【5】同意、か。(★男女注意)



 しかしその後も――俺は、みんなに優しかった。だって、である。なんだか一人で寂しそうにしている姿を見かけたりすると、話しかけてしまうのである。毎朝、下駄箱を開けるとラブレターが落ちてくるようになったが、俺のせいではないだろう。

 俺は、モテにモテた。しかし俺の愛は揺るぎなく、俺はアニス姫だけが大好きである。

 そんなある日の事である。

「悪いんだが、教室に資料を忘れた。とってきてくれないか?」

 学級委員長として回収した書類を職員室に持っていくと、担任の先生に言われた。既に下校時間を回っていたが、雑用もまた学級委員としての仕事である。俺は教室へと引き返す事になった。完全に帰るつもりだったので、鞄を片手に廊下を歩く。

 もう教室には誰も残っていないだろう。そう考えながら、俺は僅かに開いている扉に手を掛けようとした。

『ん……』

 すると。
 艶っぽい声が聞こえてきた。え? 驚いて俺は硬直した。恐る恐る教室の中を見る。結果、驚愕して目を見開いた。そこには、机に背を預けて、服を乱されているアニス姫がいたのである。巨乳が顕になっている。その足を持ち上げているのは、見知らぬ男子だ。

『……だ、誰かきたらどうするのですか?』
『俺の国に連れ帰ってやろう』
『っ、ですが……』

 俺は唖然とした。姫に抵抗する様子はない。え、え? 口では抵抗しているようにも聞こえるが、姫は相手の男子生徒の首にしっかりと抱きついている。俺は思わず鞄を取り落とした。

「「!」」

 すると室内の二人がこちらを見た。俺は顔を引きつらせながら、仕方がないので扉を開けた。

「……同意か?」

 気づくとそう呟いていた。アニス姫は狼狽えたように目を見開くと、慌てたように手を離して、胸元を隠した。男子生徒の方は、アニス姫から体を離すと余裕たっぷりに俺へと振り返り、ニヤリと笑った。

「ロイル=バーレイか」
「ロ、ロイル様、これは――」
「同意だ。そうだな? アニス」
「……っ……ザイド様は私だけに優しくして下さるけど、だってロイル様はみんなに優しくて、それで……」

 俺は、男子生徒がザイドというらしいと知った。その名前には心当たりがある。一学年上の二年生に、隣国サーフェルド帝国の第二王子殿下が留学していて、その人の名前がザイド=サーフェルドだった。彼もまた、攻略対象である。攻略対象の中で、一番肉食だと評判だったキャラクターだ。腐葉土色の髪に、鋭い翡翠色の瞳をしたザイドは、ニヤリと笑っている。

「……そうか。同意、か」

 俺はポツリと呟き、踵を返した。衝撃が強すぎて、何も考えられない。

 ――優しかった俺が悪いという事、なのだろうか?
 ……。
 その後俺は、どうやって寮まで帰ったのかを覚えていない。職員室には行かなかった。

 不思議だ。涙は出てこない。俺が、悪かったのか? と、そればかりを考える。
 アニス姫が、ザイドと致していた……ヤってた。
 アニス姫は、俺の事が好きだったんじゃなかったのか? え?

 大混乱状態で、俺は寝台の上でのたうち回った。なんで? どうして? こんなにも俺は姫を愛していたけど、その愛や愛ゆえの優しさがダメだったのか? 俺はプルプルと震えた。全身が冷たい。

 ――寝よう。
 悪い夢かも知れない。

 そのまま俺は、寝逃げした。
 翌日。
 俺は普段は朝早くに教室に行くのだが、この日ばかりは気力が起きず、予鈴ギリギリに教室へと入った。皆が挨拶をしてくれるのだが、耳に入ってこず、俺は曖昧に笑って頷いていた。チラチラと姫がこちらを見ている。いつもならばそれが嬉しいのだが、今は胸が痛い。やはり、夢ではないのだろう。昨日までの教室とは全く違う風景に見える。

「ロ、ロイル様。お話があります……」

 アニス姫が声をかけてきたのは、昼休みの事だった。緩慢に顔を上げた俺は、それでも姫が好きなので、必死に笑って頷いたが、きっと表情はぎこちなかった事だろう。

 俺は姫の後について、学園の中庭へと移動した。そこの四阿に座った時、姫が切り出した。

「本当にごめんなさい、ロイル様」
「……」
「私、私……ロイル様が好きです。大好きなんです。愛しています」
「……」
「けれどロイル様はみんなに優しいから、いつも不安で……」
「……」

 アニス姫の声には、涙が混じっている。

「……俺が悪かったと言いたいのか?」

 俺は昨日ずっと考えていた疑問を、直接ぶつけた。するとハッとした顔になった姫が、大きく首を振る。

「不貞を働いた私が悪いのです」
「……不貞……けど、同意だったんだろう? アニス姫は、ザイドに本気なのか? 浮気か?」
「う……浮気です……」
「……」
「私は誓ってロイル様の事を愛しています。けれど……ザイド様の言葉に抗えなくて……」
「……それは、ザイドにも本気になったという事なんじゃ?」
「そ、その……――正直、心が惹かれています」

 アニス姫は、小声で言った。俺はアニス姫が俺を見ていない事を理解してしまった。見ているかもしれないし、好きでいてくれるのかもしれないが、現在の俺は、二番手なのだろう……。

「アニス姫……帝国に嫁ぐのか?」
「いいえ、私はロイル様の良き妻となりたいです!」
「……本当に?」
「本当です。ロイル様と共にこの国を支えていきたいのです」
「……」

 姫の言葉には、偽りはないのかもしれない。だが、どこか、家の決定であるから許婚関係は解消出来ないと口にしているようにも思えた。俺はそんなのは理由ではなくアニス姫が好きなのだが……胸が痛い。

「私の事が嫌いになってしまいましたか? と、当然ですよね……」
「……好きだ」
「本当ですか? で、では、これからも私を愛して下さいますか?」

 愛している。俺は今も愛している。ただ、アニス姫からの愛を感じられなくなってしまっただけだ。辛い。と――そう考えた、その時だった。

「何を都合の良い事を言ってるんだ」

 凛とした声が響いた。俺が振り返ると、そこにはバリス殿下が立っていた。

「朝からロイルの顔色が悪かったから心配して見に来てみたら――立ち聞きしてしまい悪いが、一体どういうことだ、アニス」
「お兄様……!」
「ザイド殿下と浮気をしたのか? 昨日、サーフェルド帝国から父王陛下に書状が届いたとは聞いていたが、何を考えているんだ? あまつさえ、ロイルとは今まで通りに付き合いたいだと? 巫山戯るな」

 バリス殿下はそう言うと、俺の手を引いた。俺はよろけるようにして立ち上がった。

「ロイル、許してはダメだ。妹の愚行は俺が詫びる。だが、決して許してはならない」
「……殿下……」
「行くぞ。アニスには直に修道院へ入る話が舞い込むだろう」
「待って下さい!」

 アニス姫が俺を引き止めようとした。だがバリス殿下の力が強い。無気力状態だった俺は、引っ張られるがままにその場を後にした。