【2】憧れの二人






 僕の趣味は料理だ。だが、僕は人に振舞う事はしない。亡くなった家族に食べさせたのが最後だ。料理が上手いというのは、最初は良い。だが、要らぬ諍いを生むことも多い。『不味くてごめんね』と言われる場合も面倒であるし、何より、いちいち目くじらを立てて料理指南などしていたら、交友関係を破壊するだけだろう。だが、料理が得意だと露見すれば、「どうだったか」と必ず聞かれる。よって、初めから黙っている方が良いのだ。これは、魔導書製作にもある種通じる所がある。

 この日も、楪作の非常に美味しくないミートローフを食べて、僕は「美味しかったよ」と口にした。僕は二枚舌なのではなく、波風を立てずに生活したいだけだ。実際、食べられるのだから、美味しいとしたって良いだろう。侑玖だって、「不味い」と言いながら食べていた。食べられたのである。

 その後二人に帰宅を促し、僕はシャワーを浴びて寝た。
 魔術師は誰でも、自分の魔術部屋を持っているもので、僕も亜空間に自分の現代日本時代から変わらず使っていた3LDKのフロアをぶち込んである。浴室はその一角だ。生活に不自由はない。僕には、少なくとも。最もこればかりは、人による。僕ほど現代社会と置換可能な生活を誰もが送っているわけではないし、こういったものが存在しない世界から転移してきている人々もいる。

 あくる朝、僕は着替えて、昨日完成した魔導書を試しに行くことに決めた。

 家を出る――そこに広がるのは、それこそ大自然であり、先程までの現代的な空間とは一線を画している。何より各地に浮遊した岩が、物理法則をまるで無視しているのが新鮮だ。当初こそはそう思ったが、なれた今では、ただの一風景にすぎない。

 服に関しては、この鏡面世界現地に合わせている人間と、各々の世界の服の着用を続けている人間にきっぱりと分かれている。だがそれは、インナーの話だ。上着は、魔術師は共通で、魔力を帯びた糸で刺繍を施したローブと決まっている。大きめのハイネックジャケットみたいな黒いローブだ。ただ、”黒”の幅が広くて、青や緑、時には赤まで多種多様である。

「あれ? 唯理くん?」

 しばらく歩いていくと、声をかけられた。俺は反射的に微笑を浮かべて、視線を持ち上げた。心が癒された――の、だろうか。そこに立っていたのは、現代日本において、僕が憧れていた魔導書製作者の一人である、アカツキさんだった。絹のような綺麗な長い髪をしている。僕は彼を見るまで長髪の男はあまり好きではなかったが、彼に限っては非常に似合っていたし、髪型自体への見る目が変わるほどだった。

「おはようございます」
「おはよう。唯理くんも魔導書のテストかな?」

 僕は笑顔で頷いた。彼は、非常に優秀な魔導書製作者である。僕より十歳年上の三十三歳で、物腰が非常に穏やかだ。若々しいが、大人の色気がある。すらりとした長身で、百七十六cmの僕よりも、更に十cm高い。百八十六cm。身長も10ほど上だ。

「一緒に行こうか」
「はい、ぜひ」

 ゆったりと僕の方へと歩いてきた暁さんと横に並ぶ。心が清々しくなる。暁さんと二人きりになるのは、非常に珍しい事だった。彼もまた人気者である。かつ彼は、僕のように内心でそれを奢るわけでもない。人の心の奥など見えないから、多分としか言えないが。彼が評価されるのは当然であると思うし、素直に賞賛されれば喜ぶ暁さんが僕は好きだ。

 時期こそ彼は、僕よりも遅くから魔導書執筆を始めたのだが、年齢的にも知識造詣的にも彼が上だろうに、僕を先輩として敬ってくれる。そんな隅々までへの配慮を、彼は自然とできる。僕は、暁さんのそういう所が好きだった。

 話してみたいとずっと思っていた。一度で良いから会ってみたいと。
 そして、実際にこうやって顔を会わせるに至った。
 彼の周囲にも常に人がいる。だから、個人的に話をする機会にはあまり恵まれていないが、転移した初日に、暁さんが「叶野さんはおられますか?」と、真っ先に僕を探してくれた事を今でも強く覚えていて、とても嬉しい。彼は、まっとうに良い人だ。

「暁! あ……唯理くんも!」

 そこへ声が響いてきた。僕は立ち止まり、視線を向けた。そこには、日本から来た魔導書執筆者の中で、自分で言うのもなんだが、目立つ三人の最後の一人が立っていた。僕は深く腰を折るのを忘れなかった。彼は、僕が畏敬の念を抱いている非常に優れた魔術書の製作者なのである。

「新、どうかしたのか?」
「お味噌汁に入れるあさりの塩抜きを忘れたから走ってきたんだ」

 ……微笑ましい、アラタさんの声に、僕は頭を下げたままで和んだ。新さんと暁さんは、一緒に暮らしているのだという。元々、魔導書製作の第一人者であった新さんの勧めで、暁さんも執筆を開始したという経緯があると聞いた。二人は、大学の同窓生だったのだという。そして今は――恋人なのだろう。恐らく。明確にそう聞いたことはないが、二人の間に漂う一種独特の空気は、お互いを特別視しているものだと分かる。

 新さんは、薄い茶色の髪と目をしている。身長は僕よりも少し低い。どちらかといえば、女性的なのかもしれない。少なくとも、暁さんとどちらがタチでありネコであるのか疑うのは困難だ。そんな下世話な事を考える。

「頭を上げて! 挨拶にしては長いです!」
「あ、いえ――」
「本当に唯理くんは丁寧なんだから」

 その言葉に、僕は苦笑した。僕が丁寧なのではなく、新さんが気さくなのだと僕は思う。

 ――なお、実を言えば、僕は新さんの魔導書を暁さんの物ほど好きではない。僕のような人間は、おそらく多い。新さんの魔導書は、既に一定の”曲”を持っているから、悪く言えば、飽きてしまうのである。そこを行くと、暁さんの魔導書は、多彩だ。ただし暁さんの魔導書は、魔法陣の方向が決まりきっていて、風景が単調である。内心ではこのように、僕は相手をこき下ろしていることがある。僕は醜い。

「二人が並んでいると、本当に絵になるよね。だけど、暁は私のだからね」
「――新。絵になっているのは唯理くんだけだよ。俺は、新の添え物だから、並ぶならば新の隣かな」

 そんな事を言って笑い合う二人に、僕はなんと返答するか迷った。
 いつでも信頼し合っているような、そういった気配がする二人の関係性――きっと僕には永遠に他者と築くことが不可能な部類のものに思えた。