【9】若山家の夕食事情




「ここにユウトの姉さんが入院してるのか」
≪猫はき靴≫の本部まで迎えに来た≪臆病なライオン≫のヤヒロ――八廣三葉は、そのまま紹介したい人がいると言われて、タクシーで二人、近隣の一橋総合医療センターへと向かった。一橋財閥傘下の、ホスピスを兼ねた、病院である。
面会時間終了ギリギリのことだったが、ユウト――若山悠斗の事を、看護師達は皆覚えていてくれたから、快く病室まで通してくれた。
「姉さん、入るぞ」
扉の前でそう声をかけ、二度ノックをしてから、悠斗は室内へと入った。
「っ」
寝台に横たわる、人工呼吸器をつけた女性の姿に、八廣は虚を突かれて動きを止めた。
「――お休み中か? 出直した方が、」
「いや、いいんだ。姉さんは、意識不明のまま、もう三年」
いつもと代わらぬ笑顔で、悠斗は言う。
付き合うからには、恋人には全部話す。それが若山悠斗の矜持である。
バサリと掛け布団を取り去り、改めて八廣に向かって振り返った。
左腕と右足が欠損している。
「腕は、”芋虫”に喰われた。俺の目の前で。右足は、”グリフォン”が噛み千切った。どちらも、最後の扉閉鎖戦争、≪青薔薇戦争≫の時の事だ。枕の下の後頭部も、見れば多分、もっと後悔することになってる。意識が戻ることは絶望視されてる」
「……」
「俺達はアスモデウスの魔術師だ。だから当時は、扉を閉鎖しようとしてたアマイモンの魔術師と一緒に戦ってた。姉さんの頭は、アマイモンの魔術師を庇って潰れた」
言いながら、悠斗が布団をかけ直す。
「庇ったのは、現在のアマイモンの日本支部長で、藍洲香織。俺の父親の若山明都は、アスモデウスの日本支部長だから今でも護衛についてる。こんなんだから、戦況が代われば、アスモデウスは何時絶滅するとも知れない、って事で俺には、血の繋がらない弟が一人いる。これが俺。此処まで全部、アイスも知らない俺の事情。付き合うからには話しておこうと思ってさ」
遙斗の言葉を静かに聞いていた八廣は、だからあの時、あんなに遙斗が激情に駆られたのかと少しだけ納得した気がした。
「――はじめまして、お姉さん。弟さんの恋人です」
「嫌馬鹿だから、意識無いんだ」
「俺の気持ちだよ」
眠り姫のような遙斗の姉に挨拶してから、八廣は改めて、遙斗へと視線を向けた。
「話してくれて有難う」
「別に」
「俺は、お前に何があっても、愛することを改めて誓う」
そう言って八廣は遙斗の手を取り、口づけた。

そんなやりとりをしてから、二人は遙斗の生家、若山家へと出かけることにした。
初めて足を踏み入れる遙斗の家に、八廣はワクワクしていた。

「あ、おかえり」

そこでは、棒付きアイスを銜えた稲屋蓮二が、いかにもお風呂上がりと言った様子でスエットとTシャツ姿で廊下を横切っていった。
「……!」
「ん? ああ、弟。夕食の時に紹介するよ。さっさと家に入れ」
何ともないという風に、悠斗は家に上がる。
「ちょ、ちょぉっとトイレを拝借!」
靴を脱ぎ捨て、それだけ言うと、八廣は稲屋を追いかけた。
稲屋の入った和室の部屋を勢いよく開け、そして後ろ手にピシャリと閉める。
畳の感触が心地良かった。
「トーヤ、おま、おま、お前、な、何で此処にいるんだよ!?」
「……なんでって……自宅にいちゃ悪い?」
「自宅だぁ!? おま、おま、お前、悠斗の弟なのか!?」
「うん」
いきなりなんだという顔で、面倒くさそうに稲屋が頷く。
「名字が違うだろうが!」
「俺、孤児で、養子になったんだ」
そう言えば悠斗からもそんな話を聞いたなと思い、八廣のこめかみを冷や汗が流れていく。
「お前が正義の味方だって、悠斗は知ってるのか?」
「知らないよ。オロボスの魔術師だって事も、養父しか知らない」
「じゃあ逆は!?」
「逆?」
「あいつが≪鼠(魔王)≫だって、お前は知ってたのか?」
「え」
「え?」
「え!?」
「ええええ!?」
顔を見合わせた二人は、互いに震えた。
「ま、まさか……知らなかった的な……?」
「うん、今知った……え……兄さんが……え……――って、事は、ヤヒロが追いかけてるユウトって兄さんのことなの……」
「恋人になりました、よろしくお願いします」
「……」
八廣に対してあからさまに嫌そうな顔をしてから、稲屋は顔を背けた。
「お幸せに……」

「私は知っていましたけどね。≪鼠(魔王)≫が、若山悠斗=トーヤの兄だと」

そこへ唐突に声がかかった。
隣室の寝室のベッドの上でポテトチップスを食べ散らかしていたクオンが、騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。
「クオン、お前何で此処に……!」
「私は、トーヤと大学の同級生ですから。友人として、悠斗さんにも認識されていますよ」
「何で今まで教えてくれなかったんだよ!」
「別に聞かれなかったからとしか言いようがありませんが」
トーヤの隣に座ったクオンは、手近にあった少年漫画を取ると、パラパラと捲った。
これらは全部勝手にクオンが買ってきて、トーヤの部屋に置いていく代物である。

そこへ、悠斗の声がかかった。曰く、夕食ができたとの事。

「それにしても珍しいな、蓮二が家に帰ってきてるなんて。久遠君はいらっしゃい」
朗らかな笑顔で悠斗が言う。最近蓮二は、一人暮らしをしているからだ。
流石に悠斗も、久遠が、≪Oz≫のクオンであることは知っていたが、これまでそれに触れることもなく過ごしてきたので、今更何か言ったりはしない。ただし内心で、クオンとヤヒロはどのような会話をするのだろうかと、ちょっと気になってもいた。意外な接点で知り合いと会った時の会話って、案外見ていると面白い。
「お久しぶりです、悠斗さん」
明らかに外行きの笑顔で、久遠が言う。
「久遠君には紹介は不要か。ええと、蓮二、いきなりの事で驚くかも知れないんだが、こちらは、八廣三葉くん。その、俺の――」
机の上に大盛りの焼きそばを置きながら、悠斗が言葉を句切る。
「恋人なんでしょ。もう良いよ、そう言う説明」
先に言い切り、ふてくされた顔で、蓮二は皿に焼きそばを取った。
「こら! 蓮二! なんだその言い方は。そんな事を言う子に育てた覚えはないぞ!」
「僕も兄さんに育てて貰った覚えは皆無だよ」
「悠斗さん。どうやら、蓮二君は失恋とまでは行かずとも現在恋に悩んでいてやさぐれているようなので、あまり気にしないで上げて遣って下さい」
「久遠……」
蓮二が睨み付けるのにも構わず、微笑しながら久遠が、綺麗に割り箸を割った。
「恋? 何、お前恋とかしてたの?」
驚いて八廣が食いつく。
「恋は良いぞ! 上手く行くと良いな!」
現在幸せいっぱいの八廣の言葉に、蓮二が俯いた。
「で、相手は?」
気を取り直した様子で、悠斗が聞く。
手には発泡酒の缶(500ml)がある。プシューと音がした。
「隣人だそうです」
かわりに答えた久遠が、焼きそばをこんなに芸術的に食べることが可能なのかという程麗しく、口にした。
「っていうかさ、何で知ってるの?」
蓮二が眉間に皺を寄せ、引きつった笑顔を浮かべた。彼は、久遠に、ソレも最も面白がって吹聴しそうな久遠に、恋愛相談などする気は無かったし、した覚えもない。
「おや図星ですか。カマをかけてみただけですよ、単純に」
クスクスと笑ってから、久遠が蓮二の耳元に口を寄せる。
「それに――いくら魔力が欠乏しようとも、貴方が好きでもない相手とキスをするとは思えなかったので」
「っっっ」
図星も図星、他に何も言えなくて、蓮二は立ち上がった。
「兄さん、僕も麦酒飲んで良い?」
「麦酒って言うか安い発泡酒で良ければどうぞ。って、お前が飲むなんて珍しいな」
「えぇ、じゃあ俺も」
八廣が催促する。すると、久遠が肩を竦めた。
「私も頂きます」
このようにして、若山家の食卓では、若い子顔負けの恋バナ大会酔いどれ仕様が繰り広げられることとなるのだった。

「うわぁ僕もう死にたい、消えたい。本当無理、もう無理」

ガンと机に缶を叩きつけるように置き、トーヤが嘆いた。
「何なのアレ、本当何なの!? 僕と話すのが嫌なの? 僕の顔見るのも嫌なの? あそこまで徹底的に避けなくても良いと思うんだけど僕!」
「分かる、分かるぞトーヤ。俺も、ユウトに避けまくられていた時、本気で同じ気持ちだった!」
「まぁ、普通嫌でしょうね。勝手にキスされ押し倒されてなんて」
「おいおいクオン、トーヤにとどめ指すなよ! それに俺だって避けられまくってたけど今じゃ恋人同士になれたしさ!」
泣いたり笑ったり慰めたりしている三人を眺めながら、ちょくちょく悠斗はつまみを作っていた。時折、ヤヒロもそれに参加してくれる。流石は飲食関係の学生らしく、料理が上手い。それは兎も角――話しを漏れ聞く内に、悠斗は確信しつつあった。
――≪ブリキの木こり≫ことトーヤって、俺の弟だったのか……。
よくよく見れば、この三人、既に素性が分かっている二人も含めて、明らかに≪Oz≫である。そして。
「だけど、本当に作るスコーン不味いんだ。あんなの人間の食べ物じゃないよ!」
響いたトーヤの声で、悠斗は確信した。
恐らく弟の思い人は、≪長靴を履いた猫≫、アイスだ。
この世の中に殺戮兵器なみの味のお菓子を作れるパティシエ志望者がそう何人もいては叶わない。
「――それにしても、妙ですね。トーヤが、≪ブリキの木こり≫だと知った途端に避けだした。そんなに正義の味方が嫌いなのでしょうか?」
それを聴いていた悠斗は、ナスの一本漬けを差し出しながら首を振った。
「それはないと思うぞ。何せ、ただのバイトだし、アイツ。≪Oz≫に恨みなんて無いと思う」
「じゃあ何で避けだしたんだ?」
首を傾げたヤヒロの隣で、トーヤが深刻そうな顔で俯いた。
「よく分からないけど僕のことが嫌いになったんだろ」
彼等のそんなやりとりを聞いていた悠斗は、不意に思い出して手を打った。
「そう言えば俺、アイツに、≪Oz≫に身辺調査されてるけど、お前には被害ないかって聞いたわ」
「「「へ?」」」
「ほら、付き合う前、最後に二人で話したとき、ヤヒロ、言ってただろ。俺につきまとうのは悪役の身辺調査だって。もしかしてアイス、蓮二が隣に引っ越してきたことも全部ひっくるめて、ただ調査されてただけだと勘違いして凹んでるんじゃないのか?」
「確かに調査はしてたけど……っ」
その言葉に、トーヤが目を見開いた。
「じゃあ、それで避けられてた……?」
「その可能性はありますね」
クオンが頷くと、トーヤが迷うように瞳を揺らした。それから立ち上がろうとし、そして再び座った。
「……」
「行かないのですか?」
「……だってこんなのただの推測だし。本当に、本当は僕のことが嫌いになっただけかも知れないし」
「お前な、とりあえず、押して押して押して押しまくればどうにかなるんだよ! 俺と悠斗みたいに」
「いや、ヤヒロ、押された俺的に、ソレはソレでどうかと思うぞ……」
疲れた声で、悠斗が言った。

「全くしかた在りませんね。こうなった以上、私が確かめて差し上げましょう」

このようにして、若山家の食卓は更けていったのだった。