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今日は大学のオリエンテーションだ。文学部Web小説学科……今年新設された学科で、先輩は一人もいない。文学部合同の入学式の時には、人が多いなぁと感じたが、現在、指定された百人は入れるだろう講堂には、まだ時間が早いというのもあるだろうが、二十名前後の人々しかいない。教壇の所では、先生にしては若い男の人が、学科準備室勤務らしい男の人と、何やら機材について小声で話している。
俺は、誰一人知らない状況で、真ん中から見ると後ろよりの窓際に陣取った。この学科が創設されると聞いた時に、どうしても進学したいと考えたのは高二の年で、現在十八歳、無事に受験して合格した。そんな俺は、Web小説が大好きだ。
特に、異世界転生……! 転移でも良い。異世界に、俺は心を奪われている。
この学科では、Web小説を学術的に研究するらしい。俺の同志が全国から集まるというわけだ。嬉しすぎる。今はいくらWeb上で全国の同志とやり取り出来るとはいえ、やはり直接顔を見て、語り合いたいという想いは強い。この日のために引っ越してきた事には、一片の悔いもない。
そんな事を考えていると、少しずつ人が増えてきた。ただ、今の所、男しかいない。俺の目標として、大学在学中に一回くらい恋愛をしたいので、女の子との出会いを期待している。
「――そんな馬鹿な話があるか。直接プロジェクターをチェックする!」
先生(仮)が苛立つように小声で言ったのだが、マイクが声を拾っていた。
「是非そうして下さい。本当なんですから!」
すると準備室の助手(仮)らしき人物が、こちらもムッとしたように答えた。
二人共、二十代後半くらいに見える。
その時、ホワイトボード脇に、上からプロジェクターが降りてきた。白いプロジェクターは、遠くから見ている分には、ただの布に思える。講堂の照明が落ち、室内が僅かに暗くなった。代わりに、プロジェクターが灯りを放ち始める。
「ん?」
思わず俺は、首を捻った。白いプロジェクターの中央には、金色の魔法陣のようなものが映し出されている。さすがは異世界転生について研究する学科だけはある、本格的だ。そう考えていたら、先生が咳払いするのが聞こえた。
「消えない魔法陣というのは、これか?」
「これですよ! さっきからずっと、PCの画面を出力しようとしているのに、これが出たまんま――」
助手さんがそう答えた時――魔法陣が光を放ち始めた。
「?」
俺が目を見開いた頃には、溢れんばかりの光が、講堂中を照らし出し――その光があんまりにも白くて眩しかったものだから、思わず俺はきつく目を閉じた。
――瞼の向こうで光が収束したように思ったので、俺は静かに目を開けた。
すると、俺は先程まで座っていたはずなのに、立っていた。
しかも、大学でオリエンテーションに臨むはずだったのに、草原にいた。
「え?」
声を出した俺に、周囲の視線が集まる。先ほどみかけたばかりの、近くの席にいた学生や、先生、助手さんが、俺を見たのだ。合計で、三十人から四十人くらいの人々が、皆草原にいて、立っている。気まずくなったので俯くと、草の上に、プロジェクターで見たのとそっくりの金色の魔法陣が浮かんでいた。それは俺が見ている前で、すぅっと消えた。
「何だここは?」
先生が言った。今度は俺が視線を向けると、首から下げているカードに、『文学部Web小説学科講師、水間匠人(ミズマタクト)』と書いてあった。くたびれたスーツ姿だ。
「僕が聞きたいんですけど」
隣で答えた助手さんを続けてみる。こちらは首から、『文学部Web小説学科準備室助手、日永田透(ヒナガタトオル)』と書かれたカードを下げている。
その時、何かが視界を遮った気がしたので目で追うと――白い羽の生えた小さな兎が空を飛んでいた。呆気にとられた俺は、ポカンと目を見開く。何だ今のファンタジーな動物は……! ここに来て、周囲を見渡し、俺は確信した。ここは、異世界だ!
「俺達、異世界転移したんじゃ……?」
意を決して俺は呟いた。すると、誰も反論しなかった。それはそうだろう。空の色は元々の世界と変わらないし、呼吸が出来ているのだから酸素だってあるのだろうが、見た事のないファンシーな動物がふわふわと浮かんで飛んでいたり、遠目に見えるどこか西洋風の街並みは明らかに大学の近所には存在しそうにもないファンタジック感を醸し出しているし、何よりここへと来た状況が状況で――かつ、俺達は全員、異世界を題材にした作品に馴染みがあるのだ。
「セオリーの通りなら、男は僕一人、他は全員女子学生で良かったと思うんだけど、どうしてよりによって水間先生と、男子学生しかいない状況で? これが異世界転移だとするならば、もしかして、あれ? 集団トリップ後からの追放・復讐もの? 僕はとりあえず、水間先生に復讐したら良いのかな?」
助手の日永田さんの声に、俺は腕を組んだ。すると水間先生が、眉間に皺を刻んだ。
「――巻き込まれトリップに違いない。この俺がまさか、脇役主人公とは……これは、日永田に復讐するしかないな」
「水間先生としても、復讐もの判断なの?」
「顔見知りが日永田だけだからな。俺とお前の間に、助け合いという概念が存在するのか? 無理矢理関係性をひねり出すとしたら、それこそ王道の中には、復讐要素くらいしか……くっ、短い同僚期間だったな。お前の事は忘れない」
「安心して下さい。倒すのは僕なので。倒される側の水間先生には、記憶は残らない」
どうやら二人は、親しいようだ。俺のように、誰一人知り合いがいないのとは違って、非常に羨ましい。
「とりあえず、現地人を探した方が良いんじゃないか?」
その時、俺の後方から声がした。振り返ってみると、俺と同じく新入生だったらしい人物が、よく通る声で続けた。
「そうすれば、本当にここが異世界かどうかも分かるだろう」
理知的な声を聞いて、その通りだなと俺は頷く。
先生と日永田さんは、顔を見合わせてから、大きく頷いた。
「そうだな、教授陣が用意した、手の込んだオリエンテーション手品に、講師だからと俺まで参加させられている可能性もゼロじゃない」
「それはないとおもうけど。もしそうだったら、僕が手伝わないわけが……」
「日永田は仕掛け人の一人というパターンだろう?」
「だったら良かったんだけどなぁ……」
こうして俺達は移動を開始する事になった。声を上げた学生に、移動しながら日永田さんが歩み寄る。
「君、名前は?」
「眞柴礼(マシバレイ)と言います」
ごく近くにいたので、二人の会話がしっかりと耳に入った。と、思っていたら、日永田さんが俺を見た。
「君は? 異世界転移の可能性を、誰も言えなかったのに、見事に口にした強者!」
「……」
俺は顔が引き攣りそうになったので、無理やり笑っておく事にした。時間の問題だったと思う。それから髪の毛を摘んでから俺は答えた。照れ隠しだ。
「黒田瑠季(クロダルキ)です」
その後は、日永田さんと眞柴が話し始めた。二人の一歩後ろを俺は歩く。ちらりと見ると、最後尾を水間先生が歩いていた。先生は、時折はぐれそうになる学生がいると近づいて軌道修正を図っている。それを見ていて――もし異世界なら、俺もこの集団から飛び出して、冒険に行きたいと、思わず考えてしまった。しかし水間先生がそれとなく阻止しているのは確実で、俺ははぐれる事に失敗したまま、最寄りの街に到着してしまった。
「くっ……」
先生との口に出さない鬼ごっこのせいで、俺は息切れがしていた。先生は何も言わないが、明らかに勝利したという顔をしながら、腕を組んでいる。その隣に日永田さんが立った。
「あ、街の人がいる。水間先生、勇気を出して話しかけてきてよ」