【第十四話】主人公の入学



 こうして、本格的に新学期が始まった。俺は、毎朝グレイグと同じ寝台で目を覚ましている。多くの場合、抱きしめられていて――実はちょっと困っている。最近、体の痛みも無いからなのか、俺の|息子《ブツ》はとても元気だ。朝勃ちしているのに、ギューギュー抱きしめられて、首筋に吐息がかかって、うっかり乳首を指先で掠められた日なんて、情けない事に、ベタベタである……。

 確かにこの世界はBLゲームでありR18である設定ではあるが、別段グレイグには、俺を抱くような素振りは無い。かといって、抱かれたがっている素振りも無い。俺はグレイグが、上なのか下なのかすら知らないが、とりあえず意識はしている。何せ、グレイグの事が、恋愛対象として好きになってしまったからだ。

「おはよう、ライナ」
「あ……」
「――どうした?」

 その時グレイグが目を開けた。睫毛が長い。俺は下着がベタベタである事に気づかれたくなくて、目を逸らした。

「ライナ?」
「……おはよう。俺、シャワー浴びてくる」
「ライナ、≪|見せろ《プレゼント》≫」
「!」

 バレた。何故なのか、俺が抱きしめられて朝、勝手に出してしまうと、グレイグは感づく。匂いだろうか、それとも、シャワーを普段は夜しか浴びない俺だから言動からバレているのだろうか?

 死ぬほど恥ずかしいが、【命令】には逆らえない。俺は半分涙ぐみながら、毛布から出た。そして濡れた下着を見せた……。情けなくなって、羞恥に駆られて、俺は両手で顔を覆う。

「何がネタだったんだ? ≪言え≫」
「えっ……そ、その……」
「その?」
「……寝ぼけて、グレイグが俺の体をギューってしていたせいだ……」
「そうか、つまり俺か。安心した。俺は俺自身を社会的な死に追い込むことはしないからな」

 するとそんな事を言って、グレイグが笑った。

「……シャワーに行く」
「俺も浴びたい」
「じゃあ先に行ってくれ……」
「二人で入らないか?」
「入らない!」
「どうして?」
「恥ずかしいからだ」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「セーフワードは?」
「っ……べ、別に、死ぬほど嫌ではない」
「冗談だ。早く入ると良い」
「!!」

 なんだかからかわれたような気分になりつつ、俺はシャワーを浴びた。
 さて――本日もこのようにして講義へと向かう時間が訪れた。まず俺とグレイグは、多くの場合、校門までロイ殿下の迎えに出る。そのロイ殿下であるが、俺のゲーム時の印象とはだいぶ違った。学園祭の頃のまま、育ったような性格をしている。一見平等風で優しいのだが、無駄な事は一切せず、人をこき使ってやらせるのが非常に得意なご様子だ。別に貶していない、事実だ。

「おはよう二人とも。今日も仲が良さそうで何よりだな」
「勿体ないお言葉です、ロイ殿下。その通りです。貴方の目が節穴でなくて何よりです」

 グレイグが笑顔だ。傍から見ていると二人は、笑顔であいさつしあっている親しい許婚に見える事だろう。

「恐縮です」

 俺は一歩遅れてそう返した。その後先日までは、『お鞄をお持ちしますか?』と続けていたのだが、俺がそう言うとグレイグの目が据わる為、ロイ殿下は一度も俺に鞄を渡さなかったので、俺も言わなくなった。

「それはそうと、クリフの調子はどうだ?」

 寮生活の話である。クリフは入寮した。主人公は、この学園に無事に訪れたのである。現在の俺の護衛対象は、第一位がロイ殿下、第二位がグレイグ、第三位がクリフとなっている。近衛騎士団から言われている順番だ。

「クリフなら、先に講堂に向かったようですね。殿下が構うせいで、目立つために、平穏な学園生活から遠のき、非常に哀れだ」
「あのな、グレイグ。私の心を呼吸するように抉るのをやめてはもらえないか?」
「初恋の君だとしてロイ殿下が盛り上がり、周囲にも大演説をかましたせいで、いたいけな彼は、将来の王妃候補であると周知され、平民初の妃となるかというプレッシャーに押しつぶされかかっていますね。控え目に言って、退学しない理由はただ一つ。衣食住が高等課程は無料だからに他ならない」

 ……。
 グレイグの言葉を聞きながら、俺は複雑な気持ちになった。本来、王妃となるのはグレイグのはずなのに、グレイグはどう考えても、ロイ殿下の恋を応援している。クリフをイジメる事も特にないし、どころかクリフに関しては、一瞬荒れた保守公爵派をまとめ、『ロイ殿下の気持ちを応援する』とし、あらゆるイジメ被害から、グレイグ自身が守っているほどだ。その結果、クリフは現在、ロイ殿下よりもグレイグに懐いている。

 ちなみに俺とクリフもそこそこ親しくなった。というか、二人きりだと良く雑談をするのだが……そこそこ、というのは、俺達が話しているとグレイグとロイ殿下の目が怖くなるので、陰で親しくするしかないせいである。

「さぁ、参りましょう」

 グレイグが仕切りなおしたので、その後俺達は講義へと向かった。そして片隅に座っていたクリフの横に、堂々と空気を読まずに座ったロイ殿下を見なかった事にし、俺とグレイグはその後ろの席に座ってから、教授が入ってくるのを待っていた。

「そういえば、もうすぐワルプルギスの夜会があるな」

 その時、グレイグが不意に言った。これは、新入学生の歓迎会の側面が強い、夜会である。俺の記憶によると、グレイグが婚約破棄されるはずのイベントだ。五月末である。

 チラリとロイ殿下とクリフを見るが、クリフは蒼褪めていて、ロイ殿下は熱い視線を注いでいる。現在までに、クリフが恋に堕ちた素振りは無い。なお、ゲーム知識がある俺は、他の攻略対象の様子も窺っているのだが、クリフはロイ殿下以外とは接触していない。まぁ無理があるだろう。ロイ殿下が外堀を埋めきっている相手を口説くなんて、不可能だ。この国は絶対王政である。

 ただ、俺には少し気になる事がある。
 ゲームにおいては、ロイ殿下はDom、クリフはSubであった。しかし雑談中に、クリフから『僕、Switchなんですよね』と聞いたのである。そして、ロイ殿下からもほぼ同時期に、『実は俺はSwitchなんだ』と言われた。そして俺は、生粋のSubなのだが、考えてみると、一度もロイ殿下からは、グレアを感じ取った事が無かった。一方、クリフは今も嫌そうなグレアを放っている……。あの二人は、仮にゲームでいうカップリングが成立したとして、どちらがどのダイナミクスになり、それとも転化しあいながらなのかもしれないが、更に言うと、上や下になるのだろうか? 俺にはさっぱり分からない。

 だが、実はこの事が理由で、Domが全てを支配するべきだと主張していたダイナミクス派は、密やかに潰れた様子である。魔力至上主義派は、俺の父が捕まった時に、アドバズル卿達の逮捕・投獄と共にとっくに潰れている。結果として、今、義務過程・高等課程共に保守・公爵派しか存在しないのだが……その内部に、二派閥が出来上がった。一つは完全保守派で、今もグレイグを王妃にと推す派閥だ。もう一つは、完全実力主義派で、この代表が――なんと、公爵閣下とグレイグ当人なのである。平民でも不問で、能力がある者は登用すべきという主張の元、学園も平民に開いたし、最近では王宮にも無魔力の文官を平民から募っていたりするらしい。よって、平民出自の王妃でも全く問題は無いと唱えているようだ。ただし『能力必須』であり、『伝統は守るべき』だと主張している。兄上達も、ここに属している。元々が同じ派閥であり、団結する時は今も変わらないようだが。

「ライナ? 聞いているのか?」
「ん、え?」
「だから、ワルプルギスの夜会だ。当然、俺の同伴者として出席してくれるんだろうな?」

 我に返った俺は、戸惑った。確かに月の徒弟関係にある相手を同伴する事は多いが、それは本来、許婚がいない場合だ。グレイグの許婚は、目の前に座っている王太子殿下だ。

「えっと……あの、グレイグ。ロイ殿下とは……?」
「ロイ殿下はクリフをしつこく誘うんじゃないか? 哀れな話だ」
「そ、そっか」

 俺は引きつった顔で笑ってしまった。直後、正面から小声が聞こえてきた。

「クリフ、頼む。私と一緒にパーティに!」
「しつこいです、いい加減、しつこい!」

 複雑な心境である。俺は何も言葉が見つからなかったのだった。