【二】籠の中の鳥A






 僕の娯楽は、知識制限をされているΩにも許されている内容の本を、ソファに座って読む事だけだ。現在読んでいるのは、王都の街並みについての本で、簡単な挿絵がついている。

「パイプと水路で出来た街なんだ」

 ページを捲りながら、僕は首を傾げた。水路は、『青銅色』らしい。青銅色とは、どんな色なのだろう? パイプも水路も、黒いインクで描かれているから、上手くイメージ出来ない。

「温室にある、青い花みたいな色かな?」

 僕は、自分に分かる色を、あれこれ脳裏で組み合わせた。青と紫、白、そして黒は、僕にも分かる。それらは温室に咲く、夜蝶花(やちょうか)の色だからだ。魔力が宿っている植物で、僕の生まれつき持つ魔力を更に高めてくれるらしい。僕が身に纏っているローブにも、同様の効果がある。隔離保護されているΩの中で、特に魔力を持つ者は、自然界に溢れる魔力や人工的な魔力繊維などに触れる事で、魔力量を高められるらしい。

「ええと……交通は、馬車と船と蒸気機関車……蒸気機関車って何だろう?」

 馬車と船には挿絵があったが、蒸気機関車にはそれが無い。何度も首を捻りながら、僕は読み進めた。その内に眠くなってきたので、僕は本を閉じて、テーブルに置いた。

 入浴は済ませていたので、真っ直ぐに寝室へと向かう。ベッドメイキングは、僕が温室で見学者達に見られている時に、塔の人々が行ってくれる。綺麗に敷かれたシーツの上に寝転がり、僕は薄手の毛布にくるまった。そして、唯一の私物である、巨大なテディ・ベアを抱きしめた。

 テディ・ベアは、クマのぬいぐるみだ。バース性と魔力が英国で発見された時期に、米国で名付けられたらしい。歴史書は、十九世紀のものまでは、知識制限をされているΩにも閲覧が許されている。

 国に僕を、多額の金銭と引き換えに差し出した日、両親が僕に与えてくれた品だ。僕はそれを抱きかかえて、誕生日のその日、この塔へと連れてこられた。四歳の時だった。バース性は、四歳時点の性差検査で判明する。嘗ては十代になり発情期が来なければ分からなかったそうだが、今ではΩの隔離保護政策に伴い、より精密な検査が行われるようになったそうだ。他に僕が、両親に貰ったものは、『キルト』という名前だけだ。もう僕は、両親の顔すらも思い出せない。

 それでも、僕は優しい両親が好きだったように思う。テディ・ベアを抱きしめながら、僕は微睡んだ。クマのぬいぐるみが付けている緑のリボンを見た時、見学者の青年の瞳の色を漠然と思いだした。

「なんだったんだろう、あの香り」

 甘く思えるのに、どこか爽快さを感じさせる香りだった。温室には花の匂いが溢れかえっているし、過去にはガラス越しに誰かの香りを感じた事も無い。

「気のせいだったのかな」

 きっと、そうだろう。僕は忘れる事に決めて、しっかりと目を閉じた。すぐに睡魔は訪れて、僕は闇に飲み込まれた。


 そしてきっと今日も同じなのだろうと思いながら、朝食をとりつつ、僕は天井の魔導灯を見上げた。現在魔導灯は、朝を示す白い光を放っている。本日の朝食は、蒸し鶏のサラダとパンだった。付け合わせは、イチゴジャムだ。

 食後、身支度を調え終えた時、螺旋階段側の鍵が回り、扉が開いた。振り返れば、案内人が立っていた。僕の姿を頭から爪先まで視線を動かして確認した案内人は、それから小さく顎を動かした。

「行くぞ」

 頷いて、僕はその後に従う。手すりに触れて螺旋階段を降りながら、本日も見学される事を疑っていなかった。いつもの通りに、ガラスの壁の前に座る。すると案内人が、珍しく口を開いた。

「失礼が無いように」

 いつも僕は無言で座っているだけであるし、失礼など働きようがない。不思議に思っていると、案内人が出て行った。青い花が溢れる室内で、僕は俯き両膝の間に組んだ手を置く。そうして暫く座っていると、鐘の音が十回響いた。見学が始まる時間だ。

 コンコンと音がしたのはその時で、視線を上げると、そこには昨日見た青年が立っていた。驚いて目を丸くした僕は、それから何度か瞬きをした。

「おはよう、キルト」
「ゼルス……?」
「名前を覚えていてくれたんだな。嬉しいよ」

 過去には、一度訪れた見学者が、再度やってきた事は無い。

「どうしてここに?」
「君に会いに来たんだ。迷惑だったか?」
「ううん、そういうわけじゃ……」

 答えながら、僕は他の見学者の姿を探した。だが本日、ガラスの向こうにいるのは、ゼルスだけだ。いつもならば解説をする案内人の姿も、どこにも見えない。

「キルトの話を沢山聞きたいんだ」
「僕の話?」
「ああ。そして俺の事も、色々知って欲しいんだ」
「例えば、何?」
「そうだな。キルトは、普段は何をして過ごしているんだ?」

 僕は言葉に窮した。何もしていないに等しいからだ。Ωの隔離先の塔の内部は、案内人や塔の仕事に従事する人々しか知らないようだ。ゼルスも当然、知らないのだろう。

「……花を見たり、読書をしたり、その……」

 上手く説明が出来ない。困ってしまい、僕は温室に咲き乱れる草花へと視線を彷徨わせた。それから改めてゼルスへと視線を戻すと、彼は優しい顔で僕を見ていた。

「花はキルトによく似合うな。本は、どんな内容が好きなんだ?」
「昨日は王都の本を読んだよ。水路があるんでしょう?」

 漸く見つかった話題に、僕は内心で安堵していた。通常は、誰も僕に直接話しかけてくる事が無いから、上手く会話が思いつかなかったのだ。