【七十六】王国新聞の記事




 こうして、僕にとっての日常が戻ってきた。本日クライヴはお休みで、僕は執務をしているのだけれど、今は同じ部屋にいる。ソファに座ったクライヴの前にバーナードが珈琲を置き、それから僕の元には、アイロンがかけられた王国新聞を持ってきてくれた。

「ありがとう」

 受け取って、僕は王国新聞を広げる。新聞を読むのが執務開始前の日課になって久しい。
 バーナードが下がってから、僕は見出しを一瞥した。

 ――王国全土で紫月病が流行中!

 連日と同じ報道だった。ただ今回は、その横に大きな記事として、この王領センベルトブルクにおける収束の報道が記載されている。今、僕の執務としては、備蓄が足りていなかった別の領地に、支援物資を送る手配などが挙げられる。これは王宮からの直接の依頼でもあるけれど、僕の用意した備蓄は蓋を開けてみれば多すぎるほどだったという、良い事があったからでもある。

「ルイスはさすがだな」

 クライヴが立ち上がり、僕の見ていた新聞をのぞき込んできた。照れくさくなって、僕ははにかむように笑ってしまった。それから視線を新聞に戻し、僕は次の記事を見て、思わず目を丸くし、息を飲んだ。

 ――バフェッシュ公爵家の嫡子、ヘルナンド卿国外追放へ。廃嫡済み、伴侶とは離婚。

 僕は二度瞬きをし、その見出しをじっくりと見た。驚きながら、続く内容を確認する。すると、結婚前に……男爵家の養子となり既に貴族籍にあったルーゼフの貞操を奪ったとして、国教と国法の規定に基づき国外追放が決定したらしい。

『無理やり体を暴かれた』

 というルーゼフの証言があり、内々に調査が行われていたと書いてある。驚きすぎて、僕は汗をかいた。相思相愛だと聞いていたこともある。なおこの件では、ヘルナンドによる強姦罪という扱いになるようで、追放されるのはヘルナンドのみで離婚が成立したそうだ。それに伴い、バフェッシュ公爵家は、現当主がヘルナンドを廃嫡したそうで、後継には、遠縁の者を養子に迎えるそうだった。また、ヘルナンドのその他の行い――端的に言って悪行の証言が数多記載されており、いくつもの貴族の証言および『バフェッシュ公爵家とは以後取引を行わない』とする宣誓記事が掲載されている。記事によれば、公爵爵位も危ういとあり、現在、ヘルナンドの父のバフェッシュ公爵が嘆願書を出していると書かれていた。事実上の、没落とある。

「ルイス? 難しい顔をしてどうかしたのか?」
「あっ……そ、その……ヘルナンドの記事に驚いてしまって……」

 僕が素直に呟くと、クライヴが腕を組んだ。

「心配か?」
「心配というか……衝撃が大きくて……内容自体は、僕も把握していたのと変わらないんですが……ほら、秋に父上も話していた通りで、まさかバフェッシュ公爵家の権威に対して、きちんと声を上げられるなんてと驚いて……僕なんて、ただ縮こまっていただけだから……」
「――ルーゼフ氏とヘルナンド卿の間には、愛は無かったようだな」
「え?」

 その声に、僕は目を丸くし、顔を上げる。首を傾げていると、クライヴが小さく笑った。

「ルーゼフ氏は、ヘルナンド卿よりも爵位よりも、金銭を愛していたようだな。そのように、俺は夜会の非礼を詫びる品をユーデリデ侯爵家に送った際、返事で耳にしていた。ただ少しだけ俺は、品を送った際に、『俺の敵の弱点』をユーデリデ侯爵に囁いただけだったのだが、俺の友人は有能だ。ヘルナンド卿が盲愛していたルーゼフ氏を買収してしまったらしい」
「そ、それって……?」
「性交渉があった事実を、すんなりと金で暴露したそうだ。元々俺は、その事実を調査済みで、万が一の弱点と考えて頭の片隅に置いていたのだが、当事者の一方が雄弁に語ってくれるとは考えてもいなかったし、ユーデリデ侯爵の協力にも感謝している」

 クライヴがスッと目を細くした。それから新聞へと視線を落とす。

「バフェッシュ公爵家の主要な取引先は、既にサーレマクス公爵家に依頼し、それとなく潰……封鎖していたのだが、今後はサーレマクス公爵家にて、特にノアが主導し、必要な仕事を片付けてくれるようだ。よって領民に混乱は起きない」
「ノアが話していた、敵に対して怖いというのは……え、ええと……」
「おそらくは俺が外堀を埋めてから、ユーデリデ侯爵に弱点を伝え――結果として、ヘルナンド卿が廃嫡されるという流れについての言及で間違いない。ルイス、俺が恐ろしいか?」
「……クライヴは、優しいよ。もし、クライヴが恐ろしいとしたら、特にこの件は、僕のせいで……」
「ルイスのせいじゃない。俺が単純に許せなかっただけだ。ただ、一方的にではあるが、ルイスのためを想っていた」
「ありがとう……」

 僕はクライヴをじっと見上げた。なんだか涙がこみあげてくる。

「ねぇ、ヘルナンドは、その……どうなるの? 国外追放されたら……」
「聖イツワレス宗教国の修道院に送られる事になる。非常に戒律に厳しいが、食事は出るし、睡眠時間もあるそうだ。死ぬことは無い。寧ろあの厳しい環境に身を置く場合、死んだほうがましな心地を味わうという噂もあるが。修道院という名の実質牢獄だと聞いている。また、週に一度、信仰心を問うために、鞭で打たれるそうだ。きっとルイスにした仕打ちの酷さを、彼も理解するだろう」
「……ヘルナンド、絶対に耐えられないと僕は思うよ」
「改めて問うが、心配か?」
「……ううん。クライヴが僕を想ってくれたんだって、きちんと分かっているから――心配、しないようにしようと思う。僕はただ、諦めていたのに、クライヴは動いてくれたんだね」
「ユーデリデ侯爵も、ノアをはじめとしたサーレマクス公爵家……ひいては王妃様と陛下も、皆が動いた。それは、ルイスを害した者を、俺達は決して許さないからだ。だから、もう何に怯える必要もない。今後も俺は、守り続けるからな、ルイスを。仮にこの手を汚そうとも」

 クライヴの真剣な声音と怜悧な眼差しを見て、僕は小さく頷いた。

「僕も、クライヴを守れるように、もっと強くなる」

 このようにして、僕の中の過去の影(オンブル)が、一つ消失した。