【6】御右筆に昇進した僕は、大奥の勢力図を知る。
御右筆をしていると、様々な噂話が舞い込んでくる。というのも、大奥の色々な事柄を――公文書も裏文章も含めて、日記まで混ぜ込みながら記録に残していく部署が、御右筆だったからである。
ここに来て、僕はようやく、現在の大奥の勢力図を知った。
まず、最高権力者であるが――現在は、大奥総取締の瀧春様……とは、言い切れないと知った。それまで大奥総取締=一番上の人だと思っていた僕には、予想外だった。あくまでも最高権力を保持する者の一人を争っているのが、瀧春様だったのだ。
瀧春様は、上様の信頼も厚く、大奥内部のΩ達にも絶大な人気を誇っている。
それは、間違いがない。らしい。
しかしながら、将軍を産んだΩである、前々将軍の側室であった蓬莱院様というお方が、まずもうひとり、目立つ権力者なのだという。Ωではあるが、下手な家臣のαよりも表の政にも口出し可能であるそうだ……。絶対に怒らせてはならないらしい。
この蓬莱院様を、瀧春様は一応たててはいるようだが、二人の仲は最悪だという。
さらに――現在、上様から寵愛を授かっている秋名の方様という人物がいる。
側室の秋名の方様は、御台所様が連れてきた雅な方であるそうだ。
秋名の方様の背後に居るのは、当然、御台所様であるらしい……。
つまり、大奥総取締VS産みのΩVS側室(背後は正室)――という三つ巴の状態にあるのだという。恐ろしや……。現在まで、お手つきになったお方様は、秋名の方様のみであるという。だが、御子はできていない。現在、蓬莱院様と瀧春様は、それぞれ側室候補を育成中だという話だった。しかし難航しているという。
理由は――この上様、家森様はαながらにして、嗜好がα喰いらしいのだ。
まぁ……Ωよりも何かと完璧なαに囲まれて育ったのだから、完璧なαに惹かれるというのも通りのようにも僕は思う。それで、秋名の方様であるが……彼は、βだったのだ。これは、御右筆とごく一部しかしらない大奥最大機密の一つである。
αとβでは、まず、子供ができない。僕はそれも知らなかったが、そうらしい。
なお、Ωとβでも子供はできないのだという。
秋名の方様は、それを理由に、生まれながらに御台所となると決まっていた御台様の養育係をしていて、こちらにも送り届けにやってきたそうだ。が、家森様は、「何とか許容範囲(たまには、完璧じゃない相手も良いな)」という感覚で、秋名の方様をつまみ食いなさったらしい……。よって、初夜になるはずだった夜、代わりに食べられたまま、秋名の方様も大奥幽閉コースとなったのである。その初日の一度しか、上様のお渡りも無いらしい……。むしろ、御台様の方には、二回あったそうだ……。
しかもこのつまみ食いの初夜(と、御右筆間で呼ばれている)は、かなりの奇跡だったようで、以降は、それすら起きていない。何やら、αしか入れない中奥で、α同士で上様は楽しんでおられるようなのだ……。
その上様も気に入っているのが、大奥総取締の瀧春様である。瀧春様は、僕も最初見た時に間違えた程、オメガオメガしていないΩである。というか、女性という存在を目視したことがある僕から言わせてもらうならば、男性的な美を誇っている。Ωはどちらかというと、美少年系が多いのだ。その中にあって、美形と評するに相応しいのが、瀧春様である。そして話によると、αというのは、どちらかというと、男性的な美形が多いらしいのだ。可愛い系ではなく、もっとこう、筋肉(!)みたいな。マッチョと言いたいわけではないが……。
しかし――大奥総取締と側室は兼任できない事、及び、側室は三十五歳になるとお褥滑りしなければならないというのを理由に、瀧春様ご自身は、おそばに侍れないそうだ。どう見ても二十代後半くらいだが、瀧春様は意外と年上だったのである。
その瀧春様が統べる大奥には、あまり男らしいΩがいない……。
なお、蓬莱院様ご自身も、年老いてなお可愛らしいΩであるし、蓬莱院様が勧めておられるΩの側室候補達も、皆、僕が知っている限り愛らしい……。
この頃になると――僕は段々、自分が出世の道を邁進している理由に気づき始めていた。瀧春様が、月に一度は僕に会いに来るからかもしれない……。
自分で言うのもなんだが、僕は、この大奥内のΩの中で見るならば――いいや、そうでなくとも、チートをもらって転生トリップしてきたのであるから……Ωらしく無いだろう……。それもαと間違われるクラスのΩなのだ……!
つまり――現在、瀧春様に育成されている側室候補の一人、それが僕なのだ。
困る! 率直に言って、困る! だって、側室になったら、大奥総取締にはなれない!
「た、瀧春様……」
梅の芽がもうすぐ芽吹くという時期、本日も訪れて下さった瀧春様に、僕はお茶を用意した。顔がひきつるものの、必死で笑顔を浮かべる。
「僕は、た、瀧春様のような……立派で素敵な、お、大奥、の、取締にいつかなりたいです……! 僕、本気で瀧春様を尊敬しています!」
「桜の花が咲く頃には、上様との運命的な出会いの場を設けよう」
「……!」
僕が断ろうにも断ることもできない前で、茶器を一瞥してから、瀧春様が立ち上がった。帰っていく彼を眺め、僕は憂鬱な気持ちになった。
確かに――大奥での出世といったら、普通は、上様の目に留まる事なのかもしれない。だけど、僕にとってはそうじゃない……!
溜息が勝手に口から漏れ、冬の空気に触れて、白くなって登っていった。