【四】『風景同化』のテスト
兄上は応接間にいた。現在は、騎士団からお客様が来ている。普段の俺であれば邪魔をするような事は決してしない。というのも、今世を振り返ると、俺は比較的怠惰であり、日々の自分の仕事に精いっぱいであるから、休みの日は寝ていた。その点は、前世の休日とあまり差がないともいえる。
飴色の扉の前に立ち、俺はそっと手を添えた。そして自然と浮かんできた魔法陣を頭に浮かべる。するとお茶を持った侍従のキースがやってきたので、俺は一度横に逸れた。普段であればキースは、俺を見たら頭を下げるが、俺が視界に入っている様子はない。
盆を手に、キースが扉を開けた瞬間、俺は中に忍び込んだ。
いいや、寧ろかなり堂々と入室した。
何故ここに来たのかと突っ込まれた場合でも、「部屋を間違えた」で乗り切る算段だ。
しかし深刻そうな顔をしたままの兄も、客人の騎士も、こちらを見ない。キースは二人の前にカップを置くと、壁際にいる執事の隣に控えた。俺は息だけは押し殺して、自分の手を見る。俺には確かに存在しているように見えるけれど、この室内の誰一人として、俺に注意を払う事はない。即ち――神様に与えられた力は確かに健在だという事だ。
やったー! これで推しを見守る壁になれる。
俺は思わず頬を緩ませた。ニヤニヤと笑ってしまう。『風景同化』、素晴らしいじゃないか!
「話を戻しますが、という事情で、辺境伯の領地に、今暫しの間、騎士団の拠点を――」
カップを見てから、仕切りなおすように騎士が述べた。すると兄上が難しい顔をしてから、小さく頷く。バイル兄上は俺に対してはデロデロに甘いから、あまりこういう顔は見せない。しかしその兄上だって、今は家族として見ているが、一人の大切な登場人物だった。ただ、俺の推しではなかっただけだ。うわぁ、本物だ……!
「分かった。ジェイク副団長にも承知した旨を伝えてくれ」
なんと、兄上の口から推しの名前が出てきた。やっぱり推しはこの世界にきちんと存在するわけだ。ああ、一刻も早く見に行きたい。見に行きたい――!!
そう考えていると、別の侍従が扉を開けて入ってきた。
「バイル様、王宮より文が届いております。火急の報せとの事です」
「ん? ああ」
その話を聞きつつ、俺は開いた扉からサッと外に出た。そして深呼吸をしてから、脳裏に再び魔法陣を思い浮かべて、『風景同化』の効力を消失させた。
心臓がバクバクしている。俺はそのまま自室まで、早足で戻った。
階段を上っている時も、自室の扉を閉めて鍵をかけた時も、胸中は浮かれていた。
こうして、俺の新たなる推し活が始まる事となったのである。