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日永田さんの言葉に、舌打ちしてから、先生が歩き始めた。俺達残されたメンバーは、興味津々でそちらを見る。
「申し訳ありません、あの――」
「*******、**、*******」
すると、聞いた事の無い言葉が聞こえてきた。外見は、日本人とそう変わらない現地人が、謎の言語を放っている。少なくとも俺が聞いたことのある言葉ではない。ただ、俺は直接海外の言葉を聞いたことは、そんなに多くないので、外国語でも判断は出来ないだろう。
「言語チートや翻訳チートは無し、か」
俺の隣で日永田さんが呟いた。何気なくそちらを見てから、俺は視線を戻す。
水間先生は、笑顔から険しい顔に変わっていた。
「俺の言葉はわかりますか?」
「**、**――***、*****、*、**!」
「ここはどこの国ですか?」
「***********! **!?」
「……ありがとうございました」
諦めたように、水間先生が会話を打ち切り、会釈した。そしてこちらへと戻ってきた。
「日永田、どこの国の言葉か分かったか?」
「少なくとも、日本じゃなさそうだということしか分からないです」
それを聞くと、水間先生が溜息を吐いた。それから、腕を組んで、首元のネクタイに触れる。
「今夜の宿と、食事を確保しないとな……学生三十四名と、俺とお前……三十六名分か……」
水間先生の声を聞いてから、俺は街を見渡した。看板らしきものも出ているが、文字は見たことのないものだ。時計が付いている建造物もあって、そこには十二個の模様が付いているから、あれがこの世界の数字ならば、午前午後が十二時間で合計二十四時間なのは、変わらないのかもしれない。オリエンテーションは十時四十分開始予定で、俺は十時から講堂にいたので、現在はまだ午前中だ。しかし昼食の時間に近づきつつあるのは事実だ。
時間を確認したかったのだが、俺を含めて誰も鞄類は持っていない。身につけていた腕時計はあるようだが、ポケットの中に入れていたものも含めて消えているし、誰一人スマホも取り出さない。俺達は、体と衣類、靴と一部のアクセサリーしかない、着の身着のまま状態で、この世界へ放り出されたらしい。誰も、腕時計型スマホなども持っていないようだ。財布も無い。
「もう少し、先へ行ってみては?」
眞柴が言うと、水間先生が目を閉じて渋い顔をした。
「仮に、実際に異世界だとしても、俺達に優しい世界であるとは限らない。不審者扱いされて捕らえられる可能性もある」
「――魔法とか無いんでしょうか?」
続けて眞柴が聞くと、水間先生が目を開けた。
「あるかもしれないが、現時点で俺には使い方がわからないし、そう質問するという事は、お前も同じだろ?」
「はい……」
「日永田は分かるか?」
「僕もさっぱりです。ただ、このまま立っていてもどうしようもないし、僕も進むべきだと思うな」
こうして――俺達は、誰ともなく、再び歩き始めた。
すると道の突き当たりに、門の開いた大きな敷地があった。
どことなく公園のような印象を受ける。
「とりあえず、ここを拠点に、街を調べたり、今後について考えたりするか」
水間先生の言葉に、俺も含めてみんなが頷いた。特に、『街を調べたり』という部分で頷いていた者は、非常に多い。
「念のため、街の中央に見える時計塔らしきものの、時計風の文字盤の、八時の位置に短針が動いたのが見えたら、一度はここに戻ってくるようにな」
こうして、水間先生の阻止が無くなり、俺も含めて、何人もが、公園を後にした。
なお――戻る気は無い。なにせ、異世界だ……! 異世界転移、夢にまで見た!
俺はこの世界で、可愛い女の子と出会って、冒険して、楽しく過ごす!
……俺は、そう決めたので、街について調べるまでもなく、街の出口を目指した。俺と同じように、街から出ようとしている者も、数人いた。服で学生だと判断できる。街の人々は、やはりどこかファンタジックな村人風衣装だったのだ。シャツや下衣の形こそ変わらないが、雰囲気が違う。
「異世界人に紛れるには、服をどうにかしないと……言葉の壁も乗り越えないとならないし、貨幣もきっとあるから、稼がないとなぁ……」
街を出ながら、俺は呟いた。正直――わくわくする。
と、街を出て歩き始めてから……日が落ちた。今が何時かは不明だが、かなり歩いたと思う。振り返っても、既に街は見えない。街道らしき通りを歩いているのだが、前後には、他に出発した学生の姿も無い。これは途中で何度か、俺が角を曲がった結果かもしれない。
「疲れた……」
引き返そうにも、その気力が起きないくらいに、疲れた。次の街に到着している気配は無いが、時々路の脇には、見慣れないファンタジックな建物が建っている。俺は、体力が無い方では無いし、運動神経が悪いとも思わないが、ある方でもなく、良いわけでもない。
ごく平均的なのが、俺だ。頭の出来具合も、容姿も、十人並みである。目立たないのだから、大多数と同じなのだろうと俺は思う。
「もう無理だ……どうして街から出てきちゃったんだよ、俺……」
しかし、人よりも少し考えが足りない事があるようだ……これは昔から何度か言われてきた、俺の欠点でもある。歩きすぎて足が痛くなってきた。立ち止まり、両膝に手をついて、俺は肩で息をする。
「休まないと、これはもう、無理すぎる……せめて、次に見える、あそこの建物まで……」
既に夜だったが、俺は暗がりの中で、右の前方に見える建物を目指した。灯りは見えないが、家のような雰囲気である。ポツンと、長い街道の先に建っている。他には目立つ建物は何も無い。
「……」
その家の正面まで俺が辿り着いた時、もう体は限界だった。思わず屋根の下に入り、扉の前に座り込む。ノックしてみようか迷ったが、先に休みたかった。喉もカラカラだ。
あぐらをかいた俺は、ぺたりと床に手をつき、月を見上げる。月という名前かどうかは知らないが、空だけ見るならば、元々の世界となんら変わらない。そう考えながら、一度体を起こして、背中を扉に預ける。
「!」
ゴンと音がしたのは、その時だった。扉が急に開いた為、俺の後頭部と背中を扉が強打したのだ。
「痛……っ」
涙ぐみそうになりながら反射的に後ろを見て、俺は硬直した。視界に、長い槍が入る。俺の首の下に、鋭い先端が見える。目を見開き、ゆっくりと視線を上げると、そこには険しい顔をした人物が立っていた。暗いから無人かと思っていたが、家の人がいたようだ。
「*******?」
「すみません、本当にすみません、怪しい者じゃないんです!」
「――? ***、*、****、**……*****?」
「命だけは……」
初めて見る本物の凶器を見たら、冒険をしたいと考えていた俺の勇気は、木っ端微塵に吹き飛んだ。とりあえず、死にたくない。さっきまでの俺は、一体何を考えていたんだ。
改めて、家の人を見る。非常に背が高く見えるのは、俺が座り込んでいるせいだろうか。いつの間にか家の灯りがついていて、影がこちらに伸びてくるからだろうか? 顔立ちを見る限り、外国人という雰囲気はない。だが、日本人かと言われると、最初の街の通行人と比較すると、ちょっと違う。最初の街の人々は、本当に日本人っぽい容姿だったのだ。しかしこちらは骨格からして太そうだ。髪の色も金髪である。そこまでは兎も角、瞳の色が紫色に見える。なんというか、ホモサピエンスっぽくない。似ているが異なる。
するとその人物は、俺に槍を突きつけているのとは逆の手の、指をパチンと鳴らした。
「埒があかない。答えろ、不審者。これでこちらの言葉が分かるようになっただろう?」
「!」
「俺は過去に一度も、翻訳魔術に失敗した事は無いんだ」
「分かる、分かる、分かります!」
俺は開眼した気分だった。俺に使えなくとも、現地人に翻訳魔術がある可能性を、すっかり失念していた。
「異世界から来ました。助けて下さい!」
「――は?」
言ってから後悔した。いくらなんでも、情けないな、俺。
そんな俺に対して、正面の人物は怪訝そうな顔をした。
「異世界だと……?」
「異世界です」
「それは……――国名は?」
「日本です!」
「!!」
俺が言い切ると、目の前の人物が目を見開いた。そして震え始めた。
「異世界の国名は、禁書庫の極秘資料室の品にしか記されていない……その、ニホンの名を知るとは……」
「日本から来ました!」
「これが流行りの異世界詐欺!」
「違うから! 本当だから! 詐欺じゃない!」
ん? 俺は反射的に喋ってから、首を傾げた。
「極秘資料にしか記されていないのに、詐欺が流行ってるのか?」
「――『異世界から来ました。祝福(ギフト)を持った、異世界人です。何も持たずに来たのでお金も食べるものも寝る場所もありません』というのは、強盗の常套句だ」
「え……俺、祝福は何も持っていないんですが、そこ以外の所、全部実際にその状態なんだけど……」
思わず顔を引きつらせて笑った俺を見ると、正面の人物は目を細めて俺を見た。
「異世界からどうやってここへ?」
「大学にいたら、プロジェクターが光って……気づいたら、あっちの草原の上にいて……この道のずっと向こうの街に辿りついて……そこからは、歩いてきました」
「ぷろじぇくたー……聞いた事のないものだな。異世界の品か。で、名前は?」
「黒田瑠季です……」
どんどん俺の声は小さくなっていった。話は通じるようだが、俺が異世界からきたと信じてもらう方法が無い。
「どのように書くんだ?」
「ええと……」
俺が掌に指を当てると、槍が逸れた。代わりに近づかれた。その前で漢字を書くと、彼が短く息を飲んだ。
「禁書庫で見た、異世界の文字に似ているな。漢字というのか?」
「! そうです!」
「――他には、どんな文字が使用されていた?」
「え? 漢字の他っていうと……ひらがなとかカタカナとか……ローマ字とか?」
「文献の通りの知識だな……服装も変わっているし、これは信じるべきか……」
「信じて下さい、本当です!」
思わず声を上げると、彼が槍を完全に引いてから、その端を地についた。
「どんな祝福を持っている?」
「祝福って何ですか?」
「この世界に降り立った者は、例外なく、大地神エデスから祝福を受ける。すると一人につき一つ、特別な能力を使用できるようになる」
「どうすれば、自分に与えられた祝福の内容が分かりますか?」
「エルゼナリア王都大神殿の神官長のみが、【祝福鑑定】のスキルを代々持つ。言い換えれば、祝福鑑定のスキルを、その精度はどうあれ欠片も持たなければ、大神殿の神官にはなれない。しかしながら、鑑定費用は、安くても五千万エルドはかかる」
それを聞いて、俺は困った。五千万エルドの価値は分からないのが、きっと高いのだろう。しかし……スキルが存在するらしい。
「スキルは、俺には無いんでしょうか?」
「スキルは異世界人に限らず、誰でも生まれつき一つ持つ。この世界で呼吸している以上、何かはあるだろうな」
「スキルは、どうすれば分かりますか?」
「【スキル鑑定】は、冒険者ギルドの職員なら、大体は持っている――お前いくつだ?」
「十八歳です」
「その歳でここまで無知だと……信憑性が増すな……なるほど……」
冒険者ギルドがあるという事は、冒険が可能なのだろうが、今の俺の心の剣は折れてしまった。ちょっと旅に出る気分では無い。
「クロダルキだったな? 普段は何と呼ばれている?」
「ルキです」
「そうか。ルキだな。俺は、ミルゼライト=オフィーリオという。特別にミルゼと呼ぶ事を許す。中に入れ。詳しく話を聞こう」
「え!? 良いんですか!?」
「ああ。それに見た限り、お前は弱そうだ。人は見た目ではないかもしれないが、そこまで武力の気配がないというのは逆に珍しい。隙だらけだ。倒そうと思えば、いつでも出来そうだからな。俺はこれでも腕が立つ」
ミルゼはそう言うと、中へと入っていった。慌てて立ち上がり、俺は彼の後を追いかけた。