【八】旧宮殿





 一度王宮を出てから、敷地の北側にある旧宮殿へと入った。現在、予約をすれば、ここには国民も入る事が出来る。聳え立つ旧宮殿の二階のテラスを見上げ、俺は窓辺にいるシュトルフの姿を見つけた。

 現在、午前十時四十五分。
 見合いの開始は午前十一時からだ。俺は十分前に到着するのを目指すようにと促されている。視線を戻して、俺は旧宮殿の中へと入った。豪奢な階段を上りながら、俺は必死で、好きでない相手に告白して振られるイメージトレーニングを繰り返した。

 二階の料理店に入ると、恭しく給仕の者達に頭を下げられた。その位置からでも、シュトルフの姿が見える。

 俯きがちにしているシュトルフは、同性目に見ても男前である。漆黒の髪、紫暗の瞳、整った顔立ち。自分で言うのもなんだが、これまでの俺は大層モテた。だが、シュトルフもまた夜会などでは引っ張りだこだった事を俺は知っている。

 その時シュトルフも俺に気づいたようで、チラリとこちらを見ると立ち上がった。

「待たせたな」

 シュトルフの正面の椅子が引かれた所で、俺は声をかけた。俺の方が好いている設定なのだから、無言は変だと思った結果だ。シュトルフは紫色の瞳でじっと俺を見ると、軽く首を振る。

「いいや」

 その後、シュトルフと俺の双方が座った時、人々が離れていった。本日は、二人きりで話をするという事になっている。話がまとまったら、仲人などの元、改めてまた会食するらしいが――見合いの条件として、ツァイアー公爵家から『まずは二人きりで話をする』という項目を挙げられた結果だ。

 テーブルに置かれている珈琲とティスタンドをじっと見ながら、俺は脳裏で予行演習を重ねた言葉の数々を必死に思い出す。

 やはり天気の話から始めるのが無難だろう。

「今日は曇っているな」

 ……晴れていたら良かったんだけどな? あんまりお日柄が良い感じはしないな。

「そうだな。午後には雨が降り出す可能性が高いと、王国新聞に、気象予報魔術師の解説が載っていた」

 シュトルフは指の長い手をカップに伸ばした。
 過去、俺とシュトルフが天気の話をした事は――実は非常に多い。なにせこれまで、敵としてしか意識していなかったので、周囲の人目を気にして雑談する場合、九割は天気の話をして過ごしてばかりだったからだ。

「クラウス殿下」
「クラウスで構わない」
「っ、ここは私的な場であってそうではない。殿下は殿下だ。第一王子殿下だろう?」
「二人きりの時のように気さくに呼んでもらえないか?」
「いつ俺とお前が二人きりになったと言うんだ! たまに呼び捨ててしまう事があれど、それは別段親密だからではないだろうが! 従兄弟だからだ!」

 シュトルフがカップを取り落としかけ、慌てて置いた。二人きりには、最近だと卒業パーティの時のトイレでなったと俺は思う。顔を上げたシュトルフは、目元を赤くして俺を睨んでいる。声を潜めながらも厳しい口調のシュトルフを見て、俺はそれだけでどっと疲れた。ただでさえここ三日ほどは、イメージトレーニングに忙しくてよく眠れていない。

 俺は思わずあくびを噛み殺した。

「……クラウス殿下、眠そうだな」
「ああ。緊張して眠れなかったんだ」

 どうやって破談に持ち込むか、悩みあぐねいていたからな! 

「な」
「毎晩シュトルフの事を考えていると、兎に角寝付けなくてな……」

 断罪を回避して振られるというのは、考えれば考えるほどにハードルが高い。

「俺の事を考えて、眠れなかった……だと……?」
「そうだ」

 素直に俺が頷くと、シュトルフが沈黙した。今度は頬まで若干赤くなっている。早速怒らせてしまったのだろうか? 冷酷に見えるが、シュトルフの沸点は意外と低い。

「……」

 そのままゆっくりとシュトルフは、カップを手に取り傾けた。俺も眠気覚ましにと、珈琲を一口飲み込む。それからカップを置いた時、シュトルフが細く長く吐息した。

「腹を割って話そう、クラウス」
「ああ」
「一体何が目的で、俺を好きだなんて言い出したんだ?」
「溢れる本心を抑える事が出来なくてな」
「っ、げほ!」

 シュトルフが咽せた。俺も信ぴょう性に乏しい事は理解している。だが、上手く立ち回らなければ。

「だが、一方的な俺の気持ちだという事は、重々理解している。決してシュトルフを困らせたいわけでもないし、気持ちを押し付けたいわけでもない」
「冗談だろう? 言わせてもらうが、嘘だろう!?」

 俺が全力で振られに行くと、シュトルフが首を傾げて訝しそうな目をしながら笑った。頬が完全に引きつっているのが見て取れる。実際、嘘である。しかしそれを露見させるわけにはいかない。

「俺は自分の気持ちに嘘をつくことは出来ない」
「……、……クラウス。だ、だが、これまでそんな素振りは無かった。俺はそれをよく知っている」
「気づかれないようにと、この想いは迷惑だろうからと、心に蓋をしていた」
「それはない。お前の視界に、俺は入っていなかった。王位争いをする従兄以外の意味合いにおいては」
「どうしてそんな事を言うんだ?」

 実際、シュトルフの言葉は正しい。だが、シュトルフにはそれを証明する事は出来ないはずだ。俺はなるべく不憫に見えるよう、雨に濡れた子犬を連想しながら、大きく目を開け、真剣な風を装って、じっとシュトルフを見る。

 するとシュトルフが息を呑んだ。やはりその目元や頬が赤く見える。元が比較的色白なので、耳まで赤いのがよく分かる。だが怒っているというよりは、照れているように見える。

「俺は、ずっと……クラウス殿下を、ずっと見てきて……それこそ、だからその……」
「ずっと見てきた?」

 そういえば卒業パーティの日もそのような事を言っていたな。

「っ、その……――妹の伴侶として相応しいか観察していたからだ」

 慌てたようにシュトルフが顔を背けて目を閉じた。つまり、シスコンという事で良いのだろうか。

「ま、また……あ、あくまで一般論として述べるが、好きな相手の気持ちがどこにあり、その者が誰を見ているかくらい、好いていれば分かるだろう? 少なくとも、俺には分かる。クラウス殿下は違うようだが」

 続いて、ごく小さな声でシュトルフが述べた。
 確かに俺は違う。俺は、シュトルフが誰を好きだとかは知らない。順当に考えれば、亡くなった奥様だろうが、あちらも清々しいほどまでの政略結婚だったらしいというのは、母から朝見せてもらった資料に記載されていた。と、すると?

「シュトルフ、お前好きな相手がいるのか?」
「!」
「そちらを後ぞえにと考えていたのに、俺がこんな事を言い出して困っているという事だな?」
「い、いや、違――」
「安心してくれ。繰り返すが、俺はシュトルフに迷惑をかけるつもりは微塵も無いんだ!」

 もしかしてこのまま雑談を重ねていたら、自動的に振られるんじゃないか?
 俺は前途が明るく思えてきた。