【5】小学生の時の記憶など無い。



「礼人さん、あのさ」
「ん?」
「――好意を寄せられてる相手と二人っきりの密室でベッドが存在する状況において、性行為をしたいか尋ねるというのが、適切だと本当に思ってた?」

 俺が箸を置いた時、不意に種田に言われた。

「え? 単純に疑問に思ってつい聞いちゃったんだけどな……」
「もし僕が、『ヤりたいです』『ヤらせて下さい』って言ったらどうするつもりだったの?」
「断る」
「――今の僕なら、礼人さんを力尽くで押し倒す事くらい出来るよ?」
「種田はそんな事しないだろ? お前みたいに真っ直ぐな善人の警邏官は貴重だからな」
「確かに強姦は犯罪行為だけどさ……うわあ、そういう信じ方されると裏切れないよね? 無自覚?」
「ん? どういう意味だ? 俺は思った事が口から出ちゃう方でなぁ……」
「うん。そういう所、本当好き。純粋で子供みたいでちょっと馬鹿そうな所が本当好き」
「さりげなく失礼だな。それ、褒めてないだろうが!」

 俺はから笑いをしてから、冷えた緑茶を飲んだ。美味しい。飲み物までいちいち美味しい。他にも意外な発見がある。種田は思ったよりもよく喋る。どことなく寡黙というか、口数が少ない印象だったのだが、雑談が途切れない。種田がこんなにも面白い奴だと、俺は知らなかった。そう考えたら、自然と笑顔が浮かんできた。

「――、――ね、ぇ」
「ん?」
「今なんで笑ったの? あと今の『ん?』っていうのさ、癖なんだろうけど、その聞き方本当好き」
「へ? や、ん? ん、んーっとだな、なんか話しやすくて楽しいなって思って」
「ここで僕のことを口説きにきた感じ? そんなにバンバンジーは魅力的だった?」
「は? バンバンジーは死ぬほど美味しかったけど」
「いや、生きて!」
「生きてるぞ? そうじゃない、種田が面白い奴だなって思ってさ」
「……ああ、もう、本当に心臓が持たない」
「お前こそ病院行けよ、心臓? 大丈夫か?」

 種田が片手で口元を押さえた。見れば真っ赤になっている。本当に心臓がきついのだろうか? それとも照れているのだろうか?

「後悔しないように言っていくスタイルに切り替えたから、言うけど、僕はちょっと礼人さんが好きすぎてまずいかもしれない。同じ空間にいるだけで、心拍数が尋常じゃないんだ」
「それ頻脈とかか?」
「違うよ。恋の病って奴かな」
「な、なるほど?」
「僕は告白して振られたら気まずくなると信じてたんだけど、こういう感じになるんだったら、もっと早く告白しておけば良かったと後悔してる」
「こういう感じってどういう感じだ? 俺はいつも通りだぞ?」
「うん。本当にいつも通りだね。礼人さんはやっぱり、礼人さんだったって確信したよ」

 今度は種田が両手で鼻までを覆った。耳まで赤い。俺はそんな種田の反応がよく分からない。ただ思うのは、そんな種田が嫌いではないという事だ。

「好きになったきっかけとかは、無かったのか? 俺は今、種田が嫌いじゃないと発見した所だ」
「嬉しすぎて倒れそうだよ……」
「倒れるって……本当に病院に行った方がいいんじゃないか?」
「――きっかけ、か。まぁ、そりゃあ、小学校の時に、イジメ被害に遭っていた俺を、クラス替え初日に救出してくれた正義の味方だったからね……」
「え? そんな事あったっけか?」

 俺は小学生の頃の記憶を必死でたどってみた。俺と種田の出会いは、確かに小四のクラスでの出来事である。現在は仮想現実学習が主流で、ごく一部の人間しか義務教育としての学校は経験しないのだが、我が家は父方が代々学業を重視する為、俺も弟も大学教育までは進学させられた。自分の意思では無い。

 新国立第一選抜東大学付属初等科の四年生で俺は編入し、小学校には三年間通った。種田と出会ったのは、編入初日の事である。種田は、俺の後ろの席だったのだ。あいうえお順の出席番号が決まっていて、高杉の俺のあとが種田だったのである。

「幼稚舎時代からずっといじめられてきた僕は、あの時まではそういうものだと思って諦めてたんだよね。学習性無力感とか言うんだろうけど」
「ほ、ほう?」
「それで僕が、また机に彫刻刀で落書きされたって思ってて、いじめの主犯達がニヤニヤしてたら、礼人さんが一喝――『ダサ』って。クラス中が凍ったよね。そのまま持ち上がり組みの派閥とか何も無視して、みんなと礼人さんは仲良くなって、リーダー的な存在になってさ」
「え? 俺そんな記憶ないぞ? なんかのゲームの俺と混ざってないか?」
「当時から礼人さんは無自覚で、本当に何も考えてなかったみたいで、そこも人間性っていうのかな、僕の好きな部分。人望すごいのに、それに気づいてないっていうか」
「お前こそ恋愛フィルターとかかかってないか?」
「恋愛的な好意以外の部分でも好きだったんだよ、ずっと。一緒に過ごした一年間が、僕の人生の中で今でも貴重なんだ」

 確かに俺はみんなと仲が良かったが、ピンと来ない。

「種田……お前……十歳の頃から、俺のことが好きだったのか?」
「まぁね。一目見た時から、こんなに端正な人類が存在するんだって驚いたけど、一番は人間性に惹かれた」
「……」
「以降、二十二年間片思いだよ。僕の人生は、片思い期間の方が長くて、礼人さんについて考えることはライフワークみたいになってるけど」

 俺は、過去に誰かに、ここまでまっすぐに好意を向けられたことは無い。なんだかちょっと嬉しくなってしまった。俺まで照れてしまいそうだ。

「で、でも! クラスが分かれて以後は、ゲームでそれぞれ記憶封印状態でしか話してないし! 幻滅するかもしれないぞ?」
「しないよ。僕としては十分話してたし見てたし。今回よく分かったのは、礼人さんの視界に僕が入ってなかったって事かな」
「……その、俺もお前はよく出てくるなぁとは思ってたよ?」
「それだけじゃ足りない。もっと僕の事を見て欲しい」
「……でも、種田だし」
「僕だと何か問題があるの?」
「種田は種田だから、俺の中では種田なんだよ!」
「よく分からないけど、礼人さんの心の中に、一応僕の居場所もあったみたいだと理解すると嬉しい」
「種田は本当に前向きだな!」
「意外と、礼人さんは後ろ向きだよね」

 そう言うと種田が微笑した。その笑顔が無性に綺麗に思えて、俺は焦った。胸がドキってしてしまった。いいや、違う、恋じゃないはずだ、種田が口説いてくるからそういう感じで受け止めてしまっただけだろう……。

 しかし笑顔を見て思う。種田は顔が良い。整っている。そして前向きで性格も良いと思うし(多分だが)――なんというか、完璧だ。そんな種田が、本当に俺を好きなのか? ちょっと信じられない……。

「ねぇ礼人さん。僕のことを好きになって? 僕の恋人になって欲しい」