【一】臨床推理士と探偵福祉士






 僕が学んだかぎり、この国で探偵と助手がそれぞれ国家資格になって、早六十年が経過している。留学中に海外で聞いた知識でも、日本という国の探偵は優秀だとされていた。僕は、僕だけの探偵とめぐり合う事を期待していたし、それが叶う日を夢見ながら、一流の助手になるべく、欧州の助手育成機関で十七歳から二十二歳までの間過ごし、そして二十三歳になる直前に帰国した。

 日本の国家資格である探偵福祉士、それがいわゆる助手が助手として活動する上で必要な国家資格である。探偵の全ての面倒を見て、ケアをしていく技能を保証するものだ。

 一方の探偵は、臨床推理士という国家資格によって、探偵である事が保証されている。
 高校や大学において探偵学を学んだ者か、生まれながらにして探偵才能児と診断を受けた者のみが受験できる難関とされるこの国家資格の所有者は、国内でもそう多いとは言えない。

 探偵才能児というのは、『視た瞬間にトリックや犯人が直観的に分かる』という能力を持っている。ただし生活能力といわれるような、一般社会への適性は著しく低い場合が多く、そのため助手による福祉的な支援が必要となる事が多い。それだけではなく助手は、推理に必要な情報を提供するなどの補佐をするから、探偵専門の支援職という扱いを受ける。

 この探偵と助手であるが、お互いが誰でもよいというわけではない。
 世界には、DWバースと呼ばれる、特定の探偵と助手の関係を保証する概念が存在しており、一般的に人間は、犯人を含む一般人・探偵・助手に分類可能だ。ただし探偵と助手が生まれてくる確率は、犯罪者の数よりも非常に少ない。探偵と助手という第二のくくりの中で、探偵の能力と助手の能力の中から、世界探偵機構という公的機関が俗に『運命』と称される関係性判定を行い、探偵と助手のペアは決定される。どのような機序で判定しているのかは極秘なので一般には公開されていないが、一度決定された運命の相手は、以後決して変わる事はない。お互いがお互いを必要とする運命なので、変更は不可能だ。どんなに性格的に合わないと感じても、決定は絶対で、助手から見て運命の探偵は一人きりなのである。

「……」

 僕は幼少時から、自分だけの運命の探偵に会ったら、少しでもいいからその助けになりたいと感じ、自己研鑽に励んできた。朝倉財閥の次男に生まれた僕に助手の才能があると判明した時、両親祖父母も、兄と妹も、とても喜んでくれたし、今も僕を応援してくれている。探偵才能児と同様、助手能力の保持者は、幼少時に判明する。質問紙と計測玩具を用いて判定される。僕の助手としての才能ランクはSだった。探偵ランキングとは異なり、助手レベルは、生まれた時から変わらない。S・A・B・C・D・Eの六評価が存在している。日本において、助手レベルSの人間は、僕を含めて十名のみだ。定期的に実力確認試験があるのだが、発表される試験結果の一番上、一位の欄には、多くの場合、僕の朝倉水城(あさくらみずき)という名前が書いてある。例外は、僕が試験を何らかの都合で欠席した場合だけだ。

 助手の中の、エリート中のエリート。僕はそんな風に呼ばれて生きてきた。
 旧公家華族の流れを組む、歴史ある朝倉家は、戦前には財閥を形成していて、非常に豊かであり、そんな家庭環境も、僕が助手としての勉強に打ち込む上では、とても後押しになったと言える。だが僕が頑張ってきた動機は、ただの一つだ。

 いつか、自分の運命の探偵に出会った時、助けになる助手になりたかった、本当にそれだけだ。

「……」

 さて、無事に僕は、僕だけの探偵と引き合わせられた。運命の相手と引き合わせられる事になった前日の夜は、緊張して眠れなかったほどだ。期待で胸がはちきれそうだったし、早く探偵の活躍をこの目で見たかった。運命の探偵と出会うまでは、助手は本当の意味では、人生に満足感を得られない。僕は不思議とそれまでに、人生に何かが欠けているような心地になった記憶はないが、一般的にはそうだと聞いていた。だから、今まで以上に人生が豊かになるのだろうと期待していた。

 今となっては懐かしい記憶だ。僕は自分だけの探偵、運命の相手を一瞥し、深く溜息をついた。