【第十三話】高等課程二学年の開始は天国
俺も高等課程に通い始めて、今年で二年生になる。もう今世でも、二十歳だ。前世の記憶は大学生で止まっている俺であるが、今度はもう少し長生きできるように思っている。当初こそ絶対死ぬと確信していたが、最近非常に体の調子が良い。
「どう考えても、これのおかげだな」
俺は魔法薬が入る緑色の瓶を見た。グレイグからのプレゼントで、毎日欠かさず、過去に怪我をした場所に塗るように、【命令】された品だ。塗っているだけで、俺は良い事をしている気持ちになって最初は嬉しかったのだが――きちんと効果が出て、今ではもう体のどこも痛まなくなった。以前は合計すると四十だからと、四十肩を疑う痛さだった肩も、今はクルクルと回す事が可能だし、腹筋をしようものならば涙が出ていた脇腹の痛みも消失した。
さて、この前までは、俺は一人部屋だったのだが、春からは、グレイグも高等課程に入学するので、月の徒弟の制度により寮は同じ部屋と決まった。その為荷物の移動を行っていると、廊下から話し声が聞こえてきた。
「平民と同じ学舎かぁ」
「俺、平民ってあんまり見た事が無いんだよなぁ」
「僕の家は使用人の半分が平民だけど、魔力が無いくらいで、あんまり変わらないよ」
「じゃあ今回入学するのは魔力がある者だというし、俺達とほぼ同じか?」
「私はそう思いますよ」
「ふぅん? 平民って文字は書けるのか?」
「そこまでは知らないなぁ、俺」
集まっている学生達が噂をしているのは、平民の入学についてだった。俺はここにきて再びゲームの設定を思い出した。そう、次の春から、俺が知るゲームの時間軸となるのである。
と、なると――……グレイグは、ロイ殿下に失恋するのだろうか?
まず俺はそこが気になっている。婚約破棄されるのか否か、だ。
ちょっと複雑な心境なのは、二人が仲たがいした場合、兄上とスコット先輩は公爵派に入っているので、男爵家的には宜しくないという思いが一つ。もう一つは、もっと重大な事で、俺は傷つくグレイグが見たくないという大問題である。そもそも俺という徒弟が居る時点でゲームとは設定が変わっているが、グレイグは現在も紛れもなくロイ殿下の婚約者だ。グレイグは俺に、ロイ殿下について話した事は、実は微塵も無いのだが、設定的には一途な片想いをしているはずだと俺は今でも考えている。
そのロイ殿下もまた、義務過程の時のようにごくたまにイベント時のみ、ではなく、高等課程においては、入寮こそしないそうだが全日、どうしても外せない公務の際以外は登校するそうだ。俺は近衛騎士団からの手紙でそれを知った。ひっそりと俺は、近衛騎士団の方の職務には復帰した。グレイグの役にも立てると思ったからだ。グレイグは基本的にロイ殿下と行動を共にしているから、講義が学年別ではなくなる高等課程においては、俺も一緒にいる機会が増える。何かあったら、グレイグとロイ殿下を俺はお守りできるし、俺が守れば、グレイグの手柄にもなる。そうしたら、きっと褒めてもらえるだろう。
俺はグレイグに褒められる事に、どっぷりはまってしまった。これが、沼か。
そんな事を考えながら、新しい寮の二人部屋に移動すると、グレイグの姿があった。
「グレイグ」
「会いたくて、早く来てしまった」
「そ、そうか……」
俺は赤面しそうになったが、堪えた。グレイグはロイ殿下の事が好きなのかもしれないが、現在俺はグレイグが好きになってしまった。別に褒めてくれるから好きなわけではない。優しい所に惹かれてしまった結果だ。グレイグは無自覚なのかもしれないが、非常に俺に甘い。言葉も態度も大量の砂糖が含まれていると聞いても納得するほどだ。気づいたらじわりじわりと好きになってしまった。
俺は荷物を詰めた箱を床に置き、それからじっとグレイグを見た。グレイグが座っている姿を目にした時、俺はついつい期待してしまう。早く、≪|座れ《ニール》≫と言われたい。そう思ってソワソワしていたが、この日グレイグは言った。
「≪|座ってくれ《シット》≫」
グレイグは自分の隣のソファを撫でながら微笑している。膝では無く隣に座れという指示だ。少々残念に思いつつも、言われた通りにしたい気持ちでいっぱいだった為、俺は即座に移動した。
「≪Good≫」
「……その、何か飲むか?」
俺は昨年、二人きりの時に、グレイグの為にお茶を出せるようになろうと考えて、紅茶の淹れ方の講義を取った。兄上の勧めでもある。兄上は嘗て紅茶の淹れ方の本を読んでいたのだが、その著者がその講義の教授だった。
「後で貰う。それよりライナ、≪Kiss≫」
「!」
その【命令】に、俺はドキドキした。これは、最近増えたコマンドだ。俺が、体が痛くなくなったと報告した日に増えた。目を閉じた俺は、ド緊張しながら、グレイグの頬に口づける。触れるだけのキスだ。
「≪よく出来たな≫」
「あ、ああ! 任せろ!」
「へぇ? ≪Kiss≫」
「!! ん」
俺は再度目を閉じて、キスをした。全く、照れてしまう。
「≪Good≫」
その言葉に目を開けると、思いっきり頭を撫でられた。褒められた幸福感に、俺の胸が満ち溢れていく。思わず恍惚とした表情でグレイグを見てしまう。
「グレイグ……」
「なんだ?」
「もう、俺以外に触られても怖くはないか?」
ずっと聞きたかった事を、俺は尋ねた。するとグレイグは、クスクスと笑った。
「まだ信じていたのか」
「ん?」
「――いいや、怖いな。俺は、ライナでなければダメだ。ライナ以外と触れあう事など、考えただけで怖気が走る。だから、ライナがもっとしてくれ。≪Kiss≫」
「!」
ビクリとしつつも、俺は改めてキスをした。するとグレイグに抱き寄せられた。
「ライナも、俺以外とキスをしてはダメだぞ」
「それは、【命令】か?」
「いいや、お願いだ」
「でも、グレアが漏れ出してる」
「お前が俺以外とどうにかなると空想するだけで、殺意がわくんだ」
「こ、怖いな!」
「安心して良い、待ち受けるのは相手にとっての社会的な死だ。命までは取らない」
「そ、そうか……」
俺はゾクゾクしたので曖昧に笑った。するとグレイグが額を俺の額に押し付けた。紫色の瞳と目があい、吸い込まれそうになる。
「っ」
段々気恥ずかしくなってきたので、俺は顔を背けようとした。すると、少し掠れた声で言われた。
「≪|目を逸らすな《ルック》≫」
「!」
「≪|言え《セイ》≫、ライナ。俺の事をどう想ってる?」
「……その」
「≪|早く《セイ》≫」
「……す、好きだ!」
俺は答えた。最近の俺は、どうやら気持ちがバレバレなのか、良くこれを言わせられる。何度も何度も、グレイグは、俺に言わせる。
「知ってるだろ……」
「だが、何度でも聞きたい」
「……」
「≪言ってくれ≫」
「……好きだ」
「≪Good≫」
しかも、好きだと告げると、なんと褒めてくれるという最高の状況である。俺は高望みはしないので、グレイグと結婚したいとか、グレイグを自分だけのものにしたいとかは、思わない。グレイグに好きだと言えて、そして褒めてもらえる環境にあるだけで、死ぬほど幸せだ。ここは、ある種俺にとっての天国と言える。