3:面接
四月二十五日、木曜日。
薫は、スーツをきっちりと着て、池袋にあるミドガルズオルム本社ビルの中へと入った。
転職活動の最中は、三十分前行動だと早すぎると学んだので、きっちり十五分前に、受付へと向かう。それからエレベーターで、ビルの六階まで上がり、フロア正面にある内線電話を手に取った。
ネクタイの色は、今日は青だ。
建物の雰囲気からしてベンチャー企業のような感じだが、気を抜くわけにはいかない。
面接場所であるらしい個室へと通されて、ミネラルウォーターの小さなボトルを差し出された。
「すぐに面接官が来るので、お待ち下さいね」
大変感じの良い女性社員(オフィスカジュアル系の私服だった)に促され、薫は席に着いた。結局、一晩かけても、ミドガルズオルム社の子細を調べることは出来なかったが、ゲーム運営だろうと当たりをつけたので、それ方面のネットコラムを読みあさってきた。自己PRだってばっちり考えてあるし、念のためSPIや一般常識のテストの復習もしてきた。
そして、きっかり午前十時になったのを腕時計で確認していたとき、扉が開いた。
「はじめまして、よく来て下さいました!」
入ってきたのは……それこそ、魔術師のコスプレをしているんですか、と尋ねる他ない、ローブ姿の青年だった。薫は、反射的に立ち上がる。薫と同年代の青年だったが、見るからに日本人ではない(日本国籍は取得しているのかも知れないが)。流暢な日本語で話しかけられたが、相手は白人か、少なくともハーフだろうという顔立ちだった。
黒い髪に黒い瞳をしているのに、彫りが深いから、尚更何人なのか分からない。色白で、背丈も薫と同じくらいだった。
「本日面接を担当させていただく、ヨルムンガンド帝国第三騎士団魔術師部隊総括管理官のルカス・シュガ――……あー……佐藤瑠架です」
やはり彼は、日本に帰化した異国人なのだろうと、薫は判断した。
「高杉薫です、本日はよろしくお願いいたします」
「どうぞおかけ下さい」
「失礼いたします」
座りながら、薫は人事担当者を見据えた。
――ヨルムンガンド帝国第三騎士団魔術師部隊総括管理官とは、なんだ?
そういうネタが出てくるゲームに心当たりは無い。
ただし、社名のミドガルズオルムも、ヨルムンガンドも、北欧神話に出てくる世界蛇の名前だ(同一物の二つの名前である)。北欧神話の観点に立たずとも、比較宗教学や民俗学の観点から見ると、竜・龍、蛇や魚が、大陸の下にいるというモティーフはそれなりに目にする。例えば中華のイザナギ・イザナミにあたる伏羲と女?だって、下半身は蛇かなにかだったはずだ。大学時代の全学科共通で一定数取らなければならない総合・教養科目で、なんだかそう言う講義に出たことがあったような覚えがある。レポート提出で必ず単位がもらえるというオイシイ授業だったので、前期・後期共に彼は受講した。ま、あのネタは、柳田国男系らしいから、バナナ型神話ほど、メジャーに広がっている定説でもないだろうが。
「所で、高杉さんは、魔術師という職にどういう印象をお持ちですか?」
ネトゲの産物。
そう口走りそうになった薫は、慌てて目を伏せた。考え込んでいるふりだ。
「幻想文学の観点から見れば、レイ・ブラッドベリなどに影響を与えた、エリファス・レヴィ――アルフォンス・ルイ・コンスタンの作品などから、中世における魔術師の位置づけが見て取れると思います。フロイトの著作からは、魔術とごく近しい中世哲学である錬金術について考えることも出来ますね。ユングの弟子は、錬金術の錬成が、現在のロールシャッハテストに通じているとまで言い切っていますし。歴史的観点から見るならば、秘密結社や、ギルドの成り立ちなども考察できると思います」
薫は必死で模範解答を探した。
しかし、そんなモノは見つからなかった。
「うーん、読書家なの? ホラー……西洋の幻想文学好きなのかな?」
腕を組んで、見下すように佐藤人事が笑う。
半眼だ。
薫は、もう、その腕を組むというボディーランゲージを見た瞬間、不採用を半ば覚悟した。
「学生時代に、分析心理学を専攻していたので、その様な見方になってしまいました」
実際薫は、心理学科を卒業した。
だが、実際に専攻していたのは、犯罪心理学であり、それも社会心理学よりのプロファイリングなどではなく、俗に言うMC――マインド・コントロールについて学んでいた。三年時のゼミでは、前期にはいかにしてMCの存在を法的に認めさせるか(現在までMCは、理論こそ在るものの、法的には存在しない概念である)について議論し、後期には、洗脳の解き方について議論した。四年時の卒論では、大学院に進学するつもりが無かったので(心理学科の生徒は大抵大学院に行って臨床心理士になるか、専門学校に行って精神保健福祉士になるか、それ以外の就職をする)好き勝手に、ステマと洗脳についてと言う論文を書いた。
「そうだったんだ」
薫の言葉に、プリントアウトしたらしい履歴書を、佐藤人事が見返す。
「だけどねぇ、残念ながら、僕が聞きたいのは、そういうことじゃないんだよなぁ」
そんな呟きが漏れてきたので、薫は、早急に帰りたくなった。
「話変わるけど、高杉君は、体力ある?」
「中学高校と野球部でした。大学時代は勉学に力を入れるために、草野球サークルに所属し、講義の合間に、息抜きと趣味として野球を続けてきました。忍耐力を培ってきたと思っております」
かなり盛りながら、薫は言った。
忍耐力なんて、ぶっちゃけ無い。
欠如している属性の一つとすら言える。
確かに中等部でも高等部でも野球部だったが、ベンチにすら入ったことはない。
そもそも部活動に顔を出したのは、ほんの数回だ。
それで許されるのが、匂ノ宮学園付属、浮舟幸町中・高等部だったのだ。なにせ、運動推薦で、入ってきた生徒達がいたのだから。それに当時、薫は報道委員会の委員長をしていたので、全国新聞大会への事前準備に忙しかったから、部活に出なくても許された。大概の場合、部活と委員会の内、力を入れるどちらかに出席さえしていれば、文句は言われなかったのだ。それに、浮舟幸町の野球部は、それなりに強かったので、小学時代からスポ少(スポーツ少年団)やリトルリーグで活躍していなければ、控えの選手にすらなれず応援要員になるのが関の山だったのである。単純に、野球の実況中継が好きだから、見ていると和むという理由だけで、薫は野球部を選択したのだ。
「忍耐力があるのは良いことだ。何せ相手はドS……いや、その、うん、なんでもないよ。それに体力があるのも、魔術師としての仕事をする上では重要だね。ちゃんとストレス解消法を持っているのも、ポイントが高い」
「どんな仕事でも、出来ることなら率先してやっていきたいと思っています」
「ああ、そんなに身構えないで。別に難しい仕事じゃないんだ、魔術師って言うのは」
「……はぁ」
と言うか、本当に魔術師なんて言う仕事があるのだろうかと、薫は首を捻る。
「魔術の使い方はこちらで教えるし、何も心配はいらない」
「具体的に私は何をすれば良いのでしょうか?」
企業研究不足と言われるのを覚悟の上で、薫は思わず聞いてしまった。
「ヨルムンガンド帝国第三騎士団魔術師部隊に入って欲しい」
「はぁ……?」
「簡単に言えば、スライムとゴブリンの討伐をお願いしたいんだよね」
「それは……なんらかのゲームの、テストプレイをしろという事ですか?」
「ううん。ちょっと異世界トリップって言う奴をして欲しいんだよね。非常時だけで良いから。仕事が入るのは不定期だけど、月給制だから生活費は保証するよ。勿論日本円で。この際だし言うけど、僕の本当の名前は、ルカス=シュガーレット。よろしく」
何言ってるんだろうこの人、黄色い救急車に運ばれて病院に行くべき何じゃないのか、と、薫は思った。
「兎に角、高杉君は採用。明日からよろしくね――いやぁ、求人出して良かったよ。本当にこの世界は、就職難なんだね。わざわざ界渡りしてきた甲斐があったよ」
「は?」
「正規の求人広告費は勿論払ったんだけど、一定量の魔力がなければ見えない仕様にして、これまで毎日この架空オフィスで待ってたんだよね。希望者が来るのをさ。働いてくれる人を求めてね。それにしてもこの世界は便利だね。架空オフィスなんて言う使うときだけ部屋を借りるビジネスまであるなんて」
先が思いやられる気分だったが、薫はとりあえず、念願の正社員の座を手に入れたのだった。
薫が帰宅すると、葵が野菜炒めを作っていた。
「今日はどうだった?」
笑顔で葵に聞かれ、漸く薫は笑顔を浮かべることが出来た。
これまでは、引きつった笑いしかできなかったので、心底嬉しい。
「――就職が決まった。正社員。まぁ月給安いけどな」
冗談めかしてそう言うと、目を丸くして葵が振り返った。
「本当? 良かったじゃん」
「おぅ」
「今日はもう野菜炒め作っちゃったから、明日お祝いしよう!」
「別に良い。葵こそ、そろそろ文理分けから、国立・私大・専門と就職別に、クラス分けアンケートがあるだろ、どうするんだ?」
薫も葵同様、浮舟幸町高等部の出身なので、クラス分けの次期は分かっていた。
他校とは少々変わっているのかも知れないが、中等部高等部共に二期制を採用している匂ノ宮学園では、高一後期の九月に、文理でクラス替えが行われ、高二の後期で進路別にクラスが三つに分けられるのだ。その為のアンケートが、そろそろ行われる。それは、学祭前の一つのイベントとも言える。
「俺、就職しようかと思って……」
「やめておけ。進学しろ」
「なんでだよ? だって家計的にもさぁ、薫……」
「お前はそう言うのは心配しなくて良いから、やりたいことをやれ。絶対、父さん達が生きてたら、そう言ったはずだろ」
葵が気をつかってくれているのだという事は、痛いほど薫にも伝わってきた。
それにさんざん親のすねをかじり好き勝手に生きてきた自分には、こんな事を言う資格なんて無いんじゃないかと薫は思う。それでも――……今は、たった二人だけになった、家族なのだ(未だ祖父も生きているが、冷酷かも知れないが率直に言って、現実的に亡くなるのは時間の問題だと薫は思っている)。
「大体お前は、昔っから、俺と違って頭良かっただろ。勉強好きだし」
「そんなことない。俺はコツコツやる方で、薫は一夜漬け型ってだけだろ」
「まぁたしかに俺は一夜漬けで人生乗り切ってきたけどさ……だけどな、この歳になって思うんだよ、俺は。コツコツ努力できるのは才能だ」
「……薫と違って、勉強しないと、テスト用紙が白紙になっちゃうからだし」
「俺は毎日勉強するぐらいなら、白紙で出す!」
「何の自慢にもなってないから、それ」
「葵は昔から獣医になりたいって言ってたんだから、なればいいだろ」
薫がそう言うと、カレーをかき混ぜながら葵が俯いた。
こんな風に、葵に悩むような顔をさせたくないと薫は思う。
「俺だって仕事決まったんだし、何にも気にするなよ」
ちょっと白々しいかなと思いながらも薫はそう言って、冷蔵庫の扉を開ける。
そして発泡酒を取り出して、缶のタブを開けた。
――だけどあの仕事、本当に大丈夫なのだろうか?
それだけが薫の悩みだったが、それは口に出来なかった。