4:クラスメイト




学外で初めて、織田幸輔と会い、助けて貰ってから三日。
あの後は、ファミレスで一緒にペペロンチーノを食べたものの、特に会話は無かった。
葵はそんなことを思い出しながら、それとなく幸輔を一瞥した。
気怠そうな紅い目は、机へと向いている。
特にあれ以来、学校で話したことはなかったが、葵は何とはなしに幸輔は良い奴だなと考えていた。何らかの利害が一致し助けてくれたのかも知れないが、不良の関係図など葵にはよく分からない。よって純粋に、噂されるほどの悪人ではないのだなとだけ、思った。
――もう少し、織田のことをよく知りたい。
葵はそんなことを考えていた。
「委員長……それは、恋だ!」
「?」
すると唐突に、隣から声をかけられた。
現在は学祭の準備中のため、葵は一人黙々と、保健所の許可を取るための申請書類の下準備をしている。その為、周囲で作業しているクラスメイトとは異なり、一人机に座っていた。横にいたのは、学園祭実行委員である、長野治樹ながのはるきである。お洒落眼鏡(黒縁プラスティック)をかけている、一年時から同じクラスの比較的仲が良い相手だった。本人曰く、葵の親友である。背が高い。
「どうしたんだ、急に……」
治樹が電波なのは、いつものことだ。
そのため、書類から顔を上げはしたものの、ペンは走らせたまま、葵は首を傾げた。
「ついつい目で追ってしまう――ああ、皆まで言うな。拙僧には伝わっている」
「いつ出家したんだよ……」
「にんにん。破戒僧は仮の姿。拙僧は、淡雪流忍法の使い手」
「治樹……お前の祖先は、両親共に、由緒正しい農民だろうが。父親も母親も江戸時代から地主だろ」
「にんにん。それは、隠れ蓑に過ぎないのである」
「なんかもどうでもいいや」
長めの黒髪を後ろで縛っている治樹は、葵のそんな姿に、人差し指で眼鏡を持ち上げた。
「やめておけ」
「は?」
「親友として忠告する。そりゃ人間、特に思春期の拙僧達の世代は、DQN――っぽい奴ら、そう、ワルに惹かれるものも多い。それもイケメンならば、尚更だ。不良のちょっとした優しさに、『嗚呼コイツ、本当は優しいんだ!』なんてキュンとすることもあるだろう。そりゃあるだろう。しかしながら、DVについて考察してみれば分かる。いいか? 委員長。暴力をふるうけれど、あの人は本当は優しいの、なんて、そんなわけ無いだろ?」
「だから急にどうしたんだよ、治樹……」
「拙僧は、親友としていつも委員長を見ているから分かるのだ……――葵、お前さ、真面目な話し、最近織田となんかあったのか? かなり頻繁に織田の事見てんじゃねぇかよ」
後半から小声になった治樹は、それまでのわざとらしい口調を、素のものへと戻した。
「俺、そんなに見てるか?」
「見てる見てる。俺は織田のことはよく知らないけどな、織田の噂はよく知ってる。三年の春ヶ瀬先輩ぼこったとか……あの人あれで一応ヤのつく職業の人の跡取りだしな、他にもこの辺でグダグダしてる『伝説のレジェンドオブナイト』を壊滅させたとか」
「なんだそのレジェ……」
「カラーギャング? チーム? 族? 何つぅのか、アレだ、アレ、不良の集まり。DQN集団」
伝説のレジェンドオブナイト、その言葉を聞いた葵は、ついうっかり≪終末創造槍エンダストリアルアーツ≫を思い出してしまった。気づくと吹き出していた。
「笑ってる場合じゃねぇからな、葵。目、つけられんなよ」
「努力しまーす」
「拙僧、不安でござる」
「俺は治樹の頭が心配だよ」
そんなやりとりをしていると、ガタッと教室後方で音がした。
見れば、織田幸輔が立ち上がっていた。

――ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。

学級委員長である高杉葵が、綺麗な榛色の瞳を教室の後方へと向けた。
はっきりと分かる、葵は織田幸輔を見ている。
そう考えると、長野治樹は表情こそ笑みを取りつっくていたのだが、眼差しが凍り付きそうになった。頬が引きつるのは、止められない。
葵は、モテるのだ。
この学園が、ある種男子校だという事情もあるのだが、同性愛者が六割はいる。勿論卒業すると、異性愛者に戻る人も多いとは聞くが、体感している治樹としては、周囲の大半は、葵を狙う敵に見えた。
治樹は、高校から一緒になった葵に、クラスが一緒になってすぐ、一目惚れした。
それから(治樹にしては)血を吐くような努力をして、葵と親しくなった。今では、親友だと……少なくとも治樹は思っている。
これまでは、葵が自分以外の特定の誰かと仲良くすることがなかったから、平静を保ってこられたのだと治樹は自覚していた。仲良くなればなるほど、治樹は葵に惹かれた。それまでまさか自分自身が、同性愛者の道に片足をつっこむことになるだなんて思っていなかった彼は、正直言って、動揺したものである。
――こんなことならば、イケメン道を貫いたのに。
治樹はそんな風に考えて、悶えた。
中学時代髪型を手入れし、ワックスで緩くふんわりと整えて、眼鏡を取り前髪を切っていた頃は、治樹はそれはもうモテた。モテたのだ。それも、男に。だが、男性に興味がなかったため、前髪を含む髪を伸ばして、だて眼鏡をかけ、三次元には興味がありませんと言った姿勢を保つことにしたのは、中学三年生の頃だった。その頃から背が伸び始め、抱いて欲しいという同級生や後輩、果ては高等部の先輩にまで告白されるようになったからだ。現在の身長は、百八十九cm。純粋にバスケ部やバレー部に勧誘されることも多かった。
しかし、中学からの持ち上がりではない葵は、周囲に同性愛者が多いことを全く理解していないようだった。中学時代に、さんざん危険な目に遭ってきた治樹としては、葵が無防備すぎるように見えて、気苦労が絶えなかった。それでもこれまで、いつまでも側にいられたから、出来る範囲で、治樹なりに葵を守ってきた。葵は、辛いことがあっても滅多に口にしないが、それでも両親の死について、唯一学内で悲しんでいる姿を見せてもらえたのは自分だけだと治樹は自負している。
――だけど、葵と織田が、何処でどう知り合ったのかを俺は知らない。
その事実が、薔薇の刺のように胸に突き刺さり、治樹へ緩慢にダメージを与え始める。
葵は何時だって、誰に対しても、一線を引いて接していた。
これまで例外は、治樹だけだったのだ。
だというのに――ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。
治樹は息苦しくなった。
織田幸輔は、一匹狼の不良だと周囲に認識されている、寡黙でクールなクラスメイトだ。しかしながら、よく似合っている銀髪と紅い瞳に見惚れている、声がかけられない人間は多数いる。いくらイケメン道だなんて治樹が口にしてみたところで、到底太刀打ちできないほどの、完成された美形なのだ。
治樹は思う。織田に自分が勝てるモノなんて、身長くらいのモノだろうと。とはいえ、織田だって百七十八cm前後の長身だ。この二年A組においても、治樹の次に背が高いのは織田幸輔である。治樹は、織田のことを幼稚舎時代から知っている。まるで氷の彫像のような外見だったから、高嶺の花過ぎて、周囲は彼に話しかけなかったのだ。
――あるいは織田幸輔相手であれば、葵だって心を動かされるかも知れない。
そんな不安が募ってくるが、嫉妬しているだなんて自覚することを、治樹の意識は拒んだ。

「葵……」

唐突に長野治樹に抱きすくめられ、葵は瞠目した。
「おい止めろ。今は、ホモネタやってる場合じゃないくらい、忙しいんだ」
見れば分かるだろうに……そんな心境で、葵は、書類に視線を落とす。
「拙僧、今日は葵と一緒にファストフードに行きたいでござる」
「随分と世俗的な忍者だな」
決して悪い奴ではないのだが、やっぱり治樹のことはよく分からないなぁと葵は思う。
「悪いけど、今日は薫の就職祝いするから、つきあえないんだよ」
「え、薫先生就職決まったのでござるか?」
治樹が驚いたような顔をする。
大学時代に高校公民の教師免許取得に必要な単位をそれなりに取り、その後通信制の大学で資格を取ったため、葵の兄である薫は、中学の社会教員としての資格も持っているのである。だから薫は治樹が中学生の頃、附属中学校で教育実習をしたらしいのだ。そのためこの友人は、兄のことを、『先生』と呼んでいる。
「そうらしいよ。俺も詳しいことは、聞いてないけど」
今日、じっくり聞いてみようと葵は考えていた。
何を作ろうかと思案しながら、ふと思い出して、織田幸輔の席へと視線を向ける。
既にその時、幸輔の姿はそこには無かった。


そのころ、織田幸輔は、一人学祭準備中の教室を抜け出して、非常階段の踊り場に立っていた。
「くっ……やめろ、未だお前が出てくるほどの事態じゃねぇよ……」
こじれた中二病妄想に突き動かされた彼は、衝動そのままに、右手を空に掲げた。
堕天使の瞳が封印されている(設定の)右腕だ。
どうでも良いが、彼は左利きである。
呟いた彼は、呟きつつも、『お前』って一体誰なのか分からないでいた。
――俺が考えた最強の設定・呪文・感動的な場面。
それだけを脳内で放映し、登場人物を映像のように動かして、はやりの曲でOPとEDを妄想するのが、大変楽しい。時には、感情移入しすぎて涙が出ることすらある。
しかし、第一話やら、閑話やら、そう言うモノは一切思い浮かばないのだ。
ごく稀に、最強主人公のその後やら、最強だという事を隠している日常、規正ギリギリのエロ場面(主にハーレム)を妄想することもあるが、幸輔が純粋に楽しめるのは、痛々しい技名を考えているその瞬間で間違いがないのだ。
「フ……試してやるぜ、絶望と開放を象徴せし鐘の音が鳴り響く刻限――終わりの始まりまでには」
注釈するとすれば、『絶望と開放を象徴せし鐘の音が鳴り響く刻限』とは、『学祭準備用時間である5時間目の終了を告げるチャイム』の事であり、『終わりの始まり』とは『放課後』の事である。
キーンコーンカーンコーンと、平和にチャイムが鳴る。
「これがお前の最後だ、ベルフェゴール――……≪浸喰森羅グリーン・ベルゼブル≫!!」
幸輔は叫んだ。
当然、何も出ない。
折角、悪魔に奇襲された設定で教室から此処まで来たというのに、全く無駄な労力だったわけである。
兎も角一通り満足したので、幸輔は教室へと戻ることにした。
踵を返し振り返る。
「……!」
そして目を見開いた。
そこには、高杉葵学級委員長が立っていたからである。
先日遭遇した際は、無言でスルーする(というかコミュ証で何も言えなかった)という対応で乗り切ったとはいえ、なんというか……。
格好良く不良系DQNによるカツアゲ(? か、レイプだろう、アレの狙いは。委員長モテるっぽいし。この学校ホモばっかりだし)を格好良く撃退するはずが、「≪終末創造槍エンダストリアルアーツ≫!!」と、ついうっかり、中二病妄想を口にしながら、実際には格闘技なんて習った経験もなければ喧嘩も弱いため、無我夢中で三年の先輩達を三人ほど殴ってしまったのだった……。
その事実に、幸輔の胸には暗雲が立ちこめる。
「グリーン・ベルゼブル……?」
恥ずかしい、心底恥ずかしい!
目の前で自分が考えた中二病の色が濃く出ている呪文を口にされると、悶絶しそうになった。
「――ええと、何と戦っていたの?」
「……」
何とか上手い返しを考えなければと、幸輔は焦った。
当然、自分の右手に堕天使の目が封印されているなんて言う(妄想的)事柄がバレることよりも、自身が中二病罹患者だとバレる事の方が、幸輔にとっては恐ろしかった。
「その、俺はさ、もうすぐSHR始まるから織田のことを呼びに来たんだけど……戦闘は終わったのか?」
あからさまな作り笑いで委員長が言った。
もう死にたい。
羞恥で死ねる。
「ああ」
しかし、最早開き直るしかない。幸輔は、キリッと顔を取り繕った。
「このことは、内密に――……いくらお前でも、話したら、≪追跡者チェイサー≫に狙われることになる」
もう、幸輔はやけになっていた。なんだよ、チェイサーって! どこからの追っ手だよ! 彼自身にもそんなことは、分からなかった。
「……え、あ、うん……とりあえず、教室に行こう」
視線を彷徨わせ、引きつった表情のまま、葵が踵を返した。
何も、もう言う言葉なんて無いので、クールっぽい素振りをしたまま幸輔は、葵の後について歩いた。


何も会話がないまま廊下を歩きつつ、葵は考えていた。
――改めて、先日のお礼が言いたい。
だが、何と戦っているのか一切不明だが、至極真面目そうな真剣な、それこそ人を視線で殺しそうな険しい顔で、一歩後ろを織田幸輔は歩いている。
彼が授業をサボるときは、大概あの非常階段にいることを、葵は知っていた。
何度も、教員に、委員長なんだから呼んでこいと言われたからである。
学園内の噂では、非常階段は不良の皆様方の、喫煙所になっているとのことだった――が、この第二棟三階の非常階段の踊り場は、織田の陣地という事になっている(のだと、長野治樹が教えてくれた。彼は学内情報に非常に詳しい、報道委員会に所属している)そうで、他の学年の生徒達は、足を踏み入れない。
ちなみに葵は、一度も幸輔が喫煙している姿を見たことはなかった。
そもそも幸輔は、たばこ臭くないので、非喫煙者だと葵は考えている。
日常的に煙草を吸っている兄の薫の側にいる己の方が、寧ろ煙草の臭いがするんじゃないかと、葵は度々不安になったものだ。
「あのさ、織田――」
「さーせん、本当にさーせん。言わないでやって下さい!」
意を決して葵が話しかけると、幸輔が声を上げた。
「え?」
「……だから、その……」
見上げれば、幸輔の頬は、真っ赤に染まっていた。
葵はその表情を見ながら、なんだか逆に自分まで照れくさくなってしまった。こちらまで、照れてしまう。なんなんだろう、この気持ち! 葵にとっては、初めて体感する感情の動き方だった。
「精神の深淵から産み出されし、真実の理……あるいは、交わり、そして一つの空となる……沈黙。それは鴉の濡れ羽色に似た優しさだ」
幸輔が続けた。
幸輔は、『恥ずかしい中二病チックな呪文を公言しないで下さい』と頼みたかっただけなのだが、いつもの癖で、『現実用語』を『中二風』に改変して口走ってしまった。
「は?」
全く訳が分からず葵は、ポカンと口を開ける。
いつの間にか二人の距離は縮まり、葵の真横に幸輔が立っていた。
――織田くんって、ポエマーとかいうやつなのか、な?
どちらかといえば、ロマンティックにはほど遠い気がしたが、葵は頑張ってそんな風に考えてみる。しかし、やっぱり笑ってしまいそうになる。なんだよ『鴉の濡れ羽色に似た優しさ』って!
「……≪終末創造槍エンダストリアルアーツ≫」
葵は思い出して呟いてみる。
真横で、盛大に幸輔が吹き出した後、咳き込んだ。
「委員長! 俺豆腐メンタルなんで、止めて下さい!」
「――へ?」
「俺はちょっとだけ中二病を煩ったまま高校生になっちゃっただけで、それだけで、それだけなんだよ、本当に!」
幸輔がその病に罹患したのは、小学生の時だった。既に高二病(アンチ中二病など)は、中学時代に一通り患った。果ては大二病まで罹患し、最終的に、中二病へと戻ってきたのが、高校一年生の冬のことである。この病は、リピートするのである。∞だ。
「妄想と現実の区別は付いてる! だから黄色い救急車は呼ばないでくれ! 確かに髪を染めたり目の色変えたり、俺にはコスプレ癖もそなわってんのかも知れないけどな、一応真っ当だ!」
「中二病?」
葵は首を傾げた。彼は、どうしてこんなに幸輔が必死なのか、全く理解していなかった。ただ、しいていえば、「気持ち悪い☆」と思っていた。葵だってそれなりにネットはするので、厨房から派生した、厨二という言葉くらい知っていた。動画の閲覧は、現代の高校生にとっては、嘗てのテレビドラマを語っていた人間と同じくらいの、簡単なノリなのである。見てない方が、おかしい、なんて言う奴すらいるほどだ。