【六】







「――というわけで、夜野は……『珠樹天狗』と呼ばれるようになったそうだ。きっと今も、いつか天狗紋を刻んだ珠樹が再来するのを待っているのだろうと、地元民は囁いている」

 つらつらと語った岩鞍の言葉が終わった時、春人は思わず瞠目した。
 そして、つい尋ねた。

「その珠樹というブナの木の神が贈った首飾り、今も身につけていたりする?」
「当然だ。俺はひと目でわかったぞ、その耳に天狗紋が仮に無かったとしても、俺は珠樹を見間違えたりはしない」
「今は、春人って名前なんだよ。そう、そっかぁ。あー、解決した。夢に出てきたのは、確かに君だったし、あの場所は僕らが過ごしたこの山だ。雪狗山の、僕らの家の風景かぁ。たった今、僕はすべてを思い出したよ。探しものって、僕の事だったんだよね?」
「その通りだ。そして俺が天狗だと町の者は知っている。俺がずっと待っている事も、な。例えば、今のお前の祖父とてそうだ。会えて良かった。やっと、『いつか』が来たと思って良いのか?」
「僕も会いたかった、の、かなぁ? 兎に角、夜野が天狗神になれてホッとしてる。僕はずっと君が先に死んでしまうと思っていたからね」

 苦笑した春人を、岩鞍夜野を名乗って、人の姿を象っているある天狗が抱きすくめる。

「今度こそ、俺の番になって欲しい」
「待っていてくれたのかぁ、ああ、まずい、嬉しいなぁ」
「それで、いつかの約束は?」

 嬉しそうな顔をしているのは、岩鞍もまた同じだった。二度瞬きをしてから、春人が目を伏せ、軽く顔を斜めに傾ける。二人の唇が触れ合ったのは、その直後だ。それが、答えでもあった。

「大学を卒業したら、僕はこの町に『戻ってくる』よ」
「そうか」
「そうしたら――今度こそ、きちんと番にしてもらおうかな」
「断る」
「え?」
「今が良い。もういつかなんてこりごりだ」

 微苦笑しながら岩鞍が述べると、春人がクスクスと笑った。そして自分から岩鞍に、更に強く抱き着いた。

「僕も、もう死別が怖いなんて言い訳をするのはやめる。今で良いよ。だけどまさか、君より先に僕の方が逝くとはなぁ」
「何があるかは、誰にも分からないものだな。閉館作業をしてくる。俺の先生はお前なのだから、もうこれ以上の御伽噺の講義は不要だろう?」
「そうだね。まぁ卒論用には、ちゃんとしたインタビューの記録とかも欲しいから、あとで協力は求めるけど」

 その後は岩鞍が作業をするのを、楽しそうに春人が見ていた。
 そして陽が落ち始めた外へと、二人そろって歩き出す。

「夜野が雪狗山の珠樹の所に今も居るという部分はお伽話だよね? だってここにいるんだから」
「町の中に、人の姿で暮らす家がある。だが何かと山には戻っているぞ?」
「そっか。お祖父ちゃんには、泊まるって連絡しようかな」
「ああ、俺ももっと珠樹と――……春人と話がしたい」
「うん。今の僕は、春人だよ」

 手を繋いで歩きながら、二人は岩鞍名義で夜野が借りている、一軒家へと到着した。中に入って空調の電源を入れた夜野は、それから改めて春人を見た。

「会いたかった」
「ごめんね、僕はすっかり忘れていたんだよ」
「いいや。逆に、記憶が戻った事に驚いている。それに何も謝る事は無いだろう? お前は悪い事なんて何もしていないのだから」

 横長のソファに座った春人の前に、夜野がポットからお湯を注いでお茶を置いた。それを見ながら、曖昧に春人が笑う。

「ううん、やっぱり、謝るべきだよ。一途に待っていてくれて嬉しいって喜んでるもん。君を悩ませたはずなんだけど、それすらも嬉しくて。僕は本当に、忘れていたしね」
「構わない。記憶が無くとも姿が変わっても、俺にとって珠樹は珠樹なんだ。名前が変わっても、それは同じだ。今後も、ずっと俺はお前を見つけ続ける」
「嬉しくて死にそうだよ」
「やめてくれ。なるべく長生きして欲しい」
「切実だね」
「ああ、切実だ」

 そんなやりとりをしてから、暫くの間、二人はお茶を楽しんだ。そしてどちらともなく視線を重ねてから――夕食後には、二人で寝室へと向かった。

「ん、っ……」

 譲原春人という人間になってから、珠樹は誰かに恋をした事は無かった。だが、甦った記憶が、それで正しかったのだと教えてくれる。何せ今、夜野が大切だという想いでいっぱいだからだ。

 服を乱され、全身を愛撫されながら、嬉しさで感極まっている胸中を、どのように伝えれば良いのか考える。何度も何度も、啄むようにキスをして、それから久しぶりに夜野の背に生える黒く巨大な羽を見た。

「ぁ、あ……」

 夜野の巨大な陰茎が挿いってきた時、快楽半分感動半分で、春人は目を潤ませる。

「夜野、好きだよ」
「俺の方が、お前を愛している」
「そんな事ない……ぁァ……んン!」

 春人の内側の感じる場所を、夜野が突き上げる。その度に、春人は声を堪えられなくなっていく。気遣うように緩慢だった夜野の動きが次第に激しさを増していく。

「あ、あ、あ」

 体を夜野が揺さぶる度に、春人の体を熱が絡めとっていく。

「んア――!」

 それから一際激しく貫かれた瞬間、春人は放った。ほぼ同時に、内側に夜野が出した感覚も知った。荒い二人の呼吸が、静かな寝室に響いている。一度陰茎を引き抜いた夜野は、目を潤ませ頬を紅潮させている春人の髪を優しく撫でた。

「もっと欲しい」
「う、ン……っ」

 深々と唇を重ねてから、二人は再び交わる。抱き起した春人の顔を正面から見て、今度は下から貫くように夜野が挿入する。そうされると、より深く内部を暴かれる形となり、春人は思わず背を撓らせた。

「あ、ぁあ……ンん」
「本当は、どこかで諦めていたんだ。もう会えないのではないかと。でも、信じる事しか出来ない俺がいた。だが、信じていて良かった」
「待っていてくれて、有難う」

 夜野がその言葉を聞くと、嬉しそうに笑ってから、春人の耳朶を噛んだ。すると春人の天狗紋がツキンと疼いた。夜野が何度も何度も、天狗紋に力を込めなおし、より深く魂へと番の証を刻み込む。

「ぁ、ア! っ、ぁ……夜野。もっと動いて」
「いくらでもな」

 こうしてこの夜、二人は散々交わった。冬の長い夜が終わるまで、それこそ空が白むまでの間、ゆっくりと深く長く、二人は穏やかに交わっていた。

 事後、朝になってから眠った春人は、夢も見ずに熟睡し、次に起きた時は、夜野の腕の中にいた。その顔を見て、幸せを?みしめる。

「おはよう、春人」
「おはよう」
「朝食の用意をする」
「料理が出来るようになったの?」
「人の姿を象っての暮らしも長いから、相応にはな」
「ふぅん。あ、そうだ。僕、考えたんだけど」
「なんだ?」
「お伽話、続きをきちんと今後は付け加えないとならないでしょう?」

 春人はそう言って笑う。

「『無事に珠樹というブナと再会を果たした夜野という天狗』について、きちんと書かないとね」
「――そうだな。だが、最後の言葉は、口にするまでもない」
「最後?」
「それ以外の未来を、俺は決してお前に齎したりしない」
「それって?」

 首を傾げた春人を見ると、夜野が楽しげに笑った。

「『めでたし、めでたし』だ」






  ―― 了 ――