

 その時、困惑したように、空巻朝蝶もまた、声を上げた。
 遅れて響いてきた詠唱を、俺は聴いた。

 ≪闇焔夜ファイアーナイト≫――それはいつか、変な名前だと笑ったはずなのに、なのに、今だけは、悲しく思えた。笑おうと頑張っても、唇が無理に弧を描こうと努力したけれども、俺の両目は見開かれていた。

 それは、時夜見の持つ単発型の魔法の中でも、最も高威力を誇る、一撃必殺のものだった。一人で世界樹を倒すなんて不可能なのに、いくら俺達がHPを削っていたとしても、だ。

 だが――……それを時世見は成した。元々体調不良で、HPもMPもほとんどからだったはずなのに、だから血だって止まらなかったくせに、なのに、だ。

 ――そして、庇うよう朝巻朝蝶の前に、時夜見鶏が立っている。

 そのまま、死にかけた≪邪魔獣モンスター≫の最後の足掻きのように、伸びた木の枝が、時夜見鶏の上半身を潰すように締め上げた。

 枝が、左の手首を締め上げて、ねじ切れた手がそのまま地に落ちた。
 キラキラと光る指輪。

「死んじゃ駄目だよ」

 呟くように、朝蝶が言った。近寄って、朝蝶が抱きしめた時、透けるように光が溢れはじめ、宙に昇ってなお光るようにしながら、時夜見鶏の体が消えようとしていた。

 ああ、消滅する直前の光景だ。

「命令だよ、これは、命令だ。死なないで」

 しかしもう、土の上にある左手の薬指に填った指輪の光は失せ、目を伏せた時夜見鶏の口元からは、血が滴っている。

「どうして、どうして!? なんで僕なんか助けたの? そんな命令、してないのに」

 泣き叫ぶように朝蝶が言った。
 ただぼんやりと、眼前の光景を、冷静に俺は眺めていた。

 ――時夜見が死んだ?

 そんな、まさか。
 それが一番の感想だった。時夜見鶏は、誰よりも強かったのに、そのはずだったのに。

 その瞬間だった。

「今日は、魔法薬をもう飲んだのか?」

 俺の声がした。唇が動いているのが分かる。
 ――何処にも時夜見鶏の姿はない。

 巻き戻っている、それも、恐らくは俺が今の発言をした時分には、まだ師団は動きを見せていない状態で。

 唖然として朝蝶を見ると、こちらに歩み寄ってきた。

「さすがに、聖龍様の記憶は、消せないか。巻き戻す時は、記憶を消せる魔法も、大抵の相手には使えるんですけどね。僕が記憶消去の魔法を使う事を、忘れてさえいなければ」

 苦笑するような、そしてどこか暗い瞳で、朝蝶が、俺の耳元で囁いた。

「少し、席を外します」
「――基本的には、いくら巻き戻したとしても、この世の理は変わらない」

 そんな事が可能ならば、とっくに俺が、そうしている。

 なのだから、此処で空巻朝蝶の能力で、いくら巻き戻そうとも、いつか時夜見鶏は消滅する。俺だって、俺だって、だ! 時夜見が死ぬなんて現実は、到底受け入れられるわけがない。だけど、それでも。

「だけどそれは、きっと今じゃ無くなるし……時夜見が僕を守ったりしないでしょう? きっとさっきのは、僕が無意識に、僕を守れって服従の指輪で命令させたんだと思うから」

 そう告げると、朝蝶は姿を消した。

 何処へ行くのかと、俺は必死でそれを探す。
 指輪には、もう効果がないと伝えるために。

 すると朝蝶が向かった先は、時夜見鶏と、その子供――朝時黒羽の家だった。
 朝蝶が、無表情で言う。

「今日は、外に出ないで下さい」

 時夜見鶏は、不思議そうに首を傾げていた。最近ではまた、暫く会っていないというのに、俺には、時夜見の表情が分かるようになっていた。

 服従の指輪がキラキラと光る。

「……ああ」

 頷いた時夜見を見ながら、俺は眉を顰めた。

 ――とっくに効果は切れているんじゃなかったのか? アレは俺の、気のせいだったのか? まぁ、言われてみれば、神界へと指輪の力で呼び戻したとも聞いている。だが……俺にはやはり、それが時夜見鶏の優しい嘘に思えて仕方がない。

「戻りました」

 転移で戻ってきた蝶々の声に、俺は意識で追うのを止めた。

「何をしてきたんだ?」
「幸せな……少なくとも、僕にとっては幸せな結末を、作ってきました」

 苦笑するように、朝蝶が言う。

「二人で末永く一緒に暮らしました――が、終わりだろ?」
「聖龍様、人間界に毒されてますよ」

 クスクスと朝蝶が笑った。それを見て、ああ、いつか時夜見と時神の子を置いて、空神族を見た時の表情とそっくりだなと思った。多分朝蝶は、立場もあるだろうが、哀しい時ほど笑うのだろう。

 時夜見は、その事を知っているのだろうか? 知っている気がする。とっくに気づいている気がする。ならば、朝蝶の未来を、能力で予知していそうなものなのだが――創世神・創造神・最高神である俺であっても、神々や人の死や消滅を変える事など出来ない。

 きっとそれが可能なのは、他の世界から干渉できる、それこそ世界樹の中にいたヒゲとハゲや、何らかの消滅回避の力を持つ異世界の神々くらいだろう。

 そして俺には、そんなツテはない。俺だって、全てを投げ出しても、時夜見鶏を助けたい気持ちは一緒だ。だから、だからこそ、何も出来ない自分が悔しい。何故コレまで、他の世界と交流を持たなかったのだろう。

 それから再び戦闘が始まった。

 最後に出てくるのが、≪新たな世界樹≫二匹だと知っているのは、俺と朝蝶だけだが、俺達二人がかりでも、恐らくは倒せない。

 その時――新たな『世界樹』である――≪邪魔獣モンスター≫が持つ、樹の根と、爪に酷似した物体が、朝蝶に迫った。そこまでは、先ほどと同じだった。

 息を飲んだ俺は、静かに朝蝶を見る。

 ――己が庇われる前に、死ぬ気なのか?

 すると慈愛に満ちた表情で、朝蝶は微笑んでいた。
 恐らく心から。聖母のように瞼を伏せて。

 俺には駆け寄る隙すら無かった。

 だが。

 目の前に、≪邪魔獣モンスター≫の爪が迫っていた時、朝蝶が息を飲んだ。
 伏せていた瞼が、ゆっくりと開き、それから見開かれた。

 朝蝶の隣に転移したらしく、≪闇焔夜ファイアーナイト≫を放ったのとほぼ同時に、時夜見鶏は、朝蝶を正面から抱きしめていた。

「――……! 時夜見……? 時夜見! どうして」

 驚いたような、蝶々の声が震えながら響き渡る。
 ≪邪魔獣モンスター≫の血や体液が、二人にかかり、汚していく。

 腹部を貫かれた時夜見鶏は、明らかに人型を保つのがやっとで――そう、消えようとしていた。消滅だ。流れ出る赤い血液が、朝蝶の衣服を濡らしていくのが、遠目からでも見える。

「命令したのに……っ、え、なんで? なんで、指輪、してないの?」

 朝蝶が泣くように言った。その声に俺が視線を向ければ、服従の指輪はそこには無かった。朝蝶の言葉から察するに、やはりとっくに時夜見鶏は、あの指輪の無効化に成功していたのに、それを朝蝶には伝えていなかったのだろう。

「時夜見、ねぇ……なんで、なんで、僕なんか庇うの?」

 小さな声で朝蝶が呟いた。それを聞きながら、二度も庇われた朝蝶の事と、庇った時夜見の事を考える。なんで? そんなの、愚問じゃないか。

「それは――俺が世界で一番お前のことが大好きで、お前を愛してるからだろ?」

 苦笑と言うよりは、余裕すらうかがえる満面の笑顔で、時夜見鶏がそう告げた。

 俺は――ああ、時夜見鶏は、恋を知ったのだなと、感慨深いような、けれど消滅するのが哀しすぎて、泣きそうな、だけど笑って別れたいような、複雑な気分になった。

 ゆっくりと、時夜見鶏の瞼が降りていく。

 結局……俺はお前に、何もしてやれなかった。ただそれでも、家族だと思って、一緒にいたいと思って、時夜見の事を大切だと思っていたのは本心だ。

 なのだから、嗚呼、時夜見に愛する人が出来た事を、俺は祝福しよう。

 それくらいは、俺は時夜見鶏に、してあげたかった。
 結局何も出来ないままだった俺だから。