【2】俺の現実と仕事(悪役業)



 ――呼吸が苦しい。それに気づいて俺は、深夜、病室で悶えた。息ができない。胸が痛い。飛び起きようにも体に力が入らず、ナースコールに手を伸ばす事さえ上手く出来ない。

 あ、これ、俺、死ぬのかな……?
 というよりも、この苦しさから解放されるのならば、あの世の方が良いかもな……。

 涙で歪む視界は砂嵐に覆われていき、そのまま真っ暗になった。
 するとピタリと胸の痛みも止まった。それを認識した直後、今度は俺は真っ白な空間に放り込まれた。

『心停止により、仮想現実ゲーム【リアルライフオンライン】は強制終了しました』

 その場に、無機質な音声が響いてきた。
 ……え。
 俺は、どっと冷や汗が吹き出してきたのを感じた。

 あ、危なかった。俺、そうか、死んだんだ――『ゲームの中』で。

 俺が遊んでいた、リアルライフオンラインというゲームは、地球という惑星が舞台の仮想現実ゲームである。そのハードモードの、『記憶封印』状態で遊んでいたため、俺は自分がゲームをしていた事を忘れていた。

 今まで俺が遊んでいたゲームは、地球という惑星の日本という国が舞台のゲームで、人の出生から死亡までを体験できる、自由度の高いゲームである。

「……ゲームの中でも、ゲームしてたな、俺」

 俺は、不思議な気持ちで自分の手を見た。リアルライフオンラインの中で一番色濃い記憶は、【クラウゼンフェルド】というMMORPGで遊んでいた事だ。最近、VRMMORPGも全然やっていないから、反動がきたのかもしれない。

「高杉! 休憩時間は終わりだぞ!」

 その時、ヘッドセットを強制的に外された。すると俺の視界に、『現実』が入り込んできた。そこで俺は、改めて自分について考えた。高杉礼人、三十二歳。奇しくもリアルライフオンラインでは、同じ年齢で死亡したわけだが、俺はゲーム内のような病人という事もなく、ごく平均的な小市民である。

「すみません、ティラミスさん」

 俺は、リアルライフオンラインの中に、ギルマスとして登場していた、上司の顔を見た。リアルライフオンラインはソロゲーなのだが、仮想現実ゲームの多くがそうであるように、現実の記憶を再構成して登場人物を生み出しているから、身近な人が出てくる事が多い。

「ん……」

 そう考えて、俺は腕を組んだ。先程までのゲームの中で、俺が一番一緒にいたのは、まず間違いなく、種田先生だ。先生というのは、あくまでもリアルライフオンラインの中での話であり、現実の種田は、医師ではない。

 種田桐(タネダキリ)は、この【第三区画】の警邏官である。警邏官というのは、簡単に言えば、悪を取り締まる正義の味方の事だ。俺とは小学校で一度、同じクラスだった。なお一方の俺は、人材派遣会社の社員である。

 俺が勤めるハートネットという会社は、ちょっとした『悪役』を派遣している。第三区画で、人気になりたい等の理由から――悪役を欲する人は多い。「今日ちょっと誘拐して」から、「今日ちょっと俺に倒されて」まで、数多の依頼が舞い込んでくる。

 依頼主は、警邏官である事が多い。同じ警邏官といえども、実力派でNO.1の種田とは違い、警邏官になりたての新人からの依頼であるパターンが多い。警邏官は八百長をしてであっても正義の味方になりたがる奇特な人々の集まりである。彼らから見た場合の、『悪役』の派遣元こそが、ハートネットだ。

 ……秘密結社ハートネット。
 と、いう、表(?)の顔も存在している。実態は人材派遣会社であり、悪役業で……正義の味方陣営と癒着しまくっている存在であるが、害はあんまり無い。

 東京震災以後、法と株が崩壊してしまったこの国。治安は元々悪い。だからこそ、リアルライフオンラインのような、過去の世界に浸れる仮想現実が人気なのだろう。現在、多くの国民は、仮想現実にログインしながら、点滴で栄養を得ている。俺のように、休憩時間のみ、仮想現実を楽しむ者は少数だ。

 わざわざ現実世界で汗水たらして働いている方が変わり者だと揶揄される事すらある。しかし俺としては、ゲームには課金したいので、やはり働かなければならないだろう。

「高杉、次、第三区画の南阿須橋地区で、二人組の女性に絡む不良を演じてきてくれ」
「頑張りまーす」

 頷いて、俺はティラミスさんから、事前調査報告書を受け取った。
 立ち上がり、俺はハートネットのオフィスから外に出る。現在は、春だ。どこか湿った冷たい風が吹いてくる。リアルライフオンラインでは寝たきりだったため、自分にきちんと筋肉がある事にホッとしてしまう。

「しっかし、種田か……」

 なお、この本物の現実において、俺は種田とは親しくない。本物の正義の味方から見ると、俺達のような存在は、実害はなくとも、やはり『悪』らしく、たまぁに顔を合わせると、俺は終始睨まれている。俺は車に乗りながら、首を捻った。

 決して親しくはないのだが、俺が仮想現実ゲームをすると、種田が出てくる事は比較的多い。これには理由が一つだけある。ある日、種田に声をかけられたのだ。

『一緒にゲームをしない?』

 小学校時代の話である。俺は笑顔で了承し、その場で仮想現実IDを種田と交換した。以降、俺と種田が同時に同じゲームをした場合、お互いの情報が共有されるように設定上で変化した。俺と種田は、仮想現実ゲームをするという意味では、フレンド登録をしているのである。俺は一度登録したら、面倒なので解除をしない。だから、種田が出てきてもあんまり気にならない。けれど――必ずといっていいほど、なんのゲームをしても種田が出てくるので、あの多忙な種田に、本当にそんなゲーム時間が存在しているのかと不思議になる事があるのだ。

 車を走らせて目的地に向かった俺は、派手な髪色のウィッグを装着し、調査書に目を通した。なんでも、『女性を救出する事で出会いが欲しい』という依頼であり、出会いの演出のために、俺が女性に絡み、そんな俺をその場に現れた依頼主が撃退するという流れらしい。

 しかし、ナンパなんて久しぶりだなぁ。
 対象の女性二人組(内片方の女性は協力者)を目視した俺は、悪っぽいサングラスをかけて、歩み寄る事にした。

「?」

 俺が正面に立つと、ターゲットの女性が首を傾げた。協力者の女性を一瞥すると、小さく頷かれた。

「お姉さん達どこに行くんだ?」

 俺がニヤリと笑うと、ターゲットの女性が――赤面した。

「こ、これから、二人で食事にでも行こうかなって話してて。ね? そうだよね? ナヅナ!」
「うん……うん? そ、そうだね、そうだけど……どうして顔が赤いの、ユイ」
「だ、だって! ちょ、ちょっとナヅナ……今メッセージ送ったから見て!」

 ポケットに片手を突っ込みながら、ターゲット女性であるユイさんが叫んだ。俺は二人の反応が良くわからない。

「よ、良かったら、ご一緒にどうですか? ね、いいよね、ナヅナ?」
「ちょ……ユイ! まさかユイ……え、え?」

 何故か俺の正面には、ぐいと詰め寄ってきたユイさんが見える。満面の笑みで、ユイさんは、俺を食事に誘ってくれる。ん? 嫌がって拒否する流れのはずなんだけどな。

「あ、の! 是非三人でお食事でも――」

 ユイさんが続けた。困惑して俺は、ナヅナさん(協力者)を見る。するとナヅナさんも困った顔をしている。どうしよう。ナンパに成功してしまったということであろうか?

「それ、僕も行っていい?」

 その時、淡々とした声が響いた。俺は目を丸くした。二人が俺の真後ろを凝視して硬直したため、俺も振り返ってみる。

「種田……」
「久しぶり、礼人さん」
「おう」
「大歓迎です!」

 今度はナヅナさんの顔が赤く染まった。種田を一心に見つめ、頬を染めているのだ。

「え?」

 俺は狼狽えた。そんな俺の手をユイさんが取り、俺の隣に立った種田の手をナヅナさんが取る。どういう状況だ?

「ちょっと待ってくれ。食事?」

 俺が聞き返すと、俺以外の三人が頷いた。ま、まずい。これでは普通のナンパだ。違うのだ。そろそろ依頼主が助けに入る段階だというのに……! 焦って俺はナヅナさん(協力者)を見た。すると彼女が、笑顔のままで言った。

「私、種田さんのファンなんです! 種田さんとお食事できるなら、もうそれだけで! 何もお気になさらないでくださいね!」
「え?」
「蒔長くんには、後で私からトークアプリで説明しておくので!」

 蒔長くんというのは、今回の依頼主である、蒔長藤助(まきがながとうすけ)氏の事だろう。
 ……。
 ま、まぁ、丁度お腹もすいているし、いいかな? 俺はそう判断した。ハートネットは緩い会社だから、協力者もこう述べている以上、お咎めは無いだろう。

 しかし謎ではある。なぜなのか俺を見て真っ赤なユイさんと、種田しか見えていない様子のナヅナさん、そしていきなり現れた種田と共に、その後俺は、食事へと向かった。居酒屋に入った。