1:ヴァッサリア王室復古へ



 その日の大陸新聞の一面には、こう記されていた。
 ――六百七十五年続いたヴァッサリア王朝が終焉を迎えた、と。
 それはキース=アルマースが五歳のある日の記憶である。
 幼いキースの黒髪を撫でながら、父ステイルは苦笑していた。当時首を傾げたのは、記事の意味合いが分からなかったからではなく、父の表情の理由が分からなかったからである。いつか聞いてみようと思っている内に、父は流行病で亡くなった。

 一人になったキースは、父に習った魔術知識があったから、新国家を樹立した革命軍の魔術師団に志願した。革命軍――当時はまだそう呼ばれていたが、今では国防軍と呼ばれている。

 ”何事も程々に”

 これは父の教えだった。キースはそれを守り、師団においても与えられた以上の仕事はしない。しかし、与えられた仕事は行う。凡庸――それは良い時のキースへの周囲の評価であり、悪い時は無能で働かない者として評価されていた。

 そんなキースの唯一の取り柄とされているのは、容姿である。
 ただしこれは、本人にも自覚がない。

 さて――その日は、キースが二十四歳になって数日後だった。
 新聞に、今度は『ヴァッサリア王室復古へ』という記事が出たのである。
 何やら革命軍の建てた政府は、上手く機能しなかったらしい。
 属している魔術師団にも動揺が広がった。

「キース様」

 この時キースは、小さな部隊の中の班長をしていた。そのため、部下達に詰め寄られた。辺境にいたため、情報が大陸新聞しか無かった。キースはそれを眺めながら煙草を銜え、そうして苦笑を漏らした。それは見る者が見たならば、父の嘗てによく似た表情だったのかもしれない。

「――心配するな。どうせ、上が変わったって、俺達がやる事は同じだ。俺達は失業したら新しい仕事……まぁ恐らくは名称と所属が変わるだけで、今と同じような魔獣退治の仕事をして、お給料を貰って生きていくんだ。一般市民というのは、昔の平民の事だというのと同じだ。貴族制度が無くなっても、貴族は貴族だろ? 五年くらい前に、貴族制度自体も復活したしな」

 部下達は顔を見合わせた。それはそうなのだが、懲罰などが無いかと恐れていたのである。そんな彼らのすぐそばに、高級そうな馬車が停まったのはその時だった。車輪の音に一同が視線を向ける。そしてキースも含めて目を見開き、息を呑んだ。馬車の側面には、巨大な紋章が入っていた。

 ――ヴァッサリア王室の家紋……?

 全員が硬直する前で、馬車の扉が開いた。
 降りてきた人物を見て、そこにいた全員が咄嗟に最敬礼をとった。
 そこに立っていたのは、王国宰相閣下――ルイド=ラストーラその人だったのである。
 続いて降りてきたもう一人を見て、さらにキース達は深々と頭を下げた。
 そちらは魔術師団長を経た後、政府入りした若き英雄だ。
 非常に強い魔力の持ち主であり、頭脳明晰と評判の、グレイル=サリエスである。
 次々と馬車が止まり、そちらからは大勢の騎士が降りてきた。

 ――まさか、懲罰なのだろうか?

 さすがのキースも、思わず震えた。しかしちっぽけでありふれたこの班に、国の要人がわざわざ罰を与えに来るのだろうか……客観的に考えて、それはありえないとキースは思った。とすると、大罪人が紛れ込んでいるといった予期せぬ事態を考えるしかないが、何分小さな班であるから、その可能性はすぐに否定できてしまう。

「キース=アルマース班長」

 その時、ルイド閣下が口を開いた。名前を呼ばれ、キースは生唾を飲み込む。

「――頭を上げてくれ」
「は、はい」
「紛う事なきヴァッサリアの青の瞳だ」
「……?」

 ルイド閣下の声に、キースは首を傾げた。何の話なのか分からない。

「貴方は、前国王エルグラム陛下の曾孫様にあたられるお方だ」
「え?」
「陛下の第二王子エドワーズ殿下の第三子ステイル伯爵のご長男だ」
「伯爵……?」

 飛び出した父の名前に、キースは呆気にとられた。

「陛下の血を継ぐ方で存命中なのは、キース――殿下、それと異父弟、つまりキース様の弟君であらせられるヴァース伯爵のみだ」
「お、弟……?」
「いかにも。しかし伯爵は、国王陛下より臣下の位を賜っている――故に、この度の王室復古に際しては、キース殿下の弟としてではなく、家臣として忠義を尽くすと仰られている」
「……え、ええと……」
「お迎えに上がりました、キース殿下――来週にも、新国王陛下として即位して頂く事になるため、今後はキース陛下とお呼びさせて頂きます」

 ルイド閣下は、そう言うと地面に膝をついた。一歩後ろでグレイルも同じ姿勢で膝まづく。
 この時になってもなお、キースには状況が理解できなかった。
 あるいは、理解するのを思考が拒絶していたのかもしれない。