8:僕は貴方のモノでした
「献血をする予定だったそうじゃないか」
その言葉を聞きながらも、マナセの姿を見るのに夢中で、ソウバの声は耳からすぐに出て行った。
「それを逃げ出すなんて――それも二度も。これだからΩは」
殴ってここに連れてこられたとはいえ、確かに事実でもある。僕は何も言わなかった。
「ただし、Ωとはいえハルイは、我が草薙家の大切な人間です。――失礼ですが、βの方とも、あまり関わるのはよくない家柄だとご理解いただきたい。特に――肉体関係などは困る」
響いた言葉に、ソウバは、僕とマナセの事を知っていたのかと驚いた。
「私とハルイ君は特別な仲ではありません」
そして続いたマナセの声に、泣きそうになった。
その時、ソウバの強い視線を感じた。
「では、αとΩの番の交わりを、参考までにご覧になってください。βの方の多くは興味を抱くと聞いています。本当にただの友人であれば、見ていられるでしょう? ――脱ぐんだ、ハルイ」
僕は虚を突かれて息をのんだ。
衣擦れの音が響く。
「あ……ああ!! やだ、止め、ソ、ソウバ……っ!!」
「どうした? いつも通りにしていれば良い」
「ひっ」
”いつも”なんて無いのに。
そして、これまでにはされたことが無いほど丹念に、舌先で首筋を舐められた。
腰骨を掴まれた瞬間、僕は崩れ落ちた。
腰の感覚が無く、ただ体の中だけが熱い。
「挿れて……」
「誰に挿れて欲しいんだ? ”お客様”に頼むか?」
ソウバがマナセを見る。――マナセに抱かれる?
「――嫌だ、ソウバじゃなきゃダメだよッ」
「本当に?」
ソウバが右の口角を持ち上げた。指先で陰茎をツツツとなぞられる。
「ああ!! ソウバっ、ソウバが欲しいよ……!」
そしてマナセがみている前で、ソウバが僕の中に体を進めてきた。
焦らされるように緩慢に、そして優しく押し入れられたが――そんなんじゃ足りないよ。
「ソウバ、もっと!」
それから僕は、理性を完璧に失った。ただうわ言のように、「ソウバ、ソウバ」と名を繰り返し呼んだことだけは覚えている。
久しぶりだからなんかじゃない。
全身がソウバの精を欲していた。
――ただ、目を細めて終始無言で僕を見ていた、マナセの事だけが気になった。
けれどそれも、快楽の波が押し寄せるうちに、考えられなくなっていった。それでも、こんな僕を見ないでほしいと思った。
その二週間後、僕は献血した。
そして、子供ができたとわかったのは、その後の事だった。
日数的に、僕は大好きなマナセの前で、孕ませられたのだとわかる。
――ああ、マナセにいやらしい僕を見られてしまった。
だけどもう僕は絶望しなかった。そんなもの、とっくにしていた。
逆に怖いくらいに、思考以外の全てが、ソウバの子を宿せたと言う事実に、歓喜で震えていた。
だからなのか思いのほか、ショックは少なかった。
今では自分でもよく分からないが、僕の中を占める比重が……身体的にも精神的にも、ソウバに傾きつつあるのかもしれない。
僕はソウバに依存しはじめていた。
それでも意識では、マナセの事を想うのだ。
「順調だ」
妊娠以後、僕はヨルノに診察をしてもらっている。
はじめから興味を失っているかのようで、ソウバは来ない。
当然マナセと会うことも無い。
そんな中で、ヨルノから聞けるミナミの話と、ヨルノ自身との会話だけが、僕の楽しみとなった。
それから子供が産まれた。
体から何かが失われる感覚と、反面達成感があった。
ただ、生まれて、たった一度だけ抱いた後は、本家の使用人たちが、連れて行ってしまった。
きっとこの子にも、草薙本家の教育を施すのだろう。
Ωでなければ良いなぁ。
勿論僕は、αだろうがβだろうがΩだろうが、きっと大切にする自信がある。
まぁもう二度と物理的に会う機会は無いのかもしれないけどね。
何せ僕はΩだ。草薙家の子ならば、Ωとは基本的には、成人するまで会わせられることは無いだろう。例えそれが親子であっても。
「大丈夫か? 辛くないか?」
ヨルノの声に顔を上げた。
「うん、平気。大丈夫じゃなく見える?」
「ああ……何かあったら、聞くだけならばできる。いつでも時間が取れるよう、僕は友人として努力する」
ヨルノは優しい。
αは優れていると言うけれど、人格まですぐれている人を、僕はあまり知らない。
そんな中で、ヨルノだけは別だった。
「マナセもハルイのことを心配していた」
その声に胸が痛んだ。きっと……優しい嘘だ。
――事件が起きたのは、出産から三か月後の事だった。
本家の中に、銃声が響き渡った。
「ハルイを解放しろ」
「ハルイは俺の”番”だ」
そこには、銃を構えているマナセと、頬から血を流しているソウバがいた。
「何やって――」
「下がっていろハルイ。すぐに助け出してやる」
「犯罪者が最も多いのは、βだな。Ωよりも多い。ハルイ、警察を呼べ」
「その前に終わらせる」
引き金をマナセが引こうとしていた。その光景が、緩慢に見て取れる。
僕は、反射的に身を乗り出していた。
ソウバの体を突き飛ばす。
直後、遅れて銃声が聞こえてきた。衝撃を感じた腹部に触れたら、熱くてドロドロしていた。手を見ると、赤かった。
「何で庇った!? お前の心は俺にはないだろう? なんで……」
呆然としたようなソウバの呟きが聞こえた。
多分”番”ってそういうものなんだとしか僕には言えない。
ついさっき、場違いなのに、『”番”だ』と言ってもらえて嬉しかった。
一方のマナセは、銃を取り落した。それから走ってきて、全身が震えはじめた僕の体を、抱きしめてくれた。
温かい。
これまでずっと、マナセに触れたかった。この温もりが恋しかったんだ。
「俺は、お前の事が好きだぞハルイ。だから、また来いよ。ミナミも会いたがってる」
「……う、ん」
そうできたら良いなと思った。
それにやっぱりマナセの事が好きだ。
だけどもう僕は、ソウバ無しではいられない。ソウバが大切だ。
――結局、僕が最後に想った相手は……
僕の意識は、そこで途切れた。