【5】
俺達の付き合いは、順調に進んでいき、春が来た。
ルイナが引っ越したのは、三の月の事で、現在アパートはひと部屋空いている。
騎士団で配置替えと転属があったのは、四の月の事だった。
普段は、騎士団には配置替え等は無い。
第二騎士団所属となったら、ずっと第二騎士団だ。しかし今回は、騎士団が再編成される事になった。これまでは、実力が、第一から第五までの騎士団で均等になるように編成されていたのだが、今回は、第一騎士団に実力者が集まり、第五騎士団は後方支援メインとなった。第一から第五まで、順に強いのである。
これには、理由がある。二の月に――……地下迷宮の入口が、この国の外れに見つかったのである。きっかけは、森に出た魔獣だった。クマと間違えた街の猟師が魔導具銃を放った所、その魔獣が襲ってきて、近隣の街に多大な被害が出たのである。死傷者も多かった。駆けつけたのは、俺達第二騎士団のメンバーだった。たまたま近くで演習中だったのである。騎士にも被害が出た。それでも何とか撃退に成功した。
撃退に、だ。倒す事は出来なかった。今思い出しても、背筋が寒くなる。
魔獣は、影に似ている。実体が無い。
神聖魔術と結界魔術と攻撃魔術のそれぞれを組み合わせ無ければ、倒す事は不可能だ。単独で倒せるのは、それこそ都市伝説じみた戦略魔術師のみとなる。基本的には、大人数で役割分担をして、討伐する事になる。
このため、戦闘に備えて、第一騎士団に戦力が集められた。この配置替えは、それでも顔見知りが移動しただけであるから、まだ良い。問題は、転属だ。
地下迷宮の存在は、大陸全土の危機である。
そのため、大陸連盟から、近隣国にいた、二塔クロスの魔術師が、何人か派遣されてきたのである。そして一時的に、この王国の騎士団に転属するという形になったのだ。
――彼らは、貴重な戦力だ。
それは理解していたが、俺達国民は、はっきり言って、目の上のたんこぶ状態で彼らを見ている。まだ四の月になって彼らが転属してきて数週間だというのに……彼らは問題しか起こしていない。威張り散らし、住民も俺達の事も見下している。確かに彼らは実力者であるし、偉い。逆らったら、悪くすれば大陸連盟に処罰されるのは、俺達側となる。
魔獣の危機もあるし――だから、みんな、我慢している。
そうであるのだから、俺だって我慢するべきなのだろう……が、俺には嫌な事が出来た。
「やぁ、ディアス」
卑しくニヤニヤ笑いながら、転属してきた魔術師の一人である、ユーニャ様が俺に歩み寄ってきた。俺を見かけると、いつも近づいてくる。そして俺が拒めないような速度で、俺の腰を抱き寄せ、そして俺の尻を触るのだ……。ねっとりと尻をなで上げられ、腰をさすられ、即ち俺は、セクハラを受けているのだ……。
「や、止めて下さい」
「いつまで経っても初々しいなぁ。そろそろ、その気になってきたんじゃないのかね?」
俺は耳に息を吹き込まれて、泣きそうになった。
全力で突き飛ばしたいのだが、我慢というより……相手は俺よりもずっと強い魔力で速度を上げ、力を上げ、その状態で俺に触ってくるから、逃れられない。
「離して……! 離せ!」
「可愛いなぁ。そう言えば――一人暮らしだそうだねぇ」
「それが!?」
「――そのアパート、空き部屋があるとか。丁度ヤり部屋を探していてねぇ。丁度良いから、契約してきたんだよ」
「っ!?」
「これからが楽しみだ」
そう言うと、ようやく俺を解放し、ユーニャ様が歩き去った。
――その日、嘗てのルイナの部屋に、ユーニャ様が引っ越してきた。
とはいえ、住んでいるわけではないようで、俺にくっついてきて、俺にセクハラをした後は、代わる代わる誰かを部屋に連れ込み、満足すると帰っていくようだった。まだ、俺は強制的には、部屋に連れ込まれてはいない。
ユーニャ様は、俺の帰宅時、着いてくると、俺の腰を抱き寄せながら、ツツツと鎖骨を指でなぞったりする。最初は太ももを触っていたのだが、段々その手が、俺の性器に近づき始めた。そんな光景を――ヴァイルに目撃されたのは、五の月に差し掛かった頃の事だった。ヴァイルは、最初ぎょっとしたような顔をした後、すっと目を細めた。
「おっと。住人が来たようだねぇ」
そう言ってユーニャ様が部屋に消えた。俺は、半泣きでヴァイルに歩み寄った。
これまでは、ヴァイルといる時は、嫌な事を思い出したくなかったから、伝えていなかったのだ。ヴァイルは、紙袋を片手で持つと、ぽんと俺の頭の上に、撫でるように手を置いた。
「部屋に行こう」
俺は頷き、ヴァイルの後に着いていった。そしてその日、セクハラについて、正直に話した。ヴァイルは、無言で聞いていた。静かに聞いてくれた。
「辛かったな」
「ああ……け、けど、みんな我慢してるからな……俺だけじゃないんだ……」
「……二塔派のクロス魔術師、か」
「そうなんだ。魔獣の件もあるし、地下迷宮の事が落ち着くまで、ちょっと我慢を、な」
「……」
ヴァイルが俺の頭を撫でてくれた。一気に辛さが滲み出て、俺は涙ぐんだ。
そのままヴァイルに抱きついて、胸に額を押し付ける。
ポロポロと俺は泣いた。泣くしか出来ない自分が情けなかった。
その後も、帰宅の最中と、俺がヴァイルを待つ間の、ユーニャ様からのセクハラの日々が続いた。気づくとヴァイルの方が、先に階段脇にいてくれるようになり、俺はアパートの敷地に入ると、すぐにセクハラから解放されるようになっていった。そんな心遣いに愛を感じた。しかし――たまには、ヴァイルが遅い日もある。
この日、ヴァイルの姿が無かったから、俺は落胆していた。
ねっとりと尻を撫でられながら、首筋に嫌な吐息を吹きかけられる。
「今日は、そろそろ、部屋に来ないかね?」
「行きません!」
「――強情も過ぎると可愛げが無い。もっとも、そういった強気な相手を手込めにするのも楽しいがな」
そう言ったユーニャ様が、唇を近づけて来た。キスされそうになり、俺は暴れようとした。しかしガッチリと回された腕のせいで身動きが出来ない。
――声がかかったのは、その時の事だった。
「離せ、おっさん」
「っ、!」
「ディアスから離れろ」
見ればヴァイルが立っていて、目を細めていた。俺の腕を引き、ヴァイルが俺を抱き寄せる。するとユーニャ様が、小さく息を飲んだ。
「私が誰だか分かっているのかね? アパートの住人らしいが」
「知らん。興味の欠片も無い。兎に角、二度とディアスに近づくな」
「私に楯突いた事、後悔させてやろう。見た所、貴様も魔術師らしいな」
俺は――そのユーニャ様の声で、場違いな驚きを覚えていた。
この時まで俺は、ヴァイルが魔術師であると、知らなかったのである。
「だから何だ?」
「――明後日、王国の建国記念日式典として、武道会があるそうだ」
「それが?」
「私の実力を見せてやろう。もしそこで、私に勝つ事が出来たならば、二度と近づかないと約束しよう。しかし――貴様が負けたら、ディアスは私が貰う」
「ディアスは物じゃない。そんな賭けに、乗る気はない」
「負けるのが怖いか?」
「ああ、怖いな。ディアスを失うくらいならば、死んだ方がマシだ」
「――試合に出ないというのならば、その日、貴様の負けとして、見せしめにその場で、ディアスを抱いてやろう。貴様の前でな。観衆の前で。誰も止めまい。寧ろ貴様が拘束されるだろう」
そう言って吐き捨てるように笑うと、ユーニャ様が部屋に入っていった。
不機嫌そうな顔で、ヴァイルがその背を睨んでいる。
「ヴァイル……出る必要は無いからな」
「……ディアス」
「俺は、ヴァイルが怪我をする事の方が怖い。自分が何かされる事よりも」
俺がそう言うと、ヴァイルが俺を抱きしめた。
「――出る」
「ヴァイル!?」
「俺にも矜持がある。ディアス、お前を守りたいっていう矜持だ」
この日、ヴァイルは一人で部屋に入っていった。
だから俺は、久方ぶりに、自分の家に帰った。不安が押し寄せてくる。
「ヴァイル……」
俺のために死んでも良いだなんて……不覚にも嬉しくなってきて、俺はにやけた。