【一】キヲク
小さな頃から僕は、兎に角人に、認められたかった。決して頭脳明晰であるわけでは無かったが、良い点数を取って褒められたいが為に、僕は必死で勉強をした。筋肉がつく方では無かったが、体力作りにも励んだ。運動で結果を遺したかったからだ。その理由も、褒められたいからだった。思春期になるまでの間、僕にはこの欲求の理由が分からなかった。両親は僕の頭を撫でてくれたし、級友達や先生も僕を賞賛してくれたのだが――どこかで足りないと思う僕の心は、乾いていた。
そして思春期になり、僕はその日も真面目に聞いていた保健体育の授業において、目を見開いたのだったと思う。
「良いか。この世界には、男女の性別とは異なる力量関係、『ダイナミクス』と呼ばれるものが存在し、それが第二性別を決定する。それが、『|Dom《ドム》』と『|Sub《サブ》』そして『|Switch《スイッチ》』だ」
養護教諭の解説を端的に要約するならば、Domとは『支配欲求』が強い者であり、Subとは『承認欲求』が強い者、Switchはどちらの特徴も持ち時には片方に分化が可能な者の事なのだという。
「尤も、一番多いのは男女の『|Usual《ユーズアル》』だ。何の力量関係も持たない、特異な欲求を持たない第二性別の持ち主達だ。この教室にいる多くも、Usualだろう。だが、念のため、全員が性別判定の検査を受ける事になる」
そう言うと、養護教諭がプリントの配布を始めた。そこには、検査方法が記されていた。なんでも、Domは『|Glare《グレア》』と称される、特別な威圧感を放つ事が出来るらしい。判断を請け負うDomの威圧感に対し、どのような反応を見せるかで、第二性別を確認するのだという。プリントには、各個人が検査に出向く場所と日時が記載されていた。
「きっと、|飛鳥《アスカ》君はDomだよね。飛鳥君みたいに優秀な人が、Domには多いって聞くよ? 飛鳥君なら、Sランクだって目指せると思うし」
授業後、隣の席から、僕はそう声をかけられた。僕はチラリとそちらを見てから、顔を強ばらせて笑ったと思う。嫌な動悸がする。先程までの授業で習ったSubの特徴……『褒めて欲しい』という部分の詳細が、実に僕にはしっくりと来る気がしていたからだ。
Sランクというのは、現在の社会の階級制度の事だ。この世界には、S・A・B・Cの階級が存在し、上位であればあるほど、社会的に強い影響力を持つ。ピラミッド型の社会だが、階級移動は比較的容易であるから、努力をすれば、最下層から最上層まで移動する事は可能だ。それはDomもSubも問わないようではあるが、圧倒的にSを占める割合はDomが多いとは、先程までの養護教諭の言葉の中にもあった。
僕の検査の日は、次の土曜日の午前中だった。
結果――僕は初めて触れる事となったDomの威圧感に、震え上がった。怯え、泣き叫んだ僕の前で、すぐにその気配を消失させ、タブレットに情報を入力した医師は、検査の終了を告げると、僕に対して優しい顔をした。
「よく頑張ったな」
その一言を聞いた瞬間、体がスッと楽になった。気が抜けてしまったように、僕は暫くの間、椅子に背を預けていた。
どのように帰宅したのかは、あまりよく覚えていない。その日は、一人寝台に蹲っていた。翌日には検査結果が住民番号に登録されているメールアドレスへと届いた。
『|~野飛鳥《カンノアスカ》を、Subと判定する』
既にどこかで覚悟していた判定結果に、僕はスマホを見たまま震えていた。そこには注意事項が書かれていて、『|Sub《サブ》 |drop《ドロップ》への注意』が記載されていた。Subの承認欲求や願望を、利用される事のようだった。『信頼関係』を築いていないDomにも、威圧されたり本能を悪戯に刺激される事で、僕のようなSubは強制的に従わせられてしまう事があるのだという。そうなれば、その後、『不安定な精神状態』となるらしい。発現する症状は様々らしかったが、代表例は『パニック発作』や『感情鈍麻』であるようだった。
――『信頼関係』。
僕のようにSubという第二性別を持つ者は、その欲求を満たしてくれるDomと、信頼関係を構築し、身を任せる事で、真の幸福感が得られるのだという。
同日、僕の家には、解説書が届いた。中には、SubとDomのより詳細な説明が書かれていた。
なんでもDomは、『支配欲求』が強く、Subが『粗相』を犯せば『お仕置き』をしたくなり、同時にSubに対しては『庇護欲』をかき立てられ『守ってあげたくなる』。その上で、Subが『きちんとした行い』を達成出来れば、『褒めてあげたくなる』という特性を持つのだという。サディスティックな感覚の持ち主でもあるそうだ。
一方の僕のようなSubは、『支配されたいという欲求』が強く、『お仕置き』される事に悦びを覚えるのだという。この部分は、まだ僕は感じた事が無い。Subは『褒められる事』に何より幸福感を得るし、『構って欲しい』という願望を持つらしい。それもあって、Domに『尽くす』。これらは、僕にも分かる。僕は人々に賞賛されるだけではなく、皆が僕を構ってくれる事がとても好きだし、時にはノートを貸すなどして、級友達に尽くしても来た。根本性格なのだと思っていたが、違うらしい。どこかマゾヒスティックな感覚を持っているのが、Subなのだという。
両者が出会えば、普段の感覚以上に、心の奥底のそれらの欲望が強くなるらしい。
「……信頼関係を結ぶ事で、DomはSubを支配し、SubはDomに支配されるのか。どうやって、信頼出来る相手を見つけるんだろう?」
それが通常であり、無理に本能を刺激されるような、Sub dropは忌避される出来事なのだと、解説書には記されていた。そして同封されていた、Sub専門の学校への入学案内を僕は見た。パンフレットを捲れば、『優秀なSubの人材育成を行い、卒業後には信頼出来るDomとの出会いの場を設ける』と記載されていた。
この日、僕は両親に結果を告げた。するとUsualである二人は驚いた顔をした後、僕が渡した学校案内を覗き込んで、それぞれが頷いた。中等部二年生だったこの日、僕の高等部からの進路は決定した。僕以外の中等部の生徒達は、皆がUsualだったそうで、僕はDomを一度も目にする事が無いままで、中等部を卒業し、その後進学した。
――これが、三年前の事である。現在、僕は十八歳となった。卒業間近の現在まで、僕は繰り返し、学業教科の他にある、SubとDomの性質を知るための授業を受け、日々を過ごしてきた。卒業後の一年間は、『猶予期間』とされ、国策により、就職活動が免除されて、信頼関係を結べる相手を、Subは探す事になるそうだった。その点は、Domとは異なる。Domは、就職をし、その優秀な知識で社会貢献をしながら、毎年新しい顔ぶれになるSubへと会いに来るらしい。決してSubの立場が弱いからではなく、これは、信頼関係の無い相手にSub dropさせられないようにと保護されているSubへの配慮なのだという。Subは、一刻も早くDomに出会わなければ、誰かに蹂躙される可能性が高いかららしい。
こうして僕も卒業し、初めてDomの人々と顔を合わせる日がやってきた。