1:抱きたいと言われた……。




 俺の家は、郊外の貧民街にある。
 貧民街の中では豪華な部類に入る木の一軒家。その扉を俺は開けた。
 すぐに施錠したのは、強盗の存在が強く根付いているからである。

 火にヤカンをかけてから、俺は外套を脱いだ。下に着ている灰色の服も脱ぐ。
 誰も来ないから上半身は裸のままで良いかと考えた。ボトムスは黒である。
 俺は地味な色合いが好きだ。

 煙草を銜えてお湯が沸くのを待ってから、粉の珈琲を淹れる。
 簡素な椅子を引くと、凸凹した床が音を立てた。客観的に見れば、ボロ屋である。
 そうして一服してから、俺は筋トレをする事にした。

 ――ずっと一人で依頼をこなしているから、時には剣士や武闘家の真似事をしなければならない事もある。草むしりの最中だって、場合により魔獣に遭遇する事もあるのだ。俺には取り柄がないが、ある程度を一人でこなせる事は、一応のアピールポイントでもある。

 俺の職業は、正確には賞金稼ぎだ。あるいは冒険者と呼ばれる。国家や街単位、あるいは裕福な商人や貴族の個人から、様々な依頼を受けて、それを達成して報酬を貰う。これが俺の仕事だ。

 それから二百回程腹筋をした時――コンコンと控えめなノックの音が聞こえた。

 誰だろう? 今まで、この家への来訪者は、押し売りと強盗のみだ。
 今回はどちらだろうかと考えながら、俺は入口脇に立てかけてある鉄パイプを見た。
 一応直ぐに応戦できる用意がある。そう頷いてから、俺は扉の前に立った。
 インターホンなどという上等なものは、この家には存在しない。
 覗き穴すら無い。

「はい」

 平坦な声で俺は告げた。相手が分からないからではなく、元々俺はこういう声なのだ。

『バルト?』

 その声に、驚いて俺は扉を開けた。同業者の声だったからだ。

「ラスカ?」
「!」

 すると俺を見て――ラスカが真っ赤になった。何故だ?

「わ、悪い……風呂だったか? いや違う、待て、待て、扉を閉めろ、危険だ」

 その言葉で、俺は自分の上半身を見た。男の裸にそこまで反応しなくても良いだろうと思いながら、中に一歩入る。

「悪いな、すぐに着る。入ってくれ、どうかしたのか?」
「えっ……!? 良いのか……!? いや、ダメだろう、そんな、無防備な……!」
「?」
「私の理性が……」
「早く入ってくれ」

 俺の言葉にラスカは、一度唾液を嚥下してから中へと入ってきた。鍵をかけてから、俺は上着を手に取る。新しい服を出しておいて良かった。その後、食料庫を開けて、瓶麦酒を取り出す。ラスカには酒が良いだろうと思ったのだ。

「構わないでくれ。それに酒は今はいい。大切な話があってきたんだ」
「なんだ?」

 椅子を引いて座りながら、俺は視線で正面の席をラスカに促した。

「単刀直入に言う」

 座りながらラスカが続けた。

「抱かせてくれ」
「――は?」

 俺は、体を強ばらせるしかなかった。




 世界には、黒魔術と白魔術と灰色魔術が存在する。これは、常識である。
 攻撃の黒魔術と、回復の白魔術。そして――どっちつかずの灰色魔術だ。

 俺は、灰色魔術師である。ラスカは、黒魔術師だ。
 ――魔術師というのは、職業ではなく技能だ。魔術を用いて、賞金稼ぎの仕事を俺はしているのである。実際には、草むしりなどが多いわけだが。

 魔術の行使には、遺伝的な魔力を要する。
 だから俺は、灰色魔術師に好んでなったわけではない。俺の適正が灰色のみだったのだ。

灰色魔術師の場合、最上級者は『器用貧乏』と呼ばれる。ちょっとした攻撃とちょっとした回復が出来る。そして多くの者は、『無能』とされる。転んで出来た擦り傷の痛みが、ほんの僅かに和らいだり、デコピン程度の威力の風を起こしたりしか出来ない。これらだって魔術が使えない者から見れば十分とはされる。

 ――世界には、何のために灰色魔術が存在するのだろう?

 俺は時々この命題を考えるが、納得がいく答えなど出た事はない。ちなみに、既に出ている回答が、一つだけある。

 灰色の魔力は、黒魔術師にも白魔術師にも、欠乏した魔力を供給できる。
 つまり他の二者へ魔力を供給する存在として、この世界に生まれた。

 聞けば納得できなくはない。だが――魔力を渡す時、灰色魔術師は体を差し出さなければならない。性行為を通じてのみ、魔力は譲渡ができる。だが、必ず受身で、誰かに”抱かれる”……体も魔力も奪われるわけである。

 灰色魔術師は――黒魔術師や白魔術師に”選ばれる”と、問答無用で寝台に向かわなければならない。これは、国の規定である。

「……」

 俺は、じっとラスカを見た。
 それから俯いて、カップの中身を眺めた。

 どう考えても、俺とラスカでは釣り合わない。俺はしがないおっさんの魔術師で、しかも灰色だ。年の差もあるが、何より実力も違いすぎる。魔法剣士だというラスカから見たら、確かに地味だろう。黒魔術を剣に宿らせて戦うという彼は、それこそ国から依頼を受けて、ドラゴンを退治するような凄腕だ。

 そして外見も違う。俺はお世辞にも顔が良いとは言えない。頑張って平凡だろう。だが、ラスカはちょっと目を惹く。次に性格も違う。俺は根暗ではないかもしれないが、少なくとも社交的ではない。淡々としているというのが自己評価だ。感情の動きも鈍い。その点ラスカは明るいし、情にも厚いと聞く。実際、俺に気を遣ってくれたりと、普段から優しい。ラスカはこの界隈の賞金稼ぎの憧れだ。

 そのラスカが、何故俺を抱きたいなどと言うのか。