【1】俺はアニス姫が好きだ。
俺には、好きなゲームがある。
魔法学園が舞台の恋愛シミュレーションRPGだ。俺は、そこに出てくる、アニス姫が大好きである。最推しだ。アニス姫は、学園が存在するとされるミルカーナ王国の第三王女で、クラスの人気者でもあり、ヒロインのお話を聞く友人役(つまり脇役)の一人である。俺は、メインヒロインには全く興味が無かった。メインヒロイン(名前変換可)のユミフェが、アニス姫とお話をするノーマルエンドばかり、何度も繰り返し遊んでいた。
元々は、妹にRPG部分をやっておいてくれと言われて始めたゲームであるが、はまりこんで、自分でもアプリをインストールしたほどだ。
ちなみに妹は、攻略対象の一人である、ロイルが好きだった。ロイルというのは、代々騎士団長を輩出している名門侯爵家の出自の同級生で、在学しながら、本人も既に騎士としての仕事を行っている凄腕の剣士だった。
……アニス姫の許婚である。
俺の最推しの許婚だ。ゲームのキャラに恋をするというのもおかしいが、俺はアニス姫が好きでならない。よって俺にとって、ロイルは羨ま……けしからん相手である。しかもロイルは性格が悪く(ちょっと意地悪な設定)、たまに姫を泣かせるのだ。
確かに銀髪で紫色の大きな瞳をしたアニス姫と、黒髪で長身の、紅い瞳をしたロイルは並んでいると、とても映える。小柄で巨乳のアニス姫をたまに庇ったりする姿なんかは、絵になる。
二次元に恋をしている冴えない俺と、攻略対象の一人であるロイルでは、比べても仕方がないだろう。だが展開によっては、ユミフェとロイルが結ばれるので、アニス姫は婚約を解消する。そのルートでは、婚約破棄展開のハードモードな目に遭うアニス姫まで存在する始末……アニス姫の事を想うと、俺は辛くてならない。
俺だったら絶対にアニス姫を幸せにするのに。
そんな事を考えながら、俺は夜道を歩いていた。
――最後に覚えているのは、派手なブレーキ音だけである。
「ロイル様――っ、お気づきになられましたか?」
「……?」
ガンガンと頭が痛む。俺はうっすらと目を開けて、こめかみに手を当てた。
「良かった! お目覚めになられたんですね!」
「……」
ぼんやりとする頭で、俺は上半身を起こした。頭部には包帯が巻いてあるのが分かる。眼前には、見た事の無い、片眼鏡をつけた青年が立っていた。
「ここは?」
「ロイル様は、第二王子殿下を魔獣からお庇いになられて、お怪我を……」
「へ?」
俺は、何を言われているのか、最初理解できなかった。見渡した室内は、中世の貴族が暮らしていそうな造りで、全く見覚えがない。そもそも先程から俺は、『ロイル』と呼びかけられているが、俺の名前は『ロイル』ではない。それはある種の恋敵の名前だ。
自分の手を見てみる。するとそこには、とても小さな手があった。
「生死の境を彷徨っておいでだったのですよ……本当に、良かった……」
「え、ええと……あの、ここは何処で、俺は一体……」
「!? まさか頭を打った衝撃で、記憶が……?」
片眼鏡の執事のような服を着た青年が、目を見開いた。俺は引きつった顔で笑った。
「ロイル様は、バーレイ侯爵家が嫡子で、御年十三歳ながらにして、既に騎士団に所属しておられる――我が主。私目の事はお分かりですか? 私は、執事のレイズです」
バーレイ侯爵家……ゲームの中でも聞いた名前である。ロイルの家の名前だ。そして先程から俺は、ロイルと呼びかけられている。え。
「……鏡を」
「鏡ですか? 承知致しました」
俺の言葉にレイズが一礼してから、踵を返し、チェストの上から手鏡を持ってきた。受け取り、俺はじっと覗き込む。そこには黒い髪に紅い目をした美少年が映っていた。明らかに、ゲームの中のロイルの面影があった。
青褪めたと思う。え。え? ここは、ゲームの世界なのか? なんで俺は、ゲームの世界にいるのだ?
――そう、焦ったのは、最初だけだった。
数日もした頃、俺は考えを改めた。アニス姫が、お見舞いに来てくれたからである。
「本当にご無事で良かった……」
アニス姫は、まだ包帯を巻いている俺を見ると、可憐な瞳に涙を浮かべた。長い睫毛の上に乗る透明な雫を見て、俺の胸は射抜かれた。実物のアニス姫は、そりゃあもう美姫だったのである。ゲームと違ってまだ十三歳であどけなさが残っているのだが……可愛い。
俺は決めた。俺はもう、ロイルになる。ロイルとして生きれば、アニス姫と将来的に結婚も出来るし、幸せしかない。
こうして、俺のロイルとしての日々が幕を開けた。