【三十五】傷の種類
そのまま僕は、邸宅の玄関を出た。母が驚いたように顔を出したが、クライヴ殿下は僕の手を放さず、母に対しては唇の両端を持ち上げて挨拶をしてから、けれど強引に僕を馬車へと導いた。終始蒼褪めていた僕は、無言の馬車の中で俯く。
二人きりの空間において、クライヴ殿下はずっと僕の手を握っていたが、特に何を言うでもない。きっと僕の言葉を待っているのだろうと思ったけれど、探しても探しても、僕は何を言っていいのかわからないでいた。
こうして王宮の塔へと戻ると、クライヴ殿下が施錠した。
「疲れただろう?」
侍従の姿が不在の室内で、クライヴ殿下は僕の前にカップを置いてくれた。紅茶の香りに、僕は俯いたまま、その水面を眺めていることしかできない。その時、僕の隣にクライヴ殿下が腰を下ろし、僕の肩を抱き寄せた。
「辛かったな」
「……」
「ルイス。君の家族は俺だ。俺がそばにいる。だから義父殿やジェイス卿の言葉を気にする必要はない」
その家族≠ニいう一言に、僕はいよいよ涙ぐんだ。もとはといえば、僕の家族関係が希薄だったから、父も兄も僕を信じようとはしてくれなかったのではないかと強く感じる。特に兄上は、純粋にクライヴ殿下の心配をしていたのだと、それも分かっている。
「……クライヴ殿下は、僕がなにもしていないと信じてくれますか?」
絞りだした僕の声は、とても小さい。だが、僕はこれからもクライヴ殿下の家族≠ナありたいし、そう思ってもらいたかった。だから、きちんと話がしたい。
クライヴ殿下は僕の髪をなでながら、ゆっくりと頷いた。その優しい色を浮かべた瞳を見たら、僕の目から筋を作って涙が零れた。
「ルイス、当然なことを聞かなくていい」
「……」
「俺はずっとルイスを見ていたし、もう三ヶ月も一緒にいるんだぞ?」
僅かに苦笑が滲んだクライヴ殿下の声。僕が見ている前で、より一層優しい顔に変わった殿下が、大きく頷いてから、笑みを深めた。
「俺がルイスを信じないと思われる方が、心外だ」
「……ありがとうございます」
「泣くな。ずっとそばにいるから」
そう言うと、クライヴ殿下が僕を抱きしめた。僕はその胸板に額を押し付け、瞼を閉じる。するとさらに頬が涙の線で濡れた。
「クライヴ殿下……」
「なんだ?」
「……僕を、もっと支配してください。僕、僕は……クライヴ殿下だけのものでいたい。クライヴ殿下の事だけを、考えていたくて……その……ッ……クライヴ殿下をお慕いしています」
涙交じりの声で僕が懇願すると、クライヴ殿下の両腕に力がこもった。
「ああ。もっともっと、ルイスを甘やかしたい。背中の傷が治った今、癒すべきは心の傷のようだな」
「心の傷……」
「必ず、ルイスの心を俺は楽にすると誓う。だから、ルイスは俺の事だけを考えていれば、それでいい。そう思ってもらえた事が、俺は何よりも嬉しいよ。愛している、ルイス」
クライヴ殿下は僕の頬に片手で触れ、僕をじっとのぞき込んでから、僕の唇に触れるだけのキスをした。