【2】
「あ、の――」
「あれー!? ディアス!? 帰ってたのぉ!?」
声を掛けようとした、まさにその瞬間だった。俺が立っていた階段脇の一階の扉が開いて、中から出てきたルイナが俺に声をかけた。間が悪すぎる……! ルイナは俺に抱きつくと、満面の笑みを浮かべた。
「僕、今日はディアスのために、リアリス鶏の香草焼きを作って待ってたんだよぉ!」
間延びした声……非常に頭に来るが、貧乏な俺は、ルイナに毎日餌付けされている……。
ルイナに抱きしめられている俺の横を、大家さんが通り過ぎていく。
俺がルイナに抱きつかれるのも、意外と日常の一風景だからなのか、大家さんは一瞥すらしなかった。俺が大家さんに声をかけられない一番の理由は、大抵毎日、俺が声を掛けようとした瞬間にルイナが顔を出す事も挙げられるだろう。
「ひっつくな! まとわりつくな! 離せ!」
「ディアスは可愛いなぁ」
ニコニコしているルイナは、それから俺を家に促した。空腹度が高かった俺は、ルイナの部屋に、本日もお邪魔する。どうしてルイナは、俺に絡んでくるのだろうか。理由は不明だが、香草焼きは美味しかった……。
翌日。
本日は、騎士団の休暇日である。休暇も持ち回りだ。
俺は休日にまとめて買い物をする事にしている。いつもルイナに食事を提供してもらってはいるが、一応自宅にも食料を買い溜めておくのだ。洗剤等、他に必要なものもあるしな。外に出た俺は、雨が降りそうな曇天を見上げた。各家に備え付けられている魔術ウィンドウで朝見た天気予報では晴れだったが、この弱小国では、凄腕気象予報士など存在しないため、半分くらいは予報が外れる。
さて……傘を持っていくべきか、否か。
悩んだが、面倒だったので、俺はそのまま出かけた。
近所の食料雑貨店へと向かう。各地に魔力が満ちているから、冷製食品はきちんと冷たいし、魚や肉の鮮度も良い。アボカドの前に立った俺は、今夜はサーモンとアボカドでも食べようかなと、手を伸ばした。すると――その手が誰かと触れた。驚いて目を見開く。
反射的に手を引いて相手を見ると……え?
お、大家さん!?
俺は、思いっきり狼狽えた。大家さんは、俺をじっと見た後、アボカドに視線を向けた。
「そのアボカド、俺が買っても良いか?」
「あ、は、はい!」
二度目。二度目……!
俺はアボカドのおかげで、人生で二度目となる大家さんとの会話を果たした。
美味しそうなアボカドをカゴに入れた大家さんは、それから改めて俺を見た。
「悪いな」
そして、そう言うと踵を返して歩き去った。
か、格好良い……! 相変わらず死んだ魚のような目をしているが、俺はそこも好きだ。
その後俺は、別のアボカドを二つカゴに入れ、サーモンコーナーへと向かった。
それからは洗剤やトイレの紙を買い足して、レジへと向かい、魔導自動レジを通過した。
「あ」
外へと出ると、小雨が降っていた。うわぁ、傘、持ってくるべきだった。
自分の小さな失態に嘆きながら、俺は足早に帰路に着く。
すると――!! 大家さんの後ろ姿が見えた。自然と俺の足は早まる。
必死に歩いて、俺は追いつこうとした。追いついたら、一緒に帰るまでの間、話ができるかもしれない。そう思ったのだが……大家さん、足が速い。雨だからというか、最早競歩だ。俺は、必死に歩いた。歩いて歩いて歩いた。すると、チラッと大家さんが振り返った。目が合い、俺はドキリとした。
それから……大家さんの歩みが、目に見えてゆっくりになった。
だからと言って速度を変えたら不審だろうと、俺は早足だ。
結果……俺は、大家さんを追い抜いてしまった。声をかけるタイミングを逃した。
何せ俺が横に迫った瞬間、大家さんが俺と逆側を向いて、立ち止まったのである。
半分程涙ぐみそうながら、俺は歩いた。
すると――雨足が強まってきた。稲光も空を走っている。
あれ、これ、まずくないか?
焦った俺は、近くの店の軒先に入った。シャッターが閉まっている雑貨店の屋根の下だ。
そのまま土砂降りになった。大家さんは大丈夫だろうか……?
そう思った数分後、走ってきた大家さんが、俺の前を通過しようとし、そして屋根を一瞥した。それから――大家さんも、屋根の下に入った。お、お、俺の隣にいる……!
「酷い雨だな」
ポツリと大家さんが言った。感極まりながら、俺は頷いた。
「ですね。最近の雨って、夏の午後に降ってくる雨としては、激しすぎるっていうか」
「ああ。異常気象だな」
世間話が成立した……!! 嬉しすぎて、俺は胸がいっぱいだ。今日は良い日だ。
「斜塔の大陸結界が、地下迷宮から出てくる魔獣に破られて、各地の天候が荒れているらしいな。お前、騎士団の魔術師なんだろう?」
「は、はい! 詳しいですね」
「……最近、大陸新聞にはそれしか書いていないだろう」
「大家さんは、大陸新聞もとってるんですか?」
大陸新聞とは、国発行の新聞ではなく、大陸全土の記事が出ている代物だ。
俺は騎士団に届くものに目を通している。
それよりも、俺が騎士団所属魔術師だと知ってくれているのが嬉しかった。
いつも制服で階段脇にいるのだから、当然かもしれないが。
「一度契約してしまうと、解約が面倒でな」
「ああ、分かる気がします」
「お前、名前は?」
「――ディアスです! 大家さんは?」
「俺は、ヴァイルと言う。ヴァイルで良い。大家職は雇われで、名ばかりだからな」
――!! 名前を知る事が出来た上、名前で呼んで良い事になった。
俺は、嬉しくて嬉しくて、頬を緩ませてしまった。
「俺の事も、ディアスって呼んで下さい」
「おう。あと、別に敬語じゃなくて良い。語っ苦しいし、そう歳も変わらないだろう」
「は、はい……あ、ああ! 有難うな。ヴァイルは、そ、その、何歳なんだ?」
「二十一」
「同い年!」
大家さんの――ヴァイルの個人情報を次々と知る事が出来て、俺は感涙しそうになった。その後も、雨足が弱まるまでの間、俺達は雑談し、その後、な、なんと、一緒にアパートへと帰った。俺、幸せすぎて、今なら死んでも良い……。