【一】籠の中の鳥@




 ここは、鳥籠だ。
青い花が咲き乱れる温室は、僕の暮らす塔の一階に存在する。『見学者』が来る時、僕はその温室の中で、椅子に座り、ジロジロとこちらを見る人々の視線に晒される事となっている。

「これが、|Ω《オメガ》か。初めて見る」
「黒い髪だと、色白の肌が際立つように思えるな。端正な容姿をしている点は、長所だ」
「青味がかかった夜のような瞳も美しい。しかし、華奢だな」

 人々の声は、ガラス越しに、僕の耳へと届く。皆、上質な服を纏っている。僕はなるべくそちらを見ないようにしていた。

 現在Ωは、絶滅が危惧されるほど、数が少ないそうだ。特に僕のような魔力持ちのΩはごく少数なのだという。

 Ωは知識制限をされているから、僕は運ばれてきた文献しか読んだ事が無いのだが、何でも十九世紀に『バース性』と『魔力』が英国で発見されてから、人々の生活は一変したらしい。二十二世紀である現在、『科学』は国を治める王侯貴族だけが触れる事の出来るものとなり、多くの人々は、魔術と魔導具を用いて生活をしているそうだ。

 しかし僕は、物心ついてすぐに、魔力持ちのΩだと判明してから、ずっとここにいる。もう空の色さえ思い出せない。室内の魔導灯が、朝と昼と夜の来訪を、光の加減で教えてくれる以外は、塔の外から響いてくる二十四回の鐘の音で時刻を知るばかりだ。

「本当に綺麗だな、このΩは」
「すぐにでも、貰い手がつきそうなものなのに、こうしているのが不思議だなぁ」

 見学者達は、この国の王侯貴族だ。王侯貴族は、大抵の者が|α《アルファ》だ。そしてαは、基本的に魔力を持って生まれるそうだ。より強い魔力の持ち主を後継者とすべく、彼らは、魔力持ちのΩを探している事が多い。なお、魔力持ちのΩからは九割以上の確率でαが産まれる。Ωの数は減少傾向にあるので、国策でΩは隔離保護されている。特に魔力持ちのΩは、行動を厳しく制限されている。僕もそんな一人だ。

「こちらのΩは、二十一歳になっても、未発情なのです。欠陥がある可能性があります」

 人々の案内人である塔の管理者が、淡々と説明した。すると人々は、白けたように嘆息した。

「高い金を出して買っても、子が産めないんじゃな」
「綺麗だからと言って、ただ抱くだけの相手には、ちょっと払えない額だ」
「勿体ない事だなぁ」

 口々にそう囁きあってから、人々はガラスの前から立ち去っていった。僕は椅子に座ったまま、溜息を押し殺す。選ばれない事、それ自体は良いのだ。僕は誰かに体を好き勝手にされたいとは思わない。しかしながら、自分が欠陥品だと聞く度に、もの悲しい気持ちになる。このままであれば、僕は生涯、この塔から出る事は叶わず、ここで死ぬのだろう。

 そう考えながら顔を上げると、正面にまだ人が残っていたから、僕は驚いた。暗い金髪の青年で、僅かに緑に見える瞳をしたその人物は、僕と目が合うと、柔和に微笑んだ。片手をガラスに当てた彼は、それから端正な唇を動かす。

「名前、なんて言うんだ? 俺はゼルス」
「……キルト」

 直接的に話しかけられたのは、いつ以来の事なのだろう。僕はよく思い出せない。

「キルトか。覚えておく」

 その声を聞いた時、フワリとその場に、良い香りが漂った気がした。じっと僕を見据えているゼルスに対し、僕もまた瞳を向ける。しっかりと目が合った。

「そろそろお時間です」

 案内人の声が響くと、ゼルスが振り返った。そしてもう一度僕を見てから、軽く手を振って歩き去った。僕はいつまでもその後ろ姿を見ていた。内心では、もう二度と会う事は無いだろうと考えながら。見学者達は、僕が欠陥品だと知ると、以後足を運ぶ事は無い。


 そのまま座っていると、仕事を終えた案内人が、温室へと入ってきた。彼は、|β《ベータ》だ。この世界で最も多い、第二性の持ち主である。

 世界には、αとβとΩが存在するそうだ。王侯貴族たるαが最上位にいて、世界を牽引している。支配されているのが、βである民衆だ。減少傾向にあり、保護されているΩの立ち位置は少し特別だ。αの子供は、Ωしか産む事が出来ないためである。αの数が減らないのは、βからもαが産まれる場合があるからだ。αは、αとして産まれた段階で、上流階級に入る事が約束されているらしい。一方、時折βからΩが産まれる場合もある。しかしその数は非常に少ない。だから僕のように、βを両親に持つΩは、国に引き取られる事になる。正確には、売り飛ばされて、このように保護という名目の元、隔離・軟禁されるのだ。

「そろそろ、部屋に戻る時間だ。もう見学会は終わりだからな」

 案内人の声に、僕は頷いてから立ち上がった。温室の奥には螺旋階段があり、それが二階にある僕の部屋に繋がっている。Ωには、一人一つ、三階建ての塔が与えられるそうだ。窓は何処にもない。だから僕は、もう太陽がどんな姿だったのかも、月の表情も、本当に覚えていないのだ。

 先導されて階段を上り、僕は居室リビングに入った。生活スペースであるこの二階には、リビングのほかには、浴室とトイレ、寝室が存在する。水回りは、王侯貴族だけが触れている科学技術により整備された下水道に繋がっているらしい。僕がリビングのソファに座ると、案内人が、温室側の階段に繋がる扉に、外から鍵をかけた。こうなると、この二階は、完全な密室となる。食事は、リビングの端のドアの下部についた小さな扉から、三食同じ時間に運ばれてくる。栄養管理もされていて、質素なものである事が多い。代わり映えのしないメニューばかりだ。

 その時、鐘の音が十七回響いた。午後の五時だと分かる。食事の時間だ。見ていると小さな扉が開いて、蝶番の軋む音がした。トレーが差し出されると、すぐに閉まった。立ち上がり、食事を取りに行って、まじまじと見る。

「今日は、パンか。チーズを塗ると、結構美味しいんだよね」

 呟きながら、僕はコーンクリームスープや、レタスとゆで卵のサラダも見た。傍らには、栄養剤である小瓶が置いてある。運動をする機会も無い僕が、筋肉を維持していられるのは、この飲み物のおかげらしい。

 座ってから、僕はローブを羽織り直して、銀色の、匙(スプーン)を手に取った。まずはスープを一口食べる。食後は、自分で小さな扉を開け、トレーを出しておくのだ。後は、入浴して眠るだけ。これが、僕の一日の流れだ。いつも、同じだ。