【1】




 この大陸には、三つの魔術塔が存在する。
 神聖魔術専門の白塔、結界魔術専門の斜塔、そして攻撃魔術専門の黒塔だ。
 本来、魔術師というのは、どれか一つの塔派の魔術を専門的に学ぶ。
 理由は、一生をかけても、一つの塔派の魔術を全習得するなんて不可能に近いからだ。

 だから、二つでもクロス習得した魔術師は、戦略魔術師として特別視される。
 大陸内において、現在、三つの塔派の魔術をクロス習得している魔術師は、手の指の数でも余る程度しかいないらしいが、そう言った戦略魔術師の素性は秘匿されているから、正確な人数は、俺のような一介の魔術師には分からない。

 俺は、斜塔派の系列の師匠に弟子入りし、魔術師になった。
 夢は、勿論、クロス習得して、名高い戦略魔術師となる事である。
 しかし――クロス習得許可試験を受けるには、大陸魔術師連盟の許可が要る。

 俺が暮らすこのアフィーナ王国のような弱小国よりも、連盟の威光は絶大な力を誇っている。だから、アフィーナの申請は、蔑ろにされがちだ。生まれついた不運である。

 それでも、王国騎士団所属魔術師になれただけ、俺は恵まれている方だ。
 十六歳で試験を通過し、俺はもう五年程、騎士団にいる。
 そして三年前から、ずっとクロス試験の申請をしているが、音沙汰は無い。

 俺の実力が無いからだとは思えない。師匠にも太鼓判を押してもらった過去がある。
 俺の師匠は、元々は、戦略魔術師として第一線で活躍していた凄い人だ。
 最初は師匠に口利きして貰う予定だった。この世界は、何事もコネで出来ている。
 しかし師匠は老衰で天寿を全うした……。ご冥福を祈る。

「はぁ……」

 そんなこんなで、本日も俺は、暇な騎士団業務に臨んでいる。

「どうかしたの?」

 俺の溜息に、俺が所属する第二騎士団の騎士団長――ルーク様が振り向いた。
 ルーク様は、アフィーナ王国にしか存在しない、古い宗教を継承している。
 その民族宗教ディスティナは、神聖魔術の学派に認められていない。
 今、この大陸の八割は、白塔が推奨するマルス教なのである。
 よって――ルーク様なんて、既に内々に他塔派も収めている、実質クロス魔術師なのに、攻撃魔術学派の下の下扱いで、黒塔の一番下の階級だ。それでも実力があるから、第二騎士団の団長をしている。実力主義……に、なって欲しいなぁ。

「……そろそろクロスの試験なので」
「ああ、なるほどね」

 諦観の色を瞳に浮かべて、ルーク様が小さく頷いた。
 お互いに分かっているのだ。自分達は、一生このままだと。

「何を辛気臭い顔をしているんだ、お前ら」

 そこに声がかかった。見れば、扉の所に背を預けて、リオン様がこちらを見ていた。
 リオン様は、この第二騎士団の副団長を勤めている――が、この国の第二王子殿下である。本来は近づくのも畏れ多いのだろうが、この弱小国においては、王族と民衆の距離も近い。特にリオン様は、気さく……とは少し違うが、話しやすく、何事にも率直だから、話していて気が楽な相手である。

 ただ、リオン様はリオン様で大変らしい。
 というのも――現在のアフィーナ王国の国王陛下は、高齢だ。
 本来であれば、とっくに第一王子殿下に王位を譲っていても良い歳である。

 しかし……第一王子殿下は、一昨年急逝した。流行病だった。
 結果、現在は、第一王子殿下の忘れ形見である、国王陛下から見ると孫殿下こと、ユリウス様と、第二王子殿下であるリオン様が、それぞれ次期国王として推されている。リオン様は、ルーク様と同じ歳で二十八歳。俺の七つ上だ。一方のユリウス様は、まだ御歳十三歳なのである。ギリギリ継承可能年齢……そうも思える。

 まぁそんなこんなで派閥もあるらしく、リオン様はいつも王家の話になると、面倒くさそうな、気だるそうな顔になる。

「無理なもんは無理なんだから、諦めろ」

 リオン様はそう言うと、灰皿に歩み寄り、煙草を銜えた。
 彼は、十五分以上禁煙すると苦しくなるチェーンスモーカーらしい。
 外交の時等どうするのかと俺は思うが、この弱小国相手に外交を持ちかける国も無い。

「せめて、ルークをDランクって言うんなら、分かるけどな」

 Dというのは、塔の階級だ。
 各塔共に、S・A・B・C・D・Eのランクを設けているのである。

「ディアスがクロスは、俺から見て無い。可能性ゼロだ」

 俺はリオン様に断言されて、悲しくなってしまった。
 しかし俺、ディアス=スクローラは、生涯をかけてでも、一流魔術師になってやる。
 そう誓っている。亡き師匠のためにも……!

 そんなやり取りをしている内に、定時になった。
 騎士団は、午後五時になったら、勤務終了なのである。
 持ち回りで夜勤はあるが。

 早々に俺は、帰宅する事にした。俺は、団長のルーク様と同じアパートに住んでいる。騎士団の本部から近い場所に、独身者専用のアパートがあるのだ。二階建てのボロ屋だが、俺は気に入っている。ルーク様は一階の一番奥、俺は二階の、階段から見て三部屋目だ。

 俺が、誰よりも早く帰宅するのには、理由がある。
 五時ジャストに騎士団の本部を出ると、丁度買い物帰りらしいアパートの大家さんと遭遇できる確率が上がるのだ。俺は、大家さんに惚れている。

 大家さんも俺も男だ。しかし俺は、神聖魔術の白塔が広めている、同性愛OKの宗教であるマルス教徒なので(とはいえ、ほぼ何もしていないが)――気にしていない。大家さんも八割の確率でマルス教徒だろうから、問題は無いだろう。

 道中では大家さんの事を考えながら、道を歩いた。
 俺が惚れたきっかけは、階段から落ちかけたある日、後ろから抱きとめて貰った事である。その際、「大丈夫か?」「はい」というやり取りをした。それ以外……話した事すらない。俺は、大家さんの名前すら知らない。だが、この胸のトキメキを抑える事は不可能だ。

 寮に着いたので、俺は階段付近で、大家さんが買い物から帰ってくるのを待った。
 数分後、いつもの通り、大家さんがやってきた。両腕で、茶色い紙袋を抱えている。
 無表情で無愛想な大家さんは、俺から見ても目がイっちゃっている。

 目の下のクマもすごい。虚ろな目をして、気怠い感じで歩いてくる。
 黒い髪は乱雑に切られていて、外見に気を使っているようには見えない。
 いつもヨレヨレのシャツ姿だ。アイロンをかけてあげたい……。

 よし……!
 今日こそ、今日こそ、俺は声をかける……!
 そう誓って、俺は一歩踏み出した。