【1】冒険者登録


 ギシギシと軋んだ音がして、木製の扉が開いた。
 案外重いんだな、扉って。
 ノブを離して後ろ手に閉めながら、室内を見渡す。

 階段が数段有り、それを降りた突き当たりに、受け付けらしきカウンターがある。

 ――冒険者ギルド『宿り木』。

≪花都:エーデルワイス≫唯一の、依頼斡旋&冒険者登録ギルドだ。

 ここで間違いないよなと思いながら、周囲を見回した。
 右手奥の突き当たりには、大陸統一銀行の表示が見えるし、その斜め前には素材買い取り窓口が見える。窓際には、待合い席なのだろう、横長のベンチが二つあった。

 左手の壁には、大きな板があり、緑色の布が貼ってある。
 その上には、画鋲で、羊皮紙製の依頼書が雑多に貼り付けられていた。
 疎らにいる人々が、こちらを一瞥した気がした。

 うん、本当に居心地が悪い。俺は別に視線恐怖症というわけではないが、どちらかと言えば、人見知り気味なのかも知れない。確実なのはコミュ障。

「あの、すいません」

 受付前まで足早に向かう。
 するとカウンターの奥には、黄金色の髪をした、気怠そうな表情の青年が一人座っていた。目の色は、翡翠色。明らかに面倒くさそうな顔で顔を上げた彼は、頬杖をついて俺を見た。

「なにか?」
「その……冒険者になりたくて、ですね」
「上」
「はい?」
「登録は二階」

 それだけ言うと顔を背けて、大陸新聞を青年は読み始めた。
 声からも、面倒だという空気が伝わってきた。
 俺はしばらくの間、青年の白い服と、緑色のゆったりとしたボトムス、腰元にグルグル巻かれている黄色い紐を見据えた後、作り笑いを浮かべた。

「有難うございます」

 お礼を言うのは大切だ。
 人として最低限のコミュニケーションだろう、きっと。

 それは――異世界でだって変わらないはずだ。

 しかしまぁ、えらくイケメンの青年だったなと思う。
 二十歳前後だろうな。
 個人的にはもっと胸が躍るようなワクワクするような、賑やかな雰囲気で、冒険者志望者として迎え入れて貰いたかったんだったりする。兄さん初めてかい、みたいなことを言われて、懇切丁寧にギルドのことだとかを教えて欲しかった。ま、そんな都合良く行かないよな。現在の俺はきっと、ただの不審者だろうし。

 そんな事を考えながら古びた階段を上がり、時折下がっている看板に従い、俺は『冒険者としての旅立ちの間』というらしき、登録場所っぽい所へ向かった。

 ギギギと音を立てて扉を開けると、窓もない真っ暗な部屋だった。

 灯りを探しながら、中央にある丸椅子に腰掛けると、いきなり扉が閉まった。

「……っ」

 軽くホラーだ。
 ドキドキバクバクと俺の心臓は早鐘を打つ。
 そうしていると、正面に、大きな眼球が降りてきた。
 何ともまぁグロテスクな紫色の瞳をしていて、白目部分が血走っているわ、視神経のようなウネウネが伸びているわで、見ているだけで気分が悪くなった。

『冒険者になろうとする者よ、その血を我に捧げなさい。さぁ、左腕を伸ばすのです』

 そこへ電子音製のような声が響いてきた。
 ファンタジックな異世界で機械音というのも不似合いだなと思いながら、恐る恐る左腕を伸ばしてみる。

「うわっ」

 すると触手が絡みついてきた。
 それはブスブスと俺の腕に突き刺さり、明らかに血を抜いていく。
 細い蛸の足みたいなものに絡みつかれている気分で、ブニュブニュしていて気持ちが悪かった。

『イデアカードを三枚作成しました。冒険者のカードは、左手の甲に触れることで閲覧可能となります。貴方の旅に、女神の祝福を』

 暫く堪えていると、部屋に紫色の明かりが灯った。
 触手と眼球は、かき消えるように姿を消した。
 言われたとおりに左手を見てみると、そこには、俺には何の形なのか判別不能な魔術製の刺青が彫られていた。兎も角これで、冒険者としての登録は終わったらしい。

 丸椅子に座ったまま、俺は左手の甲に触れてみた。
 すると黒い半透明の光が漏れて、一枚のカードのようなものが現れた。
 フォログラムみたいに見える。カードを通して、向こうが透けて見えた。



***

◆冒険者のカード(設定:誰でも閲覧可能)
名前:ソルト
年齢:27歳
種族:人間
職業:魔術師(仮)
特技:特になし
冒険者ランク:G
ギルドポイント:500
依頼達成率:0
所属ギルド(パーティ):無し
称号:新米冒険者
職歴:無し

***


 職歴、無し……職歴、無し!

 その一文に俺の心は、血の涙を流した。
 浮き上がってきたその表示を見て、なるほど、俺ってこういう人間なのかと発見した。

 まぁ今更だとは思うが、実のところ俺は、異世界からやってきたのである。
 無一文で、当然戸籍もない。
 俺が知っているのは、この世界が、俺の世界で言われていたところの、剣と魔法の異世界ファンタジーの舞台とされるような場所であると言うことだけだ。

 まあ紆余曲折あったのだが俺は、この世界に、三冊の本と、一つの鞄、一本の杖と共に突き落とされた(?)。後は手になんか指輪が一つはまっていた。気がついたら、この街の近所にいたのである。

 詳細はまたその内。
 役だったのは、その三冊の本だった。

 一冊目は、『生活の書』。
 そこに、戸籍が無くても、冒険者として登録すれば、仮の戸籍が与えられて、生きていくのに支障が無くなると書いてあったのである。他にも、薬の作り方や、薬草の見分け方なども載っている、世界のガイドブック兼サバイバル教本のようなテキストだった。

 二冊目は、『魔術の書』。
 ここには、名前の如く、魔術に関するあれこれが載っていた。この本の便利な所は、本を開いたら、中身が勝手に頭の中に入ってきたことである。その為現在俺は、それなりに魔術を使えるらしく、それなりに魔法の道具も作れるらしい。しかし今までに一度も使ったことがないので、不安である。

 三冊目は、『創成の書』。
 まだ読んでないので中身は知らない。
 何せ俺がこの異世界へとトリップしてきたのは、たったの二時間ほど前のことなのである。はっきり言えば、未だに現状理解も何も出来ていない。ただ、お腹が減っていたのと、酷く寒かったのと、兎に角眠かったのとで……後は少しだけ、ファンタジーとか冒険とか仲間とかに興味があったので、気合いで此処までやってきたのだ。

 詳しいことは後で学ぼうと思うんだ。うん、それがいいだろう。

 そんな事を考えてから、改めて俺は、冒険者のカードを見た。

 なるほど、俺の名前はソルトと言うらしい。
 なんで?
 そこからしてちょっとよく分からない。
 こうなる直前にソルティ・ライチを飲んでいたからか?
 何故俺の名前は塩なんだろうか。まぁ、いい。そして俺は人間だそうだ。
 二十七歳、コレも実年齢だ。

 ――ちょっとあんた、二十代後半になって定職にも就かず……恥ずかしくてお母さん、親戚の集まりで肩身が狭いのよっ!

 と、お盆の時にも言われたから確実だ。
 まさかそう言った直後、親戚一同が集まっていた、本家である我が家が火事で全焼して、天涯孤独になるとか俺は思って無かったけど。

 こんな事ならば、もっと親孝行しておけば良かったな。

 魔術師(仮)なのは、多分魔術書を読んで、呪文を頭が勝手に覚えてくれたからだろう。ただし使っていないので、(仮)なんじゃないかな。

 冒険者ランクGは分かる。冒険者ランキングは、G開始で、一番上がSらしい。
 ギルドポイントというのは、冒険者に登録した時点で、加算されたのだろう。

 このポイントがたまると、ランキングが上がるのだと、『生活の書』で読んだ気がする。
 詳しいことは忘れてしまったが、必要となればその内分かるだろう。

 依頼達成率0も、当然だ。まだ何もしてないし。所属ギルド(パーティ)無しも分かる。何でもこの冒険者ギルド『宿り木』というのは、あくまでも依頼斡旋ギルドだそうで、本来冒険者は、どこかの依頼を引き受けるギルドなどに入るのだそうだ。称号は、まぁ、俺が新米冒険者として認められたと言うことだろう。要するにカードを作ると、この称号になるんだろうな。

 さて、これで当面の戸籍も手に入れた。

 俺は部屋を出て、再び階下を目指した。
 なんとかして日が暮れる前に収入を得て、本日の宿と食費を手にしなければならないからだ。再び受付へと向かうと、先ほどの青年はいなかった。

 かわりに、渋い短髪のオジサンがいた。銀とも金ともつかない髪の色をしているが、断じて白髪には見えない。つんつん髪の毛がたっているが、寝癖にもみえない。濃紺のタンクトップを着ていて、筋骨隆々とした腕がのぞいている。口に銜えたパイプからは、もくもくと白い煙が上がっていた。四十代手前くらいだろうか。

「こんにちは」

 挨拶はこれで良いのだろうかと不安だったが、現在の俺はどんな言語でも話せるらしいのだから問題はないだろう。『生活の書』を読んだら、読み書き聞き取り何でもござれになったらしいのだ。

「おや、お兄さん見ない顔だね」

 無精髭を生やしたオジサンが、パイプを銜えたまま俺を見る。

「今日この街に来ました」
「で、何の用だい? 依頼書なら、そこのボードだぞ」
「ええと、ボードから持ってくれば良いんですか?」
「……まぁな。ああ、説明がまだか」

 受付のオジサンはそう言うと、パイプを置いて立ち上がった。
 カウンターを上げて、外へと出てきてくれる。

 なんでも、貼り付けてある依頼書の右上部に、GからSSSランクまでの印があり、自分のランクに応じた依頼もしくは、自分のランクよりも1ランク下の依頼のみ引き受けられるそうだ。

 依頼を引き受ける時は、基本的に事前に500リラ支払うのだという。
 時間制限付きや期日が厳しいものに限っては、最大10000リラまでかかる場合があるらしい。

 失敗した場合は、成功報酬の三分の一にあたる額を違約金として支払わなければならないとの事だった。あまり高い報酬の依頼は引き受けない方が良いのかも知れない。

 ちなみに、依頼を行っている際に手に入れたアイテムや素材などは、持ち帰ることが指定されていない限りは自由に入手し売り払って良いそうだ。

 依頼の内容には、モンスター討伐から薬草採取、薬や魔具の作成など色々あるらしい。素材採取の依頼もあるのだそうだ。

 またそれぞれの依頼には、ギルドポイントというものが設定されているそうで、それが一定値を越えると、ギルドランクが上がるのだという。例えば討伐系の方がそれは高いらしい。依頼を引き受けていられる期間は、最短半日から、最大半年。大体そんな感じの事を俺は聞いた。

 コレだよコレ、こう言うのを俺は待っていたのである――!!

 これぞファンタジー! という感じではないか。
 そんな感じでテンションが上がっていた俺は、そこでハッとして我に返った。
 喜んでいる場合ではなかった。

「あの、所で、今日すぐに泊まれる宿泊施設なんて、近くにありませんかね?」
「ああ。うちのギルドの三階は全室宿屋だ。今日なら空きもある。朝食付きで、一泊3000リラだ。格安だぞ。+500リラで昼食に弁当も出してる。夜は、四階が酒屋だからそこで食べてくれ」
「3000リラ……」

 その言葉に、多分俺の笑顔は引きつった。
 格安らしいが、何せ今の俺は無一文である。
 1リラが一体いくらなのか分からないが、大体1円くらいだろう。

 そういえば『生活の書』でもそんな記述を見たような覚えもあるが、あまりよく思い出せない。『魔術の書』もそうだったが、あまり記憶に残らないのだ。単純に俺の記憶力が悪いだけかも知れないが。

 しかし、3000リラがいくら安かろうとも、俺の手元にお金がないという事実に変化はない。

「有難うございます。じゃあ、またその内」

 俺はそう告げてから、依頼書を見据えた。
 俺が受けられる依頼は全て≪冷汀の森≫という場所で行うものらしい。

 受け付け脇の柱時計を見ると、現在午後六時半。
 どうやら時間の流れは日本と変わらないみたいだ。
 それで計算すると、今から依頼に出かけて帰ってくるのは中々困難だ。と言うかそもそも、依頼を引き受けるにもお金がかかるらしい。

 と言うことは、現在俺は、依頼を引き受けることが出来ない。

 ――今夜は、野宿決定だな。

 気がつくと溜息が漏れていた。

「泊まっていかないのか?」

 受付のオジサンの声で我に返る。

「ええ、まぁ……また今度」
「そうか」

 オジサンは頷くと、「頑張れよ新米冒険者」と言って俺の肩を叩き、カウンターの奥へと戻っていった。



***


「よぉ、カロン。さっきすげぇ美人が来てたな」

 受け付けに、ドンと白い布袋を置きながら、青年が声をかけた。カロンと呼ばれた受付のオジサンは、それを受け取りながら、パイプの煙を吐く。

「ありゃ、”朧霞の指輪”をつけて、アレだったからな。相当顔は良いんだろうなぁ」

 回想しながらカロンは、何となく違和を感じていた。あの新人――田舎から冒険者を目指して出てきたようなタイプには見えなかったからだ。また筋肉の付き方からして剣士の可能性もそれなりにあるのだが、気配が完全に魔術師のソレだったのも気になる。後は身なりも、確かに一般市民が着ていそうな服ではあったが、素材が高級で、おろしたてに見えた。かといって、貴族のお坊ちゃんが腕試しに来たようにも見えなかった。ようはよく分からない、と言うことだ。受付をしていて、こういう感覚に陥るのは、中々珍しい。

「へぇ。新入り?」
「ああ。冒険者になるの自体初めてらしい。顔と実力が比例してくれれば有難ぇんだがな。お前さんみたいに。な、スカイ」

 スカイはこれでも、このギルドきっての実力者だ。

「おだてんなよ――はい、コレ次の依頼」
「預け入れもちゃんと自分でしに行け若造。ふぅん、桃色ゴブリンの討伐か」

 そうは言いつつも布袋を受け取り、それからカロンは、依頼書に赤い判子を押した。
 高報酬の依頼は、誰かに取られる前に、夜の内に引き受けておくというのも一つの手だ。
 スカイと呼ばれた青年は、水色の目をした長身の背年で、ブロンドの短髪が揺れている。
 ぐるぐると額部分には白い布が巻いてあった。
 少々つり目だが、人好きのする笑顔を浮かべていて、格好いいと言って差し支えはないだろう。カロンにしても、渋い壮年男性だ。総じてこの世界の男性は、顔面偏差値が高い模様である。

「そういやバルトは?」

 受付の奥を見据えながら、スカイが呟く。

「ゴミ出しだ」

 そんなやりとりをして、暫し歓談してから、スカイは滞在している部屋へと戻っていったのだった。