1:記憶喪失
何かがせり上がってくるように胃が重い。
短く咳をしながら双眸を開けると、妙に首がじくじくといたんだ。息苦しい。
僕が座っている床は冷たい。コンクリートだ。
足を投げ出して座っていて、右手首には頑丈な腕輪と長い鎖がはまっていた。
――ここはどこなんだろう?
周囲を見渡してみる。
黴臭い部屋で、上へと登る梯子がついていた。直感的に地下室だと思った。
僕は、この場所を知っている気がする。
左の奥にあるバスタブにも見覚えがある。右手の端にあるポータブルトイレは見た記憶が無いが。
……あれ?
そもそも僕は、どうしてここにいるのだろう?
記憶が無い。
あれ……何も思い出せない。そもそも僕は――
「目が覚めたのか? この人殺し」
その時声がした。テノールの声音だった。怒気を孕んでいるのが分かる。
声の主は青年で、梯子を降り切ると、勢いよく歩み寄ってきた。
「なぜ来なかった? 言い訳があるなら聞くぞ」
「えっと……何の話ですか?」
僕の言葉に、青年の眼光が鋭さを増した。
思わず萎縮してしまう。だがそれよりも――人殺し? 僕が? 僕は――……僕は誰なんだろう? それにここは何処なんだろう?
次第に、青年に対する恐怖よりも、何も思い出せないことに対する混乱が強くなる。
しかし、首元の服を掴まれ、壁に乱暴に叩きつけられた瞬間、意識が現実に引き戻された。
「痛――」
「ふざけるのもいいかげんにしろ」
「あ、あの、ちょっと待ってください」
僕は、今自分が置かれている状況を、確認しなければならないことに気が付いた。
「なんだ?」
答える青年の声は、とても冷ややかだ。
「だから俺は、Ω(オメガ)なんて――」
「? Ωってなんですか。それでええと、貴方はいったい誰ですか……?」
「あ? なんだと?」
「それと、僕って……その、誰ですか? ほら、名前とか。僕たちはお知り合いなんですよね? 何だか何も思い出せなくて」
「そのわざとらしい敬語を止めろ。第一思い出せないだと? 今は、たちの悪い遊びに付き合っている気分じゃないんだ」
「え、ええと……」
「望み通り抱いてやる。下を脱げ」
僕は何が何だかわらかない内に、ボトムスを下され、床に押し倒された。
ぶつけた頭が鈍く痛む。
――その時急に、僕の後孔に、熱くてかたいものが、突き立てられた。
「ッ――――!!」
衝撃で、酸素が喉で凍りついた。入口を押し広げられる感覚に、目を見開くと、痛みから涙がこぼれた。
「何だ? スルのが久しぶりなのか? 今日はキツイな。普段は、発情期でもないのに男を咥えこんで、ゆるゆるのくせに」
嘲笑する声音に、僕はきつく目を伏せた。
痛い、とにかく痛い――なのに次第に、それだけではない疼きが、体の奥から広がり始めた。体が熱くなってくる。痛いのに、気持ちいい。
「何時もより締まるな。それに大人しい」
「ひッ! あ……」
その時、太ももを持ち上げられ、深く貫かれた。そして僕が果てた時、内部にもゴム越しに熱い飛沫が飛び散った感覚がした。
全身を脱力感がおそい、僕はコンクリートに体を預けた。それからぼんやりと、焦げ茶色の瞳をした青年を見上げる。そして考えた。
――僕って、殺人を犯したうえに、ホ……ゲイで、沢山の同性とSEXしていたのだろうか……?
自分で自分が怖くなった。
だが、このまま何も知らず、思い出せなければ困る。今頼りにできそうなのは、目の前の青年だけだ。
「あの、教えてください。僕の名前は何ですか?」
「いいかげんにしろ、ハルイ」
「ハルイ……じゃあ貴方のお名前は?」
「マナセだ。いいかげん記憶が無いふりなんてやめろ。お前のせいでミナミは死に――……おい?」
マナセさんの言葉を聞き、全身から血の気が失せた。やっぱり僕は、人を殺めてしまったのだろう。震える体を僕は両腕で抱いた。
「本当に記憶が無いのか……?」
「はい」
「自分が何をしたのか覚えていないのか?」
「はい……」
「まさか、ミナミの事も忘れたわけじゃないだろうな」
マナセさんの声が、苛立つものへと変わった。
「……ごめんなさい」
俯きながらそう答えると、ため息をつかれた。
「……Ωだということは覚えているか……?」
「だからΩって……?」
僕の言葉に、マナセさんは眉間に深くしわを刻んだのだった。