【二十八】庭園







 食後、近衛騎士達に入口まで先導してもらい、俺とシュトルフは庭園へと向かった。門をくぐったのは、俺とシュトルフだけで、現在は庭師の姿も無い。

 色とりどりの花が咲き誇る庭園を進み、奥の四阿を目指す。
 到着し、そのベンチに座ると、正面に広がる桃色菫が視界に入ってきた。

「綺麗だな」

 俺がありきたりな感想を述べると、シュトルフが隣で頷いた。
 天気の話と同じくらい、俺達の過去の世間話には、風景の話も存在した。要するに、当たり障りのない話題を、俺は常に選択していた。険悪な仲の相手と話す事柄としては、それらが最適だ。

 だが、シュトルフは――思い出作りなのだと言っていた。

 そう考えて改めて視界に捉える庭園の花々は本当に麗しくて、いちいち特別に思えてくるから困る。

「シュトルフは、どの花が好きだ?」
「いずれの花も美しいが、俺はどちらかというと葉が好きだ」

 初めて知る情報に、俺は珍しいなと思った。母からもらった資料には、白百合と書いてあったような記憶が漠然とあった。

「緑色が好きなのか?」
「そうだ」
「どの花を見ても、多くの場合楽しめるというのは良いな」
「クラウスの瞳の色が緑だから、俺は昔から緑色が好きなんだ」
「!」

 不意に告げられ、俺は目を見開いた。露骨に動揺してしまう。確かに俺の目は、緑色だが、まさかそんな理由だとは思わなかった。シュトルフが、天然のタラシなんじゃないかと思えてきた。こんな事を言われたら、照れない方が難しいだろう。

「クラウスには、白が似合うな」
「え?」
「お前のイメージは、俺の中では百合だ」

 だから百合が好きだという事なのか……?
 俺も大概シュトルフが好きになってしまったが、やっぱりシュトルフは俺の事を好きすぎるだろう。しかも険悪ではなくなった現在、素直にそれを惜しみなく表現してくれる。ドクドクドクドクと俺の心臓が煩くなるのは、絶対に仕方がない事だと思う。

「ツァイアー公爵領の庭に、好きな花を植えて良いと言われた時、俺は庭師に白い百合を植えさせた。だいぶ昔の話だけどな」
「シュトルフ……」
「次は領地での挨拶だが、開花時期の初夏から夏よりも早く、俺はお前を連れて行きたい。だから、庭の百合は、結婚後に毎年訪れる夏に、ゆっくりと披露したい。生涯大切にするから、毎年俺と共に夏を過ごしてくれ」

 胸の奥がトクンとして、じんわりと温かくなった。気づくと俺は頷いていた。
 そんな俺の頬に、シュトルフが手を伸ばす。そして指先だけで触れた。

「キスをしても良いか?」
「――聞かなくて良い」

 照れそうになるのを必死で堪えて、俺はそれだけ告げた。するとその直後、啄むようにキスをされた。唇が触れ合う。思ったよりも柔らかなその感触が、俺は嫌いではない。そのまま、隣からシュトルフに抱きしめられた。シュトルフが、俺の肩に顎を乗せる。

「愛している、クラウス」
「その……」

 耳元で囁くように言われた時、俺も勇気を出そうと決めた。

「……俺も、シュトルフが好きだ」
「それは本心から好きになってくれたと捉えて良いのか?」
「……ああ」
「嬉しい」

 シュトルフは体を一度離すと、俺の肩に両手を置いた。そして非常に柔和に微笑んだ。その笑顔に惹きつけられた俺は、どんな表情を返せば分からなくなってしまった。

「聞かなくて良いんだったな?」
「え? ンん」

 直後、再びキスをされた。今度は深いキスだった。
 改めて俺の体に腕を回したシュトルフが、端正な目を閉じて、深く深く俺に口付ける。舌を絡めとられた俺もまた、双眸を伏せた。巧みにキスをするシュトルフは、時折俺の息継ぎを促してくれる。だから存分に、心地良さだけに浸る事が出来る。心も満ち溢れたようになる。愛される事も、愛する事も、本当に幸せな事なんだと、俺は実感した。

 長い間、角度を変えながら何度もキスをしていた俺達は、それから互の瞳を見た。
 キスを終えた時、俺は思わずシュトルフの胸板に体を預けていた。俺を抱きしめたままで、シュトルフは微笑している。

 最近のシュトルフは、本当に表情が豊かになったというか――あるいは元々豊かだったのかもしれないが、俺がそれに気づいたというか……とにかく、様々な表情を見られる事がとても嬉しい。

「クラウス、もう一度、きちんと言ってくれ」
「何を?」
「俺を好きだと」
「――好きだ」
「もう一回」
「シュトルフが好きだ」
「夢を見ていないか、とても怖い」

 シュトルフの両腕に力がこもった。言うのは気恥しかったが、シュトルフが喜んでくれた事が、俺はとても嬉しい。自分の気持ちを明確に、改めて受け入れられたと感じて、とても幸せだ。

「領地への挨拶には、いつ出発する?」

 俺が尋ねると、シュトルフが一瞬だけ空を見上げた。俺もつられて上を見る。青い空を、鳥が一羽横切っていった。

「来週の頭には出発したい」

 片道十日の旅路となるから、往復だけで二十日、現地にも十日程度は滞在するだろうから、一ヶ月が三十日前後のこのアクアゲートの暦で考えて、まるひと月、俺は王都をあけるという事になる。だが時期としては、確かに百合が咲き誇るには早いだろう。

「道中では、街がある場所では宿を取るが、二度は馬車の中で眠る事になる」
「王族としての視察公務で馬車での仮眠にも慣れているから、俺の心配は不要だ」
「そうか。ただ可能な限り、クラウスが過ごしやすい旅路にしたい」

 シュトルフは、優しい。

「別に過酷な旅になったとしても、俺は公爵領地には二度と行かないというような我儘は言わないぞ?」

 冗談めかして俺が述べると、シュトルフが小さく吹き出した。
 平和な時間が、庭園を吹き抜ける風と共に、流れていく。

 この日は夕暮れになるまでの間、抱き合いながら俺達は、雑談を重ね、花を愛でていた。