0:魔王、その経緯



僕は、魔王である。

少しだけ、魔王になる前の僕の話をしてみると、それはごくごく平凡だ。
大学入学試験に合格し、後は残り僅かな高校三年時の登校日を残して、自由気ままに新宿をぶらついていたのが、僕である。
後は卒業するだけで、それだけで良かった。

だけど、僕は卒業できなかった。

卒業式の三日前に、僕はトラックに轢かれて死んだ。
転生トラック――……ネットの小説が好きな友人がよくネタにしていた、トラックに轢かれて死んだと思ったら、紆余曲折を経て転生する。それが、まさか自分の身に起きるとは、僕は考えてもいなかった。
新宿の靖国通りで、トラックに吹っ飛ばされた僕は、痛みよりも熱と衝撃を感じていたものである。アスファルトに叩きつけられて、側頭部がグチャリと音を立てているのを、他人事のように聞きながら、嗚呼、死ぬんだな、と思ったのが最後の記憶だ。
ちなみに基本的に赤信号だったら、道路に飛び出したりしない僕が何故事故にあったのかと言えば、信号が明滅しているにも関わらず、横断歩道の中央をゆったりと歩いていたお婆さんを突き飛ばし、曲がってきたトラック(多分何にも悪くない)に激突したからである。普段の僕は、別にボランティア精神に溢れている訳じゃない。ただ妙に気にかかったのだ。

「――そのお婆さんがねぇ、君にしか見えない”禍津神”だったんだよねぇ」

気がつくと僕は、上下左右前後、何もかもが真っ白の立方体の部屋に立っていた。
こんな所まで、僕に転生トラックという概念を叩き込んだ、隣席の置田の知識そっくりである。そんな中、僕はもしかして、事故の衝撃で頭頂葉にダメージを受けて、現実認識が出来なくなってしまっているのかなんて考えながら、顔を上げた。
「禍津神っていうのはね、視える人の寿命を奪って、生きながらえている怪異なんだ。要するに君――磊落在斗らいらくあるとくんの寿命を、かっぱらっていったって事なんだ」
「よく分からないんですが、僕は死んだと言うことですよね?」
僕は淡々と聞いた。
事情はよく分からないし、オカルト単語を並べられても訳が分からないが、トラックに轢かれて死んだ僕が今此処にいる以上、此処は、天国あるいは地獄なのだろうと思う。
「死んだは死んだんだけど、これは不可抗力だったからさ。君の寿命はまだまだ残ってるんだよね。第一、禍津神にさえ関わらなければ、死してなお、転生後の世界だってあったのだよ、この地球で」
「はぁ……」
「だけど今回は、根こそぎ禍津神が持っていったから……世界には歪みが生じるんだ」
歪み――そんなところまで、置田の話し通りだなと、半ば感心した。
「そこで君には全次元の恒常性を保つために、他の世界に転生して、生きて欲しいんだ」
「またどこかの世界に、赤ちゃんとして生まれるって言う事ですか?」
「ううん。矛盾を限りなく減らすべく、今の君の自我を持ったまま、とばすよ。外見や能力には、その世界にあった補助を足すけどね」
部屋の中央に浮かんでいる光球から聞こえてくる声に、頷きながら、僕は腕を組んだ。
別に――元の世界に、未練は無かった。
離婚した父母は、既にそれぞれ幸せな家庭を築いていて、僕には帰る場所がない。
僕を育ててくれていた父方の祖父も、先日亡くなった。
学校ではコミュ障が手伝って、親しい友達なんて一人しかいない(置田だ)。
無論、カノジョもいない。
元の世界になんて、未練があるとすれば、来週発売の、ミステリィ小説の新刊が読めないことくらいのモノである。

「だけど、急に他の世界に転生しろって言われても困るでしょう? だから特典をつけるよ。何が欲しい?」

光球が、そんな事を言う。
――欲しいモノ?
僕はその言葉に、気がつくと腕を組んでいた。
率直に言って欲しいのは、心を許せる友達、心底大事に出来る・そして大事にしてくれる恋人、優しくて僕に構ってくれる家族、というようなものである。けれどそんなことを言葉に出すのは躊躇われた。
「寿命って言うか、不老不死。それから美貌。後、金」
僕は投げやりにそう告げた。

「なるほどね。随分と即物的だけど――……それを満たせるのが、一つだけある。うん、丁度空白職だし丁度良いかな。アルトくんの職業は≪魔王≫、種族は≪魔神≫、メイン技能は≪魔術≫、こんな感じでどうかな?」

「なんでもいいです」

僕がそう応えると、「じゃあ頑張って。好きに生きて良いから」という声が響き、その後視界を白い光が包んだのだった。

そして次に双眸を開いたときから、僕は魔王になったのである。
赤いベルベッドの玉座に座り、僕は、気がつくと正面に控えている多くの人々を見据えていた。彼らはこの魔王城で働く人々だった。

このようにして、僕は魔王になった。
それが、1200年前のことである。

勇者と出会うまで、後1200年。