【6】頭を殴られたかのような衝撃
放心状態のまま、俺は午後の授業をサボる形で部屋に戻った。バリス殿下に連れられて戻ったのである。
「……」
「昨夜父王陛下に届いた書状は、アニスを帝国の後宮に迎える予定はないという内容だった」
「……アニス姫は、修道院に行くのか?」
「同情する必要はない」
同情というか……もう会えなくなってしまうんだなぁという思いが強い。俺がうなだれていると、バリス殿下が複雑そうな顔をした。
「そんなにアニスが好きだったのか?」
「……」
今も好きである。そんなに簡単に気持ちは切り替えられない。アニス姫だけを見て、十三歳でこの世界にきてから生きてきたのだ。アニス姫のために頑張ってきたのだ。全部裏目に出たらしいが。
「ロイル、お前にはもっと相応しい相手が居る」
「……」
「そう気を落とすな」
「……どこにいるんだ?」
投げやりな気分で俺が呟くと、殿下が息を詰めた。それから唇を噛んでから顔を背けた。
「その……今告げるべき事ではないと理解しているが、俺はお前の事が好――」
殿下が言いかけたその時、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
「おい! アニス姫が修道院に行くって話本当か!?」
「――きだ」
入ってきたのはベクス先輩だった。扉の音のせいで、殿下の言葉が上手く聞き取れなかった。俺は無気力で、先輩と殿下を交互に見る。
「何お前振られたのか? 違うな、振ったのか? 修道院って事は浮気だよな? えー!? お前らあんなに仲が良かったのに、えー!? じゃあ何か、今、ロイルはフリーなのか? 俺と付き合うか?」
「……」
「まさかロイルが一人になるとは。俺、運が巡ってきたな」
「先輩、今は冗談に乗ってる気分じゃないんだ……」
俺が虚ろな瞳で返すと、先輩が首を振った。
「冗談なんかじゃねぇよ。俺はずっとロイルの事、良いなって思ってたんだ」
「ベクス。黙れ。出て行け。今は、俺がロイルを慰めているんだ」
「とか言って、ちゃっかりとバリス殿下もロイル狙いなのは分かってるぞ」
「っ」
その後二人は口論を始めたが、俺はその内容を聞いている気力が無かった。
ああ……アニス姫……。
翌日、教室に行くと、既にアニス姫の机は無かった。退学したと担任の先生が述べた時、皆の視線が俺に集中した。俺は無表情でそれを聞いていた。二日たった結果、少し冷静になってきた。みんなが同情するように俺を見ている。辛い。どうしてこんな事になってしまったのか。
――ザイドに呼び止められたのは、明くる日の放課後の事だった。
寮の部屋に戻る途中、廊下でニヤリと笑っているザイドが、俺に言った。
「少し話がある」
「……分かった」
俺の方にも話があった。そこで俺はザイドの招きで、ザイドの寮の部屋へと向かった。ザイドもまた一人部屋である。中は異国情緒というか、やはり少し隣国風の家具が並んでいた。大きな寝台がある。その傍らの横長いソファに促されて座ると、ザイドが紅茶を俺に差し出した。
「それで、話というのは?」
先に聞こうと俺は切り出した。するとニヤニヤしながらザイドが言う。
「好きな女を寝取られた気分はどうだ?」
グサっと胸が抉られた。俺はここに来て、初めて泣きそうになった。全身が冷たくなる。
「……どうしてアニス姫を後宮に迎えてあげなかったんだ……」
「ただの遊びというか、目的があって落としただけだからな。非常にチョロかった。少し優しくしただけで事が進んだ」
その言葉に俺は俯いた。体の震えが止まらない。
「目的……?」
「一目惚れだった」
「――は?」
「俺は欲しいものは手に入れる。そのためには、アニスが邪魔だった。婚約解消のためには、修道院に行ってもらうのが早いだろう?」
「? アニス姫に一目惚れしたんなら、後宮に迎えれば良かっただろう?」
「馬鹿な奴だな。俺が一目惚れした相手は、お前だロイル」
俺は最初、何を言われているのか、さっぱり理解できなかった。
「俺はお前を後宮に迎えたい。既にバーレイ侯爵家には、見合い話を書簡で国から送ってある」
「――え?」
「この王国と帝国の力関係を考えても、断れないだろうな」
「な……俺は男だぞ?」
「? 大陸聖教で同性愛は認められているだろうが、歴史的に。異性愛者なのか? 珍しいな」
「え、あ、その……」
現実世界での俺の個人的価値観を持ち込みそうになったが、確かにこの世界は同性愛に寛容な設定だった……。しかし、これは……。
「な、何か? 俺と結婚するために、姫を陥れたと、そう言いたいのか?」
「そうだ」
「巫山戯るな!」
「俺は本気だ。欲しいものは手に入れる主義でな」
俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。 当然のことであるように言ってのけたザイドは、それから悠然と微笑むとカップを傾けた。
「一生愛して大切にしてやるから、俺のものになれ」
「冗談じゃない!」
「お前が手に入るまで、俺は諦めない。手に入らないならば、この国と国交を断絶して攻め入る覚悟だ」
「おかしいんじゃないのか!?」
俺はカップを置いて立ち上がり、扉へと向かった。扉を開けようとして、鍵がかかっている事に気が付く。内鍵であるから、開けようと手をかけたその時――背後から不意に抱きしめられた。
「いつも笑顔で優しいお前が、苦しそうな顔をしたり泣きそうになっていたり怒っていたりするのを見ると、笑顔以上にそそられると気づいた。絶対に逃がさない」