【11】脳漿入りコーンフレーク
平行世界が発見されたのは、第二次世界大戦中のことだったそうだ。明らかに科学力も次代も異なる戦闘機の目撃談や、墜落機体の存在が発端だったらしい。最もそれ以前から、バチカンを初めとした各種宗教は、”此処ならざる世界”を想定しなければ到底理解し得ない自称に遭遇することはあったのだという。それらは、歴史の中で、神話、魔界、天界、異世界、様々な呼称をされてきた。
第二次世界大戦での出来事を機に、決定的に存在が明らかになってからは、隠蔽すべく、精神分析学が発展した。それらを全て、何らかの”象徴”であるとし、あるいは”病”として、科学の枠組みの中で隠し通そうとしたのだ。
一方で、数多ある平行世界へと通じる扉を、永久に閉鎖するために、”力在る者”が召集され、冷戦や経済戦争を隠れ蓑に、様々な戦いが行われた。
それはいくつもある平行世界の中で、『他の世界との交流を望む世界』と『望まない世界』の2陣営の戦いだった。中間で、中立を決め込む世界は不思議と無かった。
それらの世界はどれも”地球”であり、どれも、同一の国を持っていた。例えば日本など腐るほどある。差異を上げるならば、資源の枯渇度や、科学力の進展度、その他、現在のこの地球では言語化できない能力についての有無等だろう。
一般の人間にも、平行世界が周知されるようになったのが、およそ六年ほど前のことである。その原因は、突如として全ての世界に、”特定異世界”と呼ばれる”地球”から”異邦神”と呼ばれる魔物が来襲するようになったことだった。来襲を防ぐためにも、平行世界へと通じる扉を閉鎖してしまう方が良い――それが、この世界が出した結論だった。
その為三年ほど前に、最後の扉閉鎖戦争と呼ばれる、≪青薔薇戦争≫が勃発した。
駆り出されたのは、アマイモンの魔術師だった。
藍洲伊織もその一人だった。
彼は生まれてこの方、攻撃魔術の練習しかせずに、及び実戦しかせずに、生きていた。
彼にとっては、それが普通だった。
それ以外の生き方を、彼は知らなかった。
彼を変えたのは――森永快晴という一人の博士だった。
異世界からの来訪者で、同じく扉閉鎖を掲げるこの世界に、手助けするためにやってきた一人だった。藍色の髪に、藍色の瞳。本来は黒い色が、光の加減でそう見える青年だった。いつもよれよれの白衣を着ていて、興味深そうに魔術師を観察している研究者だった。
「はじめまして」
そう挨拶された時、”異邦神”を狩って帰ってきたばかりだった伊織は、いつもの通りの無表情で、淡々と快晴を見据えた。この頃の伊織には、別段、何も動機と言ったものが無かったのだ。ただ、敵を倒す。それが己の存在証明だった。誰かを守るだとか助けるだとか哀れむだとか愛しむだとか、そんな道徳は、彼には誰も教えてくれてはいなかったのだ。
「お前が噂の”梟”か。この世界――というか、人類最強……最狂の魔術師」
「?」
言われた意味が分からなかったので、面倒だから殺してしまおうと、杖を握った。
「駄目だよ、伊織!」
すると腕に、弟の藍洲佐織がすがった。
いつも邪魔をする弟のことを、伊織は、それでも”弟”だと認識していた。それは、教えられたからだ。当主である兄の”香織”に従うことと、家族であり”弟”である”佐織”を守ることは、魔物を駆逐するのと同じくらいには尊重すべき事なのだと、習っていたのだ。
「この人は、お客様なの。殺しちゃ駄目!」
「……」
そういうものなのかと納得し、伊織は杖を下ろした。
「俺は、お前の話を聞きに来たんだ。扉を閉鎖――出来るかは兎も角、より良い世界にするために。だから、力を貸してくれ」
そう言って快晴が手を差し出した。
その意味が、伊織には分からなかった。
「伊織! 握手! 手を握り返すの!」
佐織に言われ、頷いて、伊織は手を握り替えした。
それが森永快晴と初めて出会った日のことだった。
快晴は異世界人だったから、いつも鉄格子の檻の中にいた。
「お前、弟と仲良いんだな」
弟とは佐織のことかと思いながら、食事を持っていくように言われた伊織は、淡々とそれを置いた。本来であれば、アマイモンの日本支部長の血縁であり”梟”と呼ばれる最強の魔術師である伊織が、軟禁あるいは幽閉されている異世界人に食事を運ぶなど、あり得ないことだった。だが、それが、当主である兄の命令だったため、素直に伊織は従っていた。
「俺にも弟がいるんだ。森永拓海。あいつは一橋の方に行ってる。いつか会う機会もあるだろうから、会ったらよろしくしてやってくれ」
「……」
「アイツは昔から戦隊ヒーローものに憧れていたからな。きっと三人以上の正義の味方を組織すると思うぞ」
「セイギノミカタ?」
初めて聞く言葉に、伊織は初めて、自発的に、快晴へと言葉を返した。
「アレ、お前、日曜日の朝にテレビの前に待機とかしたこと無い?」
「てれび?」
「……いや、この世界にもあるよな、流石に。文明力かわらない場所選んで俺は来たんだし。なんていうの、ほら、赤とか青とか黄色とか緑とかの服に身を包んだヒーローが悪役をばったばったとなぎ倒す系の特撮」
「トクサツ?」
首を傾げた伊織に対して、困惑したような顔を快晴が向けた。
「――お前さ、普段、どんな生活してんの?」
「魔物を倒している。後は、魔術の勉強をしている」
「……遊んだりしないの?」
「あそぶ?」
「鬼ごっことか」
「オニゴッコ?」
伊織は、言われている言葉が理解できなかった。知らない単語ばかりだったからだ。同時に、何故快晴が哀しそうな顔をしているのかも分からなかった。
「ま、まぁ、お前高校生くらいの年頃だし、そう言うのは卒業か?」
「コウコウセイ?」
「っ、学校行ってないのか?」
「ガッコウ?」
この時、伊織は十七歳だった。まだ一般人に平行世界の存在が周知されたばかりの頃のことである。≪青薔薇戦争≫勃発まで、あと三年ほどのことだった。
「お前……何歳?」
「十七だ」
「って事は、俺の息子の二つ上か」
この時快晴には、十五歳になる息子がいるはずだった。
産まれてすぐに平行世界との諍いに巻き込まれてはぐれてしまい、今でも所在は知れない。その息子がこの世界にいる可能性が高いと言うこともあって、渡ってきたという理由も彼にはあった。それは、稲屋蓮二の事であるのだが、結局この親子が再会することはなかった。
「お前はいくつだ?」
伊織が問う。
「歳か? 三十七だよ。お前に――伊織に質問されたのは初めてだな。他には聞きたいことあるか?」
「……”梟”とは、なんだ?」
「は?」
「俺はそう呼ばれる。だが、それがなんなのか知らない」
伊織の言葉に、暫し考え込んだ後、フッと快晴は微笑んだ。
「そうだな。綺麗な鳥だよ」
「鳥?」
「そ。だからお前もいつか、好きなように飛べよ。こんな時代が終わったら」
以来、快晴と話すようになり、伊織は、少しずつ少しずつ人間らしさを得ていった。
テレビだって見るようになった。
それが決定的に崩れたのは、≪青薔薇戦争≫の終盤のことだった。
「っ」
いつものように訪れた牢で、伊織は、首だけになった快晴を見た。
切断された生首が、石の床の上に鎮座し、伊織を見上げていたのだ。
「伊織様!! 佐織様が!!」
アマイモン日本支部に、敵襲がかけられた日のことだった。
弟の身柄を助けて欲しくばと呼び出され、伊織は指定された場所へと向かった。
そこで魔力を封じる首輪をつけられ、拘束され、弟の佐織と対面させられた。
佐織はその時、火であぶられていた。
焦げ臭い匂い。
人の焼ける匂い。
呆然と、眼前であぶられている佐織を、伊織は見ていることしかできなかった。
そのまま佐織は焼き殺された。
そして頭蓋をたたき割られ、白と灰色と桃色が混じった脳を、”異世界人”がスプーンですくい、コーンフレークに振りかけたのだ。
ポカンとソレを見ていた伊織は、正面に差し出された皿を、困惑しながら見おろした。
――コレは、何だ?
日本支部襲撃の知らせを聞くまで、不眠不休で、食事すらも取らずに働いていた伊織は、疲労と眠気と空腹が極限までに達している己の体のことを熟知していた。
「”こちら”の、アマイモンの日本支部は、裏切り者の我々の世界の人間――”森永家”の人間をかくまっていたそうですね」
白装束の人間がそう言って笑った。
「食べなさい。そうすれば、貴方の命は助けましょう、”梟”」
ああ、人間は焼けこげても、体内の色は白いのか。
何処か乖離した頭で、伊織はそんな事を考えながら、弟の脳が散りばめられたコーンフレークを見据えていた。
「……断る」
「いえ、貴方は食べるのです」
「……っ、殺してくれ」
淡々と伊織はそう口にしていた。
別に自殺願望があるわけではなかったし、屈辱に晒されるわけにはいかないだとか、そんな事を言うつもりもなかった。ただ、ただもう、目の前の現実を、許容できなかったのだ。
センタイヒーロー、セイギノミカタ、トクサツ、オニゴッコ、ガッコウ。
不意にそんな単語が頭の中を過ぎっては消えていく。
ただただコーンフレークだけが、冷たい表情で自分の前にある。
そもそも――そもそもだ。伊織にとっては、扉の閉鎖など、平行世界など、どうでも良かったのだ。知ってる世界が、それしかなかっただけなのだ。
「食べなさい」
白装束の主が、改めてそう言った。
気づけばその場には、その人物一人になっていた。
「”梟”」
「……」
「快晴の意志を、貴方の弟の命を、無駄にする気ですか?」
「っ」
その言葉に伊織が目を見開くと、その人物は、装束を少しだけ上げ、顔を見せた。
「私は、貴方と同じ、特務級魔術師でシロクロと申します。貴方の救出に来ました。さぁ、食べるのです、食べろ、食べるべきなんだ君は。君のせいで多くの命が失われたのだから」
「っ」
「食べたからと言う理由を持って、私は君を移送するふりをして、逃がす。良いね?」
そう言ってシロクロは、無理矢理スプーンを、伊織の口元へと宛がった。
そして喉を絞めるようにして無理矢理口を開け、コーンフレークを押し込んだのだった。
気がついた時――全てが終わっていた時、伊織は我に返ると白いベッドの上に座っていた。
「伊織? 伊織!!」
兄の叫び声を耳にして、緩慢に視線を向ける。
「良かった、意識が戻ったんだね」
その言葉と泣いている兄の顔に、伊織は周囲へと視線を向けた。
そこが病院であると悟った。
「≪青薔薇戦争≫は終わったよ。もう、もう――戦わなくて良いんだ、これからは」
「……佐織は」
「……きっと、天国で、君のことを見守ってる」
「そう。じゃあもう二度と会えないんだな」
「伊織……」
「だって俺の行き先は地獄だろ?」
気がつけば伊織は笑っていた。戦争が終わった今となっては、沢山の異世界人を殺してきた自分はただの虐殺者だ。嗚呼、哄笑が止まらなかった。
「伊織!!」
その時、バシンと、香織が伊織の頬を叩いた。
「落ち着くんだ。まだまだ、やるべき事は沢山ある。天国があるなんて言うのは、君のことを少しでも落ち着けてあげられたらと思って作った兄さんの戯言だ。俺達は、扉が開いた今、≪正義の味方システム≫というものが構築されようとしている今、新しいこの世界でしっかりと生きていくことが責務なんだよ」
そう告げてから、香織が伊織を抱きしめた。
「もう、だから本当に、普通の家族として、一緒に生きていこう。もう、俺達は二人だけの家族なんだよ。ま、ソロモンの悪魔ってくくりだと一族は一杯いるけどね」
「……っ」
「これからは、扉の閉鎖とか何にも気にしなくて良くなる。好きなように生きて良いんだ。伊織、伊織には何かやりたいことがあるかい? 俺はね、お笑い芸人になりたいんだ」
「香織……」
「伊織……」
「向いてないと思う」
「ちょ。酷いよ!」
「俺は……パティシエになる」
「パティシエ? 伊織が、かい?」
「うん。佐織、甘いの好きだっただろ。――それに、」
快晴も、お菓子が好きだった。その言葉は、香織は息を飲み込んだ。
***
意識不明で≪靴はき猫≫のアイスが運び込まれたのは、一橋総合医療センター脇にある≪Oz≫の本部だった。
「うーん、これは……」
診察をした森永拓海は、プラスティック製の黒縁眼鏡を押し上げている。
彼は、嘗てアマイモンの一族と共に時間を過ごしたことのある異世界人、森永快晴の弟であり、現在は、≪Oz≫のアイテム整備を一挙に担っているDr.だ。
「精神的なものだとしか言えない。体に外傷もないし、魔力供給量にも問題が無いからね。端的に言うなら、疲労で倒れたのと同じ状態だよ。暫くすれば、目が醒めると思う」
森永の言葉に、一同は安堵した。白衣の医師はそれだけ言うと、部屋を出て行った。
丸いすを引き寄せて、トーヤが座る。
「俺がいようか?」
ユウトが尋ねるが、トーヤが首を振った。
「側にいたいんだ。嫌がられるかも知れないけど」
「――そっか。ま、嫌がったりしないと思うけどな」
頷いてユウトは立ち上がった。その横に、ヤヒロが立つ。
「学校で見てても、案外コイツ繊細だからな」
ヤヒロの言葉にユウトが肩を竦める。
「多分俺とお前、同じくらいしか、アイスのこと知らないよな」
二人はそんな事を言い合いながら、病室を後にした。
残されたのは、トーヤとクオンだ。
青白い顔で眠っているアイスを挟んで、二人はどちらとも無く視線をあわせる。
「申し訳ありません。私のせいで巻き込んでしまって」
「ううん。俺のこと思って、アイスに聞きに行ってくれたんだろ? まさか、クオンに友達だと思われてるとは思わなかったけど」
「どういう意味です?」
「ほら、下僕とか」
「ぶっとばしていいですか?」
「兎に角有難う――それに、クオンも無事で良かった」
「……≪長靴を履いた猫≫が、”梟”だったとは思いませんでした」
「そうだね」
「そして、シロクロが出てくるのも想定外でした」
「うん。だけど僕はさ」
「?」
「誰が出てこようが、アイスが何者だろうが、うん、伊織さんのこと好きなんだよ。だから、どうでも良い。もしかしたらソレこそ僕に何て守れないかも知れないし、知ることすら出来ない闇だって抱えてるのかも知れない。だけどそれでも、もう、避けられてるかもとか嫌われてるかもだとか考えることも止める。大好きなんだよ、本当に。手放したくない。元々手に入ってないのかも知れないけどさ」
「トーヤ……」
「そりゃ今いくら僕がさ、最強とか言われても、嘗ての三強の、それもよりにもよって”梟”とじゃ、実力差在りすぎるの理解出来るよ。だけど伊織さんは手放せない」
「そうですか。では、私は、応援します」
「え?」
「私は過去の老害のことなど知りませんし、気にもしません。大切なのは今です。貴方がアイスを欲しいと望むのであれば、”友人”として全力で応援します」
微笑んだクオンに、苦笑するようにトーヤが頷いた。
「有難う」
「顔、見に行かなくて良いのか?」
≪カバラ侯爵≫こと≪靴はき猫≫の一橋花音が無精髭を撫でながら聞いた。
「んー」
相手は、白いルークを掌で弄びながら、猫のような眼をスッと細める。
現在のアマイモン日本支部の長である、藍洲香織だった。
伊織の実兄である。
チョコレート色の、緩く波打つ髪を揺らした彼は、藍色の瞳を、チェス盤に向けたまま、端正な白い顔を変えない。
「”シロクロ”が――≪Mr.魔法少女≫がやらかしたわけだからね」
彼は嘗て、弟を助けてくれた特務級魔術師である。
聞いた限り、伊織と話しをしたい様子だった。
現在、特務級魔術師である五人は、シロクロ(Mr.魔法少女)・長靴を履いた猫(藍洲伊織=藍洲家次男)・ネコ缶(異世界へ旅だったアシュタロテ一族の青年)・ジャスミン茶(アスモデウス日本支部長=若山明都)・時任(自分=アマイモン日本支部長=藍洲香織)である。シロクロも日本人だし、ネコ缶も日本人だ。日本人ばかりなのは、平行世界への扉が、日本上空に出現した影響である。
「シロクロかぁ」
見守っていた若山明都が、花音と香織の湯飲みに緑茶をつぎ足しながら呟く。
もうすぐこの場に姿を現すだろう森永拓海を含めて、三十代半ば±の彼等は、そこそこ親しい友人同士なのだ。本来であれば、シロクロだって此処にいてもおかしくはないのだが、年齢不詳を詐称している彼は、決してこの場には来ない。
「なんでも伊織と話しがしたかったらしいけど、急にどうしたんだろうねぇ」
香織の言葉に、花音が腕を組む。
「シロクロは、”未来視”のESP能力も持ってるんだろ? だとすると、」
「嗚呼、トーヤとくっつくのは止めとけって話しか」
続きを明都が引き取る。
「けどさ、そんなの自由じゃない? ひどくない? だって普通にさ、悲惨な別れ方する恋人同士なんて腐るほどいるんだから、今幸せならつき合わせとけばいいだろ、普通に」
明都が不服そうにそう言ったとき、ガラッと扉が開き、森永拓海が入ってきた。
「んー、外からちょっと聞こえたけど、シロクロが言いたいのは多分ソレじゃないよ。アイツ、そんなのに興味ないでしょ」
「じゃあ、なんなんだ?」
花音が首を傾げると、拓海が溜息をついた。
「前々から遺伝子検査で分かってはいたんだけど、トーヤ君さ、兄さんの子供なんだよ」
「「「は?」」」
「だからさ、血で惹かれあった恋人同士って、何かと苦難あるらしいから、ソレを忠告したかったんじゃないの。ただ、コーンフレークはやり過ぎだと思うけど」
そんなこんなで、別室の夜も更けていった。