2:【必殺技】終末創造槍!
学校法人――匂ノ宮学園付属、浮舟幸町高等部は、東京の池袋から二駅ほどした場所に、居を構えている。
匂ノ宮学園は、匂ノ宮学閥と呼ばれるほど巨大で各地に学舎のある、学校法人の経営する私立の一つだ。
高杉葵は、現在高等部二年生である。
ごくごく一般的な生徒であり、父親譲りの茶髪と茶目以外は、目立ったところもない。
兄である薫は、178cmと比較的長身だが、葵だって173cm程の身長なので、男子としては平均的だ。基本的に匂ノ宮学園は、中高一貫性かつ女子校と男子校が分かれているため、親しい友人は同性ばかりだが、特に問題なく学園生活を送っていた。
四月の学級委員長を決める(皆が押し付け合った)じゃんけん大会で負けたため、学級委員長をしているが、強いて言うのであれば、それだけが彼の特徴だった。
みんな葵を、いーんちょう(委員長)と呼ぶものである。
今日も今日とてSHRの後の号令をかけ、担任にお辞儀をする。
それが葵の役目だった。
部活は帰宅部で、委員会は保健委員会に所属している。
保健委員会は、月に一度の定例会議以外には、特に活動はない。
そのためこの日も、葵は真っ直ぐに帰宅することにした。
しかしそんな葵よりも、更に早く教室を出る生徒が一人いるのだ。
椅子の音をたてて立ち上がったのは、髪を銀髪に染めている青年だ。青年と少年の中間に位置する年代だが、長身で耳にはピアスの穴が数え切れないほど空いている彼――織田幸輔は、多分大学生と言っても違和感がないほど、貫禄がある。紅い目(恐らくカラコンだろう)をしていて、『ダリィ』が口癖である。髪の色は、脱色のしすぎで、色が薄いんだろうと評判の、滅多に誰とも会話をしない、不良である。不良と言うよりホストっぽい髪型をしている上、端整な顔立ちをしているから、織田幸輔は、隣接する女子校の女子にはモテている。しかしこの学園では、一匹狼として名を馳せていた。
「……織田って怖いよな」
織田が教室から出て行くと、葵の周囲の席から、そんな呟きが漏れてきた。
「裏番長だって噂だしな。三年の神坂先輩ボコったって聞いた。返り討ちにしたらしいぞ」
「なんであいつ、L組に落ちないんだ?」
そんな噂話は、教室にいれば、いくらでも入ってくる。
しかしながら、委員長になり、何かと他者に声をかける機会が増えた葵ですら、いまだに「じゃあ織田くんは、学祭ではたこ焼き班で」「……行けばな」という、たった一回会話をしたことがあるに過ぎない。ちなみに学園祭は、一ヶ月後だ。
もっとも織田の話題が出るのは日常的なことだったので、葵は気にせず帰宅することにした。
自宅は高校から十分。
それが進学を決めた理由でもある。
板橋区泉川は、別段治安が良い訳ではないが、そこに家があるのだから仕方がない。
駅の側にあるスーパーで、今宵の夕食の食材を購入し、葵は帰宅した。
人気のない路地を歩いていく。
――それがいけなかった。
「あれぇ? 二のAの委員長じゃねぇの?」
正面に、制服姿で喫煙している青年が立っていた。
「本当だ。高杉じゃん」
「買い物帰り? うわぁ、親の手伝いしてるとか、家でまで良い子ちゃんなわけだ」
ぷかぷかと煙草を吸っている三人組が、にたにたと葵を見て笑った。
相手が誰だか分からなかったし、何故彼らが自分のことを知っているのか葵には分からなかったが、制服からして、同じ学校の生徒だというのは間違いがない。
浮舟幸町高等部には、S組からL組までが存在している。
Sは、特別、A・B・Cが進学科、D・E・F・G・Hが普通科、Iは体育科、Jは音楽科、Kは芸能科、Lは不良クラスである。一クラス約40名で、420名程度が一学年に在籍しているので、高等部の全校生徒は2000人近くいる。だというのに、名前を知られているというのが、葵にとっては恐ろしい。
が、そんな恐怖よりも、『親の手伝い』という言葉に、葵は思わず唇を噛んだ。
――両親が生きていた頃は、一切そんなことをしなかった。
祖父母にだって、なにもしてこなかった。
だから、たった一人だけ残った兄のことは、大切にしたいのだ。
兄である薫が死んでしまえば、葵は今度こそ本当に一人になる。
昔はいじめっ子の気があった薫なんて大嫌いだった葵だが、今ではたった一人の大切な家族なのだ。薫は今、就職活動をしている。にもかかわらず、自分はのうのうと暢気に学校に通わせて貰っている――その事実だけでも、葵は、兄に負担をかけているのだと不安で仕方がなかった。すぐにでも学校を辞めて働こうとした葵を、兄は、淡々と微笑を浮かべて制した。『働くのなんて、好きなこと勉強してからの方が、身が入るもんだぞ』だなんて言っていたが、葵は知っている。本当は薫だって、働きたいなんて思っていないはずだという事を。何せ両親が健在で、祖父の病状が未だ安定していて、祖母も元気だった頃は、薫は「働きたくねぇ」が口癖のニートだったのだから。ああはなるまいと、反面教師にしていたほどである。だというのに、そんな兄ですら、(多分)自分のために就職先を探してくれている――それだけで充分だった。
だからせめて家事ぐらいはしようと思い、洗濯や料理、掃除を引き受けている。
これまではずっと母親がやってくれていたから、アイロンがけなんて最初は、本当に下手だったし、掃除の仕方も、最近漸く分かってきたレベルだ。料理になんて、いまだに、キャベツと炒めるだけで良い八宝菜のモトなんかのレトルトを買ってきて、どうにかしているだけである。大半は、カレー→カレーうどん→シチュー→肉じゃがの繰り返しなのだし。だが、兄は文句一つ言わずに、美味しいと言ってくれる。
「――聞いてんのか、高杉ぃ?」
思考が別方向に向いていた葵は、ハッとして、息を飲みつつ顔を上げた。
「俺たち今金欠だから、ちょっと金かして欲しいんだけど」
「俺らに逆らったらどうなるか分かってるよな?」
三人の生徒に、嫌らしい笑みを向けられ、反射的に葵は後退る。
逃げようと踵を返した瞬間、葵は硬直した。
気づくと真後ろに、織田幸輔が立っていたからだ。
「……委員長?」
目が合うと、不機嫌そうな顔で、織田が首を傾げた。
陽に透けた銀髪が、煌めいている。
眉間に皺が深く刻まれていて、顔を見ているだけで恐怖を覚えた。
後ろには三人の不良がいるし、前方にも一匹狼がいる。
しかし――織田は、一匹狼だという噂だったが、後ろの三人とは友人関係、それこそ舎弟とかそう言う仲なのだろうか? 混乱しながら、葵は前と後ろを交互に見る。
「――織田?」
「何で織田がこんな所にいんだよ?」
「舐め腐ってる、粋がってる二年だっけかぁ?」
だが後ろから響いてきた声に、葵はきょとんとした。
どうやら彼らは、仲間というわけではないようだ。
「ついでにボコるか。世間の常識って奴を教えてやらねぇとなぁ」
ニヤニヤとした笑みを声に滲ませ、煙草をポイ捨てして、不良の一人がしっかりと地面に立った。彼はそれまで、壁に背を預けていたのだ。
「――なにがどうなってんだよ?」
織田幸輔は、必死でそう言った。
自発的に発言するなんて、中学一年生の秋以来だった。
現在は、学校帰りに書店に立ちより、マジカル少女☆プリンミラクルと転生輪廻円舞曲フェンリル奇譚というラノベ(ライトノベル)を購入して、帰宅しようとしていただけだったはずなのに。そう、平穏に帰るだけのはずだったのに、だ。いつもの習慣で、ちょっと人気のない裏路地を通りながら、そこで立ち止まって、空を見上げながら、「フ……安心しろ、お前は一般の人間には見えない」だとか脳内妄想を呟こうと思っていただけだというのに、なのに何故なのか、クラスメイトに遭遇した。
生徒の個性を尊重するという学園に通っている幸輔は、脳内妄想の主役の設定――アルビノを意図して、銀髪(白髪には見えないように気を配った)に染めた髪に、紅い瞳をしている。しかし現在真正面にいる同級生は、教室のざわめきを聞いた限り、天然物の茶髪と茶色の瞳をしているらしい。俗に茶目と呼ばれる、色素の薄い、恐らくはロシア系の血が祖先に入っているのだろう東北の人々の内の一人が、父親だという話しで、委員長の家系は代々Y染色体を持つ者は、色素が薄く茶色い髪と瞳をしているらしい。中二病を煩っている幸輔は、やっべぇぇぇぇ竹内神話、イエスの子孫キタコレ、なんて思って耳を傾けていたモノである(竹内神話というのは、イエスが、青森あたりに来て亡くなったとか、某有名映画監督の血筋は死に際に目が青くなるだとか、色々と尾ひれが付いたオカルト物語である)。
幸輔の趣味は、毎日妄想をすることだった。趣味というか、それは最早、生活の習慣の一つであり、呼吸をするようなものに等しかった。例えばトイレに立ったとき、歩きながら、大抵妄想している。
脳内での幸輔は、堕天使と人間の混血児であり、その為目が紅いのだ。
普段は高校生のふりをしているが、機械神の襲来に備え、いつも構えている。
ええと(勿論、それは妄想だと自覚している)。
必殺技は、≪終末創造槍≫である。
堕天使の瞳が封じられし右手の拳を相手に叩き込むことで、過去・現在・未来の時間軸を制御し、敵を屠る、超空間時空魔術属性を帯びた攻撃なのだ。現在は幸輔の拳に宿っているが、過去には、武器に宿っていたこともあった。例えば、ロンギヌスの槍という名前だった歴史もある。無論、それは妄想である。
現実の幸輔は、単なるコミュ障であった。
人と話すと緊張してしまうため、何も言葉が出ては来ないのである。
――そんな俺にも、周囲と分け隔て無く話してくれたのは、委員長だけだ。
勿論葵は学祭の作業内容について話しかけただけであるし、幸輔はそれを理解していた。だがそれでも、幸輔にとってはリア充と話すことができた貴重な体験だったのだ。
――委員長は、みんなに好かれている。
――俺は(隠れとはいえ)キモオタなので、みんなに嫌われている。
それが幸輔の自己評価だった。
何せ顔を見せるだけで、皆が静まりかえり、ひそひそ何か囁き始めるのだから。
――どうしようもないブサメンなのだろう。
なので、唯一学校で普通に話せる(幸輔基準の)相手は、委員長である葵だけだった。
その葵が、何故なのか、DQNに遭遇している。
そこへ何の因果か、幸輔は近づいてしまったのだ。
「織田もぉ、俺たちに金くれるって事か?」
「……」
「いきがってんじゃねぇよ馬鹿」
「……」
「やるか?」
硬直している葵の隣に立った幸輔に、三人組がゲスな言葉をかけてくる。
――どうしよう、ドキュン怖い!
幸輔はそうは思って、目を細めた。
普段はなるべくこの手のタイプは避けるようにしているのだが、だがしかし――……明らかに、いい人である委員長が絡まれている。
幸輔は決意した。
「ああ、相手になってやる」
――俺を怒らせたな……なんてことを……これでは、右手の封印が解けてしまう、くッ。しかしこんな一般人相手に、≪終末創造槍≫を使うわけにはいかない。仕方がない、≪終末創造槍の息吹≫で軽く片付けてやろう!
そんな脳内妄想で自分を奮い立たせた幸輔は、実際には内心ガクブルだったが、毎日自宅の自室で練習している正拳突きを迷うことなく繰り出した。蹴り――(脳内命名≪花捺・貌守≫)も繰り出し、一人目と二人目を、攻撃した。しかし三人目が、中々手強かった。
「……仕方がない」
幸輔は、気怠そうに溜息をつく。
「≪終末創造槍≫!!」
――嗚呼、ついに、使ってしまった。しかし、敵も中々やる。恐らく、人間のふりをし、不良に混じっていた機械神の配下……≪花月兵≫だったのだろう。
三人を倒し終えた幸輔は、爽やかな笑みを浮かべて、己をGJと賞賛しながら、額に浮かんだ汗を、手の甲でぬぐった。堕天使の瞳が封印されている(設定の)右手の甲でだ。
――それにしても、毎日練習していると、呼吸をするように必殺技を使えるようになるもんなんだな!
「……あ、有難う……」
突然現れた織田が、絡んできた不良三人組をあっさりと伸したため、買い物袋を手に提げたまま、葵は安堵していた。
しかしながら、なんだかよく分からなかった。
現在良い笑顔で笑っている織田は、余裕たっぷりの顔で楽しそうに、不良達をほぼ一撃ずつ殴り倒していったわけだが……なんというか。その最後に、葵は、よく分からない声を聴いた気がした。
「エンダストリアルアーツ……?」
技の名前なのだろうか……?
一体宗派は、何なのだろう。
――ボクシングか何かなのか? 総合格闘技?
現状に困惑しながら葵が呟くと、振り返った幸輔が硬直した。
まじまじと葵を見据えた後、瞬間湯沸かし器の如く、真っ赤になった。
「え、あ、いや、その……」
「……」
口ごもった幸輔の姿に、葵は珍しいものを見た気がした。
常にクールで寡黙な一匹狼が、なんだかどもっている。
「エンダストリアルアーツ……っ、最強だね!」
葵は思わず吹き出していた。
――いや、可笑しい、これは可笑しい。そんな攻撃名が、その辺の格闘技に名付けられているとは思えない。絶対これは薫が好きそうなゲームか何かの台詞だ。
「兎に角有難う、織田くん」
「別に……」
「良かったら、お礼に何か奢るからさ。ファミレスでも行かない?」
「あ、ああ……」
真顔に戻った幸輔の頬からは、羞恥による赤みが消えた。
そのため、咄嗟に誘ったものの、葵は再び少なからず恐怖を覚えた。
イケメンの無表情というのは、何とも恐ろしいモノである。
――それにしたって、エンダストリアルアーツって、なんだよ!
葵は腹筋がよじれそうになるのを、必死で制した。
こんなに笑ったのは(勿論、表には出さないように気を配っているが)、恐らく両親が未だ健在だった頃、お笑い番組を見て以来だと葵は思った。