【1】隣国の間諜を捕まえる!?
「ライナ、起きろ。ライナ!」
「起きている。もう午後の二時だ」
俺が振り返ると、入ってきたお祖父様が突進してきた。慌てて受け止める。祖父は長く白い眉毛をしているから、きっと目が隠れて見えなかったのだろう。俺は起きているのに、祖父はいつもこう言って俺の部屋に入ってくる。大抵の場合、大した用件ではない。
「いいか、ライナ! 明日からお前は、近衛騎士団の所属になることが決まった」
「え?」
「これは非常に名誉なことだ」
ピンと来なくて、俺は首を傾げた。俺は、現在は第三騎士団に所属している。第三騎士団の仕事は、王都の警備だ。よって、週に三日、当番の日に街の見回りをしている。貴族であれば、名前を書けば誰でも入れる。貧乏男爵家の長男の俺でも入れた。
しかし、近衛騎士団は、話が違う。難関試験をパスした類いまれなるエリートと、どこかの騎士団で経験を積んだ実力者で構成されていると聞く。王宮の警備が仕事であり、王家の皆様や、この国を動かす宰相府の皆様をお守りするのが仕事らしい。王宮には他にも大神官府や魔術府などが存在する。国の要だ。重責ある仕事であり、第三騎士団のように、行きたくない日は休んだりできないはずである。俺は休んだことはないが。
「ほれ、先日――強盗を捕まえたと言っておっただろう?」
「ん? ああ。花屋さんの角のひったくりか?」
「おそらくそれだ。隣国からの間諜であったそうだ」
「え」
「さすがはライナだ。一発で不審者を見抜くなんて! ぜひお前に王宮でその不審者を見抜く目を発揮して欲しいという話でなぁ」
「い、いや……そんなことを言われてもな、ただの偶然だ……間諜だなんて知らなかった。今初めて知った……」
「何も問題はない。引き受けておいた」
「へ?」
「明日から王宮勤務となる。寝坊するなよ」
お祖父様は、そう言ってバシンと俺の肩を叩くと、満足そうな笑顔で部屋から出ていった。残された俺は、一人で呆然としていた。
その日の夜には、近衛騎士団の装束が届いた。それを見たら、一気に現実感を覚えて、俺は冷や汗をかいた。俺に務まるのだろうか……? 不安しかない。
こうしてドキドキしたまま、朝を迎えた。あまり良く眠れなかった。
アーチ型の石橋を進み、門番をしている近衛騎士――今後の先輩に挨拶をしてから、俺は王宮に入った。咲き乱れる花に、最初に息を呑んだ。現在は冬と春の中間なのだが、庭には四季全ての花が咲き乱れている。魔術である。間近で見るのは初めてだった。きれいだなと思いながら歩いていくと、続いて噴水が目に入った。見れば、水しぶきの間に――小さい羽の生えた妖精が飛び交っていた。神聖術が働いている噴水だから、集まってきているらしい。概念では分かったが、俺は生まれて初めて妖精を見た。王宮はすごい。
感動していると、歩いていた人々が一斉に立ち止まって頭を下げたのが分かった。見れば、宰相府から王宮へと、宰相閣下と宰相府の文官が大勢戻ってくる所だった。慌てて俺も、深々と頭を下げる。周囲が頭を上げた気配がしたので、俺も吐息して顔を上げた――その時だった。
宰相補佐の文官と――目が合った。
浅葱色の瞳が俺を射抜くように見たのである。何か粗相があったのだろうかと、俺は硬直した。濃い青の髪をした宰相閣下は、切れ長の瞳でしばらくの間俺をじっと見ていた。
「どうかしたのかね?」
「――なんでもありません」
その人物は宰相閣下から声をかけられると、するりと俺から視線を外して、歩みを再開した。それを見た瞬間、一気に全身の緊張が解けた。心臓がバクバク言っている。思わず大きく息を吐いた。
去っていく後ろ姿を眺めながら、俺は気を取り直した。ヴォルフラム宰相補佐官は、俺の代の出世頭なので、実は俺も知っていた。王立学園で、同じ学年だったのだ。一度も話したことはないが、当時から俺は尊敬していた。剣も座学も一番優秀で、誰も勝てなかった。みんなの憧れである。俺もああいう男になりたい。容姿も、同性から見ても格好良い。同じ二十三歳なのに、ヴォルフラム閣下の大人力は半端ないと俺は思う。
そんなことを考えていたら、また人々が頭を下げる気配がした。
今度こそ粗相がないようにと、素早く一瞥する。見れば、第一回廊から第二回廊へとつながる庭を、大神官府所属の聖職者達が横切っていく所だった。彼らは、神聖術という癒しの力の使い手である。その一番前を歩いている人を見て、俺は息を飲んだ。
輝いて見えた。あんまりにも神々しかったのだ。混じりけのない金髪で、瞳の色も金――すらりと背が高くて、形の良いアーモンド型の瞳をしている。白い神官服まで煌めいて見えた。作り物じみている。衝撃を感じながら、俺も頭を下げた。そして顔を上げた時には、その集団は遠くに進んでいた。
俺は王国新聞で見たことがあった。今のは、グレン大神官だ。多くの場合、神官は魔物との戦いの際に、後方で回復を担当するらしいのだが、グレン大神官は、最前線で神聖術による攻撃を行うらしい。神聖術による攻撃が出来る人は滅多にいないという。グレン神官長が第一人者であり開拓者であるそうだ。まだ十九歳だと新聞で見た。俺より五歳も年下だ。だが、年齢より才能がモノを言う。この前も、腐竜を討伐したと一面に出ていた。この国の英雄である。写真でも綺麗だとは思っていたが、間近で見るとインパクトがすごかった。本当に存在するんだな……さすがは王宮だ……。
そう考えていたら、今度は、ざわめきが聞こえてきた。「素敵」だとか「格好良い」という、憧れの声と眼差しが広がっていく。皆が、見惚れるように動きを止めている。今度は誰だろうかと思って視線を向けると、魔術府から宮廷魔術師の一群が出てきた所だった。
俺は、魔術師を始めてみた。魔術師というのは、非常に数が少ない。その上、魔物討伐には不可欠な存在なので、多くの場合は王都外に出ている。王宮には、王都外のその時々の最前線へと転移可能な魔法陣があるらしい。
さて――そんな魔術師の中でも、限られた者しか身につけられないのが、紫闇色のローブである。服だけで、もう見惚れるし格好良い。初めて見る本物の服に俺は感動していた。そしてゆっくりと顔を見て、小さく息を飲んだ。燃えるような赤い髪に朱色の瞳、少しだけつり目だが大きい瞳。この人物を俺は初めて見たが、白い手袋をはめた右手の甲に、宮廷魔術師の紋章と黒い薔薇の刺繍、『U』という刻印があったので――第二宮廷魔術師団長だと分かった。だとすると名前は、アーク様である。
確か二歳くらい年上であるが、彼もまた、同年代として良いだろう。しかし、アーク様は既に国の要人である。彼がいなければ、魔物との戦いは困難を極めるだろう――と、新聞で見た。今も、魔法陣を用いて、どこかに討伐に行くらしい。
それにしても有名人がこんなに歩いているなんて、本当にすごいなぁ。
感嘆の息を漏らした俺は、その後、近衛騎士団本部がある王宮本館の三階へと向かった。
「今回呼んだのは他でもない」
本部に入ると、隣の応接間に俺は連れて行かれた。そして入るなり、施錠したイフリート近衛騎士団長が声を潜めて俺に言った。
「王宮内部にいると思しき隣国からの間諜を捕らえて欲しいのだ」
俺は静かに聞いていたが、胃が痛くなった。花屋の付近で捕まえた窃盗犯については、本当に俺は何も知らなかったのだ。予想外の言葉に、俺は面食らった。
「既に王宮にいる近衛は、懐柔されている可能性もあるし、迂闊に取り調べをすれば目立つ。そこでこれまで無関係だった貴君を呼んだのだ。これは国の一大事。心して臨んでほしい。表向きの貴君の職務は、王宮全体の巡回警備となる。自由に不審者のもとへと赴き、心置きなく捜査してくれ」
こうして、俺の近衛騎士としての生活が始まった。