【1】雑念混じりの執筆作業





 人気者というのはある種の役割なのではないかと思うほどに――僕は人気者だ。人気が欲しいと願ったことがないわけではないが、ここまで実態と乖離する人気を持ちたいと思ったこともない。僕の仕事は、魔導書の”執筆”なのだが、僕の”創る”魔導書は、神がかった人気を博している。

 ――魔導書。

 魔導書を執筆するというのは、単純に万年筆を走らせるという事ではない。非常に簡単に言うと、本型オルゴールを作成する作業に近い。表紙を捲ると、魔法陣が現れて、空中に展開する。そこに”呪文”を封じてある魔術古代文字が並んでいて、曲を奏でる。この時、まずは空中展開する魔法陣の美しさ、模様の巧みさがひとつの評価材料だ。続いて、流れる調べを紡ぐ”声”――製作者の歌声が第二の評価材料である。本来重要視されるべきである”高威力”は三番目に評価され、威力を保証する緻密な理論に至っては、最後の四番目になってやっと着目される程度だ。無論、理論と威力を重視する魔術師もゼロでは無いだろうし、僕はそこも評価されている。

 そう、僕は魔導書製作者として、一定の評価を得ている。
 ――今では、世に出せば必ず稀覯本となるほどに。
 多くの人間が、僕の創った魔導書を手に入れたいと願っているそうだ。

 僕と仲良くなりたい人間は大勢いる。
 ここで問題となるのは、僕が仲良くなりたいと思っている人間がいないことだ。
 僕は他者にそこまで興味を持つことができないのである。

 ――魔導書は別だ。

 僕にも好きな魔導書は数多くあるし、憧れの魔導書執筆者は存在するし、一度会って話をしてみたいと思うこともあった。過去形だ。会えないからこそ、会いたかったのだと、今ならば分かる。

 約二ヶ月前、あれは冬の事だった。また、【魔導王】が戯れに暇つぶしを行ったのである。

「全ての魔導書執筆者は、集え」

 たった一言、そう魔導王が命じるだけで、世界は動いた。物理的にである。それまで、言うなれば平行世界に置いて、各々魔導書を執筆してきた僕達は、その声を脳裏で聞いた瞬間には、現在いる【鏡面世界】に転移させられていた。異世界集団転移――それに、僕は巻き込まれたと言える。

 これまで日本の片隅で、”現代世界”には数が少ない魔術師用に、魔術用具を作ってネットで売りさばいていた僕には、寝耳に水だった。ひっそりと社会の裏側に根付いていた魔術に少し触れるだけで満足していた僕は、それをきっかけに、表舞台に引っ張り出されたのである。

 現代日本からは、僕を含めて十数名、地球文明世界と換言して数え直しても五百名未満が、鏡面世界に転移した。同様に様々な世界から転移者がいて、二万人弱が集められた。魔術自体は共通だったから、進んでいる世界であっても隠されている世界であっても、魔術市場で売買されていた魔導書は変わらない。魔術通貨の価値も同じだ。魔術言語も同様である――皆それぞれが、不自由なく会話が可能だった。

 魔導王は、鏡面世界において、僕達に【不死鳥の碑文】を解読する魔導書を執筆させたいらしかった。不死鳥の碑文は、不死鳥の塔の最上階に浮遊している、魔術古代文字で記されたある種の叙事詩である。遠隔でその存在を感知して読み解くこと自体は、魔導書製作者であれば、多くの者が可能だろう。問題は、現地で直にこの目で見るまでには、塔に幾重にも張り巡らされた”罠”を解除し、魔獣を倒して進まなければならないという事だ。そのためには、高威力の魔導書がいる。魔術師は、魔導書を開くことで魔術を行使するので、魔導書という武器がなければ、上に進むことはできないのだ。

 基本的に、魔導書執筆者というのは、己もまた魔術師だ。元来魔導書は、自分のために記すものである。自分で自分の武器を作るというわけだ。数が増えれば、それだけ魔術の幅も広がる。その中で、書くよりも使うことに秀でている者――あるいは、書く事が苦手なものが、魔導書を購入するというのが、僕の認識だった。だが、読むことに長けている者ばかりの世界もあったし、魔導書執筆は、特定の者にのみ許された才能であるとする世界もあり、そういった価値観は、集った各世界で、バラバラだった。

 現代日本の場合は、十中八九、自分でも使用している者ばかりだったから、購入者は常に製作者でもあった。製作者が互いに魔導書を読み合うという観念は、広く根付いていた。そうであってすら、優れた魔導書の執筆者には憧憬の念が集まっていたのだから――この世界における、一部の魔導書製作者への過剰な崇拝すら似た人気も、理解しようと思えばできなくはないのかもしれない。

 元の世界に帰るには、不死鳥の碑文を誰か一人で良いから直接見て、それを”声”で写し取って、魔導書化して、魔導王に献上しなければならない。その緊迫感も手伝って、強く価値ある魔導書製作者は、次第に人気者となっていった。執筆をしない魔術師は少し肩身が狭い世界であるとも言える。

 当初こそ、誰も知る者のいない世界は不安だった。
 だがその感情が消えるに要した時間など、短期間すぎて思い出せない。



 ここまで考えて――こんな風に雑念だらけの頭で”作業”をして、僕は魔導書をひとつ作り終えた。嘆息して、表紙をめくれば、魔法陣が宙へと広がり、すぐにそれがオーロラ色の星空に変化し、同時に冬に似た旋律が流れ始めた。

「集中してたね」

 顔を上げると、隣で魔導書を見ていた美少年が僕に続けた。

「相変わらず、綺麗だね」

 彼は、ユズリハと言う。日本人だ。僕がWebで売りさばいていた魔導書の顧客で、現代にいた頃から、遠隔では何度もやり取りをしていた。金色の巻き毛をしていて、その瞳の色は赤い。黒い髪に黒い目の典型的な日本人である僕からすると、その容姿は目を惹く。

「今回も一番最初に読ませてくれるんだよね?」

 楪がそう言った時、勢いよく部屋の扉が開いた。

「音色が聞こえたけど、完成したのか!?」

 入ってきたのは、こちらは僕同様黒い髪に黒い瞳の少年だった。侑玖タスクだ。侑玖も僕の顧客で、やはり日本人である。

「僕が先に読ませてもらうんだよ!」
「はぁ? 今回は、俺が読ませてもらうって話してたんだよ!」
「ずっと一緒にいたけど、そんな話は出てないから。嘘はよくない」
「な」

 二人は仲が悪い。理由は、僕の魔導書――というよりも、僕だ。

「ベタベタベタベタ、叶野さんに付き纏うのはやめろ」
「唯理くんに付き纏ってるのは、侑玖だよね?」

 叶野唯理カノウユリというのは、僕の名前だ。隣から僕の腕を絡め取るように掴んだ楪と、逆側から僕の服を引っ張り始めた侑玖に挟まれて、僕は溜息を押し殺した。

 人気、というのは、こういう意味合いだ。純粋な魔導書への評価だけではない。例えばこの二人は、”僕と仲良くなりたい人間”なのである。二十三歳の僕から見ると、十七歳の楪も、その一つ上の侑玖も幼い。

「僕は良いんだよ。だって僕は、唯理くんの物だから」
「は!? 叶野さんは、お前の物じゃ――……ん? 違う、お前は叶野さんの物じゃない……いや、違う、ええと、叶野さんは俺の物だ!」
「唯理くんと寝た事も無いくせに」
「っ、叶野さん! またこんな奴を相手にしたのか!? どうせ、楪が押し倒して上に乗っかったんだろう!? 叶野さんが、楪を自分から求める日が来るとは思えない」
「な」
「図星か」
「う、うるさ――……ッ……」

 僕が何も言わずに見守っていると、真っ赤になった楪が、唇を噛んで俯いた。実際、侑玖の言った事が正しい。僕は楪を求めたことはない。ただ――服を剥かれて乗られれば、僕だって勃つ。それが楪のような美少年だったら、その気にもなる。こう言ってしまえば、僕は最低だろう。

「お前なんか、体だけだろ」
「……体すらない侑玖に言われたくない」
「俺の中で、叶野さんはそういう対象じゃないからな。もっと神聖なんだよ」
「嘘でしょ? この前魔導書で、侑玖の欲望透過をしてみたら、唯理くんの事押し倒して、ドロドロにしてたじゃん」
「う、っげほ、お前、お前、なんてことを言うんだ!! 叶野さ、違っ、違うからな!」

 思春期の性欲とは凄まじい。僕は既に枯れて――は、いない。別に。枯れていたら、楪をきっぱりと拒絶するだろう。

 なお、別段僕は、同性愛者というわけではない。
 魔術師には、男しかいないのだ。理由を推察する仮説は数多あるが、まだ統一見解は出ていない。よって、この鏡面世界には男しかいない。また、ここに来る前から、男だけの世界だった魔術師間では、同性愛が主流だった。そもそも魔術自体が、性を超越した所で神秘をなす技法であるから、魔術儀式で性交渉必須時に出来る人間が男しかいない場合、問答無用で男と致すのが魔術師だったとも言える。愛がない場合も多い。魔術師とは元々静的に緩い。少なくとも、日本の裏側ではそうだった。だから僕も、必要があれば、Sexできる。最も、ここに来るまで、僕は執筆に専念していたから、自分で魔術儀式をしたことなどは特にないが。そもそも混沌派の、単独ソロ技法を使う僕には、大規模な儀式自体が不要だった。

 ただ一つ思うのは、いつか恋人ができる日が来るとして、僕はきちんとその相手を愛することができるのだろうかということだ。好きだと言われたからといって、僕はその相手を愛せるわけではないと、楪や侑玖の存在で知った。

 だが僕は拒絶しないずるさも、内心の無気力も、少し天狗になっているのだろう穿った価値観も押し殺して――今日も微笑するのである。

「そろそろ食事にしよう」

 僕の言葉に、二人が顔を見合わせてから、小さく頷いた。
 これで良い。すべてを濁して押し殺し、僕は今日もだらだらと生きていく。