1:【急募】魔術師!(未経験可)
ネクタイをソファの上に放り投げた後、背広を椅子に掛け、デスクトップPCの前に座る。そしてスマフォであらかた確認したお祈りメールを、フリーメールの受信トレイから、マウスで淡々と削除していく。ビール(のようなもの)を飲みながら。
それが、高杉薫の日課だ。
現在二十七歳、年末頃には二十八歳になる。大学を卒業した直後は、まさかこんな風に転落人生――……転職活動の日々を歩むことになるとは思ってなかった。
新着メールが無いことを確認したら、続いて転職求人情報サイトを閲覧するまでが、毎日の一連の流れである。
「お、月給二十万……契約社員かぁ……石鹸の営業……石鹸?」
ブツブツと、求人情報を口にした彼は、目を細めた。
営業経験者優遇と書いてある。
――誠に残念ながら、営業だけはもう金輪際やりたくない。
PCデスクの上に右手で頬杖をつき、薫は嘆息した。
大学時代に宅建資格を取得し、新卒と同時に、不動産の営業という職に就いた薫は、当時は月給二十四万、残業代(サビ残は含まれなかった……午後9時には、タイムカードを切る風習があったからだ)、交通費、歩合、その他手当で、大体手取りが月二十七万円、ボーナスは四ヶ月分だった。その当時は不況の真っ直中だったが、不況を利用し、高級マンションを安く手に入れた会社が、建設当初よりも安い価格でマンションを売る、と言う手段でそこそこ設けていたので、あまり有名な会社ではなかったが、大学の同級生の皆よりは、給料が良かった。
一年目は仕事に励んでいたので、営業成績一位を取ったこともある。
それが良くなかった。
出る杭は打たれる、と言うそのままの現状に陥り(その上、結構天狗になっていたので、彼は自意識過剰な感じで日々を過ごしていた)、先輩に目をつけられて、稚拙な嫌がらせを受けることとなった。営業事務をしてくれていた同僚にも、ハッキリと言えば、嫌われていた。学生時代までは、女って面倒くせぇよなぁ、なんて言っていたが、男のイジメはもっと冷酷だった。
だから二年目は、営業に出ると、顧客開拓ではなくバッティングセンターで打ちっ放しをするようになった。あるいは、一人カラオケ。ネカフェ、漫喫。最終的には、ゲーセンに入り浸り、対戦型RPGにはまり、ゲーム世界でだけ勝ち組になった。
一応三年間は、堪えようと決意していたので、三年が経過し、二十五歳の誕生日を迎えたときに、辞表を出した。うすうす察していたらしく、その上やる気が失せているのもばれていたようで、上司はすんなり、次の春で辞めて良いと言ってくれた。
そんなこんなで、だからもう、営業成績が出るような仕事はしたくないのだ。
失業保険を貰い終わった後、薫は計画的に職業訓練校に通い、訓練基金を得て生活していた。我ながら最悪だよな、と、薫は思った過去がある。職業訓練校では、全く畑違いのweb製作などを学んだ。しかしさっぱり意味は分からなかったので、訓練校修了後も、HTMLやJS、PHPを駆使するような仕事には就かなかったし、訓練校でちょっと囓っただけの薫を雇ってくれる所も無かった。その為、日雇いや、バイトを一・二ヶ月やり、また無職になると言う日々を繰り返してきた。最初の会社を辞めた直後に、実家に戻ったので、何の問題も無かった。なにせ、家賃・光熱費・食費がかからないのだから。
――もう一生このままでもいいや。
薫はそう考えていたが、転機が訪れた。
両親が交通事故に遭い、八ヶ月前に急逝してしまったのだ。
それに落胆したのか、同居していた祖母は心臓麻痺を起こして、五ヶ月前に、後を追うようにして亡くなった。
その上、長いこと病床の床についていた祖父は、現在病院のICUで、延命治療を受けるほど、容態が悪化している。余命は、半年程度だろうと宣告された。それが、三ヶ月前だ。
全て一緒に話を聞いた弟の、葵は、顔面こそ蒼白だったが、何も言わずに、涙も流さずその事実を受け入れているようだった。
両親の亡骸がある霊安室へと向かったときは、葵はただ唇に力を込めて、涙をこらえるようにして、祖母を慰めていた。祖母が亡くなった時は、喪主を務めた薫が不安一杯で緊張しているのを、解そうとしてくれるように慰めさえしてくれた。両親の葬儀の時は祖母がいたが、祖母の葬儀の時は、葵と二人しかいなかったのだ。祖父は既に入院していたのである。
祖父母は、母方の祖父母だ。彼らは駆け落ちだったらしく、他に親族はいなかった。また、父方の親戚は、父方の祖父母を含めて、全員死亡していると聞いていたので、一度も会ったことがなかったし、当然葬儀にも来なかった。
――残ったのは、俺たち二人だけ。
葵はまだ、高校二年生である。嫌な話しだが、生命保険などが手に入ったため、今後、大学や専門学校へと進学させられるだけの蓄えはある。葬儀の時に、戒名代をケチるなどして、なるべく使わないようにしてきたのだ。しかしながら、最早実家に寄生して薫が気楽なフリーターとニートを繰り返すような余裕はない。寧ろ、丁度十歳ほど離れている弟を、ちゃんと弟が自立するまでの間、養っていかなければならない――薫はそう決意し、正社員になる道を探ることにした。日々の生活費さえ捻出できれば、葵は好きな進路を選べるはずだし、祖父の医療費も払えそうだった。
「おお、レコード店のECショップの作成・運営……正社員だ。ん、経験者優遇……こりゃ、無理だな」
転職活動を本格的に開始してから、大体文面で、企業がどんな人材を求めているのか、薫は分かるようになってきていた。
経験者優遇――それは、経験者に来て欲しい、と言うアピールだ。
女性が活躍中――これは、女性しか採りませんよ、と言うアピールだ。
お祈りメール――ちなみにこれは、残念ながら当社では採用できませんが、今後のご活躍をお祈りしています、と言うような意味である。
薫は、就職活動用に黒く染め直した髪を、手でかき上げた。
元々地毛が茶色いので、開き直って、フリーター時にはアッシュあたりの色に染めていた。
目も茶色だ。しかし流石に、黒いカラーコンタクトを装着するのは怠いので、面接時だけだて眼鏡をかけて誤魔化している。真面目そうなインテリに見えそうなので、中々重宝している――とはいえ、今日も行ってきた面接も、十分で終わり、あまり好感触ではなかった。
一応レコード店にも応募だけして、求人票をスクロールしていく。
「――【急募】魔術師……?」
薫は、新着求人の、一番下に表示されている文面を見て、思わず眉を顰めた。
二度見したが、確実に、『【急募】魔術師!(未経験可:正社員)』と書いてあった。
――これは、あれだろう。
――よく、地下鉄のホームの広告で見る、ネトゲの宣伝だ。
「なんで求人サイトに……<PR>ってつけろよな……つか、嫌がらせか?」
画面に話しかけている自分は危ない、なんて思いつつも、薫は、ビールを煽った。
ビールというか、発泡酒である。ビールなんて、高くて買えない。
しかし、堕落した日々を送る中で、ゲームは薫の娯楽の一つになっていたので、思わずその求人頁をクリックしていた。面白そうなネトゲが新たに出たのであれば、息抜きにやってみようか、そう言う心境だった。
しかし、クリックして驚いた。
募集企業名は、ミドガルズオルム社。
職種:魔術師。
雇用形態:正社員。
雇用条件:福利厚生完備。交通費支給。
月給:十五万円(昇給有り)。
賞与:年二回(前年度実績)。
詳細:未経験者大歓迎★ OJTで、丁寧に先輩が指導します。第二新卒可。職歴学歴不問。
きっちりと、雇用条件が明示されていた。
――もしかして、ソーシャルアプリなどのゲーム会社の求人か?
その割に、『魔術師』としか、記載されていない。
――魔術師キャラクターで運営業務を行ったりするのだろうか?
軽く酔いが回ってきた頭で、薫は思案した。
――十五万円……。今の俺には、十分すぎる。これならば、何とか生活できるはずだ。
しかも正社員だ。前回の正社員の職歴からは、空白期間(訓練校やバイトはあった)が長すぎる薫には、大変おいしい条件だった。
骨張った手を黒いマウスにのせ、薫は応募した。
昔から手足が長いと彼は、良く褒められてきた。
不動産で正社員をしていた頃のカノジョも、薫の手が好きだと言ってくれたものである(失職したのと同時に、別れた。そしてカノジョは、現在、当時の薫の上司と結婚している)。
「あーあ。お祈りメールじゃなく、面接の日程打診メール来ねぇかなぁ」
半ば願うように薫は呟いた。
そうしながら、ミドガルズオルム社で、検索してみる。
しかし公式企業サイトはhitしなかった。
事前情報無しの面接はきついが、そもそも面接の予定を取り付けるまでも、難関なのだ。
溜息をついたとき、スマフォが震えた。
視線を向けると、知らない番号からの電話だった。大方、本日の面接先からの連絡だろう。
……仮にそうだとすれば、二次面接に呼ばれるのかも知れない。
少しだけテンションが上がった状態で、薫は電話に出た。
友人にはネコのようだと揶揄される目が、輝いている。
「はい、高杉です」
『あ、つい先ほどご応募いただいたミドガルズオルム社の、人事担当のルカと言います』
手を伸ばしていた発泡酒の缶を、薫は取り落としそうになった。
酒を飲みながら応対するというのも、姿勢として駄目なのだろうが、ハッキリ言って、飲まないとやっていられないのだ。
いや、そんなことよりも、連絡が来るのが早すぎる。これはブラック企業何じゃないのか? 本気で、人手不足なんじゃないのか? 薫の心は、そんな不安に染まった。
『ご応募誠に有難うございます。つきましては、面接を行いたいのですが』
「は、はい」
『近日中に――なるべく早く、お会いできませんか?』
「は、はい」
『今日、なんて流石に無理ですよねぇ?』
「そ、それは、ちょ、ちょっと……」
緊張してどもってしまう。
『では、明日は?』
「はい、大丈夫です」
『そうですか、良かった。では明日の、午前十時なんていかがです?』
「はい。よろしくお願いいたします」
『では、サイトに記載してある本社にて、お待ちいたしております』
「はい」
そんなやりとりをして、すぐに電話は切れた。明るいテンションの相手だった。なんというか、ノリが軽かった。ツーツーと響く電子音を耳にしながら、薫は瞬く。多くの場合は、面接に都合が良い予定日を、こちらから複数提示して、相手企業に選んで貰うような気がする。こういう風に急に打診される場合は、大概人手不足で、人が居着かない、本当のブラック企業だ。しかし、現在の状況からして、例えブラック企業だろうとも、薫には面接に行くという選択肢しかない。ちなみに明後日も明明後日も、他の企業の面接が入っているので、明日というのは、実際都合も良かった。
「ま……選ぶ権利は、俺にもあるしな……」
そう呟いてから、薫は空笑いをしたのだった。