【8】何も無い初夜と新聞




 食後、俺達は寝室へと向かった。
 巨大な寝台だが、一つきりだ。俺は壁側の位置に陣取り、壁側を向いた。

 ……幼少時に祖父と一緒に寝ていた事はあるが、それ以外では、初めて他者と同じ寝台で眠る事となる。かけた毛布ごしに、距離をあけているのだが、ユフェル殿下の体温が伝わってくる気がする。壁を見ている俺には、ユフェル殿下の姿は見えないが、他人の温度と存在感に、全然慣れない。

「!」

 その時、俺の背中をツンツンとユフェル殿下がつついた。俺は飛び起きた。

「な、何するんだよ!?」
「別に。目の前にあったものだから、つつきたくなって」
「は!?」
「随分と過剰に反応するんだな。何もしない予定だぞ、今日は」
「別に期待してるとかじゃないからな!?」
「なるほど、期待していたのか」
「だから違うから! 驚いたんだよ、純粋に!」

 思わず俺が叫ぶと、苦笑するようにしながらユフェル殿下が咳き込んだ。

「冗談だ。あんまりにも緊張している様子だったものだから、気になってしまってな」
「……」
「約束する。寝込みを襲うような真似はしない」
「当たり前だ!」

 俺が頬を膨らませると、ユフェル殿下が笑ったままで頷いた。
 改めて横になった俺は、まじまじと壁を見据える。
 すると――ツンツン、と、またユフェル殿下が俺の背中をつついた。

「だから何をするんだよ!?」
「あんまりにも離れすぎではないか?」
「え?」
「せめて俺の方を向いて眠ってくれ。距離が縮まるものも縮まらないだろう?」
「……」

 その言葉に、俺は縮めなくても良いと思いつつ……一応従った。
 真正面に、端正なユフェル殿下の顔が見えた。
 ユフェル殿下は俺の方を向いて寝ている。

 人間一人分程度の間隔は空いているが、見つめ合う形であるから、やはり緊張してしまう。だが、体は依頼をこなした事もあって、疲れていたらしく、直ぐに俺は眠くなってきた。ユフェル殿下の気配には慣れないが、顔を見ているのも気恥ずかしいというのもあり、俺は双眸を閉じた。結果、すぐに眠気がやってきて――俺は眠ったようだった。

 ――翌朝。

「……ネ。カルネ」
「ん……」
「もうすぐ朝食の時間だ。そろそろ起きるぞ」
「あ……」

 俺はユフェル殿下に揺り起こされた。
 村ではいつも自然と起床していたが(朝になると自然と目が覚めた)、誰かに起こされるというのは、祖父以来の事で、最初何が起きたのか分からなかった。俺は、俺を覗き込んでいるユフェル殿下の顔を、ぼんやりと見た。すると、ユフェル殿下がスっと目を細めた。

「あんまり無防備に寝ていると、朝の挨拶だという理由をつけて、キスをするぞ」
「! ばっちり覚醒したから、不要です!」

 飛び起きた俺は、慌ててベッドから降りた。逆にユフェル殿下のみが寝台にいる形になってしまった。それから俺とユフェル殿下は、それぞれ自室へと戻り、服を着替えた。そして揃って朝食の席へと向かった。

「今日も冒険者ギルドへ行くのか?」
「ああ。そのつもりだよ」
「気をつけるようにな」

 パンを食べながら、ユフェル殿下に言われた。俺は頷いた。その時、奥の厨房から、シェフが顔を出した。

「紹介する。シェフのイワンだ」
「よろしくお願いします、カルネ様」
「よ、よろしくお願いします……!」

 慌てて俺は頭を下げた。この人が、頬がとろけそうになる料理を生み出しているのかと、何度か見ながら考えてしまった。

「昼食は外でお食べになる事が多いようでしたら、お弁当の用意も承りますが」
「え? 良いんですか? お願いします!」
「かしこまりました。では、本日からご用意させて頂きますね」

 穏やかに笑うと、イワンさんは厨房へと戻っていった。それを見送ってから、俺は朝食を再開した。ユフェル殿下は、サラダを食べながら、俺を見ている。目が合ったので、俺は尋ねた。

「ユフェル殿下は、今日もご公務?」
「呼び捨てで構わないぞ」
「……う、うん」
「そうだな。公務というか――俺は、生まれ持った魔力を活かして、王室に害なす存在の監視や王都の状況の把握等を行う特別騎士団に所属しているから、そちらの副団長業務を通常は行っているんだ。その他に、公務としては、書類仕事や視察がある形だ」

 ユフェル殿下……ユフェルが、特別騎士団の副団長だというのも、俺は新聞で読んだ事があった。新聞だけは毎日読むようにと、祖父に言われていたのだ。新聞は冒険者ギルドで読む事が出来た。新聞専用の転移魔法陣が村にも存在したのだ。時々郵便にも使われていたらしい。

「そうなんだ。所で、この家には新聞は届くのか?」
「ああ。いつでも読める。アーティ、アイロンがけは終わっているか?」
「終わっております」

 新聞には、アイロンをかけるのだろうか? 俺は、アイロンとは服に用いる品だと漠然と思っていた。魔道具だ。

「今日の一面は、俺と君の結婚の記事だ」
「え?」
「名前が載るだけだから、冒険者としての活動には支障は無いだろう。ドールという家名は、ドール伯爵領地には多いから、目立つ事も無いだろうしな」
「そ、そうなのか?」
「ああ」

 昨日、ディアスさんは祖父の事を知っていたが、祖父がドール伯爵家の関係者である事も知っているとすれば、一発でバレてしまう気もするのだが……まぁ、聞かれたら、その時はその時だ。俺は王都で独り立ち出来るまでは最低限、この家で頑張りたい。そう考えると、俺だって利己的な理由でユフェルを利用しているわけだから、ちょっと心苦しい……。

 食後、すぐにユフェルが出かけたので、俺は珈琲を飲みながら、新聞を見せてもらう事にした。王国新聞の一面は、確かに俺達の結婚記事だった。

『第二王子殿下結婚! お相手は、ドール伯爵家御子息』

 と、書いてあった。俺の素性の部分には、『病弱でご静養中だったご長男』と書いてある。伯爵家は、次男が相続すると書いてあった。俺はこの時になるまで、俺に弟がいる事すら知らなかったのだが……。本当に俺は、家族とは疎遠だ……。

 気分を切り替えて、その後は、お弁当を受け取ってから、裏門を通って、冒険者ギルドへと向かった。

 ディアスさんと目が合ったが、特に何を言われるわけでも無かった。
 本日の受付業務は、別の担当職員さんらしい。俺と同じ歳くらいの青年が、カウンターの中にいて、ディアスさんは他の冒険者と何事か雑談をしているようだった。

 さて――俺は本日も、依頼書を眺める事とした。本日は、『C』の募集を見るのである。