【7】マナーと好み




 アーティさんが呼びに来てくれて、俺はその後ろに従い、階段を降りた。
 食堂へと入ると、そこには既にユフェル殿下の姿があった。
 その顔を見たら、何故なのか少しホッとしてしまった……。

 まぁ、それはそうか。昨日と今日の二日間、ユフェル殿下とは顔を合わせている。他の人々とは、今日会ったばかりだ。親近感で言うならば、ギルドのディアスさんの方が、俺の中では格段に上になったが。

「王都はどうだった?」

 俺が席に着くと、ユフェル殿下がこちらを見た。俺は思わず両頬を持ち上げた。

「冒険者ギルドに行ってきて、王都での初依頼もこなしてきたんだ。冒険者ランクも上がったんだぞ」
「そうか」
「上手くやれる気がする」

 誇らしい気分で俺が告げると、ユフェル殿下が喉で笑った。その表情が優しげに思えて、俺は本格的に肩の力が抜けた――が、続いて食卓を見て、硬直した。ナイフとフォークとスプーンが大量に並んでいる。アーティさんがワイングラスに葡萄酒を注いでくれたのは、その時の事だった。それが済むと、自然な動作でユフェル殿下がグラスを手にする。

「乾杯」
「あ、ああ……」

 俺はあまり酒を飲んだ事が無い。だが、一応、形ばかりグラスを手に取った。それからユフェル殿下が一口飲んだのを見てから、俺はグラスを置いた。そばには、水の入ったグラスもあったので、俺はそちらを飲もうと思う。

 ……冒険後の麦酒は美味しいらしいし、豪快にジョッキを誰かと合わせてみたいという夢はあるのだが、俺は洒落た酒はそもそも飲んだ事がないため、今、飲む気分では無い。というよりも、飲み方が分からない。フォーク等の使う順番も分からない。マナーがさっぱり分からないのだ。

「酒は好まないのか?」
「べ、別に……た、ただ、その……水の気分というか」
「ジュースは?」
「え、えっと、なんでも……」
「アーティ。カルネに別の飲み物を用意してくれ」
「かしこまりました」

 ユフェル殿下が言うと、アーティさんが頷いた。なんだか居た堪れない。
 ナイフとフォークを手にしているユフェル殿下は、それから俺を見た。

「食べるとするか」
「……ああ」

 俺は見よう見まねで、ユフェル殿下と同じナイフとフォークを選んでみた。上手く使える自信はゼロだが、目の前には美味しそうな仔羊のステーキがある。ユフェル殿下が食べ始めたので、俺は必死に手を動かした。一口食べてみる。……死ぬほど美味しいように思ったし、頬がとろけそうではあるのだが、マナーが分からなさすぎて、そちらが気になって食事に集中出来ない。そんなこんなで暫く俺が格闘してると――視線に気付いた。

 顔を上げた俺は、真っ直ぐにユフェル殿下と視線が合ったものだから、マナーの欠如に気づかれたと思って、憂鬱な気持ちになった。

「口に合わないか?」
「――へ?」
「随分と食べるのが辛そうに見えるぞ?」
「や、違うんだ。すごく美味しいよ?」
「ではどうしてそんなに顔を曇らせているんだ?」

 ユフェル殿下がスっと目を細めた。その表情と言葉に、俺は素直に述べる事にする。

「その……マナーが分からなくて」

 するとユフェル殿下が、虚を突かれたような顔をした。
 そして――次の瞬間、小さく吹き出した。

「別に、気にせず食べて構わないぞ」
「え、けど……」
「気になるならば家庭教師役をアーティに頼んでおくし、これから覚えれば良い――が、基本的には味わって食べる事が一番だ。その方がシェフも喜ぶ」
「……」
「俺も退屈そうに食べる人間より、喜んで美味しそうに食べる人間の方が好ましい」

 ユフェル殿下は優しいと思う。俺は救われた気分になりながら頷いた。
 俺は気分を切り替えて、肉を切った。そうして今度は味に着目しながら、フォークで口に運ぶ。やっぱり……美味い。なにこれ。

「こんなに美味いものを食べたのは、人生で初めてだ……」
「今日は、結婚記念と聖夜である事と初日である事も手伝って、シェフが気合いをいつも以上に入れたらしい。シェフも後で紹介する」

 ニコニコしているユフェル殿下の言葉に、俺はそういえば聖夜だったと思い出した。本日はイヴだ。前夜祭の夜には、この王国では通常ケーキを食べる。俺はデザートの一つかと思っていたのだが、よく見ればテーブルの上には白いクリームケーキも置いてあった。

「好き嫌いがあれば、伝えておいてくれ」
「特にない」
「そうか。では、好きな人間の好みは?」
「へ?」
「親睦を深めるには聞いておいた方が良いだろう?」

 ユフェル殿下はそう言うと、静かに葡萄酒を飲み込んだ。俺はそれを聞いて、戸惑った。漠然とこれまでには、家庭的で優しい女の子としか考えていなかったのだ。

「……ユフェル殿下とは著しく違うから、言わない方が良いと思う」
「何? 逆に気になるから聞かせてくれ」
「家庭的で優しい女の子」
「性別以外は、俺に適合すると思うが? 俺は、伴侶はある程度大切にするつもりだ」
「家庭的っていうのは、例えば手作りのマフラーを編んでくれるというような意味だ。ユフェル殿下が、俺にマフラーを編む姿は想像できないし、俺も男が編んだものは別に欲しくない」

 素直に俺が答えると、ユフェル殿下が咽せた。

「確かに俺も、愛妻家になるという意味合いで放った言葉であるから、編み物は想定していなかった。俺も同時に、カルネから手作りのマフラーを貰いたいと考えた事は無い」
「だろ? 男同士で家庭的って難しいよな? 俺も、奥さん――配偶者を大切にする方向で考えてた」
「編み物を男性がしないというのは偏見かもしれないが、少なくともこの国では珍しいからな。手芸は女性の趣味である事が多い」
「俺もそう思う」
「しかし必要ならば、俺は毛糸を明日にでも購入しよう」
「だからいらないって!」

 そんなやりとりをしていると、俺の体からは緊張が取れ始めた。落ち着いてきたので、パクパクとステーキを食べる事が出来た。