【二】一体どういう状況だ?
そのまま僕は公園に入った。だがこれでは相手に僕の事が丸見えになると更に焦って、奥の林まで進む。必死で走りながら何度も木の枝を踏んだ。視線だけで振り返れば、何と不審者が五名に増えていた。
「なんなんだよ!」
思わず声を上げた時、僕は木の根に足を取られた。このままでは、顔面から土に激突だ。そうなれば、追いつかれて――殺される気がする。
怖くなって、僕はギュッと目を閉じた。
だが、覚悟していた衝撃は訪れなかった。額は確かに何かにぶつかったが、痛みは無い。ギュッと僕の腰には、力強く誰かの腕が回っている。うん。間違いなく腕だ。そう理解し、恐る恐る目を開ければ、そこにはどこか人間離れした青年が立っていた。
別段それは、服装がファンタジックだという意味合いでは無い。不思議とコスプレには見えない上質そうな外套を身に纏っている長身の青年は、片手に長い槍を持っている。銀色の武器なんて、博物館でも国内ではめったに見かけない気がしたが、そんな事を考えたのは現実逃避だ。
「間に合って良かった」
青年は淡い青の瞳を僕に向けた。耳触りの良い声音を紡いだ唇は薄く、無表情だったが、とても端正な顔をしているなと思わせられた。僕も百七十cmは身長があるから、体格こそ貧弱とはいえ、別段背が低すぎるという事は無いと思っているのだが、青年は百九十cm近く背丈がありそうで、日本人離れしている。髪の色も長めの銀髪だ。
抱き留められているという現状を再確認したのは、青年がゆっくりと僕の体勢を正した時だ。慌てて両足を地面につく。
「下がっていろ」
青年はそう述べると、銀の槍を握りなおした。そして迫りくる不審者に向かい、それを揮う。するとローブ姿の者達が、木の上に退避した。今度こそ僕は、空を飛んだのを直視した。これは一体、どんなファンタジーだ?
現実逃避気味にそう考えていると、槍を下ろした青年が再び僕を庇うように抱き寄せた。
「名前は?」
「空野です。空野彼方です」
「ソラノの一族の者だな?」
「え? ええと……?」
「ここは危険だ。保護する」
言われなくても分かっている。しかしながら、青年はとても警察官や自衛官には見えない。ただ不思議と、そばにいると『助かった』という想いが浮かんできて、安心感がある。
「掴まっていてくれ」
青年はそのまま僕を抱きかかえると、地を蹴った。
「あの、貴方は?」
「バルト=サジテールと言う。サジテールの民の長だ」
青年の胸元の服をギュッと握り、僕は横抱きにされたままで、小さく頷いた。槍はいつの間にか消えている。不審者達はまだ追いかけて来ないので、武器は不要なのだろうか。それともいつでも取り出せるのだろうか。謎だ。
しかし平均的な日本人体型の僕を抱えて走っているというのに、バルトという青年の足は早い。だが進行方向は、林の奥だ。この先には何もない。古来より迷いの山と呼ばれる、神隠し伝承があるような、大自然に通じているだけだ。
……僕の養父母も、この山に登って帰ってこなかった。
今度は遭難の危機に身震いしかかった時、僕は不意に光に気が付いた。驚いて顔を向ければ、ある大樹の正面に、時空の割れ目とでも表現するしかないような、歪みが出来ていた。金色で縁取られた空間が、歪んで裂けていて、その向こうには、煌めくような星々が見える。
「バルト様!」
そこに一人の少年が立っていた。小学校高学年から中学校一年生くらいに見える、二次性徴前の子供だ。この時間帯に、山の中にいるなんて、僕よりも保護するべき対象にしか思えない。ただこの少年は、手に飴色の杖を持っていた。先端が巨大な渦を巻いている、木製に見える杖だ。まるで御伽噺の魔法使いが持っていそうだ。
「ヨル様、まだ『染者(センジャ)』と穢れが残っている。先に保護と退避を」
「任せて」
僕を地に下ろしながら、素早くバルトと少年が言葉を交わした。
呆然と見守っていると、今度は小さな手で、僕は袖を掴まれた。
「行くよ」
「行くってどこに?」
「星庭の世界に」
何を言っているのかさっぱり分からない。しかしその時、再び後ろから怖気の走る感覚が近づいてきた為、背後を振り返れば、フード姿の連中が見えた。僕と少年を庇うように、いつの間にか再び出現した銀色の槍を構えて、バルトは眼を鋭くしている。
「行け」
「……」
「早く」
強く言われて、僕はおずおずと頷いた。そして僕の手を強引に引く少年に誘われて、星が向こうに見える宙の歪みに飛び込んだ。
目を瞑って通り抜ける時、何かブワリと膜を突き破るような感触がした。
その後まるで無重力の空間に放り出されたかのように、僕の体が浮かんだ。
薄っすらと瞼を開けると、僕の体は星空に浮かんでいた。
直後――眩い光が周囲に溢れた為、僕はまた双眸を閉じた。唐突に落下する感覚がして、息を詰める。その後の事は、よく覚えていない。僕は一度意識を手放したらしい。