【一】社畜な僕
僕みたいな人間を、社畜と呼ぶのかもしれない。
始発で出かけて、終電で帰ってくるスタイル……休日出勤も珍しくは無いし、残業代は出ない。それでも漸く見つけた仕事であるし、クビにならない限り頑張って、僕は敵を倒したい。僕の敵は、仕事だ。
元々僕は昨年新卒で入社した営業なのだが、営業事務さんなんていない小さな会社であるから、必ず帰社して自分でデータや書類もまとめなければならない。二十三歳、彼女無し、これが僕だ。
最近やつれたように思う。決して気のせいでは無いだろう。そろそろ切りにいかなければと考えながら、僕は生まれつき色素が薄めの髪を右手で撫でた。目の色も茶色だ。営業としてはあまり歓迎されない色彩だが、万年人員が欠乏中の我が社は幸い雇ってくれた。逆に言えば、他社にはお祈りされた。
暗い住宅街を歩きながら、僕は片手に下げているレジ袋を見る。
中には本日の夕食のコンビニ弁当が入っている。幕の内弁当だ。
いつまでこんな生活が続くんだろう。
――いいや、こうして生活できるだけでも十分か。
僕は何気なく空を見上げた。今宵は新月らしく、闇夜だ。コートを着ていて良かった。このコートは、亡くなった養父母が、僕に買ってくれた品である。昨年登山に出かけた先で、二人は崩落事故に巻き込まれたらしく、まだ遺体は見つかっていないが、既に捜索は打ち切られている。
「……」
僕が五歳の時に養護施設から引き取ってくれて、大学まで出してくれた養父母を、僕は敬愛している。それは今も変わらない。実の両親だと思っていると述べても過言ではない。
なんでも僕は、生後すぐに、養護施設前に置かれていたらしい。
この現代日本では信じられない事態だと思うが、事実なのだから仕方がない。
カゴに入れられていた僕は、生年月日と名前が書かれた紙の入る封筒と共に、門の外に捨てられていたようだ。運悪く、養護施設前の監視カメラが故障していたそうで、本当に誰が置き去りにしたのかすら分からないらしい。
今でも養父母の空野宅に、『空野彼方(そらのかなた)』と記載された紙が入った封筒が残っている。
同じ苗字だという縁で、僕は引き取ってもらえたらしい。
幸いな事に僕は温かく養父母に迎えられたが、孤児の人生は中々悲惨だ。高校と大学に出してもらえた僕は実に幸運だったが、定職につけない者も大勢いる。だからたとえブラック企業と言えど、正社員になれただけでも僕は、たまに顔を出す養護施設の子供達から見ると『憧れのお兄ちゃん』らしい。
ただ正直、激務薄給の会社と、養父母と共に暮らしていた一軒家を往復するだけの生活は、僕にとっては辛く厳しい。肉体的な疲労も大きい上、孤独感も強い。
「いつまでこんな生活が続くんだろうなぁ……」
思わずぼやいてから、僕は嘆息した。
すると左の腹部が疼いた。
僕の腰骨の少し上、左のくびれの辺りには、生まれつきの痣がある。
小さい頃は、ちょっと大きな点だとしか思わなかったが、年々大きくなり始めた。現在では、子供の掌と同じくらいのサイズに変わっている。どことなく鳥のように見える不思議な痣だ。皮膚科にも何度か行ったが、特に問題は無いと言われた。
「僕が持って生まれたものと言えば、これくらいだしな」
ポツリと呟いてから、僕は視線を正面に戻した。そして目を瞠った。
そこには、気配無く、一人の人物が立っていた。
「?」
ぎょっとしてしまったのは、その風貌である。まるで占い師というか死神とでもいうのか、闇夜に紛れるような濃い灰色のローブ姿だった。目深にフードを被っている為、顔は一切見えない。顎の部分だけが、白く覗いているが、その布が全身を包んでいたから、率直に言ってお化けかと思った。
「見つけた」
呆然と立ち尽くして見ていた僕は、その時響いてきた声に戦慄した。
老人とも子供のものとも判別出来ないが、兎に角耳に触る、怖気が走る声音だった。
ゆったりとその人物が、一歩前へと出た。
反射的に、一歩後退する。するとまた、相手が進んでくる。そして――走り出した。
焦って僕も踵を返して、必死で走る。完全に僕を追いかけてきている。
なんだこいつは、不審者か? そうだよな? コスプレイヤーには見えないぞ?
ぐるぐると考えながら、僕は歩いてきた道を引き返す。
駅前には交番がある。兎に角そこまで走ろうと考えて、僕は必死で両足を動かした。
だが、二股の通路で、一瞬硬直した。
駅へと続く側の、僕が通ってきた道の正面にも、全く同じ風貌の誰かが立っていたからだ。とすると、もう一方の分岐を進むしかない。
必死で方向転換し、僕は人気のない道を入る。こちらはを進むと、立派な林がある小さな公園しかない。緩やかな坂道を走りながらチラリと後方を見れば、二人に増えた不審者が、まるで飛ぶように僕を追いかけてくる。完全にホラーだ。
嫌な汗が浮かんできて、髪が肌に張り付いてくる。それでも本能的に恐怖を感じ、僕は捕まったら殺されると直感していた。貧弱な僕に、喧嘩をして投げ飛ばすようなスキルは無いし、そもそも相手は宙を浮かぶように音もなく移動してくる。